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    弁護士「専門性」認定へのハードル

     あけましておめでとうございます。

     弁護士に辿りつこうとする、依頼者市民とって、弁護士の専門性は、ずっと変わらない重要な関心事です。「市民のニーズ」ということを、さかんに議論の俎上に乗せる弁護士会ですが、こと弁護士へのアクセスということに限って言えば、市民が的確に弁護士の専門性を把握できるということは、ある意味、最大のニーズといっていいかもしれません。

     そして、弁護士の増員政策によって、質の異なる沢山の弁護士が存在する現実が生まれたことで、そのニーズの重要性と社会の欲求は、さらに高まったようにとれます。弁護士を増やし、その質の確保は資格制度の厳密さによる均一化よりも、競争と淘汰に委ね、市民の自由に選択できる環境とともに、結果は自己責任に委ねる――。そうした発想に立つ「改革」であれば、なおさらのこと、この点をなんとかしようとしないのは、いささかアンフェアともいえます。

     しかし、一口で言えば、弁護士会にとって、これは簡単なテーマでなかったのです。かつてこのテーマについて取材した、ある弁護士会関係者は、「現実問題として、弁護士会はこれからもおそらく手を出せないだろう」とまで、あっさりと言いました。それは厳密に言うと、弁護士会による、なんらかの専門性に関する資格保証ということについてです。

     市民にとって、最大の選択のための材料である弁護士の「専門性」の対策が、弁護士会にとってハードルが高いものであり続けてきた理由は、大きく二点ありました。一つは、「責任」。弁護士会が弁護士個人の「専門性」をなんらかの形で認定するような格好になれば(あるいは、実質的にそうとられれば)、当然、その結果責任の一端を弁護士会が負う形となる。有り体にいえば、これを議論する弁護士会関係者のなかには、その先の市民からのクレームが想定されたのです。

     これに関しては、ある種の技術的な問題である、という人もいます。日弁連が審査して、なるほど弁護士会が当該弁護士の「専門性」に太鼓判を押すための確実な方法、前記「責任」の問題をクリアできるほどの方法に、現実的に辿り付けないということです。何を「専門性」認定の尺度にするのか、実績から能力をどこまで保証していいのか、という話になるのです。弁護士の複雑な業務実態を知り、「一概に言えない」という方向で理解できる人には、呑みこめる言い分かもしれませんが、結局、「責任」を負うだけの自信がない、という人がいてもおかしくはありません。

     そして、もう一つの理由は、対会員に対する「公平」という問題です。前記理由と根底は同じですが、要は「専門性」認定が、同等に会費を払う強制加入団体の会員に対する、不公平感を生まないのか、という問題です。ここでは、「専門性」認定からはずれた、会員からのクレームが想定されたということになります。

     弁護士が「専門性」をめぐる情報が、結局、自己申告にという注釈付きになってきたのには、こうした背景があるのです。

     このテーマについての、日弁連・弁護士会の本音がうかがえるものがあります。2012年3月に日弁連理事会で議決された「業務広告に関する指針」(改正前「弁護士及び弁護士法人並びに外国特別会員の業務広告に関する指針」)の中の「専門分野と得意分野」についての記述です。

     「専門分野は、弁護士情報として国民が強くその情報提供を望んでいる事項である。一般に専門分野といえるためには、特定の分野を中心的に取り扱い、経験が豊富でかつ処理能力が優れていることが必要と解されるが、現状では、何を基準として専門分野と認めるのかその判定は困難である」
     「専門性判断の客観性が何ら担保されないまま、その判断を個々の弁護士等に委ねるとすれば、経験及び能力を有しないまま専門家を自称するというような弊害も生じるおそれがある。客観性が担保されないまま専門家、専門分野の表示を許すことは、誤導のおそれがあり、国民の利益を害し、ひいては弁護士等に対する国民の信頼を損なうおそれがあるものであり、表示を控えるのが望ましい。専門家であることを意味するスペシャリスト、プロ、エキスパート等といった用語の使用についても、同様とする」

