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    弁護士会「強制加入」と会員意見の落とし所

     弁護士がメディアに頻繁に露出するのが当たり前になって久しいですが、今やその弁護士たちが、大衆に向けて、堂々と日弁連・弁護士会を批判するのを目にする時代になっています。コメント欄でも紹介されていましたが、橋下徹弁護士のネット番組に北村弁護士が登場し、弁護士会の強制加入制度に関連し、批判を展開しています(「橋下徹×北村晴男「行列」弁護士!コロナ対応を法律論で斬る/弁護士会に物言い!?」)。

     「『僕たち弁護士は日弁連を辞められず、縛り付けられている』北村晴男氏と橋下氏が本音ぶちまける」。ネットニュースも、こうした刺激的なタイトルで番組を取り上げていたので、全編にわたってこうした論調が展開されたのかとも思いきや、日弁連・弁護士会批判に当たる部分は54分の番組中、8分程度。その内容も、強制加入批判としては、全体的に業界関係者にはおなじみのものではありました。

     一部の「活動家」の人間が、日弁連をリードし、結果、声の大きな人の意見が日弁連の意見になっている。しかし、思想信条が違っても、強制加入であるから、弁護士である以上、辞めることもできない――という典型的な強制加入制度に照らした、日弁連の対外的意見表明の不当性をいう論調です。自らが日弁連と同意見であると知人・顧問先に誤解された、尋ねられたという、よくあるエピソードも、くっついています。

     しかし、メディアに露出が多く、社会的知名度の高い2弁護士によるこの論調の展開は、弁護士の強制加入制度の現実も十分に周知されていない大衆には、やはり彼らが言う、日弁連・弁護士会の思想的な偏重や会委員の意思軽視といった、いかにもといっていい不当性の方をイメージさせるものになるとは思います。

     こうした論調を実は弁護士会はずっと抱えてきました。そして、この論調が求める先にあるものの大方変わっていません。つまり、会員の思想信条にかかわるテーマについての対外的表明は、日弁連・弁護士会としてではなく、「有志」という形でせよ。もしくは、それが出来ないというのであれば、日弁連・弁護士会そのものを「有志」団体にせよ(強制加入をやめ、任意団体にせよ)――ということです。

     一方、政治的影響力・効果を含めて、日弁連・弁護士会としての議決や意見表明の価値を強調する意見は根強くあります。また、会内に意見対立のある案件への配慮は、ある意味、組織としての政治的な判断にゆだねざるを得ない面もあります。いうまでもなく、意見対立のある執行方針を多数決の議決によっても決することができないということになると、日弁連・弁護士会は現実的に、今は挙げられている多くの意見を今後は挙げられなくなり、逆に執行に相当な制約が課せられてしまうからです(「『塊』としての日弁連・弁護士会という発想の限界」)。

     また、そうした意味では、会内に限らず会外からも出される、日弁連・弁護士会の活動や意見表明に対する「政治的」という批判に対しても、こうした論調が出される度に、日弁連・弁護士会が沈黙しなければならないということになれば、人権団体としては筋が通せず、むしろ使命を果たせないことになりかねません。むしろ、「政治的」という批判を跳ね除けても、使命のためには発言する団体でなければ、結局、少なくとも人権を掲げる組織としては、その存在意義にかかわることになります。

     ただ、こういうことを踏まえた上で、改めて冒頭のネット番組での2弁護士の対話の中の、ある一点には、注目しなければならないと思います。それは、北村弁護士が所属の東京弁護士会が行った死刑廃止決議をめぐる話しで言及された部分です。同弁護士を含め多くの会員が反対したものの、賛成多数で同決議が可決された際、同弁護士が求めた、社会に誤解を与えないための、出席会員数、賛否票数の社会への公表を、執行部が拒否したという話です。

     これまでも書いてきたことですが、この強制加入と会員の思想信条の関係については、司法上は既に解決の道筋がつけられています。司法判断で示されているように、弁護士法1条の目的実現の範囲において、会の意思表明は個々の会員弁護士の活動の限界を克服するためのものであり、会員の思想・良心の自由の問題を完全に切り離して、会の行為の正当性が認められる。要は、会は縛らず、会員は縛られない「一致団結」として、優越的な「価値」が掲げられてきたのです(「弁護士会意思表明がはらむ『危機』」)

