弁護士ポータルをめぐる認識とリスク
ネット上で見る、弁護士のいわゆるポータルサイトについて、坂野真一弁護士が最近、自身のブログで、注意を促しています。
「例えば、あるポータルサイトが○○に強い弁護士を掲載していますとか、○○に強い弁護士を厳選しましたと記載していたとしても、それはまず、正確な表示ではない」
「サイト運営者が、弁護士に離婚に関する解決事案を提出させて審査するわけでもないし、そもそも弁護士の真の実力は実際に戦ってみないとなかなか分からないからだ。つまり、現実問題として、○○に強い弁護士かどうかは、サイト運営者には判断できないわけで、○○に強い弁護士かどうかは、実際に依頼してみないと分からないのだ」
「だから、(有料掲載の)ポータルサイトにおける、『○○に強い弁護士』との表記は、正確には『○○に強い弁護士を掲載するサイトにお金を払って、情報を掲載している弁護士』ということであり、いわば、『自称○○に強い弁護士』というに過ぎない」
弁護士業界の関係者であれば、いうまでもないことかもしれませんが、現実問題として、利用者にはこれまでもいろいろな機会に、まさにこの点で忠告しなければならないときがありました。なぜならば、弁護士を探している市民は、弁護士自身が考えている以上に、あくまでこの「自己申告情報」を鵜呑みにしたり、期待したり、あるいは過度に弁護士選びの参考にしたりする傾向があったからです。
ただ、それ以上に危いと感じたのは、実はこのサイトを運営する側の、弁護士という仕事に対する理解度、さらにいえば、そうした業者の発想に対する弁護士側の姿勢の問題でした。
弁護士ポータルサイトの構築をめぐっては、これまでもしばしば、そうした業界関係者から、企画について意見や協力を求められてきましたが、常に感じてきたことは弁護士という仕事の性格に対する理解度の低さ。もっといってしまえば、あくまで弁護士の仕事の特殊性を考慮しない、あるいはできない彼らの基本的な発想でした。そこにこそ、ポータルサイトという手段がつなぐ関係の危さがあるととれました。
例えば、弁護士利用者は、確かに「○○に強い弁護士」を求めている、として、それを彼らは「ニーズ」と設定し、とにかくそれを情報として掲載することを着地点として、企画を進めます。坂野弁護士も指摘していますが、「強い」ということは、事前に客観的に示すデータがないのはもちろん、得られてもその情報のほとんどは、単に自己申告情報でしかありませんし、口コミも少なくとも個別案件に対応できる情報にはなりにくい。しかし、そこを仮にあいまいのまま伝えることになっても、こうした切り口の情報に人が集まることを彼らは重視します。彼らはそこに何の問題性を感じていないことに気付かされます。広告として許されるのだ、他では当たり前にやっていることだ、と。
彼らが悪いというよりも、むしろそれが当たり前の世界であることの方に、こだわるべきなのかもしれません。あくまで責任があるとすれば、それはその情報を判断して、最終的に選択する利用者側にあるのだから、という発想なのです。しかし結局、理解度の問題は、ここにあると思います。弁護士という仕事について、他の物品やサービスのように、一定の情報から利用者が的確に選択できるということを安易に見積もり、かつ、それが失敗した場合のリスクが他の対象に比べて大きいという事実を、特別に踏まえない。他の物品やサービスと並べ、同様に通用するという大前提が、この利用者にとって、危い企画を成り立たせている現実です。
一方で、弁護士自身がそうした彼らの「当たり前の世界」について、どこまで理解しているのかと思う場面もあります。坂野弁護士は、前記ブログで弁護士ポータルサイトが花盛りであるのは、弁護士がサイト運営会社のターゲットとして美味しい鴨にされているから、としています。事件の激減と弁護士激増で、一部の弁護士を除きも、弁護士が仕事を探すのに苦労するという時代が到来。そこに弁護士情報を掲載して、仕事につなげる可能性を高める見返りに、弁護士から掲載料を取るというビジネスか成り立つ。サイト運営者の決めた金額を払うという「基準」を満たせば、「強い弁護士」としてネットに登場できる、という関係――。
もはや弁護士の仕事が彼らに理解されていないというよりも、彼らの理解や常識のうえで、むしろ積極的にかかわる弁護士が登場する時代になりつつあるようにもみえます(「『改革』の先に登場した『アディーレ』」)。それは広告の実害が生じたとしても、業者と弁護士が口を揃えて弁明する時代といえるかもしれません。
薬の広告でも、その表現として「絶対に治る」はだめでも、「よく効く」は許される、という線引きがあり、それを私たちは知っています。自己申告の情報であるということを断わっていれば、一般の広告同様、社会がその「価値」を当たり前のように差し引くようになり、「強い弁護士」という表現でのポータルサイトにしても、いわば見る側のリテラシーによって実害は排除されていく、ということもまた、やはりいわれるかもしれません。
しかし、弁護士の競争・淘汰が「健全に」成り立つという見方が、それを支える選択する側の困難さについて、弁護士業の現実を度外視し、安易に見積もりがちであるのと同様、こうした広告がある程度「健全に」成り立つという前提も軽く見積もられていないのか――。もはや業者のみならず、広告に当たり前に依存し始めた弁護士たち自身にも、そう投げかける必要がある時代が到来しているように思えます。
今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806
