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    債務整理ビジネス弁護士被害の本質

     「身近」「寄り添う」「頼りがい」「信頼」という言葉を、いまや多くの弁護士が口にしています。自らの姿勢をアピールする個々の法律事務所のホームページはもちろん、弁護士会役員の就任あいさつなどでも、それらが散りばめられるのがほぼ定番になっています。とりわけ、「身近で頼りがいのある司法」の実現が強調された、いわゆる「平成の司法改革」以降、それに呼応するように、それが目立ち始めた現実があります。

     しかし、弁護士全体の現実は、その言葉通りの姿に着実に進んでいるといえるのでしょうか。いや、むしろ同「改革」以降、この言葉に反する方向が顕著に目立っている現実を、今、弁護士は突き付けられているといわなければなりません。

     「債務者の味方のはずが」。債務整理をめぐる一部弁護士の事件処理を批判する、昨年出された大手消費者金融連盟の意見書の内容を報じた、5月17日付け朝日新聞の記事には、こんな大見出しが躍っています。意見書によると、日弁連の規程にある、依頼者との直接面談義務を果たさず、見通し困難な任意整理をあえて受任しながら、途中辞任で着手金を返さないケースや、弁護士独断で和解協議を進めトラブルになるケースなどがある、というのです。

     ある意味皮肉というべきか、一部弁護士に衝撃を与えているのは、これが消費者金融側から指摘されている現実です。前記見出しの文言も、「多重債務者の最たる味方であるはずの弁護士が、義務に違反して多重債務者の利益を損なわせているおそれがある現状は看過できない」という意見書の一文からとられているようです。「頼りがい」「寄り添う」弁護士の面目は、丸つぶれということになります。

     さらに、注目すべきなのは、この問題の背景として、債務整理を勧誘する大量のネット広告を出す法律事務所の問題に言及していることです。大量のネット広告によって多くの債務者が集められ、過度な期待を抱かせたり、不適切処理が発生しているといわれてきた実態。そこにあるのは、もはや多重債務者たちの救済や生活再建よりも、「集客」と「効率的処理」を優先する弁護士たちの姿といわれても仕方がありません。

     業界が必ずしもこの現実に危機感を抱いていなかったわけではありません。今年3月には、弁護士、司法書士らによる「大量広告事務所による債務整理二次被害対策全国会議」も結成され、同月実施されたホットラインには、約60件の相談が寄せられています。しかし、いまだ解決への道筋が見えている状況とはいえません。もちろん、被害防止の観点からの利用者市民への注意喚起も、個々の責任追及による問題弁護士の排除にも、意味はありますが、それらはいわば対処療法であり、これが生まれている根源的なものを直ちに解消するものではなく、少なくともそれが解消されないうちは、排除の過程でも、新たな被害者も問題弁護士も生まれかねないからです。

     そして、見直されなければならない根源的問題とは、いうまでもなく、前記「集客」と「効率的処理」を優先し、弁護士たちを「大量広告」に駆り立てることになっている、彼らの置かれた環境そのものといわなければなりません。もはや弁護士による「二次被害」といわれるものすべてに共通している、彼らが依頼者市民を踏み台にしても、ビジネス化に突き進ませている自由競争の発想と、依頼者市民に突き付けられている自己責任論の酷という、前記「改革」の影響です(「弁護士による詐欺『二次被害』を生み出しているもの」)。

     市民側の「過度な期待」に対しても、きちっとクギを刺すことも求められているかもしれません。最近も「スクールローヤー」という存在を注目した記事がネットに流れましたが(信濃毎日新聞デジタル)、いかにも校内トラブルの中立的処理をイメージさせながら、実際は学校側を擁護するシステムと化す可能性をもっと明らかにすべき、という見方もあります。

     弁護士界の中には、前記一部債務整理弁護士たちの行状で、これまで築かれてきた信頼が、どんどん失われている現状への危機感を訴える声もあります。 なんだかんだ言いながらも、「改革」の方向性と成果を強調する大手メディアの論調に引きずられずに、起こっていることを直視して、まず、そこから逆算する見方をしなければ、依頼者市民の被害も、弁護士の信用失墜も、延々と続くことになりかねないことに、まず気付くべきといわなければなりません。


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    情報の非対称性と市場化への視点

     弁護士のサービスの市場化、そしてその先の競争・淘汰による良質化・低廉化の効果をイメージさせた「平成の司法改革」。しかし、その現実化の、最もネックになることは、およそ自明であったといっていい、情報の非対称性とその先に予想される、いわゆる「市場の失敗」というテーマについて、「改革」を推進した側が、果たしてどこまで直視し、それを踏まえたのか、ということに対しては、根本的な疑問があります。

     ただ、疑問とはしましたが、あくまで現実に則して皮肉な見方をすれば、この点を看過したからこそ、前記したようなイメージ化した「改革」を推進できた。逆に言えば、そもそもこのテーマに目をつぶらなければ、この「改革」は、駒を進められなかったようにさえ思えるのです。

     弁護士と利用者市民という専門家と非専門家の情報の非対称性が、厳然と存在する以上、利用者による適正な選択による淘汰は阻害される、もしくは極めて、利用者市民にとって不利で酷なものになる。このことは、弁護士増員政策の結果を懸念する側からは、つとに指摘されていたことではありました。

     しかし、一方の「改革」推進側は、一部識者などから情報の非対称性と「市場の失敗」の可能性を指摘されることがあっても、それは深く踏み込まれて検討されたようにはとれませんでした。そこで対策として言及されるのは、常にお決まりの、弁護士の情報公開、利用者市民側によるセカンドオピニオン、弁護士の倫理の向上など。

     つまり、弁護士が積極的に自らの情報を公開することや、利用者市民側が積極的に複数の弁護士の知見に触れることで、非対称性の弊害は緩和され、さらに弁護士の高度の倫理性を担保できれば、あたかも現実的な利用者側の不利益は回避できるような見立てです。

     しかし、この見立ては、一見して危ういものといわなければなりません。端的に言えば、問題の解決を弁護士の努力に期待し、丸投げするか、利用者市民の努力の効果に期待して、それを高く見積もるものといえるからです。手段としてのインターネットも強調されがちですが、いくら弁護士が積極的に情報公開をしても、その効果は限界があります。

     経歴や得意な分野をはじめ、仮に弁護士選びの参考になる情報が開示されても、それが具体的な弁護士と依頼者市民の取引上での、前記専門家・非専門家の情報格差を埋めきれるわけでもありません。そもそも、その開示はこれもまた弁護士側が主導して行うものであり、どちらに都合のいい情報が公開されているかもまた自明です。その意味で、活発化して弁護士の露出に一役買っている、広告についても、結局、それが沢山の広告を打った弁護士が顧客を誘引してしまうことで、利用者市民の利益につながらない恐れを懸念する声が、同業者の中からも出されています。

     さらに、セカンドオピニオンに関しても、利用者市民側がどのくらい現実的にその負担を背負えるのか、という問題もさることながら、いくら複数の知見に接することができても、弁護士主導の条件も、選択の困難性も変わらない、という見方もでてしまいます。

     この点では、「改革」推進の側から、第三者の認定制度の可能性を言う声もありました。つまり、依頼者市民には困難な専門性評価を第三者が行い、安全な取引に太鼓判を押すというものです。しかし、具体的詳細な個々の内容に踏み込み、それに則して認定の効果が反映できるのか、認定の責任を誰がどこまで追い切れるのか、さらに一つ間違えれば、逆に自由な参入・競争を阻害するといった見方が出され、前記情報の非対称性の問題に現実的に切り込むには、高いハードルがあるといわなければなりません。

     そして、何よりも「改革」後の現実からみれば、この問題を看過して推し進められた結果への懸念は的中している、ようにとれます。依然、弁護士選択にあって、利用者市民は酷な自己責任論を被せられ、競争によって淘汰されるはずの弁護士は淘汰されないまま、市民に被害を与えても生き残りを図ろうとしている。弁護士会が「市民のため」と銘打った「改革」でありながら、利用者市民にとって、弁護士の選択は、より楽にもならなければ、安全にもなっていない。同時に、この状況下で、弁護士の信頼も低下しつつある(「弁護士による詐欺『二次被害』を生み出しているもの」 「『情報の非対称性』への向き合い方という問題」)。

     しかも、「改革」がもたらした弁護士の経済状況は、この現実にあっては、むしろ利用者にとって有り難いものではありません。いうまでもなく、弁護士に生存をかけた競争を突き付けていることは、「高度の倫理性」を期待するうえでは逆効果、ヤブヘビなものととれるからです。彼らを経済的に追い詰めても、良質化低廉化は期待できないうえに、逆に弁護士の経済的不安定さは、とりもなおさず利用者にとっては、この現状下では、不安材料でしかないのです。

     既に「市場の失敗」は現実化した、とする見方が業界内にも聞かれますが、一方で、主導層を含めた多くの弁護士は、以前そこまでの認識はありません。弁護士が宿命的に背負っている、情報の非対称と市場化の問題(果たしてどこまで市場に任せられるのか、任せて良いのか)、そして何よりも淘汰の過程で、利用者市民も弁護士・会も傷付く現実について、もうそろそろ直視されていいと思えてなりません。


     弁護士の競争による「淘汰」という考え方についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4800

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    法曹養成のコストと「国の責務」というテーマ

     法科大学院制度の問題点の一つとして、弁護士界の中で、異口同音に聞かれて来たことがあります。それは、法曹養成にかかるコストを志望者に転嫁し、その負担を増大させた――というものです。そのことが、司法試験合格後もリターンが期待できない、増員政策後の弁護士の経済的下落と相まって、志望者を遠ざけた、ということにつながります(Schulze BLOG)。

     しかし、前段のコストを転嫁という点に対して、いまや当の志望者たちがどう考えているのか、という疑問もあります。「改革」論議を知らない、いわば制度として確立してこの世界に来た彼らは、この意味が、本来、法曹養成は国の責務であり、そのコストも当然、国が負担して然るべき、という、前記声の発想と、果たして、当然に同じ前提立っているのか、とも思えるからです。

     「平成の司法改革」にあっては、法科大学院の費用負担、給費制の廃止、給費制と趣旨の異なる貸与制や修習給付金、さらにはいわゆる「谷間世代」問題まで、この国の責務としての、法曹養成コスト負担の発想からの後退という発想が、影を落とす結果となりました。

     「法科大学院の教育と司法試験等の連携等に関する法律」には、第3条で法科大学院の教育の充実や、司法試験・司法修習との有機的連携を図ることなどとともに、法曹養成の施策実施に必要な法制上財政上措置などを、国の責務として規定はしています。しかし、新制度の発想は、はじめから現在に至るまで、前記したように、旧制度の国の責務観を変えるものになっているのです。

     その転換に導いた「改革」の発想として、前記給費制廃止論議などで明らかになった二つのポイントがあるように思えます。その一つは、「自弁」という見方です。国の責務という建て前は崩さず、その一方で、法曹の資格取得までのコストを他の資格同様、あくまで最終的に個人利益につながる、個人が負担して然るべきもの、と捉える見方を始めたということです。

     その見方に立てば、法曹養成も、いわば個人がコストを負担すべき、まるで普通の職業訓練のように描かれることになったといっていいかもしれません。枠組みは国が「責務」として提供しても、それにかかる費用は、あたかも「当然に」利用者負担とし、まして生活費や逸失利益といったものへの見方も排除していった。給費制が確保し、保証した、志望者にとっての環境は、明らかに「責務」の対象外におく方針をとったのです。前記修習給付金とて、あくまでこの結果として生じた志望者減への対策であって、この「改革」がはらんだ国の責務観の転換を根本的に見直すものではなかったといわなければなりません。

     そして、もう一つは、法曹三者の中の弁護士観の転換ともいうべきものです。給費制存廃論議の中では、国が養成費用を負担しながら、法曹就任後、あたかも国、公益にそれを還元せず、個人事業主として、利益を得る弁護士の不当性を言うような論調も出され、それが前記自弁の妥当性を補強するような論調になりました。

     これには、当然、弁護士界の中にも反発はありました。しかし一方で、弁護士の特殊性を認めず、他のサービス業と同じ自覚を求めるような風潮や、弁護士会の「改革」主導層自らが、この「改革」に当たって自省的に、より事業者性を犠牲にしても公益性を追求すべきという方向性を打ち出し、さらには新たな経済的負担を課すことが明らかな法科大学院制度支持に回るなど、これまでのような法曹養成と国の負担論を徹底的に主張しなかったということもありました。

     そして、これらを弁護士会の中にあった異論が跳ね除けられなかった理由には、いわゆる「通用しない」論もあったように見えました。当時の多くの弁護士たちが考えていた以上に、社会の中の弁護士業のイメージは、前記自省論が踏まえたように、公益性に向き合う専門家たちの仕事というものよりも、専門的知識を持つビジネスというものが上回っていた。少なくとも、「通用しない」とみた当時の弁護士会主導層は、そうとらえたということです(「弁護士の『公益性』をめぐる評価とスタンス」)。

     前記のこの「改革」の発想転換は、そこに乗じたようにもとれます。しかし、これは結果としてよかったといえるのでしょうか。志望者の経済的負担は前記した通り、制度の存続と法曹養成そのものをぐらつかせる結果となりました。それに加え、かつての給費制の存在を含めて、国の責任で、経済的支えのもとで三者同じく育てられたという意識が、弁護士の公共性への意識をつなげるものになっていた、という見方もあります。これが正しいとすれば、前記自省論と矛盾し、さらには増員政策後の経済的に余裕がない弁護士の現実の中で、どういう結果につながるかも考えなければならなくなります(「弁護士会費『納得の仕方』から見えてくるもの」)。

     法曹養成のコスト負担を、もはや当たり前のように引き受けているようにもとれる志望者やその予備軍にとって、こうした話は、あるいは自分たちの現状につなげられない、よそよそしいものに思えるかもしれません。しかし、もはや法曹養成そのものというより、導入された新制度を守るためだったともとれる、この発想転換が、社会にとって旧制度を上回る「価値」を提供しているのか、そのことを考えたくなるのです。


     「予備試験」のあり方をめぐる議論についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/5852

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    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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