     つまり日弁連としては、現状での「専門性」判定の実現に、完全に白旗を揚げ、裏付けがないまま、個々の弁護士が自称することによる、「誤導」のおそれの方を心配しているのです。「誤導」のおそれを懸念すること自体は、現実的ともいえますが、「専門性」の客観性担保へ前向きとはとれず、日弁連としての関与が困難であることを前提としているともとれます。

     ちなみに、この2年前に議決された同指針の文面には、「医療過誤」「知的財産関係」等の分野で「専門家」が存在する事実を認めたうえで、弁護士間においても「専門家」の共通認識が存在しないため、日本弁護士連合会の「専門」認定基準または認定制度を待って表示することが望まれる、とする内容が書かれていましたが、なぜか改正では引用部分に若干の表現修正とともに、前記内容の下りはすべて削除されています。印象的には、認定制度がさらに遠ざかっているようにもとれなくありません(「弁護士の『専門』アピールと『誤導』のおそれ」)。

     新年早々、大阪弁護士会が弁護士の「専門分野」をホームページ上で検索できるサービスを次年度からスタートさせるというニュースが流れ、話題になっています(NKK 関西NEWS WEB)。自己申告から、弁護士会が何らかの審査によって、この問題に関与するという方向としては、前記した「白旗」状態からみると、注目される動きではあります。

     もっとも、審査は当面、弁護士への依頼が多い「労働」、「交通事故」、「離婚」、「遺言・相続」の各分野について、指定した研修を3つ以上の受講と、訴訟や交渉などの実務経験が3件以上あることを条件にするとしています。これだけだとすれば、専門性「審査」のハードルは低く、果たして冒頭のニーズにどこまでこたえられるのかは未知数です。前記した弁護士会にとっての、二つのハードルをどこまで越えるものなのか、あるいは越えない範囲のものなのかも、分かりません。

     しかし、逆に言えば、それでも弁護士会として、何もしないわけにはいかない、「誤導」を含めて、「自己申告」丸投げの現状は放置できないという認識に立ったともいえ、今後、弁護士会全体がどう反応して動くのかは注目すべきところといえそうです。


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    弁護士ポータルをめぐる認識とリスク

     ネット上で見る、弁護士のいわゆるポータルサイトについて、坂野真一弁護士が最近、自身のブログで、注意を促しています。

     「例えば、あるポータルサイトが○○に強い弁護士を掲載していますとか、○○に強い弁護士を厳選しましたと記載していたとしても、それはまず、正確な表示ではない」
     「サイト運営者が、弁護士に離婚に関する解決事案を提出させて審査するわけでもないし、そもそも弁護士の真の実力は実際に戦ってみないとなかなか分からないからだ。つまり、現実問題として、○○に強い弁護士かどうかは、サイト運営者には判断できないわけで、○○に強い弁護士かどうかは、実際に依頼してみないと分からないのだ」
     「だから、(有料掲載の)ポータルサイトにおける、『○○に強い弁護士』との表記は、正確には『○○に強い弁護士を掲載するサイトにお金を払って、情報を掲載している弁護士』ということであり、いわば、『自称○○に強い弁護士』というに過ぎない」

     弁護士業界の関係者であれば、いうまでもないことかもしれませんが、現実問題として、利用者にはこれまでもいろいろな機会に、まさにこの点で忠告しなければならないときがありました。なぜならば、弁護士を探している市民は、弁護士自身が考えている以上に、あくまでこの「自己申告情報」を鵜呑みにしたり、期待したり、あるいは過度に弁護士選びの参考にしたりする傾向があったからです。

     ただ、それ以上に危いと感じたのは、実はこのサイトを運営する側の、弁護士という仕事に対する理解度、さらにいえば、そうした業者の発想に対する弁護士側の姿勢の問題でした。

     弁護士ポータルサイトの構築をめぐっては、これまでもしばしば、そうした業界関係者から、企画について意見や協力を求められてきましたが、常に感じてきたことは弁護士という仕事の性格に対する理解度の低さ。もっといってしまえば、あくまで弁護士の仕事の特殊性を考慮しない、あるいはできない彼らの基本的な発想でした。そこにこそ、ポータルサイトという手段がつなぐ関係の危さがあるととれました。

