弁護士数と需要の非現実的な発想
増やせば増える――。弁護士の数と需要をめぐり、こうしたことが「改革」推進派の中からいわれてきました。もともと「二割司法」などという言い方を含め、「改革」はすぐそこに眠る、潜在需要を連想させましたが、増員しても顕在化しないことが分かると、逆に前記論調は強まった。つまり、それは弁護士の努力不足(あるいは意識変革不足)と、その時点で増員をセーブしようとする弁護士らを批判するものとしてでした。
この話を講演などでするときには、よく鉱脈と鉱夫に例えました。要するに、弁護士には眠れる大鉱脈(需要)があり、掘り起こす鉱夫(弁護士)がいなければ辿りつけないという描き方だ、と。従ってこの描き方だと、今、起こっている鉱脈が見当たらない(需要が顕在化しない)という現象は、鉱脈がないのではなく、ひとえに鉱夫の不足と、そのヤル気の問題になるのだ、と(「『大鉱脈』論失敗という経験の活かされ方」)。
今、なぜ、このことに触れるのかといえば、こうした増員政策に染みついた発想が、需要を検証しつつ、慎重に進めるという方法や、鉱脈そのものの存在をどの程度とみるのか、そもそも存在するのか、という視点を、後方に押しやってきたと思うからです。増員政策には、それと一体の法科大学院制度という激増を既定路線化する要素が張り付いていたことも事実ですが、「増員ありき」の方向を、この発想が強く後押しした、といえます。
この発想の背景には、二つの要素があると思います。一つは、「追い詰め」式ともいえる考え方。もともと経済的に恵まれた環境にあった弁護士は、そうした環境を破壊することも含めた数による変化がなければ、需要開拓に動かない。「あぐらをかいてきた」といわれるような、「心得違い」論や、競争・淘汰肯定論ともつながります。偏在対策でも同様の発想がとられたともいえますが、数が増えることで経済的に「追い詰められる」ことで、弁護士は需要を求めて地方に向かい、そして、新たな需要を求めて「開拓」するはず、というものです。
これは、「改革」の結果によって、「増やせば増える」の非現実性、要はそもそも需要がなければ、それは起こらないということをすぐ実証する、ようにもとれますが、鉱脈はあると言い続ければ、現実的にはいつまでも鉱夫不足とヤル気不足のせいにする、こともできる話になっていく。そして、鉱脈の存在の根拠もさることながら、そもそも、ではなぜ、そこに辿りつくまで、開拓要員としての鉱夫が経済的に生き残れるのかという、決定的な問題が十分問われないまま、繰り出されることになってきた、といえます。
もう一つの要素は、「啓蒙論」です。これは、弁護士の利用者が需要を知らない、気付いていない、あるいは誤解していることが、顕在化しない理由であるとする考えに支えられ、逆に言うと、弁護士がもっとその点を「啓蒙」すれば、需要は生まれるというものです。実は、日弁連のCMなどでみられる「弁護士活用論」もこれに支えられているととれます(「弁護士利用拡大路線が生み出している負の『効果』」 「日弁連『フレンドリー』広告の見え方」)。しかし、「啓蒙」が需要を生むという立場であれば、これも数を増やすほどに効果が上がり、効果が上がらないのは、やはり数の不足と弁護士のヤル気の問題に置き換えられることになります。
以前、今でも弁護士界内の大量増員論者で知られる久保利英明弁護士も、経済誌のインタビューのなかで、こう語っていました。
「アップルのスティーブ・ジョブズの名言に『消費者は欲しいものを知らない』というのがある。スマホは消費者が欲しいと言ったから誕生したのではな く、まさに供給が需要を生んだ」
「弁護士も同じ。消費者は自分に起きている問題が弁護士を必要としている問題なのか、そもそも法律問題なのかすらわからない。そういう人に、いくらニーズに関するアンケートをとったところで無意味だ」(東洋経済ONLINE「弁護士のニーズは『供給』によって増大する」)
しかし、弁護士という仕事について、果たしてそう言い切れるでしょうか。いつも感じることは、彼らが描き、思っている以上に、消費者は費用対効果を含めて、自分たちの持ち出し、つまりおカネのことはシビアに考えています。逆に言えば、必要論があって、そこに弁護士がいれば、消費者は必ずやおカネを出す用意があるという考え方が、前記のような「啓蒙論」を支えていないでしょうか。無料化という方向になれば、途端に弁護士を悩ませることになる不適正利用を含め、弁護士活用に走る利用者動向をみても、「啓蒙」で生まれるニーズの見積もり方の甘さが、どうも気になります。
