「自由業」弁護士の終焉
弁護士という仕事の魅力とは何かという問いかけに、「自由業」であるということを挙げるのは、およそ一般的なものといえました。もちろん、志した側の動機は、人によってさまざまですし、このこと以外に魅力を語る人もいますが、雇用関係に縛られず、自らの専門的な能力によって自立する仕事の魅力的なイメージが、確かに弁護士という仕事とともに存在してきたことは、誰も否定しないと思います。一般的な認識としても、それこそ「自由業」の例示として必ず挙げられるといっていい、この仕事は、その典型的なモデルであると同時、経済的な安定性からも、最も優位な「自由業」と位置づけられてきたといっていいはずです。
「もはや弁護士は自由業ではなくなりつつある」。こういう趣旨の発言が最近、業界の中から聞こえてきます。最近の弁護士ブログでも、まさにそのことを取り上げたものがありました(「弁護士湯原伸一〈大阪弁護士会〉の右往左往日記」)。まるでこの社会の隅々にまで弁護士の有償ニーズが存在しているかのような前提に立った激増政策の結果、いまやその期待の受け皿としては、自治体や企業で働くインハウスばかりが強調されています。「法曹有資格者」という、主体のすげ替えのなかにも、もはやかつてのような「自由業」的魅力を読みとることはできません。
さらには、前記ブログ氏が言及しているように、「法テラス=官僚」「損害保険会社=巨大民間会社」に牛耳られる未来までが、この仕事の前に広がっている観があります。業界から聞こえる「自由業」終焉の予感は、それが当然、処遇において従属することになるという未来として、彼らがこの「改革」の結果を感じ出していることを示しているようにとれます。
訴訟偏重といった業態批判とともに、多くの弁護士の価値観を「古い」という「改革」推進論者の言は、あたかもこの「改革」の先に、そうした弁護士の「古い」魅力にとらわれない、別の価値観の志望者たちが来ればいい、といって言っているようにも聞こえます。しかし、その見方は、いかにもこの増員政策の失敗の先に現れた後付けの未来像(「改革」当初にインハウスがこの国の弁護士の未来と提示されたうえでの増員政策推進だったのかという意味でも)であり、彼らにとって非常に都合がいいものにとれます。
現在、進んでいる志望者の法曹界離れは、弁護士の経済的変化や法科大学院の経済的負担を勘案した、非常に現実的な「費用対効果」に対する反応とみることができます。ここに弁護士の「自由業」的魅力の終焉が、どれだけ影響しているのかは分かりませんが、いくら司法試験をいじっても、弁護士という仕事の魅力、妙味が復活しない以上、志望者が返って来る根本的な対策にならないことを、実はこの世界の多くの人が知っています。いつの日かこの仕事の「新しい」魅力に、志望者たちが眼覚めたとき、彼らは再びこの世界を目指す。そして、その時、増員政策の正しさは実証される――果たして、こういうことになるのでしょうか。
今年2月に日本組織内弁護士協会が行った企業内弁護士アンケートで、勤務先を選んだ理由として回答が最も多く、半数以上が選んだのはワークライフバランスの確保であり、その比率が年々増えているという現実が話題になりました(「法科大学院『志望』をめぐる認識のズレ」)。この事実だけとれば、今の志望者の価値観が、独立した弁護士の「自由業」的な魅力から離れて、むしろ雇用関係の中で得られる安定に目を向け出しているという括り方はできてしまうかもしれません。ただ、それが本当に処遇面の妙味として、「自由業」の魅力にとって代わるものなのか、それとも「改革」がもたらしたこの資格の将来を見切った必然的な流れというべきものなのか、は一口には言い切れません。
弁護士が魅力的な「自由業」であり続けること自体は、社会とってどちらでもいいという意見も聞こえてきそうです。ただ、「改革」は、弁護士の「自由業」的魅力を奪うのと引き換えに、社会に何をもたらそうとしているのでしょうか。独立の「自由」よりも、より雇用関係のなか安定を選ぶ。あるいはそちらの方が、まだ「自由」を得られるかもしれない――。そういう発想に志望者が傾斜しているのだとすれば、それが私たちにとって歓迎すべき別の価値観の弁護士の登場を意味するのか、独立した弁護士そのものの終焉という有り難くない未来を意味するのか。そのことは、私たちにとってもこだわりどころであるように思えます。
弁護士、司法書士からみた、法テラスの現状の問題点について、ご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/6046
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さらには、前記ブログ氏が言及しているように、「法テラス=官僚」「損害保険会社=巨大民間会社」に牛耳られる未来までが、この仕事の前に広がっている観があります。業界から聞こえる「自由業」終焉の予感は、それが当然、処遇において従属することになるという未来として、彼らがこの「改革」の結果を感じ出していることを示しているようにとれます。
訴訟偏重といった業態批判とともに、多くの弁護士の価値観を「古い」という「改革」推進論者の言は、あたかもこの「改革」の先に、そうした弁護士の「古い」魅力にとらわれない、別の価値観の志望者たちが来ればいい、といって言っているようにも聞こえます。しかし、その見方は、いかにもこの増員政策の失敗の先に現れた後付けの未来像(「改革」当初にインハウスがこの国の弁護士の未来と提示されたうえでの増員政策推進だったのかという意味でも)であり、彼らにとって非常に都合がいいものにとれます。
現在、進んでいる志望者の法曹界離れは、弁護士の経済的変化や法科大学院の経済的負担を勘案した、非常に現実的な「費用対効果」に対する反応とみることができます。ここに弁護士の「自由業」的魅力の終焉が、どれだけ影響しているのかは分かりませんが、いくら司法試験をいじっても、弁護士という仕事の魅力、妙味が復活しない以上、志望者が返って来る根本的な対策にならないことを、実はこの世界の多くの人が知っています。いつの日かこの仕事の「新しい」魅力に、志望者たちが眼覚めたとき、彼らは再びこの世界を目指す。そして、その時、増員政策の正しさは実証される――果たして、こういうことになるのでしょうか。
今年2月に日本組織内弁護士協会が行った企業内弁護士アンケートで、勤務先を選んだ理由として回答が最も多く、半数以上が選んだのはワークライフバランスの確保であり、その比率が年々増えているという現実が話題になりました(「法科大学院『志望』をめぐる認識のズレ」)。この事実だけとれば、今の志望者の価値観が、独立した弁護士の「自由業」的な魅力から離れて、むしろ雇用関係の中で得られる安定に目を向け出しているという括り方はできてしまうかもしれません。ただ、それが本当に処遇面の妙味として、「自由業」の魅力にとって代わるものなのか、それとも「改革」がもたらしたこの資格の将来を見切った必然的な流れというべきものなのか、は一口には言い切れません。
弁護士が魅力的な「自由業」であり続けること自体は、社会とってどちらでもいいという意見も聞こえてきそうです。ただ、「改革」は、弁護士の「自由業」的魅力を奪うのと引き換えに、社会に何をもたらそうとしているのでしょうか。独立の「自由」よりも、より雇用関係のなか安定を選ぶ。あるいはそちらの方が、まだ「自由」を得られるかもしれない――。そういう発想に志望者が傾斜しているのだとすれば、それが私たちにとって歓迎すべき別の価値観の弁護士の登場を意味するのか、独立した弁護士そのものの終焉という有り難くない未来を意味するのか。そのことは、私たちにとってもこだわりどころであるように思えます。
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