     例えば、弁護士利用者は、確かに「○○に強い弁護士」を求めている、として、それを彼らは「ニーズ」と設定し、とにかくそれを情報として掲載することを着地点として、企画を進めます。坂野弁護士も指摘していますが、「強い」ということは、事前に客観的に示すデータがないのはもちろん、得られてもその情報のほとんどは、単に自己申告情報でしかありませんし、口コミも少なくとも個別案件に対応できる情報にはなりにくい。しかし、そこを仮にあいまいのまま伝えることになっても、こうした切り口の情報に人が集まることを彼らは重視します。彼らはそこに何の問題性を感じていないことに気付かされます。広告として許されるのだ、他では当たり前にやっていることだ、と。

     彼らが悪いというよりも、むしろそれが当たり前の世界であることの方に、こだわるべきなのかもしれません。あくまで責任があるとすれば、それはその情報を判断して、最終的に選択する利用者側にあるのだから、という発想なのです。しかし結局、理解度の問題は、ここにあると思います。弁護士という仕事について、他の物品やサービスのように、一定の情報から利用者が的確に選択できるということを安易に見積もり、かつ、それが失敗した場合のリスクが他の対象に比べて大きいという事実を、特別に踏まえない。他の物品やサービスと並べ、同様に通用するという大前提が、この利用者にとって、危い企画を成り立たせている現実です。

     一方で、弁護士自身がそうした彼らの「当たり前の世界」について、どこまで理解しているのかと思う場面もあります。坂野弁護士は、前記ブログで弁護士ポータルサイトが花盛りであるのは、弁護士がサイト運営会社のターゲットとして美味しい鴨にされているから、としています。事件の激減と弁護士激増で、一部の弁護士を除きも、弁護士が仕事を探すのに苦労するという時代が到来。そこに弁護士情報を掲載して、仕事につなげる可能性を高める見返りに、弁護士から掲載料を取るというビジネスか成り立つ。サイト運営者の決めた金額を払うという「基準」を満たせば、「強い弁護士」としてネットに登場できる、という関係――。

     もはや弁護士の仕事が彼らに理解されていないというよりも、彼らの理解や常識のうえで、むしろ積極的にかかわる弁護士が登場する時代になりつつあるようにもみえます(「『改革』の先に登場した『アディーレ』」)。それは広告の実害が生じたとしても、業者と弁護士が口を揃えて弁明する時代といえるかもしれません。

     薬の広告でも、その表現として「絶対に治る」はだめでも、「よく効く」は許される、という線引きがあり、それを私たちは知っています。自己申告の情報であるということを断わっていれば、一般の広告同様、社会がその「価値」を当たり前のように差し引くようになり、「強い弁護士」という表現でのポータルサイトにしても、いわば見る側のリテラシーによって実害は排除されていく、ということもまた、やはりいわれるかもしれません。

     しかし、弁護士の競争・淘汰が「健全に」成り立つという見方が、それを支える選択する側の困難さについて、弁護士業の現実を度外視し、安易に見積もりがちであるのと同様、こうした広告がある程度「健全に」成り立つという前提も軽く見積もられていないのか――。もはや業者のみならず、広告に当たり前に依存し始めた弁護士たち自身にも、そう投げかける必要がある時代が到来しているように思えます。


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    「無料化」が拡大させた期待と誤解

     弁護士を探す市民の口から、「弁護士の費用はどこまで無料になりますか」とか、「値切れますか」といった期待感をにじませた問いかけを耳にする度に、以前書いた法律相談無料化の「副作用」が、確実に広がっていることを感じます。集客効果を期待した弁護士側の無料化が、本来、有償である法律相談への認識を遠ざけ、それにとどまらず弁護士に過剰なサービスを期待する相談者を増やすという副作用を生む、という事態です(「法律相談無料化の副作用」)。

     弁護士を普通のサービス業と同一視する見方に立つほどに、利用者からすれば、無料化はあくまで当然の「士業努力」であり、弁護士が増え、かつてと違う競争原理が働くというのであればなおさら、冒頭のような期待感につながることも、本来は想像できたことでした。

