fc2ブログ

    「情報の非対称性」への向き合い方という問題

     弁護士の増員とその先に競争・淘汰の効果を、この司法改革に期待する側が、もし、本当にそれを一般の利用者市民の目線で考えているのであれば、最大の課題は、弁護士と依頼者市民の間に立ちはだかる情報の非対称性の問題であるはずです。

     言うまでもなく、明らかな専門家・非専門家の関係のなかで、利用者市民が的確・公正にその専門性を評価・選択することには困難が伴い、これを度外視してはそもそも利用者メリットにつながるような、良質化などが生み出される競争・淘汰は起きません。そればかりか、そのリスクは完全に利用者に回って来る。必ずしも依頼者の利になるサービスを提供できる弁護士が選択されるわけでもなければ、仮にそれに反する対応をされたとしても、依頼者はそれに気付くことすらなく、不利益を被ってしまうかもしれません。

     これまで見てきた「改革」推進論者が、この問題に言及する場合、多くはその克服策として、まず、弁護士側の情報開示効果を挙げるか、資格認定のような、第三者的な評価制度の必要性を挙げるかで、そうでなければ言及しない、つまりか克服すべき対象としてことさらに取り上げない、のいずれかであったように見えました。

     だが、皮肉めいた言い方をすれば、そのいずれもこの問題を、ある意味、軽視している点では同じといってもいいかもしれないという気がしてしまうのです。なぜならば、弁護士側の情報開示といっても、利用者市民間での個別具体的な法的対応の評価に至るまでの材料となる情報開示とはいかなるもので、いかなる手段でできるのか、その答えにたどりつくことが、およそ容易でないことは、この仕事を理解している人ならば、当然分かっているはずだからです。

     今のようにネット空間で、弁護士が自らの略歴や仕事への信条・スタイルをかつてより格段にオープンにすることになっても、せいぜいそうしたことが利用者に開示されたところで、弁護士選びの参考情報の一つくらいの役割しか果たし切れず、この問題を根本的に解消し得ているわけではないことを見ても、逆に前記難しさは実証されているというべきです。

     評価制度にしても同様で、それが前記情報の非対称性を根本的に緩和・解消する存在として、現実的に誰がどのようにすればいいのか、の答えには、たどりついていないし、それもまた困難であることも多くの関係者のなかでは周知の事実とってもいいと思います。

     何がここで言いたいかと言えば、要するに結局、この問題の所在を認識しながら、その頭越しに、弁護士の増員とその競争と淘汰によって、キレイに現実化するわけでもない良質化や低廉化のメリットを強調して進められたのが、この「改革」の現実ではなかったか、ということなのです(「弁護士競争『選抜』実現への『改革』の不透明感」)。

     もちろん、それが何を意味するかは明確で、自己責任という利用者市民への丸投げです。嫌な見方をすれば、この状況を弁護士は、そのペースで悪用できてしまう。この世界への縁も知識もない、多くの一般の利用者市民に、あとできることといえば、「弁護士に限ってそんなことはしないはず」と信じることしかありません。非常に酷な自己責任論を、利用者市民に被せるものというべきです。

     一方、弁護士側にも言い分があるようにとれます。この情報の非対称性を理解している弁護士は、その「高度な倫理感」への自覚によって、それをなんとか克服しようとするかもしれません。ただ、「改革」は、無理な増員政策によって、これまでの弁護士の経済環境を一変させたうえで、生存をかけた競争をしろ、という、これまた彼らへの自己責任による丸投げをしています。つまり、これは利用者によりツケが回って来る危険がある、無理を彼らに迫っているともとれるのです。

     結局、彼らに残されているのは、根本的な効果が極めて充てにならない、情報開示をできるだけ実践するという姿勢を示すくらいしかありません。
     
     では、こういう現実を踏まえて、利用者市民にとって、より有り難い「改革」とは何なのか――。この利用者にとっての決定的なリスクになる、いかんともしがたい情報の非対称性の現実を前提にすれば、本来、一も二もなく、それが資格制度の厳格化による、質の均一化。限りなくそれを目指すしかない、ということに、たどりつくはずです。つまり、どの弁護士に利用者が遭遇しても、最低限の質は確保され、リスク回避が想定出来る状態を作る、いわば資格制度の意義の根本に忠実になること以外ないはずなのです。

