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    日弁連会長選結果が投げかけているもの

     日弁連会長選挙の投開票が2月9日行われ、いわゆる主流派候補とされる東京弁護士会の渕上玲子氏が、次点の反主流派候補である千葉県弁護士会の及川智志氏に約7200票の大差をつけて当選しました。得票数は渕上氏11110票で、45弁護士会で最多得票を獲得、及川氏は3905票で最多会は7会でした(令和6年度同7年度日本弁護士連合会会長選挙 開票結果仮集計表)。

     2020年、2022年と主流派が割れる選挙が続き、今回は主流・反主流の一騎打ちに戻った選挙でしたが、投票率は前回を10ポイント下回り、33.2%。これまで最も低かった1981年に行われた谷川八郎会長(当時)の補欠選挙(37.6%)を含め、1975年に直接選挙制が採用されて以降、過去最低の数字となりました。

     前回2022年以降の会員増で、今回、日弁連は選挙人数を2750人増やしながら、投票総数では逆に3382人減らしています。投票率が50%を超えた弁護士会は前々回41会、前回の32会からさらに減り、今回は18会に止まり、各年の候補者の出馬状況の違いを差し引いても、会員の日弁連会長選離れが加速している印象は拭えません。

     一方、及川氏は過去3回の連続出馬でしたが、最多得票会を3会、5会、7会と延ばしています。主流・反主流という構図でみても、過去2回が3者以上の出馬があった選挙だったとはいえ、及川氏の投票数に占める割合は、前回の18.9%(主流派候補合計80.4%)に対し、今回は25.7%(渕上氏73.1%)となり、じわじわと支持を延ばしてきているようにもとれます。

     渕上氏に関しては、当選すれば、初の女性日弁連会長、法曹三者でも初の女性トップということが、結果として選挙期間を通じて話題となり、当選後の日刊紙等の報道もそこに注目するものとなりました。しかし、選挙そのものの争点で、何が決め手になったのかという捉え方はしにくい選挙ともいえます。

     そもそも日弁連会長選挙に限ったことではありませんが、一方の候補者や有権者(会員)側にとっては争点とすべきという欲求がある事柄でも、一方候補者が投票結果をにらみ、いわば当落への影響が少ないと考えれば、候補者によって争点化されないということは、当たり前のように起きます。もちろん、当落に影響しないということ自体、有権者側の意思の反映(そこまでの問題意識がない論点)ということで片付けられることになりますが、投票行動全体を見なければ、底流にどのような有権者会員の意思が存在しているのかを見落とすことになりかねません。

     事前に争点化も予想された、いわゆる「本人サポート」問題(「『本人サポート』への懸念」)でしたが、蓋を開ければ、結果はそこまで争点化はしなかった、という声が聞かれます。しかし、及川氏は弁護士や当事者にとってのリスクを指摘し、提供しない立場を鮮明にし、問題となっている「実質サポート」も「弁護士の本来業務の安売り」という問題視したのに対し、その論点に正面から応じることなく、基本的に肯定的な立場を示しています。

     弁護士増員に関しては、司法試験合格者数年間1500人以上という政府見解を日弁連が事実上追認し、「さらなる減員を提言する状況にない」としていることに関して、及川氏は日本が人口減少するなか、毎年1000人余りの弁護士が増え、5年後に50000人を超えることへの危機感を示し、同合格者年間1000人以下を目指すべきとしました。裁判所の新受件数の大幅減の現実、中長期的な弁護士の需要見通しの必要性にも言及しています。

     一方、渕上氏は、前記日弁連方針を肯定し、法律事務所での採用難、活動領域の拡大、志望者減に対しては法曹の魅力発信の必要性といった、従来、主流派候補から聞かれた主張が繰り返されました。

     こうした対立がありながら、争点にならなかった(争点化しなかった)点を含めて、選挙結果から現実の日弁連の方針や在り方は会員に追認された、それが「総意」とみることができる、としてしまえば、話はそこで終わります。ただ、少なくとも投票数の4割を占める及川支持票に示された会員意思もさることながら、もはや50%を大きく下回っている投票率を前にしても(未投票は単純に追認票にカウントし)、そう片付けることが妥当といえるのでしょうか。

