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    弁護士会「原発」対策という課題

     原発問題をめぐって、今、弁護士会の中から二つの声が聞こえてきます。日弁連・弁護士会が、反原発というテーマについて発言することへの積極的意見と消極的意見です。

     積極論は、このテーマを人権問題、公害問題として、当然、日弁連・弁護士会が発言すべきものととらえています。一方、消極論はこれを政治問題として、会員間で意見が分かれることを前提に、強制加入団体として対外的な意見表明にふさわしいテーマではない、ととらえる見方です。少なくとも、原発と原発行政の今後について、日弁連が踏み込むことは行きすぎというとらえ方のようにとれます。

     既に書きましたように、日弁連は福島原発事故以降、避難者の支援・補償問題への取り組みと併せて、昨年の5月27日に開いた定期総会で、原子力発電所の新増設の停止や、既存の原発の段階的廃止を求めることを盛り込んだ宣言案を賛成多数で可決しています(「『原発と司法』という視点」) 。したがって、日弁連という組織としては、形式的にはここまでは会員多数の意思で決定された形になっています。

     しかし、総会では、さらに積極的な姿勢を求める会員から異論が出ました。彼らは、原発推進にお墨付きを与え続けてきた裁判所の責任は徹底的に追及されなければならず、即時廃止が掲げられない日弁連・弁護士の姿は改められなければならないとして、弁護士会内では反原発の日弁連臨時総会請求運動に発展しています。

     この運動の中心にいる一人である高山俊吉弁護士はこう語っています。

      「今、弁護士会は、原発被害に対し、法律相談活動に取り組んだり、損害賠償面で法律面の支援の取り組みなどを行っています。でも弁護士会はもっと根本的な問題に切り込む責任があるのではないでしょうか。そうでなければ、民衆、とりわけ福島の人々は到底納得しません。原発被害は東電と国家による最大の人権侵害であり、必要なのはその責任追及と人権侵害の大本の根絶です。原発自体をなくせ、再稼働するなというスローガンを掲げて弁護士が率先活動する必要があります」
      「(日弁連は会長声明や意見書を)出してはいますが、原発即時廃止の立場には立たず、安全が確認できるまでは稼働させないとは言わない。裏返せば安全性が確認されれば原発を容認するという姿勢です。無責任の批判を免れません」(鼎談「日弁連を我々の手に取り戻そう!」その2)

     一方、前記総会では、出席会員からこんな意見も出ました。

      「(宣言案の)石炭火力発電について新増設を停止するとの点、発電と送電を分離しエネルギー製造・供給事業の自由化を促進するとの点、排出量取引制度等によってエネルギー供給の確実な低炭素化を図っていくとの点、以上3点については削除を検討いただけないか。今後のわが国のエネルギー政策のあり方については、国民の間でも多種多様な意見がある中で、強制加入団体が、ここまで具体的な宣言として世に出していいものか躊躇を覚えるからである」

     削除は行われず、一意見として片付けられましたが、実はこうした強制加入団体としての姿勢に絡めた異論は、少なからず会内から聞こえてきます。それは、今回の日弁連会長選挙に関連しても聞こえてきます。「司法ウオッチ」の「司法ご意見板」にはこんな書き込みもありました。

      「反原発運動など、会員個人ですべきことを弁護士会レベルでの運動にしようとしたり、誰が会長であっても当然に対応したであろう震災についてのことを手柄のように言う人は不要。被災者をまず保護するには何をすべきか。弁護士業務で必要なのに制度が整っていないものを整備するなどのまずは弁護士実務をしっかりできる環境を作る候補である必要がある」
      「若手には弁護士会が政治団体であることに不快感を感じている者が多い。弁護士会の求心力を高めるのは政治活動ではなくまず仕事ができる環境を整えることだ。すくなくとも原発反対運動などを弁護士会で推進する候補が当選したら、弁護士会の強制加入などの問題点を訴訟で争う予定でいる」(東京の弁護士)

