「改革」から離れる弁護士の意識
残すところ任期約3ヵ月となった中本和洋・日弁連会長が、今月、弁護士ドットコムニュースのインタビューにこたえ、その中で法曹養成と弁護士の現状について、言及しています。このなかで彼は、法曹志望者の減少という事態が起きている理由について、「法科大学院の教育に時間と費用がかかること」が「指摘されている」ことと、「弁護士業界の競争激化で『試験に受かればなんとかなる』という状況ではなくなって」いる、という認識を示したうえで、次のように述べています。
「司法試験合格はスタートであって、ゴールではありません。弁護士は雇用が保証されておらず、サラリーマンのように退職金をもらえるわけでもありません。自分の努力で生きていかなければいけません。時間と費用をかけてなりたいという職業ではない、という認識が一部の人たちの間にあるのかもしれません」
「でも、私はこんなに素晴らしく魅力的な仕事はないと思っています。自分で仕事が選べ、社会から評価されます。最近では、企業内弁護士になる人もいれば、地方公共団体や中央官庁で働く人もいて、キャリアの積み方も様々です。企業で会社員として働いてから、弁護士業に戻ってくることもできます。また、報酬が明確になっていて、自分の努力が目に見えることも弁護士の良いところです」
志望者減の根底にある、彼らから見た弁護士資格の経済的「価値」の下落に対し、彼は当然、ここでそれを引き上げる方向の積極的なアピールをしたかったのだと思います。しかし、ここで語られたその中身は、仕事を選べ、社会から評価され、報酬が明確で自分の努力が見える、という彼個人の中にある仕事観と、インハウスの将来性でした。
正直、この下りには、日弁連トップとしての、この問題に対する説得力よりも、逆に苦しさのようなものを感じます。彼は、志望者減の原因を認識し、「一部の人たち」と断りながら、もはや「時間と費用をかけてなりたいという職業」ではないという扱いをされ出した弁護士の現状にあって、こうした主観的ともいえる魅力の発信や、「受け皿」のキャパや待遇面でのメリットが未知数のインハウスの将来性が、本心ではどのくらいのこの状況打開につながると考えているのか、と問いたくなってしまうのです。
この発言のなかには、この状況をもたらしている「改革」についての認識が出できません。「弁護士業界の競争激化で」とさらっと書いていますが、一体、何がそれをもたらしたのか。弁護士は昔から、自由業であり、雇用保証も退職金もなく、司法試験合格がゴールでなくても、かつては誰も「時間と費用をかけてなりたいという職業ではない」などと思わなかった、この資格業を何が今のように変質させてしまったのか――。ここに、おそらくあえて触れない彼の前提が、このインタビューを苦しいものにしているようにもみえます。
このあと彼は、「予備試験」について、「ショートカット」という表現で、法科大学院制度擁護派の論調のなかで登場する「抜け道」論を当てはめ、これまたお決まりの「本来の趣旨」に戻す必要を掲げる一方、71期司法修習生からの「給付制」による経済負担の改善、現在、進められている法学部・法科大学院「5年一貫コース」の検討に期待をつなぐような話で、このインタビューを終えています。
限られた時間のインタビューで、彼も意を尽くしていない、という面はあるかもしれません。しかし、志望者離れという、厳然とした「改革」の結果から、「改革」路線そのものを根本的に見直すという余地は、今の彼の頭のなかに、全くないということだけは、この発言から伝わってくるのです。
今年一年の弁護士界を振り返って、いま、一番思うことは、「改革」路線と弁護士の意識の広がりつつある距離感といえるようなものです。「改革」の増員政策の影響を受け続けながら、もはや「改革」路線そのものにこだわらない、議論の対象とは見れなくなりつつある彼らの意識です。新法曹養成で誕生した、いわば「改革」後世代の弁護士が増えていることもさることながら、この流れは、いまさらなにも変わらないという認識の広がり。まして、日弁連・弁護士会が、これを変えられるとも思えない。「改革」を議論するよりも、もはや変わらないそのなかで、いかに生きるかが問題である、と。つまり、弁護士は確実に、より「改革」からも日弁連からも距離を取り出しているようにみえるのです。
この日弁連会長インタビューの内容からは、まさにそうした弁護士と弁護士会主導層の現実が浮かび上がっきます。彼が語る「改革」の現状に対する姿勢は、志望者への動機付けに繋がるものにならないだけでなく、「改革」の影響が直撃した会員にとっても、変化への期待につがらない、よそよそしいものに映る現実があるのではないでしょうか。
そして、この会員間の意識傾向は、来年の次期日弁連会長選挙にも影を落とすという見方もあります。「改革」路線そのものが争点となり、反「改革」派候補の高山俊吉弁護士が、当選した「主流」派候補との間で激戦となり、有効投票数の43%を獲得した2008年選挙、宇都宮健児弁護士が「主流」派を破り、再投票で勝利した2010年選挙、さらに同弁護士が再投票、再選挙までもつれ込み、最終的に敗北したものの48%の票を獲得した2012年選挙――。「改革」の状況はさらに深刻になっているにもかかわらず、会内ムードは、こうした結果を生み出した当時とは隔世の感があります。「改革」路線変更のリアリティと、日弁連への期待感で、何か会員意識の根本部分が冷え込んできた、というべきかもしれません。地方弁護士会の疲弊が言われ、弁護士過剰が言われ続けても、増員基調の「改革」路線をやめることで一枚岩にはなれないことも、弁護士会内の分裂的な世論状況を物語っています。
「結局、この路線のまま、弁護士会はいくところまでいくのではないか」。こう語った弁護士がいました。この「改革」がもたらした分裂的世論状況のまま、弁護士会が強制加入団体として持ちこたえられなくなるまで行くか、それともどこかで大きく舵を切ることができるのかーー。もはや、そういう次元の話が、会員間で取り沙汰されていることも、弁護士会主導層には見えないか、それとも見ないことなのかもしれません。
今年も「弁護士観察日記」をお読み頂きありがとうございました。いつもながら皆様から頂戴した貴重なコメントは、大変参考になり、刺激になり、そして助けられました。この場を借りて心から御礼申し上げます。来年も引き続き、よろしくお願い致します。
皆様、よいお年をお迎え下さい。
弁護士自治と弁護士会の強制加入制度の必要性についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4794
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「司法試験合格はスタートであって、ゴールではありません。弁護士は雇用が保証されておらず、サラリーマンのように退職金をもらえるわけでもありません。自分の努力で生きていかなければいけません。時間と費用をかけてなりたいという職業ではない、という認識が一部の人たちの間にあるのかもしれません」
「でも、私はこんなに素晴らしく魅力的な仕事はないと思っています。自分で仕事が選べ、社会から評価されます。最近では、企業内弁護士になる人もいれば、地方公共団体や中央官庁で働く人もいて、キャリアの積み方も様々です。企業で会社員として働いてから、弁護士業に戻ってくることもできます。また、報酬が明確になっていて、自分の努力が目に見えることも弁護士の良いところです」
志望者減の根底にある、彼らから見た弁護士資格の経済的「価値」の下落に対し、彼は当然、ここでそれを引き上げる方向の積極的なアピールをしたかったのだと思います。しかし、ここで語られたその中身は、仕事を選べ、社会から評価され、報酬が明確で自分の努力が見える、という彼個人の中にある仕事観と、インハウスの将来性でした。
正直、この下りには、日弁連トップとしての、この問題に対する説得力よりも、逆に苦しさのようなものを感じます。彼は、志望者減の原因を認識し、「一部の人たち」と断りながら、もはや「時間と費用をかけてなりたいという職業」ではないという扱いをされ出した弁護士の現状にあって、こうした主観的ともいえる魅力の発信や、「受け皿」のキャパや待遇面でのメリットが未知数のインハウスの将来性が、本心ではどのくらいのこの状況打開につながると考えているのか、と問いたくなってしまうのです。
この発言のなかには、この状況をもたらしている「改革」についての認識が出できません。「弁護士業界の競争激化で」とさらっと書いていますが、一体、何がそれをもたらしたのか。弁護士は昔から、自由業であり、雇用保証も退職金もなく、司法試験合格がゴールでなくても、かつては誰も「時間と費用をかけてなりたいという職業ではない」などと思わなかった、この資格業を何が今のように変質させてしまったのか――。ここに、おそらくあえて触れない彼の前提が、このインタビューを苦しいものにしているようにもみえます。
このあと彼は、「予備試験」について、「ショートカット」という表現で、法科大学院制度擁護派の論調のなかで登場する「抜け道」論を当てはめ、これまたお決まりの「本来の趣旨」に戻す必要を掲げる一方、71期司法修習生からの「給付制」による経済負担の改善、現在、進められている法学部・法科大学院「5年一貫コース」の検討に期待をつなぐような話で、このインタビューを終えています。
限られた時間のインタビューで、彼も意を尽くしていない、という面はあるかもしれません。しかし、志望者離れという、厳然とした「改革」の結果から、「改革」路線そのものを根本的に見直すという余地は、今の彼の頭のなかに、全くないということだけは、この発言から伝わってくるのです。
今年一年の弁護士界を振り返って、いま、一番思うことは、「改革」路線と弁護士の意識の広がりつつある距離感といえるようなものです。「改革」の増員政策の影響を受け続けながら、もはや「改革」路線そのものにこだわらない、議論の対象とは見れなくなりつつある彼らの意識です。新法曹養成で誕生した、いわば「改革」後世代の弁護士が増えていることもさることながら、この流れは、いまさらなにも変わらないという認識の広がり。まして、日弁連・弁護士会が、これを変えられるとも思えない。「改革」を議論するよりも、もはや変わらないそのなかで、いかに生きるかが問題である、と。つまり、弁護士は確実に、より「改革」からも日弁連からも距離を取り出しているようにみえるのです。
この日弁連会長インタビューの内容からは、まさにそうした弁護士と弁護士会主導層の現実が浮かび上がっきます。彼が語る「改革」の現状に対する姿勢は、志望者への動機付けに繋がるものにならないだけでなく、「改革」の影響が直撃した会員にとっても、変化への期待につがらない、よそよそしいものに映る現実があるのではないでしょうか。
そして、この会員間の意識傾向は、来年の次期日弁連会長選挙にも影を落とすという見方もあります。「改革」路線そのものが争点となり、反「改革」派候補の高山俊吉弁護士が、当選した「主流」派候補との間で激戦となり、有効投票数の43%を獲得した2008年選挙、宇都宮健児弁護士が「主流」派を破り、再投票で勝利した2010年選挙、さらに同弁護士が再投票、再選挙までもつれ込み、最終的に敗北したものの48%の票を獲得した2012年選挙――。「改革」の状況はさらに深刻になっているにもかかわらず、会内ムードは、こうした結果を生み出した当時とは隔世の感があります。「改革」路線変更のリアリティと、日弁連への期待感で、何か会員意識の根本部分が冷え込んできた、というべきかもしれません。地方弁護士会の疲弊が言われ、弁護士過剰が言われ続けても、増員基調の「改革」路線をやめることで一枚岩にはなれないことも、弁護士会内の分裂的な世論状況を物語っています。
「結局、この路線のまま、弁護士会はいくところまでいくのではないか」。こう語った弁護士がいました。この「改革」がもたらした分裂的世論状況のまま、弁護士会が強制加入団体として持ちこたえられなくなるまで行くか、それともどこかで大きく舵を切ることができるのかーー。もはや、そういう次元の話が、会員間で取り沙汰されていることも、弁護士会主導層には見えないか、それとも見ないことなのかもしれません。
今年も「弁護士観察日記」をお読み頂きありがとうございました。いつもながら皆様から頂戴した貴重なコメントは、大変参考になり、刺激になり、そして助けられました。この場を借りて心から御礼申し上げます。来年も引き続き、よろしくお願い致します。
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