     もちろん、完全にこれを作ることもまた、困難である、といわれそうです。しかし、この関係者が分かったうえでの、利用者市民の丸投げ状態よりも、どちらが社会に評価される、「改革」の努力といえるでしょうか。しかも、翻って考えれば、増員政策にしても、取りあえず多数の弁護士を社会に放出しようとした新法曹養成制度にしても、「改革」は、その利用者丸投げのリスクを減らしているのではなく、より増やしているのです(「無責任な法科大学院関係者の『擁護論』」 「刷り込まれる『弁護士大増員』という前提」)。

     前記弁護士の経済環境にしても、高度な倫理の自覚と並べるのであれば、生存が保障されている経済環境が維持されている方が、むしろ利用者には安心ではないでしょうか。少なくとも、経済的に彼らを追い詰めた先に、利用者にとっての、より良質なサービスを期待することよりは。

     しかし、全くこういう方向の話になっていないのが、今の「改革」の現実です。「市民のため」と言いながら、一番市民に有り難くないところが、そのままである「改革」の現実といわなければなりません。


    今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    スポンサーサイト



    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    「利用しやすい弁護士」の行方

      「利用しやすい司法」を目指したはずの、司法改革の結果として、「弁護士が利用しやすくなった」という話があまり聞こえてきません。確かに弁護士は増え、広告でもネットでも、かつてより格段に弁護士は露出し、市民の目に触れるようにはなった。それだけ彼らが発信する情報にも、市民は接しやすくなったかもしれません。しかし、それが「利用しやすい」という評判に必ずしも繋がっていない。

     身も蓋もないかもしれませんが、結論からいえば、これは当然の結果というべきです。なぜなら、情報の非対称性から利用者による選択がただでも困難な、弁護士という資格業にあって、さらに増員政策によって高まる利用者側のリスクを、前記資格業の情報開示と利用者の自己責任論で、「なんとかなる」ものと、この「改革」が見積もっていたからです。

     論者はこう言っていたのです。弁護士が増え、アクセスが容易になる。そうなれば、利用者の選択がより重要になる。その結果は自己責任で――。情報公開によって、どこまで現実的に利用者が適正な選択が可能になるのか、逆にそれが現実化する情報公開が、弁護士という資格業にあって、具体的にどのようなもので、どこまで利用者の利便性や安全性を担保てきるのか、という話はすべて素っ飛ばした話たったのです。

     有り体にいえば、弁護士に向かっては、その職業上の責任で「なんとかしろ」、その結果については利用者の自己責任で「なんとかしろ」という発想が、はじめからはっきりしていたのが、この「改革」だったのです。そして、この発想を押し通すために、以前も書いたように、当然に弁護士という資格業の特殊性を極力軽視し、他のサービス業同様に前記手段によって、「なんとかなる」はずという見方が、安易に強調されることになったのです(「資格の価値と『改革』の描き方」)。

     利用者にとっての「利用しやすい」は、即ち価格である、という意見もあります。ただ、この面でも「改革」の発想は、少なくとも利用者にとって、利となる結果に結び付いているとはいえません。一つは、増員政策が直ちに低額化競争につながらないからです。そもそも薄利多売化がこんな弁護士という資格業にあって、多くの仕事を安くこなすという形には限界があります(「弁護士『薄利多売』化の無理と危険」)。

     しかも、「改革」が想定したような潜在的ニーズの顕在化、つまりは弁護士の数が増えるほど、(あたかもそれを支え切れるほどの)ニーズが生まれるという見通しも完全に外れた以上、当然に数ではなく弁護士はより利益率のいい案件をこなさなければならない。むしろ低価格化とは逆のベクトルに動かさざるを得ない。つまりは、「価格」による「利用しやすい」は、そう簡単には生まれようがなかったのです。

     「無料」とか「低価格」というアピールは、当然に利用者にとっては「利用しやすい」イメージとして伝わります。しかし、弁護士の間では、今、法テラスや行政サービスによって広がった、弁護士業務の「無料」イメージを「迷惑」とする声が広がっています。いうまでもなく、弁護士のサービスは「有料」でなければ成り立たないという現実が伝わりにくくなり、依頼者の「なんとかできるはず」という誤解と、「なんとかしろ」という実現不可能な要求につながっているという見方があるからです。

     しかも、「改革」が基本的に想定しているようにとれる、低額化を生み出すはずの、増員政策による弁護士の競争・淘汰は、前記した通り、依頼者にとって酷ともいえる、適正に実現すると見込んだ「選択」を前提にしていた。つまり、依頼者にとってメリットになる良質化を伴う保証がない、競争・淘汰を前提にしていたのです。

     そもそも淘汰そのものにしても、あたかも経済的に追い詰められた弁護士が、すごすごと退場し、それに耐えた弁護士だけが残るような描き方でした。しかし、実際には彼らは生き残りをかけて、より経済的にシビアになるかもしれないし、生存をかけてあがくかもしれない。その結果、依頼者のカネに手をつけるような不祥事に手を染めるような弁護士も出てくるわけで、現にそうなっている。仮に経済的に残ったとしても、適正な「選択」が担保されていない以上、残った弁護士が、利用者にとって「有り難い」存在とは限らない。(「弁護士の競争と広告が生み出している危険」)。

     そして、いつ果てるかわからない淘汰の過程で、ずっと依頼者は酷な自己責任を課せられ、良質化や低額化を期待することになっている――。これが「改革」が生んだ現実と言わなければなりません。

    今、「改革」の失敗が明らかになった地点で、このことを考えるとき、最も嫌な気持ちにさせるのは、この結果は本当に初めから分からなかったことなのか、もっと言ってしまえば、分かっていて駒を進めた結果が今ではないのか、ということです。あくまで「改革」は「市民のため」に「善意」から進めたものだとか、いまだ最終結果は出ておらず、「過程」である、と強弁される弁護士界内の方からは怒られそうですが、なぜか「責任」ということが取り上げられない、この「改革」の現実も被せたくなります。

     そして、なによりもそこまで立ち返って「改革」の発想を見直さないで、質を危険にさらさず、酷な自己責任のツケが利用者に回らない、本当の意味でメリットになる、「利用しやすい司法」や「利用しやすい弁護士」が、どうしてこれから現実化するのか、そのことに疑問を持ってしまうのです。


    今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    弁護士ニュービジネスをめぐる限界と理解

     LINE(㈱が、同社運営の「LINE」上で無料で弁護士に法律相談できるサービス(「LINE弁護士相談」)の提供を開始したことが、ネット上で話題になっています。

     弁護士会員を持つ「弁護士ドットコム」と、専門家とのマッチングサービスを提供している「日本法規情報」をパートナーに、全国1000人の弁護士が参加。無料の弁護士相談に加え、有料サービスとしては、25万件超のさまざまな相談事例を閲覧できるプラン(300円/30日)も提供するとしています。さらに2020年春には、弁護士にLINE上で直接やりとりできる別の機能(「1to1機能」〈仮〉)も設置する方針を明らかにしています。

     ここは一般の人の感覚と違うと思いますが、こうしたビジネスが話題になるとき、多くの弁護士の関心は、(あるいは儲かるか否か以前に)まず、そのスキームが弁護士法に違反しないかどうかにいきます。弁護士に対する対価性をはらむ紹介に当たらないか、それによってアウトではないか、といった問題に目が向くのです。

     今回のサービスについては、現在のところ、同社発表以上のことは分かりませんが、顧客から料金を取らないで、弁護士側に成果を保証せず、また成果報酬を発生させない、一律の「広告料」に当たるものだけでつながる、という、基本的な形で問題をクリアするようです。

     また、既に独自に弁護士関連でサービスを提供している「弁護士ドットコム」や「日本法規情報」の協力を得ていることや、「弁護士1000人参加」というのを、適法なサービスの信用につなげたいところなのでしょう。ちなみに「日本法規情報」は過去に、同社運営のサポートサービスが弁護士法第72条、「弁護士の業務広告に関する規程」、「弁護士及び弁護士法人並びに外国特別会員の業務広告に関する指針」に抵触していないとする「見解」を発表しています。

     さて、こうした弁護士絡みのニュービジネスが登場する度に、弁護士側が当然のように繰り出し、こだわりどころとなる弁護士法との関係ですが、結論からいえば、その主張がいまだ不思議なくらい、多くのサービス発案者側には理解されていない、理解されない現実が存在しています。今回のLINEのサービスについては、先行業者を味方につけ、はじめからそうしたことを重々配慮はしている、というスタンスになりますが、弁護士法の内容を知らないだけではなく、知っても、なぜ、そんなルールがあるのかが分からない、という声は少なからず存在するのです。

     実は民間には、弁護士を「活用」するビジネスのアイデア自体は沢山存在しているといえます。以前にも書きましたが、こうしたアイデアへの協力や意見を求められることが沢山ありましたが、そのほとんどが前記対価性などの問題で「難しい」と答えざるを得ないものでしたし、そのうえで、弁護士法の存在を説明しても、納得が得られないケースも多々ありました(「弁護士『紹介業』という領域」 「横浜弁護士会『顧問弁護士紹介制』白紙撤回の現実」)。

     例えば、成果によって弁護士側が報酬を得る形、それこそ業者と弁護士が「公正」に「WINWIN」になる形がなぜ、いけないのか。普通の商行為で通用しているものが、なぜ、弁護士にだけ通用しないのか。弁護士が厳格な資格要件を設けられていることから、弁護士外の人間が法律事件にみだりに介入することによる、当事者のリスクがあるというのは理解できる。しかし、弁護士自身が主体的に顧客とつながる手段を選択をし、あるいは拒否できるという前提に立つならば、いかなる場合でも、業者に対する従属的関係になることを危険視して、一律禁止する形はどう解釈すればいいのか。弁護士自身の「公正さ」が担保されていれば(あるいはそれが信じられるならば)、問題ないのではないか――等々。

     弁護士が関与する形であれば、一定の弁護士紹介業務、事件紹介業を解禁してもよいのではないか、という意見自体は、以前から弁護士会内にもあります(花水木法律事務所のブログ)。「広告料」という形に収める、というのは、確かに対価に比べて、従属性を排除するものかもしれませんが、これをある意味、弁護士法が存在するがゆえの、建て前ととらえている業界関係者も少なからず存在します。有り体にいえば、紹介が業として存在したとしても、それによって少なくとも自分は当事者に不利益を与えるような結論にはならない、しかし弁護士法があるから仕方がない、と思っている弁護士もいる、ということです。

     直ちに解禁の議論をしない弁護士・会がおかしい、ということが言いたいのではありません。趣旨が理解されていないことが、事実上、放置され、「決まりは決まり」という形での理解しかされていないことが問題なのです。そして、そのことは改めて弁護士自身が、どこかで整理して、このテーマを考える必要がある、ということを意味しているように思うのです。


    今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    弁護士「専門性」認定へのハードル

     あけましておめでとうございます。

     弁護士に辿りつこうとする、依頼者市民とって、弁護士の専門性は、ずっと変わらない重要な関心事です。「市民のニーズ」ということを、さかんに議論の俎上に乗せる弁護士会ですが、こと弁護士へのアクセスということに限って言えば、市民が的確に弁護士の専門性を把握できるということは、ある意味、最大のニーズといっていいかもしれません。

     そして、弁護士の増員政策によって、質の異なる沢山の弁護士が存在する現実が生まれたことで、そのニーズの重要性と社会の欲求は、さらに高まったようにとれます。弁護士を増やし、その質の確保は資格制度の厳密さによる均一化よりも、競争と淘汰に委ね、市民の自由に選択できる環境とともに、結果は自己責任に委ねる――。そうした発想に立つ「改革」であれば、なおさらのこと、この点をなんとかしようとしないのは、いささかアンフェアともいえます。

     しかし、一口で言えば、弁護士会にとって、これは簡単なテーマでなかったのです。かつてこのテーマについて取材した、ある弁護士会関係者は、「現実問題として、弁護士会はこれからもおそらく手を出せないだろう」とまで、あっさりと言いました。それは厳密に言うと、弁護士会による、なんらかの専門性に関する資格保証ということについてです。

     市民にとって、最大の選択のための材料である弁護士の「専門性」の対策が、弁護士会にとってハードルが高いものであり続けてきた理由は、大きく二点ありました。一つは、「責任」。弁護士会が弁護士個人の「専門性」をなんらかの形で認定するような格好になれば(あるいは、実質的にそうとられれば)、当然、その結果責任の一端を弁護士会が負う形となる。有り体にいえば、これを議論する弁護士会関係者のなかには、その先の市民からのクレームが想定されたのです。

     これに関しては、ある種の技術的な問題である、という人もいます。日弁連が審査して、なるほど弁護士会が当該弁護士の「専門性」に太鼓判を押すための確実な方法、前記「責任」の問題をクリアできるほどの方法に、現実的に辿り付けないということです。何を「専門性」認定の尺度にするのか、実績から能力をどこまで保証していいのか、という話になるのです。弁護士の複雑な業務実態を知り、「一概に言えない」という方向で理解できる人には、呑みこめる言い分かもしれませんが、結局、「責任」を負うだけの自信がない、という人がいてもおかしくはありません。

     そして、もう一つの理由は、対会員に対する「公平」という問題です。前記理由と根底は同じですが、要は「専門性」認定が、同等に会費を払う強制加入団体の会員に対する、不公平感を生まないのか、という問題です。ここでは、「専門性」認定からはずれた、会員からのクレームが想定されたということになります。

     弁護士が「専門性」をめぐる情報が、結局、自己申告にという注釈付きになってきたのには、こうした背景があるのです。

     このテーマについての、日弁連・弁護士会の本音がうかがえるものがあります。2012年3月に日弁連理事会で議決された「業務広告に関する指針」(改正前「弁護士及び弁護士法人並びに外国特別会員の業務広告に関する指針」)の中の「専門分野と得意分野」についての記述です。

     「専門分野は、弁護士情報として国民が強くその情報提供を望んでいる事項である。一般に専門分野といえるためには、特定の分野を中心的に取り扱い、経験が豊富でかつ処理能力が優れていることが必要と解されるが、現状では、何を基準として専門分野と認めるのかその判定は困難である」
     「専門性判断の客観性が何ら担保されないまま、その判断を個々の弁護士等に委ねるとすれば、経験及び能力を有しないまま専門家を自称するというような弊害も生じるおそれがある。客観性が担保されないまま専門家、専門分野の表示を許すことは、誤導のおそれがあり、国民の利益を害し、ひいては弁護士等に対する国民の信頼を損なうおそれがあるものであり、表示を控えるのが望ましい。専門家であることを意味するスペシャリスト、プロ、エキスパート等といった用語の使用についても、同様とする」

     つまり日弁連としては、現状での「専門性」判定の実現に、完全に白旗を揚げ、裏付けがないまま、個々の弁護士が自称することによる、「誤導」のおそれの方を心配しているのです。「誤導」のおそれを懸念すること自体は、現実的ともいえますが、「専門性」の客観性担保へ前向きとはとれず、日弁連としての関与が困難であることを前提としているともとれます。

     ちなみに、この2年前に議決された同指針の文面には、「医療過誤」「知的財産関係」等の分野で「専門家」が存在する事実を認めたうえで、弁護士間においても「専門家」の共通認識が存在しないため、日本弁護士連合会の「専門」認定基準または認定制度を待って表示することが望まれる、とする内容が書かれていましたが、なぜか改正では引用部分に若干の表現修正とともに、前記内容の下りはすべて削除されています。印象的には、認定制度がさらに遠ざかっているようにもとれなくありません(「弁護士の『専門』アピールと『誤導』のおそれ」)。

     新年早々、大阪弁護士会が弁護士の「専門分野」をホームページ上で検索できるサービスを次年度からスタートさせるというニュースが流れ、話題になっています(NKK 関西NEWS WEB)。自己申告から、弁護士会が何らかの審査によって、この問題に関与するという方向としては、前記した「白旗」状態からみると、注目される動きではあります。

     もっとも、審査は当面、弁護士への依頼が多い「労働」、「交通事故」、「離婚」、「遺言・相続」の各分野について、指定した研修を3つ以上の受講と、訴訟や交渉などの実務経験が3件以上あることを条件にするとしています。これだけだとすれば、専門性「審査」のハードルは低く、果たして冒頭のニーズにどこまでこたえられるのかは未知数です。前記した弁護士会にとっての、二つのハードルをどこまで越えるものなのか、あるいは越えない範囲のものなのかも、分かりません。

     しかし、逆に言えば、それでも弁護士会として、何もしないわけにはいかない、「誤導」を含めて、「自己申告」丸投げの現状は放置できないという認識に立ったともいえ、今後、弁護士会全体がどう反応して動くのかは注目すべきところといえそうです。


    今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    弁護士ポータルをめぐる認識とリスク

     ネット上で見る、弁護士のいわゆるポータルサイトについて、坂野真一弁護士が最近、自身のブログで、注意を促しています。

     「例えば、あるポータルサイトが○○に強い弁護士を掲載していますとか、○○に強い弁護士を厳選しましたと記載していたとしても、それはまず、正確な表示ではない」
     「サイト運営者が、弁護士に離婚に関する解決事案を提出させて審査するわけでもないし、そもそも弁護士の真の実力は実際に戦ってみないとなかなか分からないからだ。つまり、現実問題として、○○に強い弁護士かどうかは、サイト運営者には判断できないわけで、○○に強い弁護士かどうかは、実際に依頼してみないと分からないのだ」
     「だから、(有料掲載の)ポータルサイトにおける、『○○に強い弁護士』との表記は、正確には『○○に強い弁護士を掲載するサイトにお金を払って、情報を掲載している弁護士』ということであり、いわば、『自称○○に強い弁護士』というに過ぎない」