     俯瞰してみると、この選挙で問いかけられているものは、弁護士の「生活」なのではないか、と思えます。従来から掲げられてきた日弁連の「べき論」だけではどうにもならない現状に対して、反主流派の側から掲げられた弁護士の仕事と生活を守るという視点、その危機感が、いよいよ無視できないところまできている。そのことこそ、この結果から読み取るべきなのではないでしょうか。

     いよいよ会長選挙にあっても、日弁連がそういうことを無視できなくなる時代がもうすぐそこまで来ていることを予感させる選挙であったようにとれるのです。 


     弁護士自治と弁護士会の強制加入制度の必要性について、ご意見をお聞かせ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4794

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    弁護士横領事案と弁護士会の姿勢の問題

     建て前を別にすれば、後を断たない弁護士の横領事案に対して、現状、弁護士会という組織がそれを止められるという、具体的な見通しは立っていないといわなければなりません。妙案、妙策はありません。預かり金口座を弁護士会が管理すればいい、といったことも言われますが、多くの弁護士は、その効果に懐疑的なようです。横領に手を染める弁護士が、ここに果たして入金するかも含めて、これに誠実に対応するとも思えないからです。

     横領事案に限らず、弁護士会が打ち出す対策は、その抑止効果から逆算されたものではなく、むしろ弁護士自治を抱えていることから導き出された、といっていい現実があります。有り体にいえば、完全自治を保持している以上、対策を打たないわけにはいかない、という、姿勢としての意味合いが強く反映しています。嫌な言い方をすれば、何もしなかったわけではない、やれることはやっていることの既成事実化ということもできてしまうかもしれません(「弁護士横領事案、『連帯責任』の受けとめ方」 「『預かり金流用』という弁護士の現実」)。

     しかし、これは弁護士自治にとって逆効果という見方があります。弁護士会が弁護士自治を掲げて、その旗の下で、責任を自覚している、という立場に立ち、前記のような対策を打って、その効果がないほどに、自治は攻撃される。つまり、彼らには自浄能力がない、完全自治を持たせるには不適格だと。

     本音の部分で、弁護士の中には、この板挟み的な状況に、やりきれないという声もあります。弁護士の監督は弁護士会ではなく、いわば特別扱いをやめて、一般的な監督官庁を、法務省などにすればよし、という話が、およそ前記自浄能力の話が出る度に、言われてきました。ただ、声にできない多くの弁護士の声に耳を傾ければ、現状のような弁護士の横領事案は、仮に監督官庁を法務省にしたとしても、おそらく抑止できないだろう、という見方も強くあるのです。

     つまり、何を言いたいかといえば、こうした弁護士の横領事案が今日的な問題になっている、根本的な、構造的な原因に踏み込まなければ、現状はどうにもならず、むしろ弁護士会自身が前記したような建て前から生み出されているような弥縫策からの発想の転換を図らなければ、自らの首を絞めることにならないか、ということです。そうしなければ、ますます弁護士自治は、本来の必要性を顧みられることなく、窮地に立つのではないか、と思えるのです。

     そして、その根本的な原因が何かといえば、それは取りも直さず、「改革」の弁護士増員政策が生み出した弁護士の経済状況の悪化です。横領の原因が、判を押したように、事務所維持の困難化など弁護士の経済的窮状によるものであるのを見れば、それはあまりにも明らかです。

     経済環境と弁護士の不祥事の関係を考える時、それはもちろん弁護士の倫理レベルの問題ということにはなります。つまり、どんな状況であっても他人のカネに手を付けることはゆるされるわけない、とか、所詮、その経済環境に堪えられなかったレベルの倫理しか持ち合わせてなかった、とか。

     もちろん、それもその通りだと思います。ただ、残念なことに、この発想の先にも、依頼者市民の被害をできるだけ早急に防止するための、現実的な対策が導き出せると考えるのは、心もとないといわなければなりません。確かに同じ状況であっても、手を染める人間と染めない人間がいるわけで、それこそこうした状況にも、折れ曲がらない倫理を弁護士に教育する意義はあります。

