志望者の現実的選択と失われた「魅力」の関係
弁護士という仕事について、もっと夢や魅力を発信せよ、という意見が相変わらず業界内にあります。「改革」の増員政策が失敗であったと位置付けない立場の方からは、現実を直視し、そこから将来を見通し、懸念する論調に対して、「ネガティブ・キャンペーンはやめろ」という言葉が浴びせられることもあります。
増員政策によって、弁護士に経済的な異変があっても、まだ弁護士という仕事には開拓分野を含め可能性があり、現にそれを切り拓いている人たちはいる。前記懸念論は、この世界に将来性がないということだけを強調するもので、志望者に対して誤ったメッセージになる、というのが、大まかな懸念論批判の言い分です。
選択の最終判断を下すのは、志望者予備軍の方々ですから、もちろん判断材料となる情報はフェアに提供されるべきです。しかし、「改革」推進派の大マスコミの報道があり、増員政策の肯定論と、「改革」の足を引っ張っているとする弁護士の自己保身論や「心得違い」論が既に社会に流されている現実があります。
人材に来てもらいたいあまり、耳触りのいい将来性や、それが楽に獲得できるという誤解を与える発信には、むしろ慎重であるべきという意見も業界内にはあります。最近は、組織内弁護士になるのでなければ、起業するような覚悟がなければ、この世界はやめておいた方がいいという弁護士もいます。
誤った悲観論でこの世界に来なくなることと、誤った楽観論で覚悟なき人材がこの世界で立ち往生すること。結局、志望者のことを考えれば、どちらに意を用いるべきで、どちらがより彼らには有り難いことなのか――。懸念論が「ネガティブ・キャンペーン」として批判されるべきなのかどうかは、まず、このことを踏まえる必要があるはずです。
夢や魅力といわれますが、そもそも「改革」が奪ったそれこそ、むしろ今、語られるべきではないでしょうか。新法曹養成制度は、誰でも公平に受けられ、働きながらチャレンジできる旧司法試験の魅力を奪い、大量増員政策は弁護士の経済的価値の魅力を奪い、その両者によって、この世界を目指す志望者にとって、人生の「一発大逆転」の夢をも奪った、と。そして、そのしわ寄せは法学部にも回って来た。もともと必ずしも卒業生全員が法曹界を目指し、司法試験の関門を通過できたわけではなくても、実は同学部には、前記魅力と夢が張り付き、その「価値」を底上げしていた、と。法科大学院というプロセスの登場が、それをも消すことになった――。
今年の司法試験で新制度下、最年少となる19歳4カ月での合格者の誕生したことが報じられています(9月12日付け、読売新聞全国版朝刊)。これは、本来、快挙として注目できることでありながら、「改革」という枠組みで考えた場合、ある意味、皮肉な結果ともいえる現象です。彼の快挙は、新法曹養成制度が期待する理想からはみ出たものだからです。
報道によれば、彼は高校入学直後から司法試験の勉強を開始し、3度目で予備試験に合格、その後、一発で司法試験に合格しています。今後、彼に続く高校生予備試験受験者が登場するだろうこと、さらにその先には予備試験による法科大学院迂回どころか、法学部すら行く必要がないと考える志望者が現れることを予想する弁護士もいます(「Schulze BLOG」)。
前記「改革」によって失われた魅力ということからいえば、今回の最年少合格者の誕生は、そうした新制度に対して、志望者がいわば自力で示してみせた可能性であり、ある意味、この「改革」に対する一つのアンサーともいえます。魅力なき制度にノーを突き付けるとともに、自ら今後、志望者に魅力あるものとして受けとめられる余地がある可能性を示したということです。
魅力なき新制度が、予備試験を浮き立たせ、さらに高校生受験という道までを浮き立たせた。それが厳しく、狭き門であればなおさらのこと、それでも志望者が選択するのであれば、それだけ「改革」が奪った魅力の、志望者にとっての価値の大きさを示しているようにも見えてきます。
もっとも、今後、「将来の進路は大学に通いながらゆっくりと考えていきたい」と記者に話している、この最年少合格の彼が、果たして最終的に法曹への道を選択するかどうかは分かりません。将来の法曹を獲得するという意味では、司法試験チャレンジにおける魅力、ましてや法科大学院関係者から聞こえてくるような、とにかく司法試験に合格できるという魅力だけで、志望者が帰って来るという甘い見通しには立てないことは確認しておく必要があります。
弁護士の経済的価値の魅力も、新制度下で弁護士になった人材が、新たなチャレンジによって、その魅力を回復できる未来があるのであれば、それは当然歓迎すべきことになるでしょう。しかし、これについては、少なくとも増員基調の「改革」が続き、有償需要に対して弁護士数が過剰である限り、難しいことに変わりありません。一部の魅力ある成功を、多くの人の成功可能性として強調するような、「生存バイアス」的扱いになることの方を、それこそ懸念する必要があるはずです(「弁護士の『生存』と『改革』の価値」)。
懸念論に対し、やれ「ネガティブ・キャンペーンだ」「魅力を発信せよ」という側は、志望者(予備軍)の「誤解」ということを前提にしているようにとれます。別の言い方をすれば、あくまで現実に起きている、法曹資格あるいは本道の法科大学院に対する志望者の敬遠は、誤解に基づき、賢明な選択ではないという立場と、それを「魅力」が失われた結果と極力結び付けない立場を譲らないものにとれます。しかし、志望者のよりシビアで現実的な選択は先行します。その意味で、法曹界は前記懸念論の「悪影響」よりも、そもそももっと直視するべきものがある、ということをまず、認識しなければなりません。
「予備試験」のあり方をめぐる議論についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/5852
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増員政策によって、弁護士に経済的な異変があっても、まだ弁護士という仕事には開拓分野を含め可能性があり、現にそれを切り拓いている人たちはいる。前記懸念論は、この世界に将来性がないということだけを強調するもので、志望者に対して誤ったメッセージになる、というのが、大まかな懸念論批判の言い分です。
選択の最終判断を下すのは、志望者予備軍の方々ですから、もちろん判断材料となる情報はフェアに提供されるべきです。しかし、「改革」推進派の大マスコミの報道があり、増員政策の肯定論と、「改革」の足を引っ張っているとする弁護士の自己保身論や「心得違い」論が既に社会に流されている現実があります。
人材に来てもらいたいあまり、耳触りのいい将来性や、それが楽に獲得できるという誤解を与える発信には、むしろ慎重であるべきという意見も業界内にはあります。最近は、組織内弁護士になるのでなければ、起業するような覚悟がなければ、この世界はやめておいた方がいいという弁護士もいます。
誤った悲観論でこの世界に来なくなることと、誤った楽観論で覚悟なき人材がこの世界で立ち往生すること。結局、志望者のことを考えれば、どちらに意を用いるべきで、どちらがより彼らには有り難いことなのか――。懸念論が「ネガティブ・キャンペーン」として批判されるべきなのかどうかは、まず、このことを踏まえる必要があるはずです。
夢や魅力といわれますが、そもそも「改革」が奪ったそれこそ、むしろ今、語られるべきではないでしょうか。新法曹養成制度は、誰でも公平に受けられ、働きながらチャレンジできる旧司法試験の魅力を奪い、大量増員政策は弁護士の経済的価値の魅力を奪い、その両者によって、この世界を目指す志望者にとって、人生の「一発大逆転」の夢をも奪った、と。そして、そのしわ寄せは法学部にも回って来た。もともと必ずしも卒業生全員が法曹界を目指し、司法試験の関門を通過できたわけではなくても、実は同学部には、前記魅力と夢が張り付き、その「価値」を底上げしていた、と。法科大学院というプロセスの登場が、それをも消すことになった――。
今年の司法試験で新制度下、最年少となる19歳4カ月での合格者の誕生したことが報じられています(9月12日付け、読売新聞全国版朝刊)。これは、本来、快挙として注目できることでありながら、「改革」という枠組みで考えた場合、ある意味、皮肉な結果ともいえる現象です。彼の快挙は、新法曹養成制度が期待する理想からはみ出たものだからです。
報道によれば、彼は高校入学直後から司法試験の勉強を開始し、3度目で予備試験に合格、その後、一発で司法試験に合格しています。今後、彼に続く高校生予備試験受験者が登場するだろうこと、さらにその先には予備試験による法科大学院迂回どころか、法学部すら行く必要がないと考える志望者が現れることを予想する弁護士もいます(「Schulze BLOG」)。
前記「改革」によって失われた魅力ということからいえば、今回の最年少合格者の誕生は、そうした新制度に対して、志望者がいわば自力で示してみせた可能性であり、ある意味、この「改革」に対する一つのアンサーともいえます。魅力なき制度にノーを突き付けるとともに、自ら今後、志望者に魅力あるものとして受けとめられる余地がある可能性を示したということです。
魅力なき新制度が、予備試験を浮き立たせ、さらに高校生受験という道までを浮き立たせた。それが厳しく、狭き門であればなおさらのこと、それでも志望者が選択するのであれば、それだけ「改革」が奪った魅力の、志望者にとっての価値の大きさを示しているようにも見えてきます。
もっとも、今後、「将来の進路は大学に通いながらゆっくりと考えていきたい」と記者に話している、この最年少合格の彼が、果たして最終的に法曹への道を選択するかどうかは分かりません。将来の法曹を獲得するという意味では、司法試験チャレンジにおける魅力、ましてや法科大学院関係者から聞こえてくるような、とにかく司法試験に合格できるという魅力だけで、志望者が帰って来るという甘い見通しには立てないことは確認しておく必要があります。
弁護士の経済的価値の魅力も、新制度下で弁護士になった人材が、新たなチャレンジによって、その魅力を回復できる未来があるのであれば、それは当然歓迎すべきことになるでしょう。しかし、これについては、少なくとも増員基調の「改革」が続き、有償需要に対して弁護士数が過剰である限り、難しいことに変わりありません。一部の魅力ある成功を、多くの人の成功可能性として強調するような、「生存バイアス」的扱いになることの方を、それこそ懸念する必要があるはずです(「弁護士の『生存』と『改革』の価値」)。
懸念論に対し、やれ「ネガティブ・キャンペーンだ」「魅力を発信せよ」という側は、志望者(予備軍)の「誤解」ということを前提にしているようにとれます。別の言い方をすれば、あくまで現実に起きている、法曹資格あるいは本道の法科大学院に対する志望者の敬遠は、誤解に基づき、賢明な選択ではないという立場と、それを「魅力」が失われた結果と極力結び付けない立場を譲らないものにとれます。しかし、志望者のよりシビアで現実的な選択は先行します。その意味で、法曹界は前記懸念論の「悪影響」よりも、そもそももっと直視するべきものがある、ということをまず、認識しなければなりません。
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