最近も、教育現場の人間と、弁護士活用論の先に登場している「スクールローヤー」について話をする機会がありましたが、その存在理由・効果は正確に理解しながら、選択しない、選択されない、定着化しないだろうという回答が返ってきました。弁護士側の教育への理解度の問題も言われていますが、費用対効果を考えた場合、常設化に積極的な意味を感じていないという意見にとれました。もちろん、それでもという必要論が先行すれば、結局、またぞろ弁護士を安く使うという設定が既定方針化した形で、この構想が進むことにもなりかねません。
必要論が経済的価値を生むという発想は、必要の値踏みを期待先行で誤った瞬間に崩れさります。必要論の正しさと、値踏みの正しさが、この「改革」で分けて考えられてこなかったことにも問題があったように思います。
前記インタビューでの久保利弁護士も含め、今や「希望の星」のごとく、弁護士需要の将来性を語る場では、この10年で数が10倍以上増えた(2007年188人→2017年1931人。日弁連調べ)企業内弁護士が、真っ先に取り上げられます。しかし、この間に増えた弁護士の数は約1万5800人。2017年時点で企業内弁護士は依然全体のわずか4.9%です。
状況をはっきりと物語る表が、現時点で最新版の「弁護士白書 2017年版」に掲載されています。「弁護士の活動領域の拡がり」と題された章に掲載された2017年までの10年間の弁護士会別企業内弁護士数の推移です。一見してスカスカのこの表は、企業弁護士の極端な大都市集中を示しています。東京、大阪以外で、欄を埋めているほとんど弁護士会の数値は1ケタで、左の2017年に向かうほどわずかに増えていますが、それでも同年時点で47弁護士会中、21弁護士会は全くの空欄で実績ゼロ。東京三会会員で企業弁護士全体の82.9%、大阪を加えた4会会員で89.4%を占めるというのが現実です。
増員路線を前提とした場合、遠い将来は別にしても、当面、前記4会会員以外、ここが期待できる分野ではない、まさに偏在したニーズであることは明らかです。必要論をその規模から考えなければならないことも、改めて示しているようにとれます。
やはり、「増やせば増える」という発想から脱却したところから、「改革」のボタンの掛け違えと、これからについて、見直す必要があるはずです。
地方における弁護士の経済的ニーズの現状についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4798
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この話を講演などでするときには、よく鉱脈と鉱夫に例えました。要するに、弁護士には眠れる大鉱脈(需要)があり、掘り起こす鉱夫(弁護士)がいなければ辿りつけないという描き方だ、と。従ってこの描き方だと、今、起こっている鉱脈が見当たらない(需要が顕在化しない)という現象は、鉱脈がないのではなく、ひとえに鉱夫の不足と、そのヤル気の問題になるのだ、と(「『大鉱脈』論失敗という経験の活かされ方」)。
今、なぜ、このことに触れるのかといえば、こうした増員政策に染みついた発想が、需要を検証しつつ、慎重に進めるという方法や、鉱脈そのものの存在をどの程度とみるのか、そもそも存在するのか、という視点を、後方に押しやってきたと思うからです。増員政策には、それと一体の法科大学院制度という激増を既定路線化する要素が張り付いていたことも事実ですが、「増員ありき」の方向を、この発想が強く後押しした、といえます。
この発想の背景には、二つの要素があると思います。一つは、「追い詰め」式ともいえる考え方。もともと経済的に恵まれた環境にあった弁護士は、そうした環境を破壊することも含めた数による変化がなければ、需要開拓に動かない。「あぐらをかいてきた」といわれるような、「心得違い」論や、競争・淘汰肯定論ともつながります。偏在対策でも同様の発想がとられたともいえますが、数が増えることで経済的に「追い詰められる」ことで、弁護士は需要を求めて地方に向かい、そして、新たな需要を求めて「開拓」するはず、というものです。
これは、「改革」の結果によって、「増やせば増える」の非現実性、要はそもそも需要がなければ、それは起こらないということをすぐ実証する、ようにもとれますが、鉱脈はあると言い続ければ、現実的にはいつまでも鉱夫不足とヤル気不足のせいにする、こともできる話になっていく。そして、鉱脈の存在の根拠もさることながら、そもそも、ではなぜ、そこに辿りつくまで、開拓要員としての鉱夫が経済的に生き残れるのかという、決定的な問題が十分問われないまま、繰り出されることになってきた、といえます。