     しかし、その正しさは認めるとしても、今求められるのは、弁護士が不正の誘惑に傾斜しない、いわば安全な環境を直ぐに作ってもらう方が、被害を受ける社会の側にとって、有り難い状況ではないでしょうか。同業者までが「この人が」と驚くような人や、弁護士会の役員を務めたような人までが、不祥事に手を染めている現実を見る度に、おそらく彼らは、この「改革」の状況が無ければ、不祥事に手を染めなかったし、当然、被害も生まれていなかった。

     手を染めた彼らの倫理レベルの低さを何度指摘したところで事態は解決しないし、むしろ、限界線を突破していない不祥事予備軍が、次に控えているかもしれないことの方を考えてしまいます。

     弁護士の増員政策がまだ途に就き始めたころ、これに伴う不祥事増加のリスクについてどう考えるかを、推進派の弁護士に尋ねたところ、その回答の中で、彼は今にしてみれば、とても印象的なことを述べていました。

     「(人数が)増えたから、(不祥事も)増えたとは口が避けてもいえない」

     前記したような弁護士自治堅持の、いわば建て前からして、こういう現実が起きたとしても、そうは言えない。だから、なんとかしなければいけない、ということだったと思います。しかし、ここでむしろ感じたことは、彼ら推進派も増員政策の先に、今日のような状況が生まれることの不安を感じていたこと、そして、それに対する具体的な妙案、妙策がない「なんとか」論で突き進もうとしていたことです。

     案の定という状況が生まれている今、改めて何を直視し、何を振り返るべきかが問われているはずです。


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    弁護士会自己アピールの欠陥と会員目線

     明けましておめでとうございます。
     今年もよろしくお願い致します。

     弁護士・会は正当に評価されていないのではないか、という弁護士会員の声が異口同音に聞かれます。あくまで印象とお断りしますが、それは以前よりも会内膨らんできており、そして、さらにそれは評価しない社会に対しての不満ではなく、よりその批判の矛先が弁護士会自体に向けら始めているようにもとれるのです。  

     最近も、ある弁護士のX(旧ツイッター)へのこんな投稿が目に止まりました。

     「弁護士は、ひまわり基金とか、当番弁護とか、日弁連委託援助とか、もっと弁護士がお金出して、公共のために努力していることを広報するべきだと思う。致命的にこれが下手だと思う。法科大学院制度だって、あれだけ手弁当で支援したのに、関係者に逆恨みされているお・・・」(深澤諭史弁護士のポスト@fukazawas)

    弁護士は公共のために汗をかいているのに、それが評価あるいは認識されない要因として、弁護士会がアピール不足、あるいはその方法に問題があるのではないか、という、よく聞かれるようになっている指摘です。

     後段の部分は、法科大学院制度がうまくいかなかった原因が、弁護士会の「ネガティブ・キャンペーン」にあるとする、法科大学院関係者から聞こえてくる論調です。現実は、弁護士会主導層は、法科大学院擁護派であり、旗振り役に回っており、また、やり玉にあげられる増員政策へのスタンスにしても、内部に反対・慎重論があるのは事実ですが、少なくとも会として増員基調の「改革」に抵抗しているとはいえません。

     つまり、「逆恨み」と表現していますが、「ネガティブ・キャンペーン」論は、事実に反し、根拠がない。しかし、むしろ依然、ある意味、堂々と言われ、それに対し、会がそれを言わせないような形で、堂々と反論しているようにもとれないところに、会員のもどかしさと、会への不満がある。そして、それは他の活動も含めた、弁護士会の致命的なアピール下手が根底にある、という捉え方になります。

     また、中にはこんな捉え方もあります。

     「法案、政策には全く存在感を示せない弁護士会が、法科大学院や法曹養成制度を潰したように言われるのは、やはり政治力のなさゆえだろう」(「TM」氏のポスト@63s244)

     この弁護士会の政治力のなさという点も、実は以前から弁護士会員間で、言われて来たことではありましたが、それが前記「ネガティブ・キャンペーン」論調の跋扈を許している現実とつなげられることになっています。一方で、法案、政策での存在感が示せない弁護士会が、そもそも「ネガティブ・キャンペーン」によって法科大学院や法曹養成を潰せる存在なのか、という皮肉な問いかけにもなっているようにとれます。

     しかも、この点では、「ネガティブ・キャンペーン」論調を掲げる側が、あたかも弁護士会が自らの会員利益を護るために、それを実行したかのようなニュアンスで伝えていることを取り上げて、そもそも今の弁護士会が会員利益のために行動するのか、どこにそんな弁護士会が存在するのか、といった、別の皮肉を言う声も聞こえてきます。

     もっともここで挙げられる「政治力」がいかなるものであるべきなのか、そして、それが弁護士会の活動そのものに相応しいものとして存在し得るのか、という点は、やはり残ると思います。あくまで人権という観点で、筋を通した発言やスタンスを貫くことと、与党政治家や政権との距離感から生み出されるような「政治力」(仮にそういうものだとすればですが)が、それはそれで弁護士会の立ち位置に影響を与えることにならないのか、という点です。

     ただ、そうだとしても、問題は若手を含む多数派を形成している「改革」後世代の会員の意識です。「改革」後のこの世界で、特に会員にとって負担感が増している高い弁護士会費を徴収されながら、強制加入でありながら、会は自分たちのために何をしてくれているのか、守ってくれているのだろうか。

     さらに言ってしまえば、それが止むを得ない「改革」のための、あるいは公共のための、弁護士に想定された、在るべき「犠牲」の結果だとして、それがなぜ、評価につながらないのか――。

     そうした現実に照らせば、前記投稿の中の「政治力のなさ」という表現や、それを弁護士会の課題とすることに、どれほど弁護士が違和感を持つだろうか、という気にもなるのです。そして、もし、弁護士会主導層が、この会員の意識の地殻変動を無視し続けるのであれば、その意識格差はどんどん広がり、弁護士会そのものが持ちこたえられなくなることすら想像してしまうのです。


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    意見表明問題を抱える弁護士会のスタンス

     ある意味、強制加入団体としての宿命ととるべきなのかもしれませんが、弁護士会はその対外的な意見表明の妥当性、正確に言えば、会員間でその内容について意見が分かれる案件について、弁護士会として対外的に意見を表明すること自体を強制加入団体の立場として問われるという問題を、ずっと抱えてきた団体です。

     かつて弁護士会外の人間にこの現状について話すと、この状況は「弁護士らしい」というニュアンスの言葉が返ってきました。弁護士という職能のイメージからして、それこそ自分の思想信条に反するような所属弁護士会の意見表明に束ねられるようなことには、おいそれとは納得しないだろう、といった見方があることを、それは伺わせました。

     そして、このことを思い出すほどに、このテーマで弁護士の口からよく聞かれてきた「実害」、死刑廃止など弁護士会の意見表明を知った顧問先から「先生も同意見ですか」と言われた、疑われた、というエピソードにも、あるいは弁護士としての、とりわけ強い拒絶感がそこにあるのではないか、といったことを加味して見てしまうようにもなったのです。

     ただ一方で、ここでも度々取り上げてきたことですが、この問題に対する弁護士会の取るべき基本的な姿勢は既に明らかであるともいえます。基本的には司法判断でもあるように、弁護士会の意思表明と個人の思想・信条は、完全に切り離されているという立場です。

     そうでなければ、会員個人の異論の存在や、意思統一ができないことをもって、意思表明の手続きに乗ってきた多数意見をもってしても決せられないということになったり、執行部や委員会独自の意志表明もできないなど、弁護士会に課せられている弁護士法1条の使命を果たす活動は大きく制約される可能性があるからです。

     「政治的」という言葉が被せられ、強制加入団体の弁護士会としての適格性を問う「あるまじき」論も時に会内から出されますが、「政治的」なことが目的でなくても、「政治的」とされる「人権」にかかわるテーマはあります。「人権」にかかわる問題である時に、それに取り組もうとする弁護士会が「政治的」という批判を浴びる度に、あるいはそれが政治的な団体の主張と方向が同じとされる度に、その都度沈黙する団体でいいのか、という問題もあるはずです(「弁護士会意見表明への内部批判がはらむもの」)。

     こう考えると、弁護士会がこの問題でやれることに、それほど多くの選択肢はないように思えます。つまり、前記基本的姿勢に忠実に、「切り離し」論を、会員にも社会にも周知徹底化する(会員の総意であるような誤解を生まないようにする、まして効果を偽装しているようにとられないようにする)か、より案件によってこれまで以上に会員多数世論を踏まえた政治的な判断をするか。そうでなければ、もはや異論側の意見に沿って、前記活動制約の方に大きく舵を切るか(案件によって表明母体を有志に移行させる)か。

     ところが、というべきかもしれませんが、現実的にはこのテーマについて大きな進展はみられない。というよりも、むしろ異論を持つ会員はより増え、その意識の距離も広がっているように見えます。それはなぜなのか――。

     元草津町町議が、町長からの虚偽の性被害の告発をしていた問題で、元町議側を支援していた団体が東京弁護士会の「人権賞」を受賞したことへ、会内から異論が噴出し、会員が同弁護士会に対する公開質問状の賛同者を募る事態に発展した問題は、予想外の展開となりました。会執行部は、この賞の授与を撤回するにしてもしないにしても、あくまでその適格性だけを問題にするものと思ったからです。

     ところが、会執行部は選考結果を覆さない、会員の意見が分かれている部分についても人権に寄与する意見は表するとの考えとともに、次のような趣旨の説明をしたことが、物議をかもしました。つまり、この賞の受賞者は、選考委員会がしたものではなく、東京弁護士会として当該団体の活動を是とするものではない、と。

     これは前記したような弁護士会の意見表明と会員の意思の問題に対する向き合い方からは、大きく逸脱するものともいえます。むしろ会として、意見を背負わないという話なのですから。前記公開質問状の発起人の弁護士はX(旧ツイッター)でこう述べました。

     「いくら選考委員会の判断を尊重すると言っても最終的には会長決済で東京弁護士会の名前で賞を出すものを『東弁の立場ではない』という主張はさすがに無理がある」

     「人権賞」について紹介する東京弁護士会ホームページの文面を見て、執行部の前記したような言い分として理解する市民がいるとも到底思えません。およそ弁護士会の名を冠したものが、こうした本質を持つということになると、根本的に市民はその重みをどうとらえるべきか混乱するばかりか、いまや「名義貸し」と受賞団体の悪用の危険といった論点までささやかれ始めています。

     改めてこのことを前記してきたような弁護士会の意思表明と会員の異論の問題に引きつけてみると、二つのことを感じます。

     一つは、今回東京弁護士会が示した姿勢は、それそのものが会員にも市民にも理解され難いだけでなく、前記したような弁護士会名義の意見表明を個々の会員の意見とは別個のものとして存在し得るということを社会にも、会員にも周知する、という方向への理解をむしろ遠ざける可能性があること。

     そして、もう一つは、前記したような二つの選択肢、つまり会員や社会に対して、弁護士会名を冠しながら個別会員の意思とは切り離すことにも、会員世論を汲みとり、一定の政治的配慮を示すこと、そのどちらについても、現在の弁護士会執行部の姿勢は、会員や世論をにらんだ徹底したものになっていないようにとれること。

     司法改革による経済的打撃が、高い会費とともに弁護士自治の現実への厳しい目線が向けられることになったことも一因となっているとみられる、会員の異論の高まりの前に、新たな展開がみられない、この問題の現状には、こうした弁護士会の現実が横たわっているように見えてくるのです。


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    弁護士会的「市民」像

     弁護士会が描く「市民」像というテーマが、これまでも弁護士会会員の間で、取り沙汰されてきました。そして、この文脈で取り上げられる多くの場合、それは、批判的な意味を持っています。要は、そこには現実の、いわば等身大の市民との間に乖離がある、というニュアンスです。

