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    法科大学院入学者増と「改革」の「成果」

     法科大学院等特別委員会(第106回)の配布資料から、2022年度の法科大学院入学者の総数が明らかになりました。過去のデータとともに、これを取り上げている弁護士ブログ(Schulze BLOG)がありますので、詳細は、そちらをご覧頂ければと思いますが、結果の柱は大略以下の2点です。

     ① 入学者総数は1968人で、昨年度から244人増加。うち、初年度となる法曹コース特別選抜枠からが203人(5年一貫型167人、開放型36人)。
     ② 同特別選抜を除いても、41人の増加で、従来型入試でも2年連続入学者が増え、その増加人数も一昨年度→昨年度(13人増)を上回っている。

     203人という数の規模をどう評価するかでは意見が分かれるところですが、少なくとも新制度に望みをつないでいる法科大学院関係者は、初年度ということもあり、この結果をもって、当然積極的な評価をすると思います。資格取得までの時短策という負担軽減策が志望者回復へ繋がっていく、と。

     しかし、新制度に対しては、少なくとも当初は一定の成果が出ることは、当然予想されていたことです。適性試験が休止された2019年度入試での入学者増が翌年度には再び減少に転じています。そのこともさることながら、従来型入試で見ても増加傾向に転じていることをどう評価するのか、という問題もあります。

     要因としていわれるのは、司法試験合格率の上昇や弁護士の就職難の解消です。これらが、徐々に志望者の評価に繋がり出しているという見方になります。しかし、これらを生み出しているのは、志望者、就職希望者の母数減という、「改革」の負の影響を抜きには語れません。

     以前も書いたように、2015年68期あたりから、既に始まったとする見方がある弁護士の就職難解消の理由として、主に考えられているのは、司法試験合格者数の減少と大手法律事務所の採用増です。修習終了者の数は、前記66期と72期では500人以上も違います。一方、大手事務所採用は、2017年70期以降、いわゆる五大事務所だけで、修習終了者の1割以上を採用する状況になっています。

     就職希望者の母数が減り、需要と供給の関係に変化した。要は就職希望者の減少が生じたところに、大手事務所の採用拡大が拍車をかけたということになります。そのほか勤務弁護士の給与水準の低下による採用拡大、大量増員時代の弁護士の独立に伴う後任の採用増の影響なども言われています。

     要するに、「改革」路線を維持することで現れた抜本的改善傾向として、どこまで積極的に評価していいのか、という話です。増員基調が続くなかで、母数が減り、かつてよりも受け皿に一定の空きが生まれ、人材を吸収できたということであり、増員によって需要が顕在化したといった、増員必要論を裏打ちする話とは異なるといわざるを得ません。これを「改革」の「成果」といえば、皮肉な言い方になるといっていいと思います(「『改革』の失敗から見る弁護士『就職難』解消説」)。

     「法曹コース」「法科大学院在学中の司法試験受験容認」という、新法曹養成見直し案が浮上したとき、業界内からも、これは法科大学院にとって、志望者が流れる予備試験との「競争条件を有利にしようとするもの」という見方が聞かれました。確かに、実態は、そういうことなのだろうと思います(「法曹養成見直し2法案審議が映し出したもの」 「法科大学院制度の『勝利条件』」)。

     ただ、それだけで、とにかく制度維持のために志望者を獲得できればいい、という現実をどうみるべきでしょうか。法科大学院サイドがあまり関心を示さないまま、弁護士に丸投げしているように取れる弁護士の経済基盤と需要の現実をめぐる抜本的な問題への視点の欠如、そして何よりも、法科大学院が法曹養成の「中核」たるプロセスの「価値」で、志望者に評価される道を放棄しているようにとれてしまう点――。

     来年度以降、法科大学院入学をめぐる数値がどう変化するのかは、制度見直しの「効果」を考えるうえでも、いまだ不透明ですが、それ以上に、前記問題の行方も依然不透明なままである、といわなければなりません。


