会員にとっての弁護士会のメリットと阻外感
弁護士にとっての弁護士会登録のメリットは何だと思うか、という問いに対して、時々、「『自由と正義』(機関誌)が無料で送られてくること」という答えを真っ先に返してくる弁護士がいます。これは多くの場合、皮肉と読むとるべきことは明らかです。その機関誌の内容についても、実はさまざまな意見は聞こえてきますが(「田舎弁護士の訟廷日誌(四国・愛媛)」)、もちろん毎号楽しみにしている会員がいないとはいえません。そうではなく、ここで皮肉というのは、それくらいしかメリットを感じられないという彼らの実感がそこに込められているととれることです。
もちろん、弁護士登録のメリットといえば、弁護士として活動できることが真っ先に挙げられていい、という人もいると思います。ただ、それは強制加入を当然のものとする前提であり、前記質問の趣旨が制度的メリットを尋ねたものととるか、それとも実感できるメリットを問われたとみるかの違いといえます。強制加入の必要性という前提がぐらつけば、およそ登録によって弁護士業務ができること自体はメリットではなく、逆に高額会費の徴収が伴う、規制による負担の方が、多くの会員には大きな意味を持つのが現実なのです。
そのほか弁護士会の研修、人的なつながり、会務そのものに、意義や存在価値を見出す意見もあるでしょうが、残念ながら前記負担というテーマに会員全体の意識が傾き出したととれる、今の弁護士会にあっては、それらを共通のメリットにはできません。むしろ、前記機関誌にしても、この送付を希望者制にして、その分年間1万数千円を日弁連会費から減額できるとすれば、おそらくそれの方が、多くの会員に共通のメリットを実感させることになるように思います。
弁護士会からの会員意識の離反の背景には、弁護士会主導層との距離感、あるいは阻外感があるようにもとれます。端的に言えば、会員の負担感を含めた実感を弁護士会主導層は、わがこととしてはとらえず、まるで気付いていないかのように、旧来からの弁護士会のスタイルを未来永劫通用するものとして繰り出しているようにとれることに対する感覚です。
しかも、この実感に直接導いたのは、彼らが旗を振り、いまだに失敗を正面から認めたわけではない「改革」です。まるでやれている人間もいる、といわんばかりに、この点で会員の実感に向き合おうとしない彼らの姿勢に、会員がよそよそしいものを感じるのは当然であり、「改革」路線が会員の犠牲を今現在にいたるまでどのようにとらえているか疑い出すのもまた、当然です。弁護士会が行う「公益」活動の本来的な意義以前に、「それは余裕のある方がどうぞおやりください」とか、「一部ご執心の方々だけが取り組んでいる活動」といった冷めた声が最近多く聞かれるのも、メリットを感じられない自分たちをそっちのけで、延々と事が進められているというような阻外感があるように思えます(「弁護士の『公益性』をめぐる評価とスタンス」)。
さらに、日弁連会長選の投票率の低下にも、こうした会員の意識傾向は反映しているととれます(「日弁連会長選挙結果から見える現実」)。
6月30日付け朝日新聞朝刊オピニオン面「論壇時評」で、歴史社会学者の小熊英二氏が、20世紀の政治的枠組みの、21世紀の社会への不適合に関して、次のように指摘しています。
「20世紀の政党や組織は、グローバル化や格差の拡大で、どこでも力を失っている。だか、政治の制度は20世紀のままだ。結果として、20世紀型の政党や組織が実力以上に有利となり、疎外された人々は無力感と無関心に陥る。そうして投票率が下がると、政治は一部の層に独占され、さらなる無力感と無関心、そして疎外された不満の爆発を生む。いま世界中で、この悪循環が起きている」
この指摘は、どこか今、弁護士会のなかで起こっていることを連想させます。21世紀の司法の在り方や「市民のため」が強調された弁護士会の「改革」路線のはずが、実は肝心の弁護士会主導層そのものが旧態依然のスタイルのまま、反省することなく、その路線の旗を振り続け、そして、内部に独占と、会員の格差、会そのものへの無力感・無関心を生み出しているような。
通用しないのであれば、「改革」路線にしても、弁護士会の姿勢にしても過去に縛られず通用する方向に舵を切る――。個々の会員に広がる阻外感に向き合うには、そういう仕切り直しを、弁護士会はどこかで選択しなければならないはずです。
成立した取り調べの録音・録画を一部義務付ける刑事司法改革関連法についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/7138
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そのほか弁護士会の研修、人的なつながり、会務そのものに、意義や存在価値を見出す意見もあるでしょうが、残念ながら前記負担というテーマに会員全体の意識が傾き出したととれる、今の弁護士会にあっては、それらを共通のメリットにはできません。むしろ、前記機関誌にしても、この送付を希望者制にして、その分年間1万数千円を日弁連会費から減額できるとすれば、おそらくそれの方が、多くの会員に共通のメリットを実感させることになるように思います。
弁護士会からの会員意識の離反の背景には、弁護士会主導層との距離感、あるいは阻外感があるようにもとれます。端的に言えば、会員の負担感を含めた実感を弁護士会主導層は、わがこととしてはとらえず、まるで気付いていないかのように、旧来からの弁護士会のスタイルを未来永劫通用するものとして繰り出しているようにとれることに対する感覚です。
しかも、この実感に直接導いたのは、彼らが旗を振り、いまだに失敗を正面から認めたわけではない「改革」です。まるでやれている人間もいる、といわんばかりに、この点で会員の実感に向き合おうとしない彼らの姿勢に、会員がよそよそしいものを感じるのは当然であり、「改革」路線が会員の犠牲を今現在にいたるまでどのようにとらえているか疑い出すのもまた、当然です。弁護士会が行う「公益」活動の本来的な意義以前に、「それは余裕のある方がどうぞおやりください」とか、「一部ご執心の方々だけが取り組んでいる活動」といった冷めた声が最近多く聞かれるのも、メリットを感じられない自分たちをそっちのけで、延々と事が進められているというような阻外感があるように思えます(「弁護士の『公益性』をめぐる評価とスタンス」)。
さらに、日弁連会長選の投票率の低下にも、こうした会員の意識傾向は反映しているととれます(「日弁連会長選挙結果から見える現実」)。
6月30日付け朝日新聞朝刊オピニオン面「論壇時評」で、歴史社会学者の小熊英二氏が、20世紀の政治的枠組みの、21世紀の社会への不適合に関して、次のように指摘しています。
「20世紀の政党や組織は、グローバル化や格差の拡大で、どこでも力を失っている。だか、政治の制度は20世紀のままだ。結果として、20世紀型の政党や組織が実力以上に有利となり、疎外された人々は無力感と無関心に陥る。そうして投票率が下がると、政治は一部の層に独占され、さらなる無力感と無関心、そして疎外された不満の爆発を生む。いま世界中で、この悪循環が起きている」
この指摘は、どこか今、弁護士会のなかで起こっていることを連想させます。21世紀の司法の在り方や「市民のため」が強調された弁護士会の「改革」路線のはずが、実は肝心の弁護士会主導層そのものが旧態依然のスタイルのまま、反省することなく、その路線の旗を振り続け、そして、内部に独占と、会員の格差、会そのものへの無力感・無関心を生み出しているような。
通用しないのであれば、「改革」路線にしても、弁護士会の姿勢にしても過去に縛られず通用する方向に舵を切る――。個々の会員に広がる阻外感に向き合うには、そういう仕切り直しを、弁護士会はどこかで選択しなければならないはずです。
成立した取り調べの録音・録画を一部義務付ける刑事司法改革関連法についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/7138
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