fc2ブログ

    弁護士会会務への会員目線

     かつて個々の弁護士にとって、弁護士会の会務とは、どのような存在であったのか――。いろいろな人の声や記憶をたどりながら、それを探ろうとしています。なぜ、そんなことをしているかといえば、あまりにも急激に、会務という存在への、多くの弁護士の目線が変化したと感じているからです。

     もちろん、以前から弁護士会との距離感は、個々の弁護士によってばらつきがありましたし、会務に対する思い入れにしても濃淡がありました。当時のことを思い返しても、かつてから実質会務に熱心だったのは、弁護士会員の一部であった、という人もいますし、また、取り組みにしても、あくまで自分のかかわっているテーマについてのつながりだけで、会の役職者以外、水平的に認識したり、理解している人は少ないとも言われてきました。

     しかし、弁護士会の会務の存在を否定的にとらえたり、存在そのものに違和感を覚えるといった言説に触れることは、今よりも圧倒的に少なかったのは確かです。その意味で、弁護士会・会務と会員の距離感は全体的に広がり、さらにいえば、よりよそよそしいもの、親近感を感じられないものになっているとの印象を持ちます。

     こうした中で、特徴的に強くなっているようにとれるのが、有志代替論ともいえるものです。つまり、強制加入団体である弁護士会が会務として、会費を原資とした活動をするのではなく、会を離れ、会員有志が(当然自弁で)活動すべき、という意見です。

     これは見方を変えれば、会員コンセンサスそのものの放棄、断念を前提としているようにもとれます。会務として必要かどうかの検討すらするまでもなく、自らは距離を置きたい、あるいは関係性を断ち切りたいという欲求を感じさせるものです。

     弁護士会には、現在「多重会務」という問題があり、その中で当該会務が本当に弁護士会としてどうしてもやらなければいいことか、その精査を求める声があることも書きました(「『多重会務』問題の解決を阻むもの」)。しかし、前記のような視点をみると、「多重会務」という問題の捉え方そのものが、多数派の目線ではもはやないのかもしれない、という気がしてきます。

     アンケートを取ったわけではないので、あくまで推測ですが(いや、もはやそんなアンケートは結果を予想したならば弁護士会としては取れないという人もいますが)、おそらく会務について圧倒的多数派の会員は、有志代替論支持ではないか、とまでで言われています。そして、有志代替論者の多くは、度々個々の会員の意思と会の意思表明の問題として取り上げられる、会長声明等にも否定的傾向にあるようです。

     度々、ここでも書いていますが、強制加入と会員の思想信条の関係については、既に司法判断で示された解決の道筋があります。つまり、弁護士法1条の目的実現の範囲において、会の意思表明は個々の会員弁護士の活動の限界を克服するためのものであり、会員の思想・良心の自由の問題を完全に切り離して、会の行為の正当性が認められる――、というものです。

     しかし、もはや会員の意識は、この道筋の前提からも離れてきているのかもしれません。とりわけ、「個々の会員弁護士の活動の限界を克服するため」に会としての意思表明や、それにつながる会務が必要、あるいは許容されるべき、というところも、一足飛びに有志代替に置き換える方が、しっくりくるというように。

     このテーマになると、必ず高い会費の問題が言及されます。会費の高額感が、より弁護士会会務への理解あるいは納得感に対して、より厳しい目線を生んだということであれば、それはこれまでも書いてきたように、弁護士の経済環境の悪化という、弁護士会主導層としてはおそらく想定外の、「改革」の負の影響を、変化の原因として、結び付けざるを得なくなります。

     過去においても、現在、将来においても、会務を根本的に支えるものは、会員の経済的余裕であるという点を、弁護士会主導層はなぜか直視したがらないようにもみえます。

     もっとも会費の高額感ということであれば、本来、矛先が向かっていい例えば事務局職員の人件費や会館建設・維持費の削減という議論には、あまりならない現実もあります。会務や会の意思表明の方が、会費支出者にとって、なぜか会員にとって、より目障りな存在になっている、ということなのでしょうか。

     会務こそ、弁護士が支えるべき「公益性」であるととらえられることに、会員の中には潜在的な不満もあるようです。個々の弁護士として、会と離れたところでの「公益的」な活動が、「会務」でないがゆえに低く見られているような感じがする、といった意見を時々耳にします。あるいは有志代替論の根底に、この見方がどこかつながっているのかもしれません。 