     もし、弁護士会が前記した強制加入制度を止めるといったメスを入れることなく、かつ、日弁連の正当な意見表明を維持するために、会員の思想信条との調和を考えるのであれば、この司法判断が指摘した、道筋にむしろ忠実でなければないはずなのです。そしてそう考えれば、当然、北村弁護士が求めている出席会員数と賛否票の表明は、むしろ積極的に採用すべき手段のはずといわなければなりません。つまり、彼らが言う「誤解」解消のための、「縛られていない」ことの社会的周知です。

     もし、ここで決議支持派が、それによる執行力の低下のマイナスをいうのであれば、それは筋違いということになります。いうまでもなく、いかに日弁連名義の政治力の「価値」があろうとも、それはそれこそ「強制加入団体」としては行き過ぎの、前記司法判断の根拠にも差し障る、「一致団結」の粉飾・かさ増しとされても仕方がないからです。

     対外的意見表明に関する会員の思想信条との調和策としては、もう一つ主体を、日弁連・弁護士会ではなく、意思統一がより確実に図れる内部委員会やプロジェクトチーム名義での執行とする、といったことを、もっと選択肢として検討するという方法もあります。しかし、ここでも日弁連・弁護士会名義との比較における、政治的効果のマイナス面が挙げられるとすれば、そこも前記同様の粉飾・かさ増し批判につながっておかしくありません。

     「お二人の敵は日弁連」。前記番組は、司会者が促すこんな言葉で締めくくられています。橋下氏へのネットでの反応では、「変えたいならば変える立場になって言え」といった、これまでの橋下流の論法を、彼にお返しするような皮肉な声もありました。しかし、司法改革が生んだ弁護士の環境変化の中にあって、彼らのように問題を捉える会員は確実に増えているはずです。

     強制加入をめぐる分裂的な会内世論状況を回避するためにも、まず、日弁連主導層は、依然「通用していた」やり方では、「通用しない」時代になっている、という、現状認識に、まず立って考えるべきです。


    弁護士自治と弁護士会の強制加入制度の必要性について、ご意見をお聞かせ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4794

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    ゴーン被告人国外逃亡が生み出した皮肉な状況

     明けましておめでとうごさいます。

     年末年始の日本に衝撃が広がったゴーン被告人の国外逃亡。これは、日本の刑事司法にとって衝撃的な大事件ではあり、そしてめったにお目にかかれない皮肉な事態であったといえます。いうまでもないかもしれませんが、保釈条件に反して、いわば易々と国外に逃亡したという、日本の司法のメンツに関わるような違反行為によって、問題が指摘され続けている日本の刑事司法の病理ともいえる「人質司法」が白日の下にさらされることになったからです。

     マスコミが逃走の手段や責任について、まず切り込むのは、ある意味、想定できることではあります。裁判所が保釈許可の是非、条件の甘さといった切り口では、今後の保釈運用への影響、GPS装着といった議論への発展も予想されています。裁判員制度導入以来の保釈の運用が、全体的に緩和から厳格化に向かうのか――。そういう論点で、むしろ今回の事件が炙り出した前記皮肉な状況を覆い隠すようなムードも、既にあるようにもとれます。

     ただ、その意味では、最もこの皮肉な状況を反映した立場に立たされたのは、ゴーン被告人側の日本の弁護士たちといえるかもしれません。前者の国外逃亡による日本司法への違背という観点からは、裁判所とともに弁護士の責任を問う論調もみられました。保釈を求めること自体が問題であるわけもなく、もちろん直接逃走に加担した事実があるわけでもない。また、四六時中被告人を監視することを期待されているわけでもない、弁護士たちの側からすれば、弁護団関係者がメディアに語っているように、彼らも「裏切られた」側であることは間違いありません。

     この論調が出てきた直後から、ネット界隈の弁護士からは、責任論に対する「とんでもない」という反応がみられました。弁護士として適正な行為に、いちいち責任論を被せられたならば、やっていかれないといった声です。しかし、ある意味、こうした彼らにとって理不尽といえる批判の的にさらされるのが、今の弁護士の現実であり、社会でのその立場を象徴的に表しているともいえます。そこには、大マスコミのリテラシーといった問題もあることに改めて気付かされます。