     弁護士業界の関係者であれば、いうまでもないことかもしれませんが、現実問題として、利用者にはこれまでもいろいろな機会に、まさにこの点で忠告しなければならないときがありました。なぜならば、弁護士を探している市民は、弁護士自身が考えている以上に、あくまでこの「自己申告情報」を鵜呑みにしたり、期待したり、あるいは過度に弁護士選びの参考にしたりする傾向があったからです。

     ただ、それ以上に危いと感じたのは、実はこのサイトを運営する側の、弁護士という仕事に対する理解度、さらにいえば、そうした業者の発想に対する弁護士側の姿勢の問題でした。

     弁護士ポータルサイトの構築をめぐっては、これまでもしばしば、そうした業界関係者から、企画について意見や協力を求められてきましたが、常に感じてきたことは弁護士という仕事の性格に対する理解度の低さ。もっといってしまえば、あくまで弁護士の仕事の特殊性を考慮しない、あるいはできない彼らの基本的な発想でした。そこにこそ、ポータルサイトという手段がつなぐ関係の危さがあるととれました。

     例えば、弁護士利用者は、確かに「○○に強い弁護士」を求めている、として、それを彼らは「ニーズ」と設定し、とにかくそれを情報として掲載することを着地点として、企画を進めます。坂野弁護士も指摘していますが、「強い」ということは、事前に客観的に示すデータがないのはもちろん、得られてもその情報のほとんどは、単に自己申告情報でしかありませんし、口コミも少なくとも個別案件に対応できる情報にはなりにくい。しかし、そこを仮にあいまいのまま伝えることになっても、こうした切り口の情報に人が集まることを彼らは重視します。彼らはそこに何の問題性を感じていないことに気付かされます。広告として許されるのだ、他では当たり前にやっていることだ、と。

     彼らが悪いというよりも、むしろそれが当たり前の世界であることの方に、こだわるべきなのかもしれません。あくまで責任があるとすれば、それはその情報を判断して、最終的に選択する利用者側にあるのだから、という発想なのです。しかし結局、理解度の問題は、ここにあると思います。弁護士という仕事について、他の物品やサービスのように、一定の情報から利用者が的確に選択できるということを安易に見積もり、かつ、それが失敗した場合のリスクが他の対象に比べて大きいという事実を、特別に踏まえない。他の物品やサービスと並べ、同様に通用するという大前提が、この利用者にとって、危い企画を成り立たせている現実です。

     一方で、弁護士自身がそうした彼らの「当たり前の世界」について、どこまで理解しているのかと思う場面もあります。坂野弁護士は、前記ブログで弁護士ポータルサイトが花盛りであるのは、弁護士がサイト運営会社のターゲットとして美味しい鴨にされているから、としています。事件の激減と弁護士激増で、一部の弁護士を除きも、弁護士が仕事を探すのに苦労するという時代が到来。そこに弁護士情報を掲載して、仕事につなげる可能性を高める見返りに、弁護士から掲載料を取るというビジネスか成り立つ。サイト運営者の決めた金額を払うという「基準」を満たせば、「強い弁護士」としてネットに登場できる、という関係――。

     もはや弁護士の仕事が彼らに理解されていないというよりも、彼らの理解や常識のうえで、むしろ積極的にかかわる弁護士が登場する時代になりつつあるようにもみえます(「『改革』の先に登場した『アディーレ』」)。それは広告の実害が生じたとしても、業者と弁護士が口を揃えて弁明する時代といえるかもしれません。

     薬の広告でも、その表現として「絶対に治る」はだめでも、「よく効く」は許される、という線引きがあり、それを私たちは知っています。自己申告の情報であるということを断わっていれば、一般の広告同様、社会がその「価値」を当たり前のように差し引くようになり、「強い弁護士」という表現でのポータルサイトにしても、いわば見る側のリテラシーによって実害は排除されていく、ということもまた、やはりいわれるかもしれません。

     しかし、弁護士の競争・淘汰が「健全に」成り立つという見方が、それを支える選択する側の困難さについて、弁護士業の現実を度外視し、安易に見積もりがちであるのと同様、こうした広告がある程度「健全に」成り立つという前提も軽く見積もられていないのか――。もはや業者のみならず、広告に当たり前に依存し始めた弁護士たち自身にも、そう投げかける必要がある時代が到来しているように思えます。


    今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

    最新記事
    最新コメント
    最新トラックバック
    月別アーカイブ
    カテゴリ
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR