法科大学院「理念」の犠牲
明治学院大学が、2013年度からの法科大学院の学生募集停止を発表したことが話題になっています。同大学によれば、「開設当初に予想していなかった困難に直面」しているとしています。
司法試験合格者数が当初予定通り、増加していないため、法科大学院入学のリスクが高くなり、その結果、法科大学院受験者数、特に社会人受験者が大きく減少。多様な法曹を送り出すための前提をなす社会人出身学生、法学部以外の学生について確保できなくなり、この現状を解消する有効な方策もない。理論と実務を架橋した教育の要をなす実務教育、臨床教育を有効に遂行するには一定数以上の学生が必要だが、安定的に確保できない可能性がある――。
報道されているところによれば、同大法科大学院は、2004年度に1329人(定員80人)だった入学志願者が2012年度には59人(同40人)に激減。実際の入学者は5人で、2011年度の司法試験合格率は4.5%。この結果が、前記「開設当初に予想していなかった困難」を物語っています。
同大学の募集停止決断につながる認識として、ここで示しているものは、大きく2点です。一つは自らが司法制度改革審議会が掲げた理念の忠実な実践者を目指してやってきたこと。そして、もう一つは、そうした理念の実現を阻む環境を近い将来、抜本的に改善する見通しに立てない、ということ、です。
ここにいわゆる下位校といわれる法科大学院の現実を読み取ることはできます。ただ、それでも、この決断理由は、現実を語っているようで、語っていないような気持ちにさせられるものです。予定通りに合格者が増えない、だから学生を確保できない、だから、忠実な理念の実践者なのに持ちこたえられない、と進める論は、その一つ一つを反省すべき構想の誤算として見ていないからです。
予定通り、合格者が増加していないこと、法科大学院の現実が、多様人材の法曹界へのチャレンジを遠ざけていることの理由は、法科大学院の理念とともに描かれた、それを中核とした新法曹養成、どんなに理念を掲げても、負担に成果が見合わないプロセス強制の構造そのものに原因があります。そこに触れることなく、傷つけることなく、直面する困難を語る同大学院の言い分は、結果として、法科大学院関係者から、とにかく元凶は司法試験が合格させないことにあり、四の五の言わず、まずは合格させろ、弁護士会のいう合格者減など、もってのほかといった論調につながります。矛先は必然的に同じ方向に向けられるのです。
同法科大学院は、学生確保との関係では、適性試験について入学最低基準点を設定するようにという国側の働きかけが強くなってきていることも、批判的に指摘していますが、前記触れられない根本的問題からすると、いかにも枝葉末節の印象を持ってしまいます。
同大学院の言い分に対して、ある弁護士ブログ氏は、こう書いています。
「ただ、私はこの文章を読んで、そんなことはどうでも良くなりました。今さら撤退する底辺ローの捨て台詞など、取り上げても仕方ない。それよりも、明治学院ローの叫びは、我々に『あること』を投げかけているのだと思いました。それは、ロー自身がローの理念に束縛されて、自由な教育ができなかったということ。『大学の自治』も、もはや名ばかりになっているのだということ。そして、そのような現実に、ロー自身が公然と不満を表明しているということ」
「ロー制度は結局、人々の恨みと憎しみしかもたらさなかったのだと思います。受験資格さえも奪われた旧試受験生の恨み。三振によって時間とカネを浪費した学生の恨み。そして、資格を取った後、就職先もなく借金だけが残る新人弁護士の恨み・・・。それだけでなく、大学の教授自身も、自らの研究が満足にできず、ロー制度に不満を持っているかもしれない。ロースクール自身も、自らの存在意義である『ローの理念』に縛られ、不満を隠そうとしない。これらの人々の憎悪を、ロー制度を推進している人たちはどこまで認識して、受け止めているでしょうか」(「Schulze BLOG」)
「改革」路線とともに掲げられ、それに多くの人が縛られることになった法科大学院の「理念」。ついには、この国の司法に決定的な犠牲を出す前に、まず、何を間違い、何に無理があったかを直視しなればなりません。
ただいま、「法曹の養成に関するフォーラム」「検察審の強制起訴制度」についてもご意見募集中!