     「会務はいずれなくなるかもしれない」という弁護士もいます。要はさまざまなものをスリム化した果てに、おおよそ弁護士会は登録事務中心の組織となるということにとれます。しかし、当然、それでは収まらず、その時には強制加入も自治も無傷でいられるようにはとれません。

     今の段階で、何が望ましく、どこまで想定すべきか、そしてより何が現実的なのかは、簡単には導き出せない答えかもしれませんが、少なくとも弁護士会主導層は、今の会員間の声に対して、決定的に危機感が欠落しているようにみえてしまいます。


    弁護士自治と弁護士会の強制加入制度の必要性について、ご意見をお聞かせ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4794

     司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    スポンサーサイト



    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    「多重会務」問題の解決を阻むもの

     弁護士会が抱えている、一会員が委員会活動などを複数かけ持ちしている、いわゆる「多重会務」問題は、今のところ解決への議論の進展が、ほとんどみられていないテーマのように見えます。その問題そのものは、弁護士会の会務の継続、担い手確保の問題と受け止めている人と、「多重会務者」とされる会員の負担軽減の問題ととらえている人がいるようですが、いずれも先が見えない状況にあるといえます。

     根本的なことを言ってしまえば、無償性を伴う弁護士会の会務の負担と、「改革」がもたらすことになった弁護士個人の経済的な疲弊は、両立が難しい関係にあるといえます。つまり、その意味では弁護士増員政策がもたらした弁護士の経済環境の激変は、会務負担への決定的でもっとも広範なマイナス要因となり、有り体にいえば、弁護士会の会務継続という点では、決定的に足を引っ張る状況を作っているということがあります。

     もちろん弁護士会の主導層は、増員政策の先に、若手を中心とした会員の会務離れが生まれることは「想定外」であった(そもそもここまでの経済的影響も「想定外」であったならば当然ということになりますが)と説明することになるはずです。しかし、一方でかつての会務を支えていたのは、「改革」が破壊した弁護士の経済的余裕であったことを直視し、増員政策の見直しを含め、その経済環境の抜本的な回復に乗り出す風でもないところが、結局、この問題の解決への進展を阻んでいる根本的な原因であるようにもとれるのです。

     「多重会務者」が、経済的困窮(事務所運営面での)から、顧客のカネに手を付けるといった不祥事が表面化し、いまや会員間でその手の不祥事が話題になり、不祥事を問われているのが弁護士会内で知られている人物だった場合、真っ先にその人の「多重会務」を疑う声が出るという状況もあります。これなどは、典型的に前記したこの問題の根本原因が透けて見える事象というべきです(「不祥事の理由とされた『会務多忙』」)。

     多くの弁護士会主導層の人たちは、こういったケースをあくまで個人的な資質や倫理観の問題としてこれを片付けます。もちろん、同様に経済的に困窮した弁護士が、おしなべて顧客のカネに手をつけるわけではなく、その弁護士の倫理観のレベルが低すぎたことが問題といえなくはありません。しかし、利用者の目線で考えれば、この対応は何一つ依頼者に安心材料を与えるものにはならず、むしろ「なんとかしてほしい」問題であることはいうまでもありません。

     会員間では、「多重会務」について、二つの観点から問題が指摘されています。一つは会員の公平という観点から。一部会員に「多重会務者」として会務の負担が偏ることは、同一に会費を負担していることから不公平じゃないのか、ということです。これは当然、主に「多重会務者」側から出ています。

     しかし、「多重会務」の現実は、新規参入者が少なければなおさらのこと、会務に慣れ、かつ少なくとも表面上、会務をやれてきた(弁護士業との両立が可能だった)会員にオファが集中するのは致し方ない、という意見もあります。もっとも、それをいうならはなおさらのこと、会務の参入障壁とそれを生み出しているものという視点を回避できない、むしろそれを認めているようにもとれます。

     もう一つの観点は、会務の内容そのものに関するもの。つまり、その会務が本当に弁護士会としてどうしてもやらなければいいことか、その精査はできているか、あるいは精査すべきという意見になります。これもいうまでもないことかもしれませんが、主に前記とは逆に、日常業務と事務所の維持の厳しさなどのため、会務から遠ざかっている人、会務を迫られている人から聞かれる切り口といえます。

     しかし、これも容易ではない面があります。それを誰がどのような基準で判断するのか。よく言われるのは、弁護士会の活動は、携わっている(きた)会員ほど、その会務の本当の意義が分かっているということです。また、この精査の結果、大幅に弁護士会活動が縮小することを懸念する見方もあります。

     会長声明や意見書など弁護士会の対外的な意見表明をめぐってもいわれますが、ここでも「有志」代替論のようなことも言われています。弁護士会としてではなく、意識も経済的可能性もともなった人たちだけで行う活動に転換してもいいのではないか、という意見です。しかし、これも弁護士会や自治の存在意義にまで波及する議論になる可能性があり、容易に結論は出しにくいといわざるを得ません。

     所属会員が少ない地方の弁護士会の中には、「全会員多重会務者」というところもあるようです。この意見は、会務精査・削減の方向からの指摘よりも、ともすれば根本的な地方会の会員獲得、弁護士増員政策維持という方向で語られることがあります。しかし、そうだとしても、問題の根本は、経済的な意味で地方がどれだけ人材誘導・獲得できるかが問題なのであって、その発想からただ全体の弁護士を増やしても、人材の流れは大きく変わらず、むしろこの問題で大きく足を引っ張ることになっている弁護士の経済状況は延々と改善しないという、逆効果策になる恐れがあります。

     結局、やはりこのテーマは、「改革」の悪影響を直視しないツケが回ってくる、回って来ている問題といえてしまうのです。「やれる人だけにやってもらうしかない」という人もいます。しかし、このまま会務離れが進行し、弁護士会の会務の将来的な担い手が枯渇することも、あるいは精査の結果、少なくとも少数者には有り難い存在で来た会務が「リストラ」される結果になることも、どちらも利用者市民にとって有り難いものになるかは、現状簡単には想定できない状況であることは間違いありません。


    弁護士自治と弁護士会の強制加入制度の必要性について、ご意見をお聞かせ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4794

     司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    弁護士会意思表明の見え方と見せ方

     9月27日に行われた安倍晋三元首相の「国葬」への反対デモに、東京、第二東京各弁護士会の幟を掲げた弁護士が参加したことが、異論、違和感の声をはらんで、ネット上の弁護士の間で話題になっています。既に両弁護士会では、この「国葬」に反対する会長声明(東弁二弁各声明)をそれぞれ発表しています。

     世論も賛否二分し、当然弁護士間でも意見が分かれている、このテーマについて、これが、あたかも会員の総意ととられるような声明を出すこと自体への、会員の違和感という、これまでも度々持ち上がった強制加入団体としてのあり方に絡むものであるのならば、これに対してはこれまでと同じことをいわなければなりません。

     強制加入と会員の思想信条の関係については、既に司法判断で示された解決の道筋があります。つまり、弁護士法1条の目的実現の範囲において、会の意思表明は個々の会員弁護士の活動の限界を克服するためのものであり、会員の思想・良心の自由の問題を完全に切り離して、会の行為の正当性が認められる――。

     そうである限り、弁護士会が会員間で賛否の分かれる案件について、一方の意見の立場を鮮明にする会長声明を出したり、会として活動したとしても、それ自体を会員が個々の思想信条の関係で問題視するという話はなくなります。

     現実的なことをいえば、そう考えなければ、というかそう考えるしか、前記目的を達成するための弁護士会の活動は成り立ちません。いうまでもなく、会員間に異論がある、現実的にはほとんどの案件すべてに、会員の思想信条を理由に手が出せなくなる可能性があるからです。前記司法判断の趣旨からすれば、むしろ会員の思想・良心の自由の問題を完全に切り離すしか、会員登録事務を除く弁護士会の存在意義を守れない、ということを明らかにしているようにとれます(「弁護士会意思表明がはらむ『危機』」)。

     しかし、今回の件に関して、むしろ問題なのは掲げられた「幟」の方だといえます。これが弁護士会の「権威」を利用し、「総意」とみせることも含め、実際よりも会員間の反対世論を「大きく見せる」ものだとする異論、違和感の声が、会員の中から出ていることです(「過食B」)。

     前記個々の会員の思想信条と会の意思表明を完全に切り離すという、この問題の唯一と言っていい落とし所に忠実であるならば、仮にそれが活動の実質的影響力の減退につながろうとも、これが会員の「総意」ととられることはむしろ積極的に回避するような表明が会側からあってしかるべきです。それは「会長声明」への注釈として考えられるべきかもしれませんし、それが機関決定であれば、議決への参加会員数と賛否票の表明であってもいいはずなのです(「弁護士会『強制加入』と会員意見の落とし所」 「『塊』としての日弁連・弁護士会という発想の限界」)。

