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    弁護士意識変化の向こう

     弁護士が本質的に「何をする職業なのか」について、弁護士間の意識に大きな隔たりがあることを、「法務サービス業説」と「人権活動家説」に分類して、弁護士ブログ「黒猫のつぶやき」氏が論述しています。非常に分かりやすく、このように理解している弁護士も少なくないと思います。この立場の違いによって、「改革」や現在の弁護士会をめぐる問題についての理解が異なっているというのも、その通りだと思います。

     しかし、ここで注目したいのは、ブログ氏も指摘するように、それが弁護士間の世代的な変化、あるいは対立として生まれていることです。つまり、「改革」路線に対して意見が違っても、ベテラン層ほど「人権活動家説」が存在しているということです。

     もともと弁護士会の活動からも距離を置き、「法務サービス業」との自覚のもとに仕事をしてきた弁護士もいたと思いますが、ただ、かつての弁護士の発想からすれば、前記ブログのコメントにもありましたが、ここに明確な区分を設けていない、つまり、法務サービスも人権擁護の一環という発想が、多くの弁護士の理解としてあったように思うのです。

      「人権」を旗印とする弁護士会のなかで、かつて「肩身が狭かった」企業法務系の法律事務所の弁護士たちが、「われわれのやっていることも人権擁護だ」と強弁するのを度々耳にしました。これを当時のムードのなかでいわれた、方便として受けとめる向きもありましたが、そうした区分のない受けとめ方があったのも、また事実です。

     中坊公平氏が提唱した弁護士自身の「改革」は、弁護士会活動に積極的な、典型的な「人権活動家説」の弁護士だけでない、「法務サービス業説」に軸足を置いた弁護士を、その期待感を反映する形で取り込むものであったと同時に、弁護士会内の彼らの発言力を増すものにもなりました。ただ、それでも「改革」路線が、明確に、弁護士よ、人権活動家から法務サービス業になれ、と唱導したとはいい切れません。むしろ、区分しない立場、そこを一体と見る立場が基本にあったと思います。逆に、そうでないと、弁護士会をまとめきれない、とみた結果だったということもできます。

     それが、なぜ、世代的な変化・対立ととれるような、区分する見方、あるいは、より「法務サービス業」という理解をする弁護士をベテラン以下の層につくることになっているかといえば、「改革」路線を前記したような日弁連・弁護士会執行部派の、区分しない立場に反して、より「法務サービス業」への自覚を促す「改革」として受けとめた弁護士がいたことと、この「改革」の激増政策が生み出した現実が、いわば彼ら執行部派の予想以上に、そうした自覚を目覚めさせた、目覚めざるを得なくさせた、ということのようにとれます。

     この「サービス業」化を、「改革」の成果という人もいると思いますし、そうであれば、話しはここで終わってしまうかもしれません、ただ、問題は、「人権」か「サービス」かではなく、ここをあくまで(建て前としても)一体とする立場に立つのか、それともこれを区分し、さらに「サービス業」化に突き進むのか、果たして、そのどちらが社会・市民にとっていいことなのかという点にあります。それは、ある意味、ここで一体化するなかで、まさに「人権」や「公益」的な意識が、孫悟空の頭の「緊箍児(きんこじ)」のごとく、経済的利益優先に走ろうとする弁護士のカセとして、存在していたようにみえるからです。

     こう書けば、いや既にカセとしての意味をなしていない弁護士は沢山いた、あるいはこうした現状のような経済的な状況を押し付けておいて、カセをつけることは不当だ、さらにはサービス業としての実態がある以上、経済的利益優先に走るのは当たり前のこと、という反論が返ってくると思いますし、それもある意味、当然だとは思います。

     ただ、それでも、そう言い切ってしまうことが、この社会にとって、あるいは市民にとって、本当に、究極的にいいことなのかどうか――。

      「弁護士は、国民の立場に立って、その諸権利を守り、民主主義にのっとった正義を社会に実現していくことを使命としている。この使命は、一つの職業にすぎない弁護士にとって、かなり重いものというべきである。国民のなかにあって、国民からの依頼を受けて弁護や代理をしてその要求を実現していく弁護士には、なんらその要求実現についての権力、強制力をもっていないからである。警察、検察、裁判、あるいは国税局その他の行政庁に対して、もっぱら憲法と法律にもとづいて、道理を説くことによって、依頼者の要求を実現し、権利を守り、もって正義を実現していくしかないのである」
      「したがって、道理の通らない国家、社会において弁護士業は成立しない。よって、弁護士は、その職業成立の前提として民主的な国家、社会の維持に尽力しなければならないのである」(松井康浩「司法政策の基本問題」)

     弁護士という仕事が避けて通れない、あるいは弁護士会が根本的に担ってきた「公益」的な宿命が、分かりやすく書かれているように思います。これは、もはや捨ててしまってよい古い発想なのでしょうか。弁護士の意識が変化しても、社会のなかでの、この弁護士の位置取り自体が変わったといえるのでしょうか。さらに、市民の目からすれば、ここで羅列されている「道理を説く」相手側に、「弁護士」という存在も加わるかもしれません。道理の通らない主張を掲げる依頼者の側に立つ、「道理の通らない」弁護士が、より生まれてくる危険が、「緊箍児」を外すのが当たり前となる流れのなかで生まれないのか、その時、一体、何が切り捨てられてしまうのか――。

     このままでいけば、あるいは国民が求めた、あるいは容認した「改革」の結果、つまりはサービス化を求め、認めたのは、あなた方ではないか、と「緊箍児」なき弁護士が開き直る未来がくるかもしれません。弁護士という仕事の特殊性、特別な扱いがむしろ社会にとって望ましいかもしれないその性格と、前記した「改革」の先の本当の不安に、まだ、多くの市民は気付いていないというべきです。


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    テーマ : 弁護士の仕事
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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


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