     一方で、弁護士の無料化の発想は、むしろ単純で、弁護士の収益全体に占める割合が低い相談料を無料化し、顧客を獲得できればいい、というものです。これを批判されてきた、いわゆる「敷居の高さ」を低くすることであると受けとめていた弁護士もいますし、広告料よりもはるかに割安という捉え方も彼らのなかにありました。

     しかし、いまや弁護士のなかのそうした無料化への期待も、多くは失望に変わっています。「無料」の期待感でやってくる相談者が、その先の有償である受任に必ずしもつながらないからです。嫌な言い方をすると、「無料」に期待してくる相談者は、支払い能力においても、その意志においても、弁護士の収益につながりにくいことを、多くの弁護士が気付いたという話です。

     これは30分5000円の相談料を被っている損失と理解されがちですが、実はそうではなく、むしろ大量の収益につながらない相談者の相手をする時間の損失が業務全体のリスクになる、という意味の方が大きいといえます。

     この状況では、弁護士と利用者の間の、期待感の方向の接点がありません。「無料化」が、そうした状況を生み出したといえます。利用者の無料への期待は、当然、無料の枠の中で少しでも解決させてしまおう、という甘い期待感を生み出す。それだけでなく、はじめからそうした期待感だけしか持ち合わせない利用者を誘引する。皮肉をいえば、そうした利用者拡大が実現してしまう。そして、相談にとどまらず、弁護士業務全体に対して、「なんとかやれるだろう」的な欲求を強めていく。弁護士が無料化から脱却して、自己防衛策としての有料化を打ち出すのも、当然のことといえます。

     弁護士に聞けば、無料化が「士業努力」として評価されるという見方よりも、むしろ有償の仕事が少なく、無料化で顧客を集めなければ仕事がない弁護士とみられかねない、という意識がいまや強く存在していることを感じることもあります。顧問料を頂戴している顧問先への手前を気にする声もあります。

     「改革」は、結果として弁護士に一サービス業への自覚を促すものとはなりましたが、無料化の「士業努力」には、はっきりとした落とし穴があったというべきです。弁護士会は「敷居が高い」という批判的な切り口に強く反応して、これまで「気楽に」「小さなことでも」法律事務所の門をたたいてくれ、とばかりに、そうした弁護士像が、社会が知らない本当の弁護士であるという方向のアピールをしてきました。だが、そのなかでむしろ、法律指南である相談は本来有償であるということや、薄利多売化が困難である業務の特殊性といった、普通のサービス業とは違う点をアピールできてこなかった。まさに、そのツケということもできますし、このこと自体が「改革」の副作用にもみえます。

     思えば、弁護士が「無料化」に踏み切る動機付けは、「改革」路線が生み出したともいえる、このサービス業としての顧客誘引期待の「努力」の他に、もうひとつ、「手弁当」といわれるような純粋に弁護士の義憤や覚悟によるものがありました。かつて利用者の感謝の声を沢山聞いた、弁護士のそんなスタイルに、いまや経済的余裕のなさや前記利用者の無償化への誤解から、多くの同業者もよそよそしい目線を向けるようになっています。

     利用者にとって本当に有り難いことは何だったのか、ということを考えて現状をみると、やはり「改革」の罪深さを感じてしまうのです。


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    弁護士の「利便性」をめぐる認識格差

     大雑把な括りになりますが、弁護士が利用者にとって「便利な存在」であるべきということに異を唱える人は、ほとんどいないと思います。「改革」が目指した方向性についても、それを何も矛盾なくとらえた人々が沢山いましたし、今でもネット上では、身近で便利な存在になる、ということをアピールしている法律事務所の広告を見ることができます。

     ただ、目を離してみると、あたかも利用者と弁護士の共通テーマのようになったといっていい「利便性」の中身は、両者のなかで果たして一致しているのか、という気持ちに度々させられるのです。端的にいえば、「使う側」が求めている中身と、「使われる側」の視点で解釈され、描かれた中身が必ずしも一致していないということです。