もう一つの要素は、「啓蒙論」です。これは、弁護士の利用者が需要を知らない、気付いていない、あるいは誤解していることが、顕在化しない理由であるとする考えに支えられ、逆に言うと、弁護士がもっとその点を「啓蒙」すれば、需要は生まれるというものです。実は、日弁連のCMなどでみられる「弁護士活用論」もこれに支えられているととれます(「弁護士利用拡大路線が生み出している負の『効果』」 「日弁連『フレンドリー』広告の見え方」)。しかし、「啓蒙」が需要を生むという立場であれば、これも数を増やすほどに効果が上がり、効果が上がらないのは、やはり数の不足と弁護士のヤル気の問題に置き換えられることになります。
以前、今でも弁護士界内の大量増員論者で知られる久保利英明弁護士も、経済誌のインタビューのなかで、こう語っていました。
「アップルのスティーブ・ジョブズの名言に『消費者は欲しいものを知らない』というのがある。スマホは消費者が欲しいと言ったから誕生したのではな く、まさに供給が需要を生んだ」
「弁護士も同じ。消費者は自分に起きている問題が弁護士を必要としている問題なのか、そもそも法律問題なのかすらわからない。そういう人に、いくらニーズに関するアンケートをとったところで無意味だ」(東洋経済ONLINE「弁護士のニーズは『供給』によって増大する」)
しかし、弁護士という仕事について、果たしてそう言い切れるでしょうか。いつも感じることは、彼らが描き、思っている以上に、消費者は費用対効果を含めて、自分たちの持ち出し、つまりおカネのことはシビアに考えています。逆に言えば、必要論があって、そこに弁護士がいれば、消費者は必ずやおカネを出す用意があるという考え方が、前記のような「啓蒙論」を支えていないでしょうか。無料化という方向になれば、途端に弁護士を悩ませることになる不適正利用を含め、弁護士活用に走る利用者動向をみても、「啓蒙」で生まれるニーズの見積もり方の甘さが、どうも気になります。
最近も、教育現場の人間と、弁護士活用論の先に登場している「スクールローヤー」について話をする機会がありましたが、その存在理由・効果は正確に理解しながら、選択しない、選択されない、定着化しないだろうという回答が返ってきました。弁護士側の教育への理解度の問題も言われていますが、費用対効果を考えた場合、常設化に積極的な意味を感じていないという意見にとれました。もちろん、それでもという必要論が先行すれば、結局、またぞろ弁護士を安く使うという設定が既定方針化した形で、この構想が進むことにもなりかねません。
必要論が経済的価値を生むという発想は、必要の値踏みを期待先行で誤った瞬間に崩れさります。必要論の正しさと、値踏みの正しさが、この「改革」で分けて考えられてこなかったことにも問題があったように思います。
前記インタビューでの久保利弁護士も含め、今や「希望の星」のごとく、弁護士需要の将来性を語る場では、この10年で数が10倍以上増えた(2007年188人→2017年1931人。日弁連調べ)企業内弁護士が、真っ先に取り上げられます。しかし、この間に増えた弁護士の数は約1万5800人。2017年時点で企業内弁護士は依然全体のわずか4.9%です。
状況をはっきりと物語る表が、現時点で最新版の「弁護士白書 2017年版」に掲載されています。「弁護士の活動領域の拡がり」と題された章に掲載された2017年までの10年間の弁護士会別企業内弁護士数の推移です。一見してスカスカのこの表は、企業弁護士の極端な大都市集中を示しています。東京、大阪以外で、欄を埋めているほとんど弁護士会の数値は1ケタで、左の2017年に向かうほどわずかに増えていますが、それでも同年時点で47弁護士会中、21弁護士会は全くの空欄で実績ゼロ。東京三会会員で企業弁護士全体の82.9%、大阪を加えた4会会員で89.4%を占めるというのが現実です。
増員路線を前提とした場合、遠い将来は別にしても、当面、前記4会会員以外、ここが期待できる分野ではない、まさに偏在したニーズであることは明らかです。必要論をその規模から考えなければならないことも、改めて示しているようにとれます。
やはり、「増やせば増える」という発想から脱却したところから、「改革」のボタンの掛け違えと、これからについて、見直す必要があるはずです。
地方における弁護士の経済的ニーズの現状についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4798
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