志望者裁定に揺らいだ「改革」路線
自分の力を生かし、これから社会人として仕事に就こうとする人間が、仮に自分に与えられた選択肢のなかで、より恵まれた環境を選ぼうとしたとても、それを責める人はいないと思います。また、たとえこれまで費やしてきた努力や自分の将来的な期待によりこたえてくれそうな、より優遇される道に進もうとするのだって当然のことです。
給費制存廃にしても、弁護士の経済状況にしても、法科大学院制度の負担にしても、「やれるか」「やれないか」ばかりに目を奪われてきたようにみえる「改革」推進のための論議は、ある意味、こんな当たり前のことを踏まえてこなかったのではないか、と思います。
「優遇されている」ということは、この「改革」論議では、改善すべき不平等で不当なこととして取り上げられてきました。それがあたかも万民が必ずや納得しないであろう「通用しない」こととする忖度も、しばしばなされました(「『給費制』復活と『通用しない』論」)。しかし、前記したように、当然「優遇されている」ことに価値を見出す人たちはいます。
その人たちとって、例えば「やってやれないことはない」とか、「ほかよりはまだ恵まれている」といった括りが、ほとんど意味を持たないことだって容易に想像できます。「まし」ではなく、積極的なメリットが与えられること、優遇されることこそ、自らが選択するにふさわしい場所なのですから。問題は経済的に「できるか」「できないか」ではなく、より優秀な人間が優遇されていないところを選択肢しないことにあったというべきなのです。
今年を振り返れば、法曹志望者減という現実を、「改革」路線がいよいよ深刻に受けとめた年と括ることができるように思います。そして、やはりその結果として、給費制の事実上の復活が実現することになった。
この現実に今、二つのことを感じます。一つは「改革」路線は、追い詰められているということ。志望者減という現象が、実は最も推進派に打撃を与え、現実を直視して舵を切らざるを得なくなる、という見方が弁護士の中にありましたが、まさにその通りになっている。それと同時に、おそらくこれだけでは志望者減の完全な歯止めにはならない給費制の復活に踏み切らざるを得なかったところに、とにかく本丸に手をつけさせまいとする「改革」路線の手詰まり感を見てとることもできます。
そして、もう一つは、志望者不在だった「改革」路線と推進派の傲慢さといえるものです。優遇しなくてもいい、それでも来る人間は来るという、ある意味、法曹人気幻想に支えられていた、上から目線のような思い込みに対して、むしろ逆に志望者こそがシビアな裁定を下した結果ではないでしょうか。
ただ、もちろん推進派がこれに気付いたとしても、それをこれからあっさり認めるとは限りません。給費制復活の是非を取り上げた12月23日付け読売新聞朝刊、解説欄「論点スペシャル」でも、福井秀夫・政策研究大学院大教授は「給費制の復活は、司法制度改革の理念に完全に逆行し、国民の利益に反する」「貸与制の枠組みの中でもバックアップは可能」「修習生だけを特別扱いする根拠はない」「給費制復活は競争制限による甘えを再び生じさせ、弁護士全体のレベルを低下させかねない」など、相変わらずの「改革」論調を振りかざしています。
大マスコミと一体となった、こうした「改革」論調そのものが、結局、冒頭の志望者の発想や給費制の本来的な意義や含め、この「改革」の是非に対する社会の正しい判断を阻害してきたようにもみえます。そのこともまた、訴え続けていく必要があります。
今年も「弁護士観察日記」をお読み頂きありがとうございました。いつもながら皆様から頂戴した貴重なコメントは、大変参考になり、刺激になり、そして助けられました。この場を借りて心から御礼申し上げます。来年も引き続き、よろしくお願い致します。
皆様、よいお年をお迎え下さい。
今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806
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給費制存廃にしても、弁護士の経済状況にしても、法科大学院制度の負担にしても、「やれるか」「やれないか」ばかりに目を奪われてきたようにみえる「改革」推進のための論議は、ある意味、こんな当たり前のことを踏まえてこなかったのではないか、と思います。
「優遇されている」ということは、この「改革」論議では、改善すべき不平等で不当なこととして取り上げられてきました。それがあたかも万民が必ずや納得しないであろう「通用しない」こととする忖度も、しばしばなされました(「『給費制』復活と『通用しない』論」)。しかし、前記したように、当然「優遇されている」ことに価値を見出す人たちはいます。
その人たちとって、例えば「やってやれないことはない」とか、「ほかよりはまだ恵まれている」といった括りが、ほとんど意味を持たないことだって容易に想像できます。「まし」ではなく、積極的なメリットが与えられること、優遇されることこそ、自らが選択するにふさわしい場所なのですから。問題は経済的に「できるか」「できないか」ではなく、より優秀な人間が優遇されていないところを選択肢しないことにあったというべきなのです。
今年を振り返れば、法曹志望者減という現実を、「改革」路線がいよいよ深刻に受けとめた年と括ることができるように思います。そして、やはりその結果として、給費制の事実上の復活が実現することになった。
この現実に今、二つのことを感じます。一つは「改革」路線は、追い詰められているということ。志望者減という現象が、実は最も推進派に打撃を与え、現実を直視して舵を切らざるを得なくなる、という見方が弁護士の中にありましたが、まさにその通りになっている。それと同時に、おそらくこれだけでは志望者減の完全な歯止めにはならない給費制の復活に踏み切らざるを得なかったところに、とにかく本丸に手をつけさせまいとする「改革」路線の手詰まり感を見てとることもできます。
そして、もう一つは、志望者不在だった「改革」路線と推進派の傲慢さといえるものです。優遇しなくてもいい、それでも来る人間は来るという、ある意味、法曹人気幻想に支えられていた、上から目線のような思い込みに対して、むしろ逆に志望者こそがシビアな裁定を下した結果ではないでしょうか。
ただ、もちろん推進派がこれに気付いたとしても、それをこれからあっさり認めるとは限りません。給費制復活の是非を取り上げた12月23日付け読売新聞朝刊、解説欄「論点スペシャル」でも、福井秀夫・政策研究大学院大教授は「給費制の復活は、司法制度改革の理念に完全に逆行し、国民の利益に反する」「貸与制の枠組みの中でもバックアップは可能」「修習生だけを特別扱いする根拠はない」「給費制復活は競争制限による甘えを再び生じさせ、弁護士全体のレベルを低下させかねない」など、相変わらずの「改革」論調を振りかざしています。
大マスコミと一体となった、こうした「改革」論調そのものが、結局、冒頭の志望者の発想や給費制の本来的な意義や含め、この「改革」の是非に対する社会の正しい判断を阻害してきたようにもみえます。そのこともまた、訴え続けていく必要があります。
今年も「弁護士観察日記」をお読み頂きありがとうございました。いつもながら皆様から頂戴した貴重なコメントは、大変参考になり、刺激になり、そして助けられました。この場を借りて心から御礼申し上げます。来年も引き続き、よろしくお願い致します。
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