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「例えば、あるポータルサイトが○○に強い弁護士を掲載していますとか、○○に強い弁護士を厳選しましたと記載していたとしても、それはまず、正確な表示ではない」
「サイト運営者が、弁護士に離婚に関する解決事案を提出させて審査するわけでもないし、そもそも弁護士の真の実力は実際に戦ってみないとなかなか分からないからだ。つまり、現実問題として、○○に強い弁護士かどうかは、サイト運営者には判断できないわけで、○○に強い弁護士かどうかは、実際に依頼してみないと分からないのだ」
「だから、(有料掲載の)ポータルサイトにおける、『○○に強い弁護士』との表記は、正確には『○○に強い弁護士を掲載するサイトにお金を払って、情報を掲載している弁護士』ということであり、いわば、『自称○○に強い弁護士』というに過ぎない」
弁護士業界の関係者であれば、いうまでもないことかもしれませんが、現実問題として、利用者にはこれまでもいろいろな機会に、まさにこの点で忠告しなければならないときがありました。なぜならば、弁護士を探している市民は、弁護士自身が考えている以上に、あくまでこの「自己申告情報」を鵜呑みにしたり、期待したり、あるいは過度に弁護士選びの参考にしたりする傾向があったからです。
ただ、それ以上に危いと感じたのは、実はこのサイトを運営する側の、弁護士という仕事に対する理解度、さらにいえば、そうした業者の発想に対する弁護士側の姿勢の問題でした。
弁護士ポータルサイトの構築をめぐっては、これまでもしばしば、そうした業界関係者から、企画について意見や協力を求められてきましたが、常に感じてきたことは弁護士という仕事の性格に対する理解度の低さ。もっといってしまえば、あくまで弁護士の仕事の特殊性を考慮しない、あるいはできない彼らの基本的な発想でした。そこにこそ、ポータルサイトという手段がつなぐ関係の危さがあるととれました。
例えば、弁護士利用者は、確かに「○○に強い弁護士」を求めている、として、それを彼らは「ニーズ」と設定し、とにかくそれを情報として掲載することを着地点として、企画を進めます。坂野弁護士も指摘していますが、「強い」ということは、事前に客観的に示すデータがないのはもちろん、得られてもその情報のほとんどは、単に自己申告情報でしかありませんし、口コミも少なくとも個別案件に対応できる情報にはなりにくい。しかし、そこを仮にあいまいのまま伝えることになっても、こうした切り口の情報に人が集まることを彼らは重視します。彼らはそこに何の問題性を感じていないことに気付かされます。広告として許されるのだ、他では当たり前にやっていることだ、と。
彼らが悪いというよりも、むしろそれが当たり前の世界であることの方に、こだわるべきなのかもしれません。あくまで責任があるとすれば、それはその情報を判断して、最終的に選択する利用者側にあるのだから、という発想なのです。しかし結局、理解度の問題は、ここにあると思います。弁護士という仕事について、他の物品やサービスのように、一定の情報から利用者が的確に選択できるということを安易に見積もり、かつ、それが失敗した場合のリスクが他の対象に比べて大きいという事実を、特別に踏まえない。他の物品やサービスと並べ、同様に通用するという大前提が、この利用者にとって、危い企画を成り立たせている現実です。
一方で、弁護士自身がそうした彼らの「当たり前の世界」について、どこまで理解しているのかと思う場面もあります。坂野弁護士は、前記ブログで弁護士ポータルサイトが花盛りであるのは、弁護士がサイト運営会社のターゲットとして美味しい鴨にされているから、としています。事件の激減と弁護士激増で、一部の弁護士を除きも、弁護士が仕事を探すのに苦労するという時代が到来。そこに弁護士情報を掲載して、仕事につなげる可能性を高める見返りに、弁護士から掲載料を取るというビジネスか成り立つ。サイト運営者の決めた金額を払うという「基準」を満たせば、「強い弁護士」としてネットに登場できる、という関係――。
もはや弁護士の仕事が彼らに理解されていないというよりも、彼らの理解や常識のうえで、むしろ積極的にかかわる弁護士が登場する時代になりつつあるようにもみえます(「『改革』の先に登場した『アディーレ』」)。それは広告の実害が生じたとしても、業者と弁護士が口を揃えて弁明する時代といえるかもしれません。
薬の広告でも、その表現として「絶対に治る」はだめでも、「よく効く」は許される、という線引きがあり、それを私たちは知っています。自己申告の情報であるということを断わっていれば、一般の広告同様、社会がその「価値」を当たり前のように差し引くようになり、「強い弁護士」という表現でのポータルサイトにしても、いわば見る側のリテラシーによって実害は排除されていく、ということもまた、やはりいわれるかもしれません。
しかし、弁護士の競争・淘汰が「健全に」成り立つという見方が、それを支える選択する側の困難さについて、弁護士業の現実を度外視し、安易に見積もりがちであるのと同様、こうした広告がある程度「健全に」成り立つという前提も軽く見積もられていないのか――。もはや業者のみならず、広告に当たり前に依存し始めた弁護士たち自身にも、そう投げかける必要がある時代が到来しているように思えます。
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