     例えば、利用者の考える利便性には、より金銭的に安く利用できるという欲求は反映しやすい。ところが、「使われる側」としての弁護士の捉え方は、この低廉化の欲求にこたえるという視点よりも、おカネを投入してでも適正なサービスを求める層に向いた話が主流です。また、アクセスという問題にしても、とにかく適正に対応してくれる弁護士との出会いを求める利用者の欲求に対して、会を含めて弁護士側は、これまで数が増えるとともに、「身近に」なることや、業務の透明化によって「敷居が高い」という誤解を解消するという捉え方をしてきたといえます(「弁護士利用拡大路線が生み出している負の『効果』」)。

     これは、ある意味、「改革」そのものを、「使われる側」がそう解釈した、という言い方もできるように思います。しかし、薄利多売化に基本的にそぐわない弁護士業の性格が、低廉化によって数をこなすという発想にならないことの理由づけになるとしても、数が増え、競争によって便利になるはずの「改革」には、当然、低廉化の期待は被せられます。その一方で、弁護士が増えて「身近に」なっても、より弁護士の出会いが確保されるようになったとか、その点での「使う側」の労力が軽減されたという話も一向に聞こえてきません(「気づきを与えようとした『改革』が生んだもの」)。

     利便性として、法律事務所のなかには、ホームページなどで「立地」ということをアピールしているところもありますが、およそ数が沢山いても弁護士にたどりつけず、漂流を余儀なくされている利用希望者にとっては、一般的なアクセスのよさの評価は限定的なものといわざるを得ません。

     以前も書きましたが、そういう漂流する利用希望者については、もちろん弁護士側にも言い分がある場合はあります。つまり、たどりつけないということそのものが、利用者自身の事案や司法的な解決への誤解に基づいている結果であるケースもあるからです。弁護士がきちっと説明しても、収まらない利用希望者に対して、「付き合いきれない」「極力かかわらない」とする弁護士を責めることはできません。

     しかし、あえていえば、依頼者側にそうした認識がない以上、結果的に弁護士にはマイナスポイントが付きます。そして、彼らは言うはずです。「少しも便利になってなんかいない」と。

     最近、ホームページ上で、「取り扱わない分野」を明記した法律事務所が業界内で話題になっています。離婚、男女トラブル、相続、慰謝料請求、近隣トラブル等の案件について、基本的に弁護士が介入すべきではない、という持論を展開して、基本的に相談の受け付けも拒絶しています。このほかには頭から医療機関や医療従事者を訴える側に立たないことや、官公庁に対する請求は「理由不要」として、一切受け付けないことを宣明しています。

     一般的な受任ポリシーや、「取り扱う分野」について公表している法律事務所は、これまでもありますが、ここまではっきりと「拒絶」を打ち出しているものは珍しいといえます。

     これに対する同業者の反応は、実はさまざまです。理由付けの仕方や「理由不要」とした点についての妥当性を問題視する見方がある一方で、受任しないことはあくまで弁護士側の自由であり、むしろ「取り扱わない分野」を明言すること自体は、問題ないという見方も出されています。

     しかし、結果的に利用者が好意的な評価をするのか、少なくとも弁護士の利便性という点において、プラスの評価につながるのかは甚だ疑問です。弁護士が増え、こうしたことを堂々と明言する弁護士の多様性が生み出されても、結局、たどりつけない現実は変わらない、「拒絶」表明の向こうに別の道が開けているわけでもないからです。「取り扱わない分野」を明言しておいてもらった方が、利用者も選別の際に手間が省けるはず、という意見もありそうですが、その有難味もやはり限定的といわざるを得ません。

     むしろ、「改革」がもたらしている弁護士の余裕のなさを考えれば、表現の工夫はともかく、こうした「拒絶」を打ち出す弁護士は、今後、増えてもおかしくない情勢といえます。それが、弁護士の「利便性」とは、どうつながっていくのでしょうか。

     もう一つ、弁護士と利用者の「利便性」をめぐる捉え方の違いを象徴するような、こんな弁護士のツイートがありました。

     「弁護士やって数年しか経ってないけど、『単価を安くするとみんなが不幸になる』ということはわかった。 単価が安いと数をこなさなきゃいけないから1件あたりの労力は減らさなきゃいけないし、安くやってると思うと気持ちも下向きになるし、家族も事務員も潤わず、自分の健康も損なう。いいことなし」(take-five)