     どういうことかといえば、弁護士会が掲げる政策方針や提案の基本に、自らのそれに都合がいい「市民」像が設定され、あたかもその要求に忖度するような形にしているが、現実の市民とは乖離しているため、いわば当然にズレ、誤算が生じているのではないか、逆にズレ、誤算の根本的原因が、まさにそこにあるのではないか、という指摘になります。

     その中身は、あえて大きく分類すれば、二つに分けられます。一つは市民の意識や志向を弁護士会側に都合良く、「高く」(高い、低いで表現するのは若干語弊がありますが)、彼らにとっての理想的なものとして、描く傾向。市民は自立的で、常に行動は主体的であって、弁護士会が掲げる問題提起や司法の現実に対し、強い関心を抱き得る存在である、と。死刑廃止や人権侵害問題、法曹一元などにも、必ずや目を向け、賛同し得る「市民」ということになります。

     もう一つは、前記と被る部分もありますが、必ずや弁護士・会を必要とする存在、もしくは弁護士会の活動に必ずやエールを送ってくれる存在として、「市民」をとらえる傾向。市民のなかに(条件を満たせば)、基本的に弁護士・会を必要とする欲求が存在し、場合によっては、おカネを投入する用意も、意識も十分に存在しているととらえたり、弁護士自治もその存在意義を理解して、必ずや賛同してくれる存在とみているようにとれます(「『市民の理解』がはらむ問題」)。

     「し得る」とか「必ずや」とか「条件を満たせば」といった、可能性に期待するような言葉を敢えて挟んでいるのは、弁護士会のスタンスの特徴として、もし、現実的な乖離がそこに現在、存在しているとしても、それそのものを「課題」として、「なんとかしなければならないもの」、あるいは弁護士側の「努力次第で現実化するもの」ととらえがちである、ということがまた、弁護士会的なスタンスととれるからです。

     結局は、「市民のため」「市民の理解」ということを掲げながら、等身大の市民ではなく、あくまで彼らにとっての、在るべき論が介在しているような「理想像」から、逆算されているようにみえてしまう、ということになります。

     実は、「平成の司法改革」そのものにも、そういうニュアンスが読みとれます。司法制度改革審議会意見書の中で、「国民」が次のように描かれている箇所があります。

     「国民は、司法の運営に主体的・有意的に参加し、プロフェッションたる法曹との豊かなコミュニケーションの場を形成・維持するように努め、司法を支えていくことが求められる。21世紀のこの国の発展を支える基盤は、究極において、統治主体・権利主体である我々国民一人ひとりの創造的な活力と自由な個性の展開、そして他者への共感に深く根ざした責任感をおいて他にないのであり、そのことは司法との関係でも妥当することを銘記すべきであろう」

     「司法の運営に主体的・有意的に参加」したり、「プロフェッションたる法曹との豊かなコミュニケーションの場を形成・維持するように努め、司法を支えていく」国民は、もちろん現実の国民の意志から逆算されたものではなく、あくまで「改革」者側の、在るべき論に基づく願望といってもいいものです。「統治主体・権利主体である」国民という括りは正しくても、司法の信頼のうえに税金を投入して委託している側が、脱却すべき「統治客体意識」の持ち主とされることには、納得いかない国民がいてもおかしくありません。

     「改革」が理想を前提に語って何が悪いという人もいるかもしれません。仮に理想としてそれを提示されても、等身大の国民から捉えなければ、その理想を現実化するには本当は何が必要なのかも見誤ります。まさに、弁護士の需要と弁護士激増政策にしても、裁判員制度にしても「改革」の失敗の根っこには、そのことが横たわっているというべきです。

     弁護士会の掲げる「市民」像と現実の市民との隔たりにしても、そのしわ寄せは、結局、等身大の市民と向き合う個々の弁護士が被ることになります。そして、「市民のため」の「改革」と言いながら、それは、弁護士会が理想とした「市民」ではない市民にとっては有り難みを実感できない、よそよそしいものになることを、弁護士会や「改革」の主導者は、もっと理解しておくべきだったと言わなければなりません。


     今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

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    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

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