法科大学院存続論が無視する事情
最近、法科大学院出身の弁護士と見られる方のブログが、こんなタイトルの記事を掲載しました。「法科大学院は廃止したほうが良い・・・けど、」(「ka-fumの思考メモ」)。総体的にみて、自らの出身母体として、中には「改革」に対する恩恵的な受けとめ方によって、あまり「改革」について語りたがらない傾向にある法科大学院出身弁護士の意見として、注目したのですが、そこには少々意外なことが書かれていました。
詳しくはお読み頂きたいと思いますが、まず、彼の認識として、法律の勉強は自学自習になじみ、必ずしも教育機関は必要なく、自らの経験でも法科大学院の講義で「(司法試験)合格の役に立ったものは皆無」、「本来、自学自習で十分なところを、わざわざ時間と費用をかけなければならなかったのですから、控えめに言っても、勉強の妨害」「合格したことを法科大学院の教育成果だなどと言われると、憤慨するしか」ない。「志願者の激減は、下落した資格の価値と比較して、法科大学院という制度が重すぎることが原因」であり、「理性的に政策論を語るなら、即刻廃止すべき」としています。
ただ、ブログ氏は個人的感情論として、ここで別の視点を提示しています。
「法科大学院卒業が司法試験受験の条件でなければ、もっと弁護士になりたがる人はいるはずなのです。たとえ経済的価値が下落したとしても、自学自習だけで挑戦できるのであれば、資格を取ろうと考える若者は大勢いると思います。つまり、法科大学院の存在こそ、司法試験合格者の増加に歯止めをかけるストッパーとして機能しているのです」
「皮肉なことに、いまとなっては、法科大学院こそが、更なる弁護士の経済環境悪化をギリギリのところで阻止しているとも言えるのです」
ブログ氏は法科大学院制度の廃止は望ましいが、それによっていまだ根強い自由競争論に押されて、再び合格者増に「改革」の舵が切られかねない、だから、「もうしばらく、国民の税金と若者を食い物にする制度として存在し続けてくれたほうが、現役の弁護士にとっては都合が良い」として、この一文を締め括っています。
法科大学院強制化の負担が法曹志望者離れを後押ししていることは事実ですが、それが弁護士の経済的悪化のギリギリの歯止めになっている、という見方には正直、疑問もあります。ただ、彼は法科大学院の置かれた状況に「皮肉」という言葉を当てはめていますが、最後の下りを読むと、このブログ氏の言自体が皮肉なのか(ご本人の真意は分かりませんが)と思えたのです。つまり、「改革」の増員政策が生んだ弁護士の経済的価値の棄損が問題の根本にあることを、やはりここで言いたかったのではないか、と。もはや法科大学院を廃止しても、それでも法科大学院の負担がなくなれば挑戦者はいて、増員が続くのであれば、それでも弁護士は潤うことない。だから、税金と若者を食い物にする制度を続ける、という逆説的な提案をして、この法科大学院がしがみつく袋小路のような状況を伝えたのではないか、ということです。
要は、弁護士増員政策にノータッチで、あるいはその過ちを直視しないで、「税金と若者を食い物」にして、かつ、存在がネックとなって、まだかろうじて数が抑えられるならば、弁護士にとって実は有り難い(現職弁護士のエゴにつながるかもしれない)制度・政策を続けることに、あなたはそれでも賛成するのですか、という問いかけです。
もちろん、制度存続が結果的に、業界にとって優秀な人材を多数確保できるかなどは、あえて無視している話です。制度存続で、どんどん志望者が減り、弁護士の経済悪化にギリギリ歯止めをかけつつ、弁護士業が志望者から見離されることで自動的に数が減り、いつの日にか経済的に適正な人数に落ち着き、その結果として資格の経済的価値もようやく良化に向かうことを待つ。それまで「税金と若者を食い物にする制度」を続けましょうといっていることになります。
最近も、読売新聞がネット上に、法曹養成の現状を取り上げた記事を掲載しています(高橋徹・調査研究本部主任研究員「法科大学院はどこへ向かうのか(上)」「同(下)」)。筆者はここで法科大学院の現状と失敗(撤退、性急な制度設計、教育のバラツキ、予備試験)、一定の成果(修了生への評価、多様な人材)とともに、「改革」が見込んだほど訴訟件数が増員弁護士に見合程度に増えていない、誤算による弁護士の経済的異変に言及しています。
しかし、その異変が、決定的に資格価値を棄損し、志望者を遠ざけているという視点ではなく、司法試験「3000人」の旗を下げたということで、さらっとそこは通り過ぎ、議論されている「5年一貫コース」や、司法試験合格率と同試験改革の話で締め括っています。典型的な最近の法科大学院擁護派の論調です(「司法試験合格率『主因説』が無視するもの」)。
ここから見えていくるのは、法曹志望者減という事態を弁護士の経済的価値の下落「主因説」から考えるのが、「改革」推進論者、とりわけ法科大学院擁護派にとって、不都合であるいう現実です。いうまでもなく、かつてのようにその経済的価値を復活させるには、下落の引き金になっている増員政策をやめ、減員するか、もしくは増員に耐え得る需要が生み出される(生み出されることにする)しかありません。前者が法科大学院の物理的な存続には不都合であり、後者は現実的には厳しいが、これは弁護士の努力次第と括ることができる。しかし、そうだとしても現実はブログ氏が皮肉っているように、「税金と若者を食い物にする制度」として、存続していかねばならない――。
弁護士の経済的価値の下落がこれほどいわれても、そこを直視せず、司法試験合格率を含め、それ以外を要因とすることで、志望者回復と法科大学院の存続をなんとか実現したい、という思惑が、そこにあるといわなければなりません。前記ブログをみても、また、読売の論者の論調をみても、法曹養成は、いま議論されている以上の根本的な仕切り直しが必要な状況に陥っているように思えてなりません。
「予備試験」のあり方をめぐる議論についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/5852
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ただ、ブログ氏は個人的感情論として、ここで別の視点を提示しています。
「法科大学院卒業が司法試験受験の条件でなければ、もっと弁護士になりたがる人はいるはずなのです。たとえ経済的価値が下落したとしても、自学自習だけで挑戦できるのであれば、資格を取ろうと考える若者は大勢いると思います。つまり、法科大学院の存在こそ、司法試験合格者の増加に歯止めをかけるストッパーとして機能しているのです」
「皮肉なことに、いまとなっては、法科大学院こそが、更なる弁護士の経済環境悪化をギリギリのところで阻止しているとも言えるのです」
ブログ氏は法科大学院制度の廃止は望ましいが、それによっていまだ根強い自由競争論に押されて、再び合格者増に「改革」の舵が切られかねない、だから、「もうしばらく、国民の税金と若者を食い物にする制度として存在し続けてくれたほうが、現役の弁護士にとっては都合が良い」として、この一文を締め括っています。
法科大学院強制化の負担が法曹志望者離れを後押ししていることは事実ですが、それが弁護士の経済的悪化のギリギリの歯止めになっている、という見方には正直、疑問もあります。ただ、彼は法科大学院の置かれた状況に「皮肉」という言葉を当てはめていますが、最後の下りを読むと、このブログ氏の言自体が皮肉なのか(ご本人の真意は分かりませんが)と思えたのです。つまり、「改革」の増員政策が生んだ弁護士の経済的価値の棄損が問題の根本にあることを、やはりここで言いたかったのではないか、と。もはや法科大学院を廃止しても、それでも法科大学院の負担がなくなれば挑戦者はいて、増員が続くのであれば、それでも弁護士は潤うことない。だから、税金と若者を食い物にする制度を続ける、という逆説的な提案をして、この法科大学院がしがみつく袋小路のような状況を伝えたのではないか、ということです。
要は、弁護士増員政策にノータッチで、あるいはその過ちを直視しないで、「税金と若者を食い物」にして、かつ、存在がネックとなって、まだかろうじて数が抑えられるならば、弁護士にとって実は有り難い(現職弁護士のエゴにつながるかもしれない)制度・政策を続けることに、あなたはそれでも賛成するのですか、という問いかけです。
もちろん、制度存続が結果的に、業界にとって優秀な人材を多数確保できるかなどは、あえて無視している話です。制度存続で、どんどん志望者が減り、弁護士の経済悪化にギリギリ歯止めをかけつつ、弁護士業が志望者から見離されることで自動的に数が減り、いつの日にか経済的に適正な人数に落ち着き、その結果として資格の経済的価値もようやく良化に向かうことを待つ。それまで「税金と若者を食い物にする制度」を続けましょうといっていることになります。
最近も、読売新聞がネット上に、法曹養成の現状を取り上げた記事を掲載しています(高橋徹・調査研究本部主任研究員「法科大学院はどこへ向かうのか(上)」「同(下)」)。筆者はここで法科大学院の現状と失敗(撤退、性急な制度設計、教育のバラツキ、予備試験)、一定の成果(修了生への評価、多様な人材)とともに、「改革」が見込んだほど訴訟件数が増員弁護士に見合程度に増えていない、誤算による弁護士の経済的異変に言及しています。
しかし、その異変が、決定的に資格価値を棄損し、志望者を遠ざけているという視点ではなく、司法試験「3000人」の旗を下げたということで、さらっとそこは通り過ぎ、議論されている「5年一貫コース」や、司法試験合格率と同試験改革の話で締め括っています。典型的な最近の法科大学院擁護派の論調です(「司法試験合格率『主因説』が無視するもの」)。
ここから見えていくるのは、法曹志望者減という事態を弁護士の経済的価値の下落「主因説」から考えるのが、「改革」推進論者、とりわけ法科大学院擁護派にとって、不都合であるいう現実です。いうまでもなく、かつてのようにその経済的価値を復活させるには、下落の引き金になっている増員政策をやめ、減員するか、もしくは増員に耐え得る需要が生み出される(生み出されることにする)しかありません。前者が法科大学院の物理的な存続には不都合であり、後者は現実的には厳しいが、これは弁護士の努力次第と括ることができる。しかし、そうだとしても現実はブログ氏が皮肉っているように、「税金と若者を食い物にする制度」として、存続していかねばならない――。
弁護士の経済的価値の下落がこれほどいわれても、そこを直視せず、司法試験合格率を含め、それ以外を要因とすることで、志望者回復と法科大学院の存続をなんとか実現したい、という思惑が、そこにあるといわなければなりません。前記ブログをみても、また、読売の論者の論調をみても、法曹養成は、いま議論されている以上の根本的な仕切り直しが必要な状況に陥っているように思えてなりません。
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