     その意味では、有り体に言えば、「大きく見せる」のではなく、現実的には、(総意に比べれば必然的に)むしろ「小さく見せる」努力や工夫が必要となってくる――。それが結局、弁護士会がこれまで同様に、その目的と使命のための活動を継続しつつ、会員の思想信条の自由の問題と折り合いをつける条件であるはず、ということなのです。

     そして、あえて付け加えるのであれば、この状況には司法改革の結果が影響しているようにとれます。かつての弁護士会と会員の関係を知り、それが今後も通用すると感覚的に捉えている弁護士たちの中には、この前記条件の必要性そのものが認識できていないようにみえる方々もいます。

     仮に思想信条の違いはあっても、会の意思決定は意思決定として何の条件もなく不問にし、それによって「総意」が擬制されることで、会としての影響力につなげてきた歴史や実績。しかし、「改革」の激増政策によって、弁護士の経済的環境が激変すると、高額会費を徴収している弁護士会活動や強制加入制度に、会員はより厳しい目を向けるようになりました。

     「改革」の動きが本格化した1990年代後期、自民党が当初発表した「基本的な方針」に、「弁護士自治」の見直しか含まれていたことに驚愕した日弁連主導層は、以来、その防衛すべき本丸を綱紀・懲戒制度と位置付けてきました。しかし、今にして思えば、その「改革」の大きな柱の一つである増員政策が、弁護士自治の屋台骨をぐらつかせることになる、会員意識の変化あるいは離反につながるなどとは、ゆめゆめ考えておらず、それに無防備だったといわなければなりません。

     前記折り合いのための前提条件そのものが、もはや通用しなくなってきているという見方もありますが、いずれにしても弁護士自治・強制加入制度と弁護士会員意識をめぐる根本的な状況が既に変わっていることを、まず、弁護士会主導層も、前記デモに参加した弁護士たちも認識する必要があります。


    弁護士自治と弁護士会の強制加入制度の必要性について、ご意見をお聞かせ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4794

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。https://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    弁護士会アピールと「市民目線」のミスマッチ

     弁護士会が自らの存在価値や役割をアピールするメッセージは、常にといっていいくらい「市民のため」や「市民目線」を強調し、自省的で、時に社会に献身的な、自己犠牲を印象づけるものになっています。司法改革でのアピールは、まさにそうしたもので埋め尽くされていたといっていいかもしれません。

     つまり、有り体に言ってしまえば、自分たちはこれだけ「市民」のことを考え、「市民目線」で「市民のため」の活動している存在である、それを自らの使命とつなげて頑張っている、汗をかいている存在であることをアピールしている。裏を返せば、そのことで(もちろんその現実化を含め)、より信頼されたり、評価を高めようとしているということになります。

     「市民にとって頼りがいのあるものになる」「『官僚司法』からの転換」「『市民の司法』実現」「市民が全国どこでも法律相談など良質の法的サービスを受けうる体制」「弁護士自治は、市民から負託された」「市民に身近で利用しやすい司法を実現するための努力」「市民の利益を擁護するための弁護士自治」「弁護士自治に対する市民の理解と支持をより強固にするための努力を怠ってはならない」――(「司法改革実現に向けての基本的提言」 「市民の理解と支持のもとに弁護士自治を維持・発展させる決議」)。

     もちろん、そのこと自体が間違っているわけではありません。ただ、問題は肝心の市民側の捉え方です。このアピールは、ストレートに国民に伝わり、弁護士会側の期待通り市民の評価に繋がってきたといえるでしょうか。こういう切り口の話をすると、弁護士の中には、すぐに「道半ば」論を振りかざす人もいます。しかし、司法制度改革審議会意見書が発表されて、既に20年が経過しましたが、この間、市民の弁護士に対する評価は、果たして向上したといえるでしょうか。

     これには当の弁護士の中からも疑問の声が聞かれます。「市民、市民という割に、社会全体の弁護士イメージが良い方に変わったという実感はない」「片思いのような感じがする」。弁護士は、個々の依頼者との関係で、その利益や権利のために働くのが主な仕事であり、その関係性の中で評価を勝ち得ていくだけ、という人はいます。しかし、弁護士会のアピールそのものには、問題はなかったのでしょうか。