     それはともかく、ゴーン弁護団メンバーは、事件発覚後、前記皮肉な状況をまさに反映した、複雑な表情を示しました。昨年12月31日に、囲み取材のなかで弁護団メンバーの一人である弘中惇一郎弁護士は、ゴーン被告人に対して、「裏切られた部分もある」がそうした感情的アプローチになることはないとしたうえで、同被告人は日本の裁判を信じていないが、彼の目から見て、無理からぬものも多々あると思う、とし、具体的に逮捕のやり方、証拠の集め方、面会禁止、証拠開示といった問題を列挙しました。

     記者から、前記皮肉な状況について「(弘中弁護士にとって、ゴーン被告人の今回の行動は)許されない行為か、それとも理解的できる行為か」と問われると、「日本の司法に対する裏切りというか、違反行為でいけない行為だが、いけないことの気持ちが全く理解できないことかは別問題」と述べました。

     1月4日に、やはり弁護団の高野隆弁護士がアップしたブログは、さらに日本の司法に絶望していたゴーン被告人の姿と、弁護団の置かれた状況を切々と伝えるものでした。同被告人が日本の司法制度へ批判を口にしたのは、彼が逃亡後に発した声明が初めてではなく、東京拘置所に拘禁されているときから、彼は日本のシステムについて様々な疑問を懐き続けており、それは高野弁護士いわく、「日本の司法修習生よりも遥かに法律家的なセンスのある質問をいつもしてきた」のだと。また、公正な裁判への不安を口にする同被告人に対し、その都度、弁護士は自分の経験に基づいて説明し、憲法や法律の条文と現実との乖離についても話した、としています。

     そして、高野弁護士はこう書いています。

     「一つだけ言えるのは、彼がこの1年あまりの間に見てきた日本の司法とそれを取り巻く環境を考えると、この密出国を『暴挙』『裏切り』『犯罪』と言って全否定することはできないということである。彼と同じことをできる被告人はほとんどいないだろう。しかし、彼と同じ財力、人脈そして行動力がある人が同じ経験をしたなら、同じことをしようとする、少なくともそれを考えるだろうことは想像に難くない」
     「それは、しかし、言うまでもなく、この国で刑事司法に携わることを生業としている私にとっては、自己否定的な考えである。寂しく残念な結論である。もっと違う結論があるべきである。確かに私は裏切られた。しかし、裏切ったのはカルロス・ゴーンではない」

     「ゴーンショック」ともいえる、今回の事件の波紋は現在も広がっており、今後どういう展開を示すのかは、予断を許さない状況にあります。ただ、今いえることは、今回の事件が浮き彫りにした皮肉な状況への、この社会の感性はまだまだ不足しているように感じることてす。メディアは今回のことで、「人質司法」ということには一様に言及していますし、今後、国際的な批判にさらにさらされる可能性を指摘するものもあります。しかし、彼らの取り上げ方も、そしておそらく社会の受けとめ方も、弁護士たちの言をストレートにとらえるものではない。あくまで日本司法への軽視、ゴーン被告人の逃れられないと悟った罪からの逃走のような描き方に上塗りされかねない状況にあるように見えます。もちろん、そういう形でこの件を片付けたい方々の意向に沿う形で。

     弁護士も当然、制度的な提案をしますし、こう言う時こそ弁護士会が存在感を示し、いち早く言うべくことがあるように思います。その半面、高野弁護士の指摘にもあるように、あくまで弁護士の仕事は現在の刑事司法の土俵のうえで、闘わなければならない、限界もあるといえます。

     この皮肉な状況を越えていくには、やはりメディアだけでなく、社会の、刑事司法の現状に対する理解力と感性が問われるくるように思えます。本質的に、まず、そこのスタートラインに立てるのかどうかの問題といわなければなりません。


    カルロス・ゴーン被告人の国外逃亡と日本の刑事司法について、自由なご意見をお聞かせ下さい。司法ウオッチ「ニュースご意見板」http://shihouwatch.com/archives/8373

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    「弁護士経験」登場の場面 

     やる前から「空回り」が取り沙汰されていた出直し大阪市長選で、再選された橋下徹市長のインタビュー記事を、3月27日付の朝日新聞朝刊が掲載しています。内容的には、過去最低投票率もなんそのの、前向き解釈の持論を展開する、案の定のもので、あくまでこの人のなかでは、「空回り」が存在していないことは改めて理解しました。

