「日弁連会長声明」への会員信任度
昨年3月5日に当時の宮誠・日弁連会長が出した、朝鮮学校を高校無償化法案の適用から除外しないように求める会長声明に対し、会員の弁護士が撤回を求めるということがありました。
この会員は東京弁護士会の川人博弁護士で、詳しくは同年3月31日に日弁連前・現会長、事務総長あてに出された要請書をご覧頂きたいと思いますが、この問題そのものについては、要するに朝鮮学校は「北朝鮮の金独裁体制のイデオロギーを注入する機関」「犯罪行為を担う工作員に教員という社会的地位を与え、かつ、若い青年を新たに工作員に確保する場」「資金面で金独裁体制及び朝鮮総連を支える役割を果たす機関」として位置付けられ、現にそのように機能していた疑いが濃厚である、として、まずは改善が必要である、といった見解がを示されています。
結論から言えば、これに対し、日弁連は同年4月30日に海渡雄一・事務総長名で、川人弁護士に対し、撤回はしないという趣旨の通知をしており、日弁連によれば、今後も撤回はないとのことです。
さて、実は川人弁護士は、この要請書のなかで、前記したような朝鮮学校の無償化の当否とともに、この会長声明の発表過程そのものの不当性を次のように訴えていました。
「前記会長声明は、ほとんどの日弁連会員が議論に参加する機会も与えられず、ごく少数の弁護士の人々により結論が出され、それを会長・事務総長が追認し、社会に明らかにされました。日弁連人権擁護委員会内で議論されたとのことですが、当職を含め同委員会に所属していない圧倒的多数の弁護士にとっては、意見表明の機会さえ与えられなかった極めて非民主主義的な手続であります」
この見解に対して、あるいは日弁連会務をご存知な方の多くは、「日弁連会長声明」というものに対する川人弁護士の「誤解」というとらえ方をするかもしれません。なぜならば、この会長声明というものが、そもそも川人弁護士の言うような「ほとんどの日弁連会員が議論に参加」するものではないことを知っているからです。
日弁連は対外的な意思表明手段として、この会長声明と総会に諮り会員の意思を確認して行うものとは区別しています。情勢に即応して表明するという性格上、そこは意思決定のプロセスと発信の仕方が別であるといってもいいかもしれません。もちろん会長一人が独断や思いつきで発表しているわけでなく、担当委員会、担当副会長、事務総長などが関与する形のようです。
その意味では、「圧倒的多数の弁護士にとっては、意見表明の機会さえ与えられなかった」こと自体は、「そもそもそれが会長声明」として片付けられてもおかしくないのです。
しかし、少し目を離して見ると、この川人弁護士の指摘と同様の「会長声明」への反発や違和感は、それこそ以前から会員間で聞かれ、近年、それは強まっているようにすら思えるのです。
以前にも書きましたが、かつて声明を含めて日弁連・弁護士会の対外的な意見表明に、依頼者から、「左翼的」だとか、「反体制的」だとか、要するにそのスタンスが偏っていることに驚かれた、といった弁護士の話がよく聞かれました。もちろん、こういう弁護士はこうした事態に困惑し、あるいは迷惑というニュアンスで言っていることです(「弁護士の最大公約数」)。
そもそも弁護士の考え方は一枚岩ではなく、いろいろな考え方、思想の人がいます。その意味では、会長声明ひとつにしても、前記したケースや川人弁護士のように、活動の偏向といった問題意識から、日弁連が「出す」ことを批判するものもあれば、逆に人権の立場からも、表現方法も含め、もっと積極的に意見表明すべきとする「出さない」ことの批判もあります。
このテーマでは、考えなければならない二つのポイントがあるように思います。一つは、日弁連という団体が強制加入であるということです。そうした団体での最大公約数的な意見表明の限界をどこまで認めるのか、認められているのか、ということ。もう、一つは日弁連が組織として前記意見表明の形あるいは主体を区別していても、日弁連会長の声明は、すなわち日弁連の意思、あるいは総意のように事実上受けとられることは考慮する必要があるのかないのかということです。
政治的なテーマについての対外的意見表明について、日弁連は、そうした強制加入団体としての性格から慎重な姿勢も取ってきました。一方、弁護士法1条の基本的人権の擁護と社会正義の実現といった使命に基づき、「人権」「法律家」という立脚点で、最大公約数として認められ得るという判断のもとに意見表明の必要性が結論付けられてきたともいえます。ただ、それは死刑存廃、憲法9条などのテーマを考えても、現実問題としては簡単には線引きできない、異論のタネを残すものであったことも事実です。
むしろ、近年の傾向として気になるのは、こうしたテーマごとの会員の異論が日弁連会長声明への信任をぐらつかせていることにとどまらず、むしろ、強制加入の意義そのものへの疑問と相まって、前記したような会員の一定の信任、承認を得て成り立ってきたととれる会長声明の決定プロセス自体への不満ともとれる声が聞かれることです。
自分たちか選んだ会長、あるいは執行部の行動という意識を越える、多くの会員の意思と離反したようにとれる彼らの行動が存在するのだとすれば、それは日弁連という組織にとっては、やはり深刻な事態であるように思います。
投稿サイト「司法ウオッチ」では皆様の意見を募集しています。是非、ご参加下さい。