     「改革」に対する、ある意味、お互いに都合のいい解釈や期待感を一度白紙にして、弁護士の「利便性」についての弁護士と利用者の認識格差を、現実に即した形で、どこかで埋めなければならないように思います。しかし、残念ながら、いまのところ、そんな気配をこの世界周辺に読みとることはできません。


    成立した取り調べの録音・録画を一部義務付ける刑事司法改革関連法についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/7138

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    弁護士「セカンド・オピニオン」の限界と現実

     医療分野同様に、弁護士の世界でも、いわゆるセカンド・オピニオンの必要性を認める業界内の声は、近年、急速に多くなりました。しかし、表現は微妙なものになりますが、肯定するとはいっても、必ずしも歓迎しているわけではない。むしろ歓迎はできないような、微妙なニュアンスがそこに込められることになります。

     「改革」の弁護士増員政策を肯定する立場からは、結果として、依頼者の自己責任による選択のハードルが高くなる現実に対して、必ず持ち出されるといっていいのが、弁護士による情報公開と、このセカンド・オピニオンという手段です。利用者・市民の自由・適正な選択の可能性と、それによって適正に行われる弁護士の競争・淘汰を、この「改革」にどうしても描き込まなければならない、「改革」肯定派の立場からすれば、ある意味、当然といえば、当然です。

     弁護士がどんどん情報を公開すれば、非対称性は解消し、依頼者がどんどん弁護士を取り変えて、多くの弁護士の知見に触れられれば、適正な選択は実現する。だから、たとえ資格付与による弁護士の質保証を緩め、いったん社会放出して、そこを競争に委ねたとしても、実害は依頼者市民の努力次第で回避できる――。こういう見立ての「改革」であればこそ、セカンド・オピニオンの実践は当たり前であり、むしろ前提といっていいものといえるからです。

     では、弁護士界内の肯定的な流れは、この「改革」の描き方をそれこそ肯定的に受け入れた結果ととれるのか、というと、そうでもなさそうです。もちろん、医師の世界もそうですが、セカンド・オピニオンには、知見・判断に対する疑義という専門家としては「面白くない」感情的な問題をはらむことは事実です。また、弁護士界内の「歓迎できない」ニュアンスなどと書けば、またぞろ競争を回避しようとする「心得違い」といった弁護士に対する「心理分析」も登場してきそうです。

     ただ、むしろ「改革」の現実からは、利用者・市民として、ここは別の面を押さえておくべきであるように思います。

     一つは端的にいって、弁護士のセカンド・オピニオンは、医者のそれより対応が難しいということです。いうまでもなく、医師のそれで問われるのは、当事者(患者)の病状であるのに対して、弁護士で問われるのは、その当事者が置かれた、あるいは抱えた法的な状況です。以前にも書いたことですが、二番目の弁護士の判断材料は、相談者が提出してきた資料と証言です。相談者が一番目に語ったこと(伝わっていること)と全く同一なことを語ってくれているかどうかで、結論は違いますし、依頼者側が自分に不利なことは言っていない場合や、肝心な情報が落ちている可能性もある。少なくとも二番目の弁護士は、時間的にもまだ、一番目ほど依頼者の話を聞いておらず、情報量は違い、判断材料が異なれば、弁護士の出す結論は変わります(「弁護士のセカンド・オピニオン」)。

     その点では、当事者に当たり、仮に病状についての本人の申告漏れやうまく伝えられないことがあっても、検査をすることで客観的に判断材料が得られる医師の場合とは、根本的に違います。このことを経験のある弁護士ほど、よく分かっていて、即断には慎重な姿勢になります。かつ、それに加え、弁護士に禁じられている他の弁護士の受任事件への不当介入(弁護士職務基本規程72条)を気にするということもあります(「弁護士湯原伸一〈大阪弁護士会〉)の右往左往日記」)。

     本来、他の弁護士の間違った対応への指摘ならば、少なくとも「不当介入」にはならないはず、となりそうなところですが、その判断材料を得ることが前記のような状況だと、やはりここでも慎重な判断は働きます。そこは、相手も弁護士であり、主張してくることも想定されます。いわば、同業者をかばっているわけではなく、自らの身を守るために慎重にならざるを得ないということです。

     つまり、現実を考えれば、弁護士のセカンド・オピニオンの効果には、多くの場合、限界がある。即刻、誰が見ても懲戒相当になるような証拠がそろっている(他の事情があろうともといえるような)場合ならばともかく、依頼者が多くの場合で抱えている、納得できない弁護士の対応についての二番目以降の弁護士の所見は、前記慎重姿勢のうえに「一概に言えない」扱いになるか、いくつもの仮定のうえの抽象的な「あり得る」「場合もある」的な結論になっていくのです。そこについての依頼者市民の不満は、これまでも度々耳にすることになってきましたが、その都度、これまで書いてきたような事情を、一応、伝えることになるのです。

     そして、もう一つ、押さえておくべきなのは、やはり「改革」がもたらしている今の状況です。セカンド・オピニオンが活用される前提は、複数の知見が存在し得るという当事者の認識です。ある専門家の知見への疑義を「素人考え」でおさめきれなくさせるのは、当然、「素人考えではない」ことを明らかにする他の専門家の所見があるかもしれない、とする可能性です。有り体に言えば、およそ「どの専門家でも同じだろう」とか、逆に「同じ結論になるのが専門家だろう」という発想が強いほど、このチャレンジは広がりません。

     医療でのセカンド・オピニオンの広がりには、この検証を経た選択への患者の権利性に専門家側が無視できなくなってきた面もありますが、医師側もよりよい処方を探る上でも、また、本人の納得という面でも、これを是認してきたという経緯がみられます。利用者からみた誤診回避が、専門家からみたよりよい医療の追求という形になる点は、一見、弁護士の場合も同じです。しかし、後者を担保することについて、前記したように弁護士は医師の場合と比べて、限界や躊躇せざるを得ない現実があります。

     では、それでも今、弁護士がこのセカンド・オピニオンの必要性を語り出しているのはなぜなのか。そこには、以前よりも、多くの弁護士が多くの弁護士の知見を疑い出している、あるいは同業者として、その知見に自信がもてなくなっていきているということがあるのではないか、と思えるのです。

     もちろん、これも以前書いたことですが、もともとこの弁護士が扱う法律分野では、対処の仕方、考え方が弁護士によって一つではない面、多様な捉え方が合法的に現れることを知らない弁護士はいないと思いますし、ならばこそ、前記慎重姿勢にもつながってきました。しかし、最近、弁護士たちはこの「改革」がもたらした増員時代に、そうしたこれまでの認識をさらに超えた「多様な」弁護士が生まれていることを知っています。依頼者の意向に沿うことだけを考えて、説得することなく、法的には実現不可能な無理な要求を突き付けてくる弁護士、経済的余裕がなかったり、採算性を追求するあまり、明らかに依頼者の不利益になる手抜きをする弁護士、そして、「合法的」という前提も疑われるようなものが含まれる弁護士。

     いわば、前記したセカンド・オピニオンの限界に引っかからずにアウトと判断すべき弁護士が、かつてより沢山この世界に現れ出していることを、ほかならない同業者が広く認識し始めているということになります。そうした現実が先行するなかで、本来、限界があるセカンド・オピニオンの必要性が語られ出しているのではないか、ということです。

     そうだとすれば、これは冒頭の「改革」路線の増員政策や、弁護士の競争・淘汰を支えていく、積極的な意味合いでのセカンド・オピニオンの効果に注目が集まり出したのでも何でもない。むしろ、その実害を少しでもなくするために、とらざるを得なくなっている「改革」の負の影響の表れともとれることになります。

     利用者にとって、弁護士のセカンド・オピニオンが必要か否かと問われれば、必要ということになります。おかしな弁護士、危うい弁護士が増えているという情報が社会に伝われば、これからより利用者はその成果に期待するかもしれません。しかし、その一方では利用者にとって、選択の自己責任の酷さを甘くみることにつながる、安易なセカンド・オピニオンへの期待感だけは、幾重にも戒められなければならないようにも思えます。


    弁護士、司法書士からみた、法テラスの現状の問題点について、ご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/6046

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    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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