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    「素朴な正義感」の行方

     2004年に名古屋高検検事長を退官し、弁護士となった宗像紀夫氏が、日弁連機関誌「自由と正義」10月号のリレー巻頭エッセイ「ひと筆」に、これまでの検察官人生を振り返られた一文を寄せていらっしゃいます(「『素朴な正義感』が法曹の原点 一人の特捜検事が生きた時代、そして哀歓」)。現場経験の半数を過ごしたという東京地検特捜部でのさまざまな体験を通した思いが赤裸々に語られています。

     冒頭、彼は法曹三者のうち、どの道に進むべきか迷ったときに、それを決定付けたのは、「悪を懲らしめるために検事になりたかった」という父親の遺志と、恩師からの「検事に向いている」という推奨だったことを明かし、弁護士は弱者を助け、人権を守る仕事として魅力を感じたが、検事を務めあげてからでも遅くはない、と考えたとしています。

     これは、かつて検察トップへの取材のなかでも、彼らからほとんど共通して語られた検察志望の動機でした。「悪を懲らしめる」検察の仕事への魅力と、人物的適性です。そして、もう一つ、彼らの発想として、必ずといっていいほど共通して語られることがありました。それも宗像氏が、この一文のタイトルと「結び」のなかで述べている次のようなことでした。

      「検事であれ、弁護士であれ、法曹の原点は『素朴な正義感』であることに変わりはないと考える。すべからく法律家は、何が正しくて、何が間違っているかの判断基準を時、ところ、職業によって変えてはいけないのだ」

     これは法曹三者の共通目的の話です。それは、思えば三者の集まる会合の挨拶のなかでは、必ずといって登場する切り口でありますし、時に、お互いへの信頼の証ような響きをもって、それを確認するかのように語られるのを目や耳にしてきました。とりわけ、彼がいう後段の部分。つまり、三者の立場が変わっても、「素朴な正義感」に支えられている判断基準は変わらない、という発想は、「法曹」とくくられる存在の、基本的な意識構造のなかに組み込まれているもののようにも思えました。つまりは、対立することになる、弱者を助け、人権を守るというアプローチも、彼もいうような「正邪の別を明らかにし、悪人を成敗する」というアプローチも、「素朴な正義感」の実現に向かっているのだ、と。

     しかし、目線を少し移すと、この話が果たして国民に伝わりやすいことなのか、あるいは伝わる方向に進んでいるのか、ということに、やはり相当な不安を感じます。つまりは、基本的な意識構造を国民は、それこそ法曹への信頼として持ち得ているのか、という問いかけになります。

     そもそもこの「正義感」とは、一体、どこで培われるのでしょうか。法科大学院のホームページでは、理念や目的を語る挨拶文のなかでは、必ずといっていいほど、この「正義感」という文字が出てます。

     本法科科大学院は、その法曹養成の目標として、正義を強く掲げている。法曹三者によって、その正義の形や方向は全く同一のものではないが、そこに共通する正義感は法曹になろうとする者には欠かせない資質であり、それを磨き上げてほしい――と。

     ただ、このプロセスのなかで、「正義感」がどのように磨かれ、あるいは磨かれるように想定されているのかは分かりませんし、「正義感」などというものは、そもそもそんなプロセスのなかで培われるものではない、といった、当然といえば当然の意見もあります。

     むしろ、それはそもそもの志望者の意識であるという括り方ができなくありません。ただ、そうだとすれば、より大事なことは、その志望者たちの前に、広がる現実ではないかとも思えます。その現実によって、それに相応する意識の持ち主もまた、この世界に集まってくるという見方ができてしまうからです。

     ネット上で、こんな指摘がなされているのを目にしました。

      「われわれ一般庶民は、漠然と弁護士さん、検察、裁判官という、いわゆる法曹三者は、純粋な正義感でそれぞれの職能を遂行していると思いがちである。 しかしながら、アメリカが強制的に日本に導入した新自由主義は、法曹の性格を、法の公正性よりも、原理主義的な資本主義、つまりお金によって動く範囲でしか機能しないような方向にシフトしているのではないだろうか」(「神州の泉」)

     このブログ氏の認識は次のようなものです。

     混合型資本主義から新自由主義に転換した日本社会のシステムは、公平配分から傾斜配分に変わり、不均衡・格差社会と、弾力・許容力のない社会をもたらし、落伍者の立ち直りや失業者などを吸収するエリアが消したと同時に、それまで手弁当で奉仕活動をしていた良心的な弁護士の活動の場さえも奪ってしまったのではないか。社会の許容力・吸収力がほとんどゼロに近づいた余裕が全くない社会。そのなかで、正義、遵法などよりも、金の多寡で、金を出してくれる存在の利益だけのために働くという、法の精神を捨象した純粋なキャピタリズムしか機能できない性格に、法曹が変わっているのではないだろうか。検察も裁判官も弁護士も、法の精神よりもお金を優先せざるを得ない仕組みに組み込まれてしまったのではないだろうか。これは別の言い方をすれば、国家秩序の崩壊である――。

     宗像氏が言い、多くの法曹関係者が口にしてきた、法曹人共通の意識としての「素朴な正義感」の実現が、まさしく「素朴に」に見えてしまうような現実が、既に志望者の眼前には、広がっているようにも思えるのです。


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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


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