     それはともかくとして、このインタビューでの橋下市長の発言のなかで、2箇所に「弁護士経験」が登場します。

      「僕は弁護士の経験から、最後は第三者に委ねるということが染みついている。弁護士は自分がどれだけ『これだ』と思っていても最後は裁判官に委ねる」
      「弁護士としての経験で、対話で解決するものとそうでないものの峻別はできる」

     前者は、都構想について最後は住民投票の民意に従う「潔さ」、議会での話し合い解決の無理をいう文脈で、それぞれ登場してきたものです。紙面の扱いとしては、「主なやりとり」となっていますから、あるいは、この他にも、市長の口から「弁護士経験」が登場していたのかもしれませんが、これを見ただけでも「そうか、そういえば彼は弁護士だった」と思い出した読者が少なからずいたのではないかと想像します。

     それくらい、彼のイメージは、もはや「弁護士」から遠く、そのイメージが大衆のなかで頭をもたげるとすれば、他の多くの弁護士政治家の場合がそうであるように、「理屈っぽい」とか「言い訳がうまい」といった、およそネガティブなイメージを被せたくなるときだけのようにも思います。

     ただ、その意味で、逆に今回の彼の発言は、実は彼の中に「弁護士」であった(である)自分について、その能力や経験を強調したい、ポジティブな意味で「弁護士」を自分に被せたい意識があることを教えています。もちろん、こちらが知らないだけで、彼は常日頃から、そうした意識をむしろ積極的に表に出すタイプなのかもしれません。ただ、先ごろ、業界内でも微妙な反応を生んだ、彼のツイッターでの「訴訟物」発言もそうですが、どうも最近、そうした傾向があるような印象も持ちます。件の発言に対しても、かつて「弁護士」らしからぬ弁護士をウリにしてきたようにとられがちな彼のなかに、そういう意識が強くあることの方に注目する声も聞かれました。

     ただ、「訴訟物」発言については、それこそ業界内はともかく、一般大衆は「きょとん」だったとしても、今回の「弁護士」発言については、いささかどうかと思います。もちろん、彼が何を言いたいかは分かります。ただ、少し目を離して見れば、これは何も「弁護士」が強調されなければならないような局面でしょうか。

     第三者に委ねることは、何も弁護士に限らず、「染みついている」国民はいくらもいると思いますし、現に多くの国民は司法を最終判断、最終決着の場と考え、裁判官に委ねています。対話で解決するものと、そうでないものとの「峻別」も、一般大衆に比べて、弁護士という職業に備わっていると強調すべきものかといえば、そうとも言い難いように感じます。嫌な言い方になりますが、そもそも「弁護士」という肩書を、もし100%利用したいという意図のもとに、こうした言い方を繰り出すであれば、その向こうの大衆側のとらえ方に、「なるほど」と言わせしめるような「弁護士」イメージがなければ、効果はない、それこそ「空回り」というべきです。

     つまり、何が言いたいかといえば、こうした形での「弁護士」の「特別」を強調するのは意味がないと同時に、弁護士としてはやめておいた方がいい、ということです。弁護士が本来、社会のなかで強調されるべき「特別」はもっとほかにある。ここは、弁護士としては、こだわらなければならないところのように思えるのです。もちろん、橋下市長が、そこまで考えて発言しているわけもないのですが。

     弁護士が、「弁護士だから」とか「弁護士の経験があるから」という表現で、一般の人に対して、自分が備わっている「能力」を誇示する場面がそんなにあるとは思えませんし、しかも法律的知識はともかく、なにも弁護士に限らないことまで強調することは、およそないようにも感じます。しかも、仮にそれが「特別」と括れそうなことでも、それを口にするのは、あまりカッコがいいことではありません。それは一つ間違えれば、「僕はタクシー運転手だから運転が上手い」とか「マラソン選手だから足が速い」といっているようなものですから。言うほどに安っぽくとられても仕方ありません。

     もっともそんなことも、弁護士ならば多くの人は、分かっていると思います。「訴訟物」発言を含めて、そんな感じがしないところが、やはり橋下市長が、もはや「弁護士」から遠い人であることの表れなのかもしれません。