     二つのことが言われます。一つは、アピールのミスマッチ論です。「頼りがい」とか「良質」とか「身近」といっても、それが市民のニーズにストレートにつながるものだったのか、ということです。

     例えば、「頼りがい」「身近」といっても、それは必ずしも数が満たされることではなく、市民が考える金銭的な問題やマッチングを含めた「条件」が整うことを前提的にとらえ、イメージさせるものでは必ずしもなかった、という点が考えられます。「努力」はむしろ、市場原理への期待感をはらんで、無償化、低廉化へのそれを優先的に意味してしまうことになりかねません。

     まして「官僚司法」批判や「弁護士自治」に至っては、その必要性、存在意義が十分に前提にできない市民にとって、いきなり「転換」「負託」といわれても、その先の評価へは距離があるというべきです。

     もう一つは、アピールの仕方そのものについてです。弁護士会のアピールはほぼ常に姿勢表明が強く前面に打ち出され、それを使命感に基く「べき論」が支える構造になっていますが、それを具体的に支える経済的な問題を含めた条件を捨象しているようなところがあります。

     弁護士会員への内向きのアピールは、それこそ使命感に導かれた、時に公益性を基調した「べき論」で、個々の弁護士の努力に期待・丸投げし、一方、外向きには「なんとかする」「なんとかなる」といっていることになりますから、ある意味、市民側の期待感は一人歩きすることになっても仕方がないとはいえます(「依頼者市民の『勘違い』」)。

     それこそ司法改革の中から登場した弁護士報酬「お布施論」や、「成仏理論」は、およそ信じがたいような、個々の弁護士にとっての無理な「べき論」によって、その自己犠牲的なスタンスが必ずや社会に評価されると説いているもので、まさに「片思い」的な思考で、むしろ市民を誤解させるアピールになる典型にとれます(「弁護士報酬『お布施』論の役割」 「弁護士『成仏理論』が描き出す未来」)。

     最近、無料相談と弁護士会アピールに関する、弁護士のものとみられるこんなツイートがネット上に流れました。

      「弁護士会は無料相談を止めろとは思わないが、実際には相談担当者に手当は支払われているのだから『相談料は当会が負担いたします!』とジャパネット的なことを言えばいいのにね。自治体の相談も」(TM)。
      「無料ではなく弁護士会が負担してることは伝えといて欲しい。相談自体は無料ではないと表明して法律相談のサービス価値を落とさず、弁護士が支払ってる会費で賄われていることを伝えて弁護士は公益のためにも会費を支出していることが分かるようにして欲しい」(オパンピオス@弁護士投資家)。

     弁護士の有償サービスの前提が崩れる、市民の誤解が生まれているといわれる弁護士会・自治体の無料相談でも、あるいは弁護士の日常業務に対するイメージを阻害しないための、アピールに工夫の余地があることを素朴に伝える内容になっています。

     そう考えると、根本的な問題は、弁護士会自身が、「べき論」と使命感ばかりが前面に出ている印象の、これまでのスタイルを率直に改めて、本当の「市民目線」と「弁護士会員目線」を意識できるか、であるような気持ちになってくるのです。


    弁護士、司法書士からみた、法テラスの現状の問題点について、ご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/6046

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    日弁連会長選結果から見えた現実と可能性

     前回2020年選挙に続き、いわゆる「主流」派(以下、主流派)が割れる形となった日弁連会長選挙は、2月4日の投開票の結果、主流派候補の一人、東京弁護士会の小林元治氏が、次点の主流派候補である同弁護士会の高中正彦氏に、3000票近い大差を付けて当選する形となりました。

     主流派2氏、反主流派(以下、反主流派)1氏で戦われた今回の選挙でも、前回同様、いずれの候補者も当選要件(総得票数が最多で、かつ3分の1の18会以上で最多得票)を満たさず、上位2候補による再投票にもつれ込むのではないか、という観測が一部に流れていました。しかし、開票結果仮集計によれば、小林氏は8944票の最多票に加え、最多票会でも39会を獲得したのに対し、高中氏は5974票、7会に止まり、小林氏がいずれも大きく引き離しました。前回に続く反主流派からの出馬で、弁護士増員政策を見直し、司法試験合格者年間1000人以下への減員を掲げた、千葉県弁護士会の及川智志氏は3504票、最多票会5会という結果でした。