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この会員は東京弁護士会の川人博弁護士で、詳しくは同年3月31日に日弁連前・現会長、事務総長あてに出された要請書をご覧頂きたいと思いますが、この問題そのものについては、要するに朝鮮学校は「北朝鮮の金独裁体制のイデオロギーを注入する機関」「犯罪行為を担う工作員に教員という社会的地位を与え、かつ、若い青年を新たに工作員に確保する場」「資金面で金独裁体制及び朝鮮総連を支える役割を果たす機関」として位置付けられ、現にそのように機能していた疑いが濃厚である、として、まずは改善が必要である、といった見解がを示されています。
結論から言えば、これに対し、日弁連は同年4月30日に海渡雄一・事務総長名で、川人弁護士に対し、撤回はしないという趣旨の通知をしており、日弁連によれば、今後も撤回はないとのことです。
さて、実は川人弁護士は、この要請書のなかで、前記したような朝鮮学校の無償化の当否とともに、この会長声明の発表過程そのものの不当性を次のように訴えていました。
「前記会長声明は、ほとんどの日弁連会員が議論に参加する機会も与えられず、ごく少数の弁護士の人々により結論が出され、それを会長・事務総長が追認し、社会に明らかにされました。日弁連人権擁護委員会内で議論されたとのことですが、当職を含め同委員会に所属していない圧倒的多数の弁護士にとっては、意見表明の機会さえ与えられなかった極めて非民主主義的な手続であります」
この見解に対して、あるいは日弁連会務をご存知な方の多くは、「日弁連会長声明」というものに対する川人弁護士の「誤解」というとらえ方をするかもしれません。なぜならば、この会長声明というものが、そもそも川人弁護士の言うような「ほとんどの日弁連会員が議論に参加」するものではないことを知っているからです。
日弁連は対外的な意思表明手段として、この会長声明と総会に諮り会員の意思を確認して行うものとは区別しています。情勢に即応して表明するという性格上、そこは意思決定のプロセスと発信の仕方が別であるといってもいいかもしれません。もちろん会長一人が独断や思いつきで発表しているわけでなく、担当委員会、担当副会長、事務総長などが関与する形のようです。
その意味では、「圧倒的多数の弁護士にとっては、意見表明の機会さえ与えられなかった」こと自体は、「そもそもそれが会長声明」として片付けられてもおかしくないのです。
しかし、少し目を離して見ると、この川人弁護士の指摘と同様の「会長声明」への反発や違和感は、それこそ以前から会員間で聞かれ、近年、それは強まっているようにすら思えるのです。
以前にも書きましたが、かつて声明を含めて日弁連・弁護士会の対外的な意見表明に、依頼者から、「左翼的」だとか、「反体制的」だとか、要するにそのスタンスが偏っていることに驚かれた、といった弁護士の話がよく聞かれました。もちろん、こういう弁護士はこうした事態に困惑し、あるいは迷惑というニュアンスで言っていることです(「弁護士の最大公約数」)。
そもそも弁護士の考え方は一枚岩ではなく、いろいろな考え方、思想の人がいます。その意味では、会長声明ひとつにしても、前記したケースや川人弁護士のように、活動の偏向といった問題意識から、日弁連が「出す」ことを批判するものもあれば、逆に人権の立場からも、表現方法も含め、もっと積極的に意見表明すべきとする「出さない」ことの批判もあります。
このテーマでは、考えなければならない二つのポイントがあるように思います。一つは、日弁連という団体が強制加入であるということです。そうした団体での最大公約数的な意見表明の限界をどこまで認めるのか、認められているのか、ということ。もう、一つは日弁連が組織として前記意見表明の形あるいは主体を区別していても、日弁連会長の声明は、すなわち日弁連の意思、あるいは総意のように事実上受けとられることは考慮する必要があるのかないのかということです。
政治的なテーマについての対外的意見表明について、日弁連は、そうした強制加入団体としての性格から慎重な姿勢も取ってきました。一方、弁護士法1条の基本的人権の擁護と社会正義の実現といった使命に基づき、「人権」「法律家」という立脚点で、最大公約数として認められ得るという判断のもとに意見表明の必要性が結論付けられてきたともいえます。ただ、それは死刑存廃、憲法9条などのテーマを考えても、現実問題としては簡単には線引きできない、異論のタネを残すものであったことも事実です。
むしろ、近年の傾向として気になるのは、こうしたテーマごとの会員の異論が日弁連会長声明への信任をぐらつかせていることにとどまらず、むしろ、強制加入の意義そのものへの疑問と相まって、前記したような会員の一定の信任、承認を得て成り立ってきたととれる会長声明の決定プロセス自体への不満ともとれる声が聞かれることです。
自分たちか選んだ会長、あるいは執行部の行動という意識を越える、多くの会員の意思と離反したようにとれる彼らの行動が存在するのだとすれば、それは日弁連という組織にとっては、やはり深刻な事態であるように思います。
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