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    弁護士激増政策の失敗に被って見えるもの

     一見突拍子もない例えにもとれますが、以前から弁護士激増政策の失敗を、人為的な生態系破壊による失敗例と重ね合わせる話を聞くことがありました。

     一つは、比較的よく知られているアメリカのカイバブ高原での鹿の増殖。1900年代前半のシカ保全のための、オオカミなど肉食獣捕獲奨励策によって、鹿が激増し、そのため、今度は高原植物が食い荒らされ、鹿たちも飢え死にしていくという結果を招いた話です。

     もう一つは、1950年代末からの中国で毛沢東によって進められた害虫・害獣駆除運動とその結果。農産物増産を目的に行われたネズミ、蚊、ハエ、スズメの「四害駆除運動」でイナゴを捕食するスズメがいなくなったことから、蝗害を招き、農作物に壊滅的な打撃を与えることになった話です。

     いずれも似ているような話で、人間の生態系破壊の影響を考えない政策が、とんでもないしっぺ返しとして、人間社会に返って来るという教訓のような歴史的事実です。いうまでもなく、これを弁護士の激増の結果に重ね合わせているのは、成立条件を考慮せずに進められた政策の、「数」が増えたことによる失敗ということになります。

     「駆除運動」は、「規制緩和」に、食物という成立要件は、有償需要に置き換え、そのしわ寄せとしての鹿の減少や農作物の打撃は、弁護士の経済的下落と、あるいは「改革」の狙いに反した、採算性の低い案件ついての依頼者市民へのサービスへの影響ということになるのかもしれません。

     依然、増員政策の「効用」の部分を強調されている方々からは、「何をいうか」というお叱りも受けそうですが、あえてもう一つ、この例えから「教訓」を引き出すのならば、それは「制御」ということのようにとれます。生態系についていえば、その破壊の過程で、影響を見通し、増殖の誘因を回避すること。弁護士の激増にしても、その影響が分かった時点で、増員基調を止める制御がきちんと働いたのか、ということです。

     もちろん、法曹養成制度についていえば、早々に年間司法試験合格3000人目標の旗は降ろされましたが、それでも増員基調は続いています。また、逆にいえば、数を一気に増やすのではなく、社会の有償ニーズの顕在化をにらみながら、足りないのであれば、その分の数を徐々に増やしていく政策がとられていれば、弁護士はここまでの経済的打撃を回避できたとする見方もあります。

     さて、自然界の生態系の話ではなく、より規制緩和が裏目に出たケースとして、度々、弁護士業界に被せられてきた(似ているとされてきた)ものに、タクシー業界があります。

     最近、ライドシェア論議で注目されている、このタクシー業界について、DIAMOND onlineが取り上げた記事(「ライドシェア解禁で『タクシー不足』加速?地方がたどりそうな“悲惨な末路”とは」政策コンサルタント・室伏健一氏)の中に、規制緩和が裏目に出たタクシー業界の事情がまとめられた下りがあります。

     「需給調整規制を廃止し、事業者間の競争を促すことなどを内容とする『道路運送法及びタクシー業務適正化臨時措置法の一部を改正する法律案』が、2000年5月に国会で可決成立し、2002年2月に施行された」。
     「この需給調整規制とは、タクシーに対する需要と供給のバランスを考慮した上で新規参入(供給の増加)を認めるというもので、免許制により、まさに安易な新規参入を抑制していた。ところがこれが廃止されたことにより、一定の条件を満たせば新規参入は原則として自由になった」
      「確かに需給調整規制の廃止後5年間はタクシーの事業者数・台数は増えたが、それ以降は減少傾向が止まらず、ずっと減り続けている。輸送人員は規制緩和後も横ばいであり、2007年以降はずっと減少、輸送収入も同じ動きを見せている」
     「ということは、タクシー運転手の賃金も上がらないということであり、微増した期間はあったものの、全体として減少か横ばいである」
     「要するに、需給調整規制を廃止した結果、事業者間の競争が促進されて業界・市場が活況を呈したのでもサービスの質が一律に向上したのでもなく、業界・市場の縮小とサービスの質の低下という正反対の方向に進んでしまった」
     「客の奪い合いで売り上げが減少していけば事業を継続することは困難になり、事業の縮小や廃業を考えざるをえなくなる」

     弁護士激増政策の当初の建て前は、必ずしも競争促進ではなく、あくまで「不足」の解消でしたが、結果として需給調整廃止、新規参入促進、競争激化、事業者数は増加後断続的減少、客の奪い合いと事業継続困難化。パイが増えない中の奪いと事業継続困難化という流れは、この世界で起きたことを知る人ならば、やはり二つの業界が被せて見ておかしくないように思えます。

     前記記事自体は、こうしたタクシー業界の過去をライドシェア解禁への不安・疑問につなげています。そもそも需要が限られているところで、単に「不足」を理由にしても、わざわざビジネスなどは考えないだろうこと、さらなる競争に対応するための事業者のコスト削減と需給調整規制廃止後の再現。低廉なライドシェアと地域の公共交通機関との無用な競争のツケが、結局利用者に回った末に、これもまた失敗に終わるシナリオです。ここでも、いろいろ被って見えている方もいるはずです。

     全く前提や性格が違う現象や業界を比べることを批判することは、もちろんできるかもしれません。しかし、一重に先を読めなかった人間の過去の「教訓」から、何を学び、今、何をしなければならないかは、虚心坦懐に向き合うべきことのようにも思えてなりません。


     弁護士の経済的な窮状の現実を教えてください。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4818

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    弁護士に対する利用者市民の「警戒感」

     インターネット空間をはじめ社会の中で、弁護士に対する警戒を呼び掛ける言説を、もはや当たり前のように目や耳にします。ネットが存在していなかった時代とは、もちろん単純比較できませんし、昔から、そうしたものは存在していたという意見もありそうですが、印象としては以前より社会に浸透している感もあります。少なくとも逆にインターネットの普及で以前よりも拡散しているということはいえそうですし、また司法改革によって新たな要素も加わっているようにもとれるのです。

     すこし以前のことになりますが、利用者市民の弁護士への警戒感を強めることになった、ある大手コンサルティング会社の法律事務所向け広告がありました。

     「離婚分野を伸ばしたい弁護士必見!! 離婚案件を増やす方法 離婚弁護士4人で130件超を実現した手法大公開!」

     趣旨としては、早期介入のメリットをいうものでしたが、ネット上での一般の反応は、概ね批判的な、弁護士に対し警戒すべき、という目線を送るものでした。

     「弁護士の倫理観はバグっている」
     「弁護士が増えすぎて、仕事がないから増やすために」
     「これって反社会的ですよね」

     中には、弁護士は話し合いによる関係修復を目指すよりも離婚調停に持ち込む方が多額の報酬を獲得できる、などといった見方を提示するものもありました。あたかも弁護士が誘導や焚きつけによって、紛争の解決よりも、自らの利益を優先させかねないといった警戒感を訴えるものといえます。

     弁護士側の反応としては、この表現そのものの不適切さをいうものが目立ちましたが、一方で士業努力ということに重ね合わせ、どこまで批判されなければならないのかといったあたりで、複雑な反応を示す見方もありました。

     ただ問題は、一般の利用者市民側の目線として、こうした警戒感の「健全さ」をどう評価すべきなのか、という点にあります。「健全さ」などと書くと、弁護士の中からは、利用者との関係性において、こんな警戒感が存在することが健全なわけがないではないか、といったお叱りも受けそうです。

     しかし、それを承知のうえで、あえて「健全さ」という言葉を使っているのは、利用者市民側の自己防衛の姿勢をどうとらえるかということであり、さらにいえば、司法改革によって生み出された環境は、自己責任として、より彼らにこういう姿勢を求めたようにもとれるからです。

     ここでは二つの要素に触れたいと思います。一つは、こうした「改革」後に必然的に際立ち始めた、ビジネス的発想や士業努力と、市民の「警戒感」にみる弁護士の倫理について、どう考えるのか。別の言い方をすれば、市民の中の「不安」の正当性と不当性を、どうとらえるべきなのか、ということについてです。

     つまりは、弁護士として、生存のために必要な、正当なビジネス化へ利用者市民の理解を深めるという方向と、その過程で利用者の前記のような懸念、いわば、現実に「バグっている」弁護士の存在への警戒を強めるべきとする方向が、今のところ、区別なく混在しているととれることです。

     もう一つの要素は、この状況そのものが、利用者市民による弁護士の選択、選別が、容易ではないということを示しているという点についてです。司法改革が弁護士に突き付けた競争・淘汰と、その先に描き込まれた弁護士の良質化や低廉化への期待。しかし、前記警戒の中で示されているように、情報の非対称性をはらんだ弁護士主導の、時に誘導・焚きつけの可能性があるなかで、前記「改革」の期待が前提にしているような「健全な」選択が、実は利用者には困難であるということです(「『情報の非対称性』への向き合い方という問題」)。

     少なくとも、必ずいわれるような弁護士側の自己申告といえる情報公開などが、その「健全」な選択の実現性を担保するというなどという見方は、およそ現実離れしているというべきなのです。

     あえて「改革」の発想に立てば、こうした懸念が的中した形で、利用者側が被害を受けるのは、競争・淘汰によって、問題弁護士が消え、良質が残るということであれば、その過程において折り込み済みであり、「自己責任」として片付けられるだけ、ということです。だとすれば、当然に社会はこうした利用者市民の「警戒感」は「健全」なものとしなければならなくなります。

     こうしてみれば、少なくともこの点で、「改革」が生み出している弁護士との関係性は、利用者市民にとって、以前より有り難いものになっているとは、言えない気持ちになってくるのです。


     弁護士の競争による「淘汰」という考え方についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4800

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    弁護士会的「市民」像

     弁護士会が描く「市民」像というテーマが、これまでも弁護士会会員の間で、取り沙汰されてきました。そして、この文脈で取り上げられる多くの場合、それは、批判的な意味を持っています。要は、そこには現実の、いわば等身大の市民との間に乖離がある、というニュアンスです。

     どういうことかといえば、弁護士会が掲げる政策方針や提案の基本に、自らのそれに都合がいい「市民」像が設定され、あたかもその要求に忖度するような形にしているが、現実の市民とは乖離しているため、いわば当然にズレ、誤算が生じているのではないか、逆にズレ、誤算の根本的原因が、まさにそこにあるのではないか、という指摘になります。

     その中身は、あえて大きく分類すれば、二つに分けられます。一つは市民の意識や志向を弁護士会側に都合良く、「高く」(高い、低いで表現するのは若干語弊がありますが)、彼らにとっての理想的なものとして、描く傾向。市民は自立的で、常に行動は主体的であって、弁護士会が掲げる問題提起や司法の現実に対し、強い関心を抱き得る存在である、と。死刑廃止や人権侵害問題、法曹一元などにも、必ずや目を向け、賛同し得る「市民」ということになります。

     もう一つは、前記と被る部分もありますが、必ずや弁護士・会を必要とする存在、もしくは弁護士会の活動に必ずやエールを送ってくれる存在として、「市民」をとらえる傾向。市民のなかに(条件を満たせば)、基本的に弁護士・会を必要とする欲求が存在し、場合によっては、おカネを投入する用意も、意識も十分に存在しているととらえたり、弁護士自治もその存在意義を理解して、必ずや賛同してくれる存在とみているようにとれます(「『市民の理解』がはらむ問題」)。

     「し得る」とか「必ずや」とか「条件を満たせば」といった、可能性に期待するような言葉を敢えて挟んでいるのは、弁護士会のスタンスの特徴として、もし、現実的な乖離がそこに現在、存在しているとしても、それそのものを「課題」として、「なんとかしなければならないもの」、あるいは弁護士側の「努力次第で現実化するもの」ととらえがちである、ということがまた、弁護士会的なスタンスととれるからです。

     結局は、「市民のため」「市民の理解」ということを掲げながら、等身大の市民ではなく、あくまで彼らにとっての、在るべき論が介在しているような「理想像」から、逆算されているようにみえてしまう、ということになります。

     実は、「平成の司法改革」そのものにも、そういうニュアンスが読みとれます。司法制度改革審議会意見書の中で、「国民」が次のように描かれている箇所があります。

     「国民は、司法の運営に主体的・有意的に参加し、プロフェッションたる法曹との豊かなコミュニケーションの場を形成・維持するように努め、司法を支えていくことが求められる。21世紀のこの国の発展を支える基盤は、究極において、統治主体・権利主体である我々国民一人ひとりの創造的な活力と自由な個性の展開、そして他者への共感に深く根ざした責任感をおいて他にないのであり、そのことは司法との関係でも妥当することを銘記すべきであろう」

     「司法の運営に主体的・有意的に参加」したり、「プロフェッションたる法曹との豊かなコミュニケーションの場を形成・維持するように努め、司法を支えていく」国民は、もちろん現実の国民の意志から逆算されたものではなく、あくまで「改革」者側の、在るべき論に基づく願望といってもいいものです。「統治主体・権利主体である」国民という括りは正しくても、司法の信頼のうえに税金を投入して委託している側が、脱却すべき「統治客体意識」の持ち主とされることには、納得いかない国民がいてもおかしくありません。

     「改革」が理想を前提に語って何が悪いという人もいるかもしれません。仮に理想としてそれを提示されても、等身大の国民から捉えなければ、その理想を現実化するには本当は何が必要なのかも見誤ります。まさに、弁護士の需要と弁護士激増政策にしても、裁判員制度にしても「改革」の失敗の根っこには、そのことが横たわっているというべきです。

     弁護士会の掲げる「市民」像と現実の市民との隔たりにしても、そのしわ寄せは、結局、等身大の市民と向き合う個々の弁護士が被ることになります。そして、「市民のため」の「改革」と言いながら、それは、弁護士会が理想とした「市民」ではない市民にとっては有り難みを実感できない、よそよそしいものになることを、弁護士会や「改革」の主導者は、もっと理解しておくべきだったと言わなければなりません。


     今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

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    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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