    「予備試験」のあり方をめぐる議論についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/5852

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    弁護士「参入規制」批判をめぐるあいまいさ

     いろいろな業界があるなかで、弁護士界ほど辛辣に「参入規制」という言葉を批判的に浴びせられた世界はないのではないか、という印象を持っています。本来、司法試験合格者数の少なさとつなげるのであれば、当然、法曹人口全体の問題にもなるわけですが、数的な比率の多さはあるにしても、司法改革の論議のなかで、この言葉は、あたかも弁護士が経済的な意味での保身から、主体的に数を低く抑えてきたとする、弁護士保身元凶説の意味をはらんできました(「弁護士会に対する『保身的参入規制』批判の先に登場したもの」)。

     弁護士界のなかには、「改革」論議の当初も、この批判は当たらないとする意見は沢山ありました。それを当時支えていたのは、主に法曹の「質」を担保する関門として、厳格な選抜を行ってきた司法試験制度の意味と、法曹の適正人口論であったといえます。

     そして、この「改革」のなかで、こうした弁護士会内の異論を駆逐していったものは、当時の会内「改革」論の主導者であった中坊公平弁護士が唱えた弁護士の自己改革論と、「二割司法」に代表されるような弁護士の決定的な不足論でした。つまり、不足論は司法試験の選抜の意味を支えた適正人口論の根拠を崩し、「自ら血を流せ」的な「改革」への弁護士の主体的参加論が、弁護士会内異論を追い詰め、弁護士激増論を受け入れる流れを作ったのです。

     弁護士(会)は、現在に至るまで公式に冒頭の「参入規制」批判を認めたわけではありません。しかし、この「改革」姿勢は、外形的には「参入規制」批判へのアンサーとして、それを認めたような格好になったといえます。事実、会外にはそうとらえている人も少なくありません。つまり、弁護士(会)は、「参入規制」の過去を反省して増員を受け入れたのだ、と。そして、今もって弁護士が増員慎重論を唱えれば、その「参入規制」的発想の残滓であるかのように捉える人がいるのを見ても。

     しかし、この「参入規制」批判を伴った「改革」の正しさが語られるとき、常に一つのことが抜け落ちている、あるいは軽視されていることを感じてしまうのです。それは、いうまでもなく、「参入規制」批判論への異論として指摘された「質」の担保の行方です。同批判論が導く規制撤廃論は、新自由主義的「改革」の性格を反映し、法曹人口を市場原理にゆだねるという発想につながっています。

     そして、その発想にあっては、前記選抜の「関門」としての試験制度の意味を後退させ、より多くの人を通過させ、不適格者は通過後、自由競争によって淘汰されるという発想がぴったりとくっついていたのです。規制に拠らない「質」の担保が実現するという話になります。

     しかし、これは、明らかに利用者への責任転嫁を意味します。淘汰の実現できるのが、正当に弁護士の選別と排除を実現化できる利用者であるという建て前に立っているからです。いかに一定の情報公開がなされたとしても、専門家との情報の非対称性が埋められない利用者にとって、それがいかに酷で、無理があることなのか。これはもう既にこの「改革」によって、予想通り明らかになっているといわなければなりません(「弁護士『競争・淘汰』の幻想」)。 

     ここでも、弁護士会の姿勢には、やや不可解なものを感じています。この利用者にとっての酷、無理を百も承知であるはずの、弁護士会から、そのことが声高にいわれているわけでもない。つまり、それはともすれば、「参入規制」批判論者の拠り所とする、弁護士の競争による淘汰が、利用者主体によって適正に現実化することを、弁護士側が肯定的に受けとめているととられかねないことを意味しています。