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司法試験合格者数が当初予定通り、増加していないため、法科大学院入学のリスクが高くなり、その結果、法科大学院受験者数、特に社会人受験者が大きく減少。多様な法曹を送り出すための前提をなす社会人出身学生、法学部以外の学生について確保できなくなり、この現状を解消する有効な方策もない。理論と実務を架橋した教育の要をなす実務教育、臨床教育を有効に遂行するには一定数以上の学生が必要だが、安定的に確保できない可能性がある――。
報道されているところによれば、同大法科大学院は、2004年度に1329人(定員80人)だった入学志願者が2012年度には59人(同40人)に激減。実際の入学者は5人で、2011年度の司法試験合格率は4.5%。この結果が、前記「開設当初に予想していなかった困難」を物語っています。
同大学の募集停止決断につながる認識として、ここで示しているものは、大きく2点です。一つは自らが司法制度改革審議会が掲げた理念の忠実な実践者を目指してやってきたこと。そして、もう一つは、そうした理念の実現を阻む環境を近い将来、抜本的に改善する見通しに立てない、ということ、です。
ここにいわゆる下位校といわれる法科大学院の現実を読み取ることはできます。ただ、それでも、この決断理由は、現実を語っているようで、語っていないような気持ちにさせられるものです。予定通りに合格者が増えない、だから学生を確保できない、だから、忠実な理念の実践者なのに持ちこたえられない、と進める論は、その一つ一つを反省すべき構想の誤算として見ていないからです。
予定通り、合格者が増加していないこと、法科大学院の現実が、多様人材の法曹界へのチャレンジを遠ざけていることの理由は、法科大学院の理念とともに描かれた、それを中核とした新法曹養成、どんなに理念を掲げても、負担に成果が見合わないプロセス強制の構造そのものに原因があります。そこに触れることなく、傷つけることなく、直面する困難を語る同大学院の言い分は、結果として、法科大学院関係者から、とにかく元凶は司法試験が合格させないことにあり、四の五の言わず、まずは合格させろ、弁護士会のいう合格者減など、もってのほかといった論調につながります。矛先は必然的に同じ方向に向けられるのです。
同法科大学院は、学生確保との関係では、適性試験について入学最低基準点を設定するようにという国側の働きかけが強くなってきていることも、批判的に指摘していますが、前記触れられない根本的問題からすると、いかにも枝葉末節の印象を持ってしまいます。
同大学院の言い分に対して、ある弁護士ブログ氏は、こう書いています。
「ただ、私はこの文章を読んで、そんなことはどうでも良くなりました。今さら撤退する底辺ローの捨て台詞など、取り上げても仕方ない。それよりも、明治学院ローの叫びは、我々に『あること』を投げかけているのだと思いました。それは、ロー自身がローの理念に束縛されて、自由な教育ができなかったということ。『大学の自治』も、もはや名ばかりになっているのだということ。そして、そのような現実に、ロー自身が公然と不満を表明しているということ」
「ロー制度は結局、人々の恨みと憎しみしかもたらさなかったのだと思います。受験資格さえも奪われた旧試受験生の恨み。三振によって時間とカネを浪費した学生の恨み。そして、資格を取った後、就職先もなく借金だけが残る新人弁護士の恨み・・・。それだけでなく、大学の教授自身も、自らの研究が満足にできず、ロー制度に不満を持っているかもしれない。ロースクール自身も、自らの存在意義である『ローの理念』に縛られ、不満を隠そうとしない。これらの人々の憎悪を、ロー制度を推進している人たちはどこまで認識して、受け止めているでしょうか」(「Schulze BLOG」)
「改革」路線とともに掲げられ、それに多くの人が縛られることになった法科大学院の「理念」。ついには、この国の司法に決定的な犠牲を出す前に、まず、何を間違い、何に無理があったかを直視しなればなりません。
ただいま、「法曹の養成に関するフォーラム」「検察審の強制起訴制度」についてもご意見募集中!
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