    「司法ウオッチ」では、現在、以下のようなテーマで、ご意見を募集しています。よろしくお願い致します。
     【法テラス】弁護士、司法書士からみた、法テラスの現状の問題点について、ご意見をお寄せ下さい。
     【弁護士業】いわゆる「ブラック事務所(法律事務所)」の実態ついて情報を求めます。
     【刑事司法】全弁協の保釈保証書発行事業について利用した感想、ご意見をお寄せ下さい。
     【民事司法改革】民事司法改革のあり方について、意見を求めます。
     【法曹養成】「予備試験」のあり方をめぐる議論について意見を求めます。
     【弁護士の質】ベテラン弁護士による不祥事をどうご覧になりますか。
     【裁判員制度】裁判員制度は本当に必要だと思いますか

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    「弁護士不祥事」報道に見るお決まりの展開

     弁護士の不祥事を伝える報道は、読者にとって、およそ二つの意味を持つものになります。一つはいうまでもなく、弁護士に対する警戒。問題になったケースを伝えることで、同種事案について、弁護士を利用する依頼者・市民に注意を喚起するものになります。当然、そこでは「弁護士でもそういうことをやる人間がいるんだ」という認識を前提にすることになりますから、弁護士会関係者も懸念する通り、一部の人間の行為で、弁護士全体のイメージダウンにつながることにもなります。

     そして、もう一つは根本的な原因の認識です。つまり、なぜこういうことになっているのか。弁護士という社会的な影響力が大きく、およそ厳格な選抜と養成過程を経ている印象がある「資格」、かつそれに対する利用者の信頼を基本に成り立っているようなイメージがある存在が、なぜ、今、それを裏切るのか、ということです。

     この点が、弁護士を利用する、あるいは利用する可能性がある市民にとって、なぜ、重要なのかといえば、それはまさしく「これから」にかかわるからです。この弁護士との不安な関係がいつまで続くのか、いつになったら弁護士を安心して使えるのか。原因がしっかりと分からなければ、現実的には対策のしようもなく、したとしても効果は期待できない。

     そして、この第2点の方が、利用者にとってより切実であるのは、これまたいうまでもないかもしれませんが、第1点が注意喚起によって期待するような、依頼者の自己防衛が、こと弁護士という存在に対しては、容易ではないという現実があるからにほかなりません。

     弁護士の不祥事をめぐる大マスコミの報道を見ていて気になるのは、いつもこの第2点の扱いです。第2点は素通りするもの、取り上げていても、おざなりな括り・結論で、果たして本当に「これから」を期待できるものなのか、疑いたくなるものを多く目にするからです。

      「依頼人を訴える弁護士…詐欺、横領、怠慢、弁護士モラルはなぜ落ちたのか」(msn産経ニュース2014年2月1日18:00)

     ネットで最近流れたこの記事は、最近、勝訴の見込みのない民事訴訟を起こした弁護士を弁護士会が懲戒処分(戒告)ケース(「『期待にこたえる』姿勢の落とし穴 )や、国有地の架空取引で約2億円をだまし取った詐欺容疑で、弁護士が逮捕されたケース(「『弁護士逮捕』が突き付けている現実」)を取り上げ、さらに日弁連は相次ぐ不祥事を問題視し、昨年、新たな職務適正化のための委員会を設置したり、対策の一つとして事務所の経営や依頼人への対応でストレスを抱える弁護士を対象にした相談窓口などを検討していることを伝えています。7年前に比べると、各弁護士会の市民相談窓口に寄せられる苦情件数も年間で約4500件増加。懲戒請求では年間約650件も増えていることも紹介されています。

      前者のケースについていえば、弁護士の自覚の問題なのか、能力の問題なのか、おそらく一般の市民には区別がつきませんがそのいずれか、後者については弁護士という「資格」への信用の悪用、と読者は理解するはずです。ただ、こうした事態に、日弁連が頭を悩ましているのは分かっても、その具体的対策の一つが弁護士の「経営や依頼者への対応のストレス」に関する相談と紹介されている点は、現実はもちろんそれだけではないとしても、どれだけ読者がその効果に「期待感」を持てる話なのかは甚だ疑わしいといわざるを得ません。

     この記事の最大の問題は、前記第2点の扱いです。原因にかかわる話として、国際法曹倫理学会理事で名古屋大法科大学院の森際康友教授(法哲学)を登場させ、そのコメントとして、背景として考えられる、依頼人の権利意識の向上と、「弁護士の増加に伴う競争激化で、一部の弁護士が生活に困り、倫理を問われるような行動を取る」現実や、過払い金返還訴訟が底をつき、「社会の需要が弁護士の増加に追いついていない」という現状を伝えます。