     こうした強制加入団体としての日弁連の意見表明のあり方については、かつて国家秘密法問題への対応でも、議論になったところですが、日弁連は慎重な対応をしながらも、「人権擁護」という使命でくくりきれるものについて、一応の会員の合意を得てきた形になっています。しかし、近年、強制加入団体としての意見集約のあり方について、国家秘密法の時代とは比べものにならない広がりをもって、会内に不満・不信が広がっている感があります(「弁護士の『最大公約数』」)。

     片や徹底した責任追及と全原発停止要求を日弁連の使命と訴え、片や原発反対運動推進候補当選の暁には、強制加入の問題で訴訟提起も。これが、原発問題をめぐる日弁連という組織を取り巻く現実であるとともに、この問題が浮き彫りにした日弁連そのものに対する構成員たちの意識格差の現実です。


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    「原発と司法」という視点

     司法はなぜ国の原子力安全行政の不備をチェックできなかったのか、という視点で、1月12日の朝日新聞朝刊オピニオン面が、「原発と司法」というタイトルで、30年以上原発訴訟を闘ってきた海渡雄一弁護士のインタビュー記事を掲載しています。

     これを読まれた一般の方は、改めて日本の司法の気持ちの悪い体質を感じられたのではないか、と思います。海渡弁護士が「勝訴」を見込んでいて敗訴した浜岡原発訴訟の一審。弁護団は結審後に起きた中越沖地震での東電柏崎刈羽原発損傷の事実を踏まえた追加立証のための弁論再開の申し立てを、任期中判決の困難さと「中越沖地震に関しては公知の事実として判決に取り上げることも可能」という裁判長の勧めに応じ取り下げます。

     結果は、敗訴。しかも中越沖地震での原発損傷は触れられていませんでした。「騙された」と。しかし、これには背景がありました。2003年の「もんじゅ訴訟」名古屋高裁金沢支部が出した設置許可無効の住民側勝訴判決をひっくり返した、2005年の最高裁での逆転判決です。1992年の伊方原発訴訟最高裁判決で、安全性の立証責任が行政側にあるとする判断基準が住民勝訴に道を開いたはずだった――。

     「ところがもんじゅ訴訟の控訴審判決で原告が現実に勝って、最高裁はあわてたのでしょうね。最高裁での逆転敗訴の判決は下級審に対する悪いメッセージになりました。結局最高裁はどんなことをしても国側を勝たせる判決を出すんだろうと思って、浜岡原発訴訟の地裁判決も書かれたのではないでしょうか」

     要するに、「独立」とは程遠い裁判所の現実が、原発行政にブレーキをかけられなかった、安全行政の不備をチェックできなかったことにつながったということになります。最高裁の「悪いメッセージ」、「最高裁はどんなことをしても国側を勝たせる」という事実と、それへの下級審の迎合。この深刻な現実を国民はどれだけ知っているのでしょうか。また、知っていたのでしょうか。

     では、こういう体質はどうすればいいのか。「司法の独立」のために何が必要かという記者の最後の問いに、海渡弁護士がこたえたのは、弁護士経験を経て裁判官を採用する法曹一元でした。内容としては正しいと評価できるのに、この回答が意外な感じがしてしまったのは、それが予想以上に根源的な解決方法だったことと、そしていかにも現実化への道筋が見えない方策だったからかもしれません。そのくらい前記裁判所の現実は、深刻ということもあります。

     もちろん、この現実も、福島原発事故がなければ、「朝日」が今、これほど大きく取り上げていたかどうか疑わしいということも、押さえておかなければなりません。

     さて、ここでこの「朝日」記事が全く言及していない事実にも触れておかなければなりません。海渡弁護士が事務総長を務める日弁連執行部は、昨年の5月27日に開いた定期総会で、原子力発電所の新増設の停止や、既存の原発の段階的廃止を求めることを盛り込んだ宣言案を賛成多数で採択しています。総会では、この内容に会員から強い批判の声が出されました。

     「今回の震災の被害を著しく拡大させた原発政策についての政府、電力会社への批判、そして住民からの訴えをことごとく退け、原発政策にお墨付きを与えてきた裁判所に対する徹底的批判が一言もないのはなぜか」
     「原発被害によって苦しめられている人たちの側にこそ、日弁連は立たなければいけない。そのためには、その根本原因となっている原発政策と訣別すること、すなわち全原発を即時停止することと、これを推進してきた者たちへの徹底的な批判がなければならない」
     「この声明案は、原発は絶対安全だとか、クリーンでエコというデマを流してきた国、東京電力に対して段階的廃止を求めているが、そういうことで廃止が実現できるはずがない。すぐにこの原発を止めなければならないというのは、市民の声だ」

     結局、原発推進にお墨付きを与え続けてきた裁判所の責任は徹底的に追及されなければならず、即時廃止が掲げられない日弁連・弁護士の姿は改められなければならないとして、弁護士会内では反原発の日弁連臨時総会請求運動に発展することになりました。

     海渡弁護士が事務総長として、この日弁連の現実をどうみるのかについて、記者は聞いていません。もちろんテーマとしては、強制加入団体としての制約あるいは自制をいう会員もいます。しかし、「原発と司法」というテーマのなかで、日弁連が果たす役割、果たして来なかった役割もまた、問われていいようには思います。


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    最高裁判断の「逃げ道」

     現実のこととして、言われてきたことでも、やはりその当事者がはっきりとそれを言葉にするということの重みは違います。あるいは11月30日の朝日新聞朝刊オピニオン面「耕論」に登場した園部逸夫・元最高裁判事の発言に、その思いを強くされた方もいらっしゃるかと思います。

     「元最高裁判事 原発訴訟を語る」というタイトルのこの企画記事は、3月の福島原発事故で、最高裁の対応が変わるのか、というテーマのもと、同元判事と、弁護士である元原利文・元最高裁判事を登場させています。

     そのなかで一番注目できたのは、園部元判事の発言です。「もんじゅ」訴訟で2005年に原告逆転敗訴を言い渡した最高裁判決に触れ、高裁判事は難しい技術についても懸命に調べ、原告勝訴の判決を書いたはずだが、「原発訴訟ではこういうことが起こる」として、こう述べます。

     「最高裁には、行政庁のいうことは基本的に正しいという感覚があります。それを理屈立てするために『行政庁の自由裁量』という逃げ道が用意されています」

     園部元判事はこの裁量には二つあり、一つは安全性に「看過しがたい過誤・欠落」がない限り、高度の専門知識を備えた行政庁の判断を尊重する「専門技術裁量」と、「経済活動に原発は必要」といった行政の政治判断にゆだねる「政治的裁量」がある、と。

     この「逃げ道」云々の話に、この人は一体何をいっているのだろう、という風に思われた方がいたとしたならば、むしろその人の方が正常な感覚というべきかもしれません。いうまでもなく、最終審である最高裁がこうして判断から逃げる、そのカラクリを園部元判事は明らかにしているのです。彼はこう言います。

     「国策に絡む問題に深く立ち入って判断をすることへの『消極的な感覚』とでもいうようなものがあるのです」

     最高裁の外から言われてきた批判論調を、そのまま認めたともとれる発言です。彼は司法システムの改革が必要であり、「行政裁判所」的なものの必要性に言及しています。

     一方、元原元判事も上級審よりも下級審に期待すべき、というお考えを述べていらっしゃいます。上級審になるにつれて、裁判官一人当たりの担当事件数が増えるので「一つ一つの事件にじっくり向き合って審理ができなくなる」としています。

     そして、元原元判事は「国策」でも間違っていれば、裁判所は「間違っていた」というべきとし、また「定数訴訟」で最高裁判事の意見に「違憲」論への微妙な変化が現れたことを挙げ、原発差し止めの下級審判決が多く出ていれば、それに同調する世論が高まり、最高裁ももっと正面から問題に取り組んでいたかもしれない、との見方を示しています。

     その意味では、今回の原発事故での世論状況が下級審判断に結び付き、それが最高裁の判断にも及ぶという可能性が導き出せる見方につながっています。

     ただ、それはともかく、そもそもここで示されているような最高裁、あるいは裁判所システムの実態を国民は、どれほど理解してきたのでしょうか。原発訴訟に限らず、この「逃げ道」をどのくらいの国民が知って、日刊紙やテレビが報道する、判決という結論を見てきたのでしょうか。

     その意味では、朝日のこの「企画」がそれを伝えている意味は大きいと思いますが、これまで敗訴した原告側が叫んだ、その消極姿勢が取り上げられてこなかった、さらにあるいは今回の事故がなければ、今も取り上げていないだろうところに、それを擁護した消極姿勢もあったことは、やはり押さえておかなければいけないように思います。


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    「原発」に無力だった司法の状況

     このほど結成された脱原発弁護団連絡会議の河合弘之代表が、8月9日に開かれたシンポジウムで、今年3月11日以前、原発差し止め訴訟が実に20連敗で全敗状態だったことについて、4点の理由を挙げて、分かりやすく説明しています。

     一つ目は、数10年にわたり、数千億円が投入されて繰り返された「電力必要・安全キャンペーン」が国民と裁判官に完全に浸透していたこと。資源小国、原発必要論か国民を完全に籠絡し、裁判官は予断と偏見を持っていた、と。結果原発を危ないという人はありもしないことを大げさにいう変わった人、「狼少年」で、その弁護士も「狼少年」の弁護士だったとしています。

     二つ目は、設置許可や、安全評価審査指針、耐震設計指針をパスしていればOKとなってしまっていた原発側の安全立証。

     三つ目は、争点ごとに原発に有利な書証を絨毯爆撃のように出してくる山のようにいる御用学者の存在。これに対し、「御用学者ではない良心的な学者」を見つけるのは大変で、反論はゲリラ的なものにならざるを得なかった、と。

     そして、四つ目は、行政の考え方を尊重すべしとする最高裁の裁判官に対する上からの締め付けと、裁判官のことなかれ主義、としています。

     この状況が、福島原発事故で一変した、と河合代表は言います。原発キャンペーンの威力はなくなり、裁判官は住民側の警告の真実性を心と身体で感じ、許可や指針のパスがお墨付きにならない、と分かった、と。御用学者のいいかげんさは明らかになり、安易な認容判断を出して事故が起きてしまった場合の責任を考えて、慎重な姿勢に変わったとしています。

     これが、まさに司法の場において、原発という存在をどうにもできなかった現実、別の言い方をすれば、危険な状態を回避するのに無力だった司法の現実であると思います。

     逆に、推進する側からすれば、これが危険であるという主張を排して、原発を強行するために必要だった環境であり、ある意味、そのために作られた環境のようにもとれます。河合代表の指摘には、直接は挙げられていないものの、この環境を作るのに大マスコミが大きな役割を果たしていることはいうまでもありません。

     それはある時は、前記国民籠絡キャンペーンで積極的な協力という形で、ある時は、真実や「狼少年」側の声を取り上げない不作為という形で、環境づくりに貢献してきたととることができます。

     そして、やりきれない気持ちにはなりますが、冷厳な事実として受け止めなければならないのは、こうした不正義な環境がひっくり返り、司法がいわば正義に向かって機能し始めるためには、今回の大震災と福島原発事故というこの国の国民の被害と不幸が必要だった、ということです。

     どんなことでもそう、それが現実といってしまえば、それまでですが、それでもこれは望ましい形ではない。いうまでもなく、国民の被害と不幸が発生するまで、この不正義な環境は、危険な状態のまま、事態の発生を回避できるのにしないまま、えんえんと存在しているからです。あの日、震災と原発事故がなければ、この国は今も間違いなく原発推進にひた走り、反原発派が連敗を続けていることを少し想像しただけでも、この環境の不気味さがより浮かび上がってくる気がします。

     原発だけではありません。その規模、影響の大小違いがあっても、こうした作られた環境に阻まれ、司法でも社会でも、危険への警告が届かず、現状の政策が続く局面が沢山あります。そのいくつもの「必要・安全キャンペーン」に対しては、われわれができることは、時に権威に対しても疑い、「狼少年」にも耳をかし、自分の頭で考えることから始める意外にありません。


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    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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