     この「参入規制」批判をめぐる弁護士会のあいまいさは、適正な法曹人口論や競争・淘汰と「質」の担保の問題をはらみ、現在まで尾を引いているように思えます。新自由主義からの転換が言われ始めている現在にあって、この批判と、「規制」そのものが利用者にとって持つ意味に立ち返り、検証する必要があるように思えてなりません。


    弁護士の競争による「淘汰」という考え方についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4800

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    9月19日の「屈辱」

     政権とそれにつながる私たちの代表による様々な軽視。今回の安保法制の成立に至る過程で、私たちがみせつけられたのは、結局、彼らによる憲法と世論を軽視し、強引に考えを押し通した彼らの姿であったとしかいいようがありません。

     民主主義は、多数決にとどまらず、少数意見に対してどう向き合うのかでその真価が問われるとされてきました。しかし、今回の安保法制反対の声は少数意見ですらない。少なくとも8割の世論が審議不十分、政権の説明不足を感じている代物です(共同通信世論調査)。およそそれを無視できる彼らに、少数意見への配慮など期待できるわけもありません。

     安倍晋三首相がメディアでも再三唱えていた「丁寧な説明」は建て前でしかありません。「国民の理解」が広がらないことが分かると、あたかも本当はこの「強行」の先に、それが必ずや広がるという新たな建て前を掲げました。彼らが「丁寧な」つもりで行った「説明」をもってして、逆に「これではダメだ」「不安だ」という「国民の理解」が広がったということはハナから認めない。そうした前提での、結論ありきでは、もはや「独裁」といわれても仕方がありません。

     この政権や安保法制を擁護する側からの、この国に広がったデモを軽視する発言がみられます。国民の意思は選挙で反映される、国民が選んだ代表の多数派が決めようとしているのだ、嫌ならば次の選挙で彼らを落とせばいい――、と。国会を包囲して、叫んだところで無駄といわんばかりの言い方です。

     選挙が国民の意思を反映させる貴重な機会であることは当然だとしても、現実問題としてすべての政策を代表に委任できない場合は当然ありますし、選挙時に政策についての、彼らの恣意的な濃淡づけや隠ぺいも行われます。そして、何よりも当選後の「裏切り」が存在します。それでは、当然、選挙と選挙の間に取り返しがつかない形でこの国を変えられてしまうかもしれません。

     デモは、そのときのためにあります。9月21日の朝日新聞朝刊1面で山中季広・特別編集委員は、「投票とデモは代議制民主社会を支える2輪」とし、主輪は投票であり、それ一本での安全運転が理想だが、危険な運転が始まったときは、デモという補助輪を回さなければならない、と例えています(「安保とデモ、刻まれた主権者意識」)。まさにこのことを示したのが今回の安保法制成立強行への事態だったというべきです。この手段を軽視すべきどろか重視すべきことが、今回むしろはっきりしたのではないでしょうか。当然、デモは次の選択に反映させ得るものにもなるのです。

     そして、さらに強調しておかなければならない軽視がありました。それは専門家の知見に対する軽視です。圧倒的多数の憲法学者、弁護士、元最高裁判事までが「違憲」とした法案に対して、彼らがどういう態度をとったのか、私たちは記憶にとどめなければなりません(「安保法案反対、学者・日弁連共同記者会見で示された認識と現実」)。

     その軽視が立脚したものは、議論の潮目が変わったとされた6月の国会での3憲法学者「違憲」見解後に、高村正彦自民党副総裁が口にしたものの(テレ朝ニュース)なかに集約されているといえます。つまり、安全保障環境の変化による法制の必要性は、多数憲法学者の知見を超える「価値」を持つという言い切りです。

     そして、そこには自衛隊という存在も引き合いに出されます。憲法学者の知見で「違憲」とされたものの実績の強調です。この論調は、その後も安保法制の「違憲」主張に対して、「じゃあ、自衛隊はどうなんだ」式の批判的切り口につながっていた観があります。

     あたかも上回る「価値」よって、軽視は許されるという立場です。しかし、そうした政権の「価値」判断に憲法が歯止めにならないということと、この多数の専門家の知見を軽視できるということは、どうみても同義ではないでしょうか。「厳粛に受け止める」という建て前の言葉さえない、あからさまな軽視を安倍政権と私たちの代表たちは、やってのけたというべきです。自衛隊にしても、違憲性に向き合わずに既成事実化した側の開き直りにもとれます。集団的自衛権に関して誤読というべき彼らの「砂川判決」解釈に対する、専門家の批判的見解も軽視された格好になっています。

     しかし、あえていえば、これはある意味、私たちがずっと見てきたことと言うべきかもしれません。国の政策に都合がいい「有識者」が集められ、会議が重ねられて出た結論を「お墨付き」のようにする慣行を私たちは見ています。まして、大衆の叡智を聞くかのように行われるパブコメの声が反映されるなど、夢のまた夢。安保法制論議でも、公聴会の扱いを含め「セレモニー」という言葉が飛び交いましたが、形式で行われる意見聴取は、本当の知見の重視ではもちろんありません。

     自民推薦の参考人までが「違憲」と断じた前記見解後、「犯人探し」までが同党内で取り沙汰されたのを見るにつけ、もともとすべて「セレモニー」。そうみれば、もともと専門家の知見にしても、国民の声もフェアに扱われ、重視される前提にない現実があったといわざるを得ません。むしろ、それが今回の安保法制で、ここまであらさまに行われたことには、追い詰められて出さざるを得なかった本性という見方もできるように思えます。

     戦後安保政策の大転換という局面で、国の進む方向について、民意や専門家の知見を遠ざける重大な軽視を目の当たりにしたというべきです。この安保法制が成立した9月19日は決して「悲劇」ではなく、民主主義国家の市民としても、専門家にとっても次の選択につながる、彼らの軽視が貫かれた「屈辱の日」として銘記されるべきだと思います。


    安保関連法案の強行採決、同法成立についてご意見をお聞かせ下さい。司法ウオッチ「ニュースご意見板」http://shihouwatch.com/archives/6834

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    テーマ : 安倍政権
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    記憶にとどめなければならない秘密保護法成立

     あるテレビ番組にコメンテーターとして出席していた女性タレントが、特定秘密保護法案をめぐる国会でのやりとりについて、「私のような一般人の立場で言えば、今国会で何が話し合われているのか分からない」、さらに、国会周辺のデモに関しては、「あの人達が何者なのかも分からない」と発言していました。

     彼女が、個人的な「分からない」という感想を述べるのは自由ですが、この人は、連日、詳しく「知る権利」の危機を、多くの識者の声を交えて伝えているマスコミ報道等を本当にちゃんと目にしたうえで、「分からない」と言っているのか、ということを率直に感じました。もっとも、後者のように、あたかも国会周辺に集まっている人たちが、「特殊」な層の市民であるかのような、印象を与える発言をしていることからすれば、「一般的な立場」「分からない」とは言いつつ、それは単なる不信感ではなく、むしろ彼女なりに「分かった」うえでの発言ともとれます。

     だとすれば、番組の責任としては、なんとなく差し障る発言として受け流すのではなく、きっちり他のコメンテーターなり、司会者が、しっかりこの発言を引き取って、何かを言うべきだったではなかったのか、という感想を持ちました。

     少なくとも、今回の法案をめぐっては、大新聞も連日、「知る権利」が具体的にどのような危機にさらされ、侵害されかねない状況なのか、戦争の時代、国の秘密が優先された社会を体験した人はどう思っているのかなど、法案の逐条的な問題点の列挙や議論の経過を伝えるだけではなく、相当丁寧に法律成立がもたらすものを伝えていたと思います。

     ただ、百歩譲って、それでも法律をめぐる議論の内容が難しく、必要論と慎重・反対論のやりとりのなかで、どうすべきかの判断ができない、「分からない」ということが仮にあってとしても、この国会のあり様に、「分からない」はないという気がどうしてもしてしまうのです。端的に言って、法律の要不要で迷うことがあったとしても、このやり方を許すのか、ということです。

     つまりは、ここまで反対論が噴出しているものに、慎重な姿勢をとらない、耳を傾けない、わが国の「民主主義」のレベルを、私たちは、本当に許容するのかということです。この状況下では、どんなに成立を図りたくても、さらに国民の理解や議論に時間をかけざるを得ない、という判断には、私たちが選んだ代表たちの多くが立たなかった。そのことを、私たちは「分かっている」はずです。

      「秘密保護法案は消費税とは違う。次の選挙までに、国民は忘れる」といった、国民に対するとてつもない侮りともいえることが、この間、推進派議員ののなかでは言われていたという話も伝えられています。「ねじれ」を憂い、「決められる政治」を求めた人々が、わが国の「民主主義」に対して行った仕打ちがこれであることを、本当に多くの国民は忘れてしまうというのでしょうか(「秘密保護法案強行採決が象徴するもの」)。もちろん、そういう政治がまかりとおる国で、権力が恣意的に「秘密」を作り出し、国民に目隠しをする法律ができたことに、私たちはもっと危機感を持たなければなりません。

     2013年12月6日、わが国の「民主主義」は、ひとつの分岐点を越えてしまったと見ることもできます。今、「分からない」でいいのか、これでいいのか、を問われなければいけないのは、私たちです。


    投稿サイト「司法ウオッチ」は全面無料化・リニュアルしました。「弁護士データバンク」も無料で登録できます。ただいま、「裁判員制度」「全弁協の保釈保証書発行事業」についてもご意見募集中!皆様の意見をお待ちしております。是非、ご参加下さい。http://www.shihouwatch.com/

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    テーマ : 政治のニュース
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    「想定外」という不幸を生まないために

     東北地方太平洋沖地震で被災された方々に、心からお見舞いを申し上げます。
     一刻も早い復旧を祈念いたしております。


     連日、テレビに映し出される映像に、全国の多くの国民が、言葉を失っています。想像を絶する災害の大きさと悲惨さ。被害にあわれた方々を含め大多数の国民にとっては、日常生活のなかで、まさに「想定外」のものであったことは、疑う余地もありません。

     専門家の方々の口から、「想定外」という趣旨の言葉が出ることも、この結果からみてしまえば、致し方のないことようにも思えてしまいます。

     でも、あえて、別の見方もしなければいけないところもあるのではないか、という気がしています。福島原発事故で関係者や専門家から言われる「想定外」という言葉を聞いて、果たしてすべてがこの言葉で片付けられていいのか、という思いもあるからです。

     そもそも原発の危険性の「想定外」とは一体何なのでしょう。今回のような事態に陥った時の、原発の持つ危険性を指摘する意見はもちろんありました。「想定」していた人の意見に耳をかさなかった結果という要素が少しでもあるのならば、単にそれは耳をかさなかった人間たちの「想定外」、想定されていた「想定外」になるからです。

     原発の政策は、「アクセルとブレーキを踏む人間が同じであるところに問題がある」と指摘する識者がテレビに出ていました。公正に想定できない人や、都合よく「想定外」の主張をしている人がいてもおかしくありません。

     そして、このこと自体は、今回の震災に限ったことではありません。法科大学院制度、新司法試験、弁護士の増員など、司法改革をめぐっても、推進派の誤算には「想定外」とする抗弁がつきものです。ただ、どこまでが本当の「想定外」で、どこからが想定できたことを想定しかったことの抗弁なのかは、やはり首をかしげたくなることがしばしばあります。

     責任ということもさることながら、「想定外」とされることになる不幸を、人の英知で少しでも生まないためには、どうしてもこのことの検証は避けて通れないと思います。

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    テーマ : 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~
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    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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