     しかし、その後に記事は、こう書きます。

      「法曹界を批判する『二割司法』という言葉がある。司法が市民の求める役割の二割しか果たしていないという意味だ。こうした批判を踏まえ、法曹界は人材の増強を進めてきた」

     これを受ける形で、森際教授の話も、弁護士の「従来型の訴訟を中心とした業務形態を続けるのであれば、供給過多」であり、「大切なことは職域の拡大」という、いわばお決まりの論を展開。記事は同教授の、次のコメントで締めくくられています。

      「司法制度がかつていわれた二割司法から脱却するためには、弁護士や自治組織が事件あさりに陥ることなく、埋もれた市民の権利を救済することが必要」

     この記者は、「二割司法」という言葉が、もはや業界内では根拠なき感覚的数値であったとして、悪名をとどろかしていることをご存知ではなかったのでしょうか。この脱却のためという、弁護士と自治組織=弁護士会に森際教授が求める「事件あさり」に陥らない、「埋もれた市民の権利」の救済の話に、弁護士の「事件あさり」と、市民の権利「掘り起こし」の区別が、依頼者・市民に果たしてつくのか、という疑問は持たなかったのでしょうか。

     この最後の下りで、記事はなぜか「法テラス」のことを取り上げています。ブロク「PINE's page」も指摘していますが、これは国費をもっと法テラスに投入し、弁護士の職域拡大や「埋もれた市民の権利」救済につながらせよう、という「期待感」につなげる話と読んでいいのでしょうか。

     この記事を読んで感じるのは、一つは、残念ながら、この記事もまた、前記第2点の「これから」の期待感につながるなる話になると、途端に中身が薄くなってしまっていること。そして、もう一つは、「二割司法」論の幻想にとりつかれているうちは、結局、「職域拡大」の可能性という結論と、利用者にとっては危なっかしい「掘り起こし」論が繰り返しいわれることになる、ということです。


     ホームページ制作・SEO会社経営者・「司法ウオッチ」ディレクター(技術担当スタッフ)執筆のコラム「弁護士のためのホームページ活用術」の連載スタートしました。

     「司法ウオッチ」では、現在、以下のようなテーマで、ご意見を募集しています。よろしくお願い致します。
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     【民事司法改革】民事司法改革のあり方について、意見を求めます。
     【法曹養成】「予備試験」のあり方をめぐる議論について意見を求めます。
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    「やらせ」弁護士を生み出しているもの

     移動中の車のなかで、ラジオから流れてくるこのニュースを初めて耳にした時、一瞬、妙な気持ちになりました。日本テレビの昨年放映した番組で、女性をターゲットにした出会い系サイト詐欺と、芸能人になりすましたサクラサイト詐欺の「被害者」として、放映した人物が被害者ではなかったことを短く伝えたこのニュースは、最後に、この偽被害者を紹介したのが弁護士であったとして、その実名を伝えたのでした。

     よくあるパターンのテレビ局の、「やらせ」番組制作の話かと思いきや、そこに弁護士がかかわっていた、という事実。制作者側からすると、この手の「やらせ」というのは、完全に「偽」と分かって使った場合と、結果的に手抜き取材によるミスである場合と、本当は前者だけど後者として弁明する場合があるように思います。今回も、真実はまだ分かりませんが、ただ、今回に限って言えば、おそらくは二番目の可能性が一番推察できてしまいます。とりもなおさず、それは弁護士の紹介という事実があるからです。

     今回の事態に対する、マスコミ側の反省の仕方としては、当然、なぜ、こうした確認を怠たることによる不祥事が起こるのか、というものになります(水島宏明・元日本テレビディレクター「なぜ日本テレビで“不適切な取材”が次々に続出するのか?」)。ただ、今回の場合、紹介者が弁護士であったという事実が、大きく関係していることは否定できないように思えます。つまり、もともと「偽」を作るために、番組制作者と弁護士が組んだ可能性もないとはいえませんが、相手が弁護士であるがゆえに、確認のハードルが下がってしまった、より手抜きをしてしまったということが考えられるからです。

     前記水島氏の指摘にもありますが、制作者側の反省としては、たとえそれが弁護士であろうとも、なぜ、きっちり裏をとらないのか、ということになるわけで、逆に言うと、弁護士という存在の信頼のうえに、裏をとらずにこうした企画を進めるのも、「当然に」許されないという前提に立つことになります。弁護士だから大丈夫、信憑性が高いなどということは、もはや全然ないのだ、という前提です。

     この件は、今、弁護士の間でも話題になり、それなりに衝撃を受けている方もいるようですが、要はそれは、弁護士という存在が、もはや社会にとって決定的に信頼できない存在になる、もしくはそうした存在になっているのを示していることに対するものです。

     冒頭、「妙な気持ち」と書きましたが、何が一番そうさせたのかと考えると、やはり、なぜ、弁護士がこんなことをやる必要があったのか、その目的が、ぱっと浮かんでこなかったからでした。しかし、それは、実はすごく分かりすいことだったのかもしれないと思えてきました。

     問題の弁護士に関して、同業者間でとりわけ注目されているのは、彼が実は「詐欺専門」をうたい、その法律事務所のホームページ上で、派手にそれを宣伝していた弁護士だったということです(「黒猫のつぶやき」 「福岡の家電弁護士 なにわ電気商会」)。文字通り、「詐欺救済でメシを食っている法律家が詐欺」(日刊ゲンダイ)という位置付けがされてしまってもおかしくない現実です。

     ただ、そのこともさることながら、弁護士のなかの問題意識として、こうしたホームページ上での派手な宣伝によって、依頼者・市民が誤導される実害への懸念があります。「増員の影響もさることながら、広告の影響は深刻」という知り合いの弁護士もいます。

     仕事の奪い合いのなかで、結局、派手な広告に導かれるように市民が向う。片やその実害をいう弁護士がいるかと思えば、片やこれが自由競争であり、批判するのは要は「やれない」もののやっかみ、ととらえる弁護士もいるのが現実です。また、一方で、前記「福岡の家電弁護士」氏も指摘するように、ホームページでの集客そのものを、今回のような事態から批判できない、という意見もあります。

     そして、これが果たして市民を正しく導くことを前提とした公正な競争なのか、結果を依頼者の自己責任にすべて転嫁できるのか、そして、そもそも弁護士という仕事の危険性からいって、こうした手段がなじむのか、という点で、個々の弁護士の意識には、大きな開きがあります。

     ここで注目しなければならないのは、手段そのものではなく、今、弁護士のなかに生まれている意識の方ではないかと思います。

      「テレビ出演が多いのは、その業界で実績が高い証。弊所代表弁護士は、『消費者詐欺被害』」に関する報道番組に対して数多くの出演実績があります。そして、現在も多くの出演依頼を頂きますが、それは、私たちがこの分野における第一人者である証だと考え、可能な限り協力をさせて頂いております」

     問題になっている弁護士のホームページには、こう書かれています。彼にとっては、テレビでの露出こそが、自らが詐欺対策の「第1人者である証」、もしくは「そういうことにできる」という認識があったことになります。そして、その「可能な限りの協力」の結果が、今回のようなおよそ考えられないような、弁護士という存在の自己否定になる事態を生んだととることができます。

     およそ一時代前の弁護士が、法律家として、自らの専門家として認められることの尺度を、テレビの露出に求めるようなことを口にすること自体、プライドとしても考えられなかったように思います。マスコミにも取り上げられることがない、人知れず、話題にならない事件を、コツコツと扱うことにも、まして、自らの「評判」をマスコミが取り上げることなどがなくても、そのことで自らの法律家としての価値が左右されるものでない、ことくらいのプライドは、弁護士として当然に持ち合わせていたと思います。

     露出することは、認められ、売れること。 そういういわば、広告的発想からは、「当然の思考」の先に、彼のような弁護士は生まれてきた、というべきです。彼を例外として切り離すのは容易ですが、これは弁護士の信頼にかかわる根本的な意識変化の兆候とみる必要があります。もちろん、それは私たちも看過できないはすです。なぜならば、このプライドなり、自覚を失った弁護士たちの前には、依頼者・市民はいとも簡単に被害者となり、それは市民側の自己責任として処理されかねないからです。

     弁護士にとっても、市民にとっても、こんなに望ましくない方向に、なぜ、進んでいるのか。何がそうさせているのか――。そのことが何度でも問われるべきなのです。


    ただいま、「弁護士の質」「今、必要される弁護士」についてもご意見募集中!
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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
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    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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