     投票率は43.2%で、前回から6.7ポイント下落し、補欠選挙を除く通常選挙で史上最低を記録した前々回2018年の40.8%に次ぐ低い数値。これで過去5回投票率50%を切る選挙が続いており、50%を超えた会は前回の41会から今回32会に減っています。また大票田である東京三会、大阪、神奈川県、福岡県の各弁護士会では前回同様軒並み50%を下回ったのに加え、前回68.0%だった愛知県弁護士会でも35.8%にとどまるなど、全体としては投票率で、大規模会での会員の選挙離れ傾向が浮かび上がっています。

     今回の結果をめぐって、前記再投票の観測からは、主流派候補同士の獲得票や獲得会の開きが話題となりましたが、もう一つ注目されたのは、反主流派候補の及川氏の善戦です。前回に続き、二度目の出馬となった及川氏は、前回より1600票余り獲得票を上積みして、最多獲得会も2会増やしました。前回出馬した他の反主流派候補の票を加算した、同派全体でみても、700票余が今回、同派に流れた格好です。

     さらに、17会での獲得票で2位につけて、主流派候補の一角を破る結果を出しています(前回との選挙人総数の差は今回約1000人増)。全候補の獲得票に占める各候補票の割合でみると、小林氏48.6%、高中氏32.4%、及川氏19.0%。前回は5氏の出馬であったとはいえ、及川氏は9.1%に止まり、他の反主流派候補の割合を加算しても13.4%でした。

     2010年に初めて反主流派候補が会長の座についたものの、2012年に主流派候補に奪還されて以降、反主流派が、「改革」路線を挟んだかつてのような固定票が取れず、苦戦する傾向が続いていただけに、及川氏の今回の結果は、そうした退潮ムードからの復調を印象付けるものともいえます(「日弁連会長選挙の現実と会員の欲求」)。

     政策としては、前回選挙でも会員の関心が集まった職務基本規程改定へのスタンスや若手対策、法テラスの報酬、IT化・本人サポートへの関与などが注目される形となり、これらの微妙な主張の違いが前記主流派候補の明暗を分けたという見方があるほか、派閥を中心とした動員力と地方会対策での違いが結果に表れたという声もあります。

     一方、及川氏が法曹人口問題を前面に掲げ、ある意味、主流派二氏との間に、もっとも鮮明な政策の違いを示しながら、3位に沈んでいることを挙げ、法曹人口問題への会員の関心の低さや、もはや選挙の争点にはなり辛いとするような見方があります。

     しかし、主流派が主張するような、局所的な弁護士不足の解決を全体の増員継続に期待し、真の課題である経済事情を前提的に踏まえない、さらにいえば、同様に、弁護士増員の「負の影響」を直視せずに、魅力発信に期待するという姿勢への会員の問題意識は、やはり存在しているようにとれるのです(「地方ニーズ論と減員不要論への疑問」 「弁護士『魅力発信』必要論の本音と『効果』」)。

     会員の半数以下の意思表明しか確認できない、低投票率の固定化、それにつながる選挙への無関心層の拡大は、どの政策も自らの業務に重ね合わせられないか、もしくは大きくその業務環境を変えることはできない、との諦めの反映とする見方があります。しかし、及川氏が掲げた増員問題は、弁護士の経済的価値の下落を生んだ原点であり、もっとも広い層の弁護士に影響している問題です。これは、「改革」論議が過去のものになったとしても、やはり現在の弁護士の状況から訴えるべきテーマでもあるはずであり、そこは新たな切り口で訴えていくことも十分可能であるようにとれるのです(「欠落した業界団体的姿勢という問題」 「弁護士会が『守るべきもの』というテーマ」)

     この問題に対する諦め声として、弁護士に決定権がない、ということを挙げる人もいます。しかし、決定権がないから、弁護士会がどういう立場でも同じで意見表明に意味がない、ということにはなりませんし、振った旗を降ろさない前提での、前記したような現実から目を逸らした政策を掲げ続けることがいいことにもなりません。

     選挙である以上、結果に反映しない主張は、それだけ会員の関心事からも期待からも遠いとして片付ける人もいるようですが、及川氏の今回の善戦からも、むしろ弁護士増員基調への誤った期待感、あるいはその軌道修正による発想転換がもたらす効果などを粘り強く会員に訴えていくことの持つ可能性も、改めて見えたように思えるのです。


    地方の弁護士ニーズについて、ご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4798

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。https://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

    最新記事
    最新コメント
    最新トラックバック
    月別アーカイブ
    カテゴリ
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR