法曹志望者回復をめぐる発想と誤解
政府と国民民主党等からそれぞれ提出された法曹養成見直しの2法案が審議された衆院文部科学委員会での参考人の発言(「法曹養成見直し2法案審議が映し出したもの」)を聞くと、改めて「予備試験」という存在が、法科大学院制度を擁護したい側にとって、いかに目の上のたんこぶなのか、ということを思い知らされます。
発言者のうち、政府法案賛成者、同案に批判的な制度擁護論者は、口をそろえて予備試験ルートを制限する必要性に言及。それをやれば、辛うじて同試験でつないでいる法曹志望者を失うだけでもってのほかと、強く反対したのは、野党案に賛成した伊藤真弁護士だけでした。
法科大学院制度擁護者の立場では、これは見直しの順番の問題だけで、今回の政府案にはなくても、いずれ予備試験はなんとかしなくてはいけないこと、同試験の運用が彼らのいうところの本来の趣旨から逸脱していることは、共通認識といったニュアンスでした。
その「本来の趣旨」として言われてきたことは、改めていうまでもなく、予備試験は経済的な理由で法科大学院に進めない志望者が利用するものということです。しかし、これも書いてきたように、少しでも経済的な負担を軽くし、早く資格を取得したい、しかもそのことによって法曹として決定的に何かマイナス要因を背負うとは思えない、と志望者が判断できた場合、そこに投資しないという選択、それを今後の修習生活その他に回したいということだって、りっぱな経済的理由といえなくありません。
それを考えると、彼らが強弁してきた「本来の趣旨」の本当の意味は、何よりも法科大学院本道主義が守られる、とことなのではないか、と疑いたくなるのです。予備試験ルートは、創設議論の段階から、本道護持の立場から、もともと彼らが志望者流出を懸念していた制度ではありますが、結果として案の定流出がはっきりすると、途端にこの論法を声高に主張し出したのを見ても、その印象を強く持ちます。
政府法案に批判的な制度擁護論者の立場から出席していた参考人である、須網隆夫・早稲田大学大学院法務研究科教授は、政府案提出の真の動機は、「予備試験との競争条件の改善にある」とし、なぜか、その真の動機が語られない、としました。法曹コース、法科大学院在学中受験の容認という、資格取得まで時短化政策で、予備試験との志望者獲得の競争に、法科大学院が有利にさせようとするのが目的なのだ、ということです。
須網教授は、法科大学院入学者数に改善の兆しがある(「Schulze BLOG」)ことも挙げ、その意味でも在学中受験容認にまで踏み出す法案を提出するタイミングの問題も指摘しています。ただ、予備試験との「競争条件」という言葉を聞いてしまうと、法科大学院の理念の危機を掲げて、政府法案を問題視する制度擁護派も、予備試験制限優先という、政府案よりももっと手っ取り早い、法科大学院にとって有り難い競争条件の改善策をとれ、といっているように聞こえてきます。
政府法案の前記「真の動機」が語られない、という現実があるとすれば、なぜなのだろうか、という気もします。「競争条件」としての「効果」の弱さが正面から問われることになるのを避けたいからなのでしょうか。しかし、時短化にしても、予備試験制限にしても、予備試験を敵視しながら、明らかに勝負どころを間違っています。
何度も書いているように、勝負を決めるのは、志望者に選択される「価値」と考えるべきです。負担軽減といわれますが、負担するだけの「価値」が認められていない、もっといえば、「価値」があれば、それはもはや負担ではない、というところに至れない制度の発想があるのです。
しかも、法曹養成ということを考えたときに、この発想は法科大学院制度にとってではなく、社会にとってどういう「有り難い」意味を持つのでしょうか。時短化への期待によって、あるいは今後行われるかもしれない何らかの予備試験ルート制限によって、新たなに法科大学院ルートを選択するという人材が増えること。それは、予備試験ルートを選択して法曹になることの比較において、志望者本人と社会にとって、本当に「価値」があることなのでしょうか。優秀な人材がより志望したくなる「価値」を、この話のどこに見つけたらばいいのでしょうか。
政府案賛成の参考人である山本和彦・ 一橋大学法学研究科教授からは、冒頭、ずらずらとこれまでの法科大学院制度の成果が並べられましたが、本当はそこが勝負どころであり、そこの説得力にかかっているというべきです。一部の修了者のなかにはこんな人もいる、あんな人もいる、という話。それを予備試験ルートでは叶わない、本道の「価値」として、志望者と社会が認めるのかどうかです。
参考人の伊藤弁護士は、こう語っています。
「法科大学院制度は、大学との関係でいえば、大学の生き残り策として生まれたもの。大学が司法試験予備校から学生を取り戻すのが目的だったが、それは失敗した。今回の政府案は、法科大学院の生き残り策であり、予備試験から法曹コースに学生を取り戻すことが目的。しかし、先の失敗から何も学ばずにいるため、これも再度失敗するだろう」
「制度、すなわち権力の力で学生を動かそうとしても無理。どんな制度になっても一人一人の受験生は、自分の人生を賭けて最善の道を選ぶ」
まず、問われるべきなのは、延々と引きずることになっている、誰にとっても有り難くない、この「改革」の発想といわなければなりません。
「予備試験」のあり方をめぐる議論についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/5852
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発言者のうち、政府法案賛成者、同案に批判的な制度擁護論者は、口をそろえて予備試験ルートを制限する必要性に言及。それをやれば、辛うじて同試験でつないでいる法曹志望者を失うだけでもってのほかと、強く反対したのは、野党案に賛成した伊藤真弁護士だけでした。
法科大学院制度擁護者の立場では、これは見直しの順番の問題だけで、今回の政府案にはなくても、いずれ予備試験はなんとかしなくてはいけないこと、同試験の運用が彼らのいうところの本来の趣旨から逸脱していることは、共通認識といったニュアンスでした。
その「本来の趣旨」として言われてきたことは、改めていうまでもなく、予備試験は経済的な理由で法科大学院に進めない志望者が利用するものということです。しかし、これも書いてきたように、少しでも経済的な負担を軽くし、早く資格を取得したい、しかもそのことによって法曹として決定的に何かマイナス要因を背負うとは思えない、と志望者が判断できた場合、そこに投資しないという選択、それを今後の修習生活その他に回したいということだって、りっぱな経済的理由といえなくありません。
それを考えると、彼らが強弁してきた「本来の趣旨」の本当の意味は、何よりも法科大学院本道主義が守られる、とことなのではないか、と疑いたくなるのです。予備試験ルートは、創設議論の段階から、本道護持の立場から、もともと彼らが志望者流出を懸念していた制度ではありますが、結果として案の定流出がはっきりすると、途端にこの論法を声高に主張し出したのを見ても、その印象を強く持ちます。
政府法案に批判的な制度擁護論者の立場から出席していた参考人である、須網隆夫・早稲田大学大学院法務研究科教授は、政府案提出の真の動機は、「予備試験との競争条件の改善にある」とし、なぜか、その真の動機が語られない、としました。法曹コース、法科大学院在学中受験の容認という、資格取得まで時短化政策で、予備試験との志望者獲得の競争に、法科大学院が有利にさせようとするのが目的なのだ、ということです。
須網教授は、法科大学院入学者数に改善の兆しがある(「Schulze BLOG」)ことも挙げ、その意味でも在学中受験容認にまで踏み出す法案を提出するタイミングの問題も指摘しています。ただ、予備試験との「競争条件」という言葉を聞いてしまうと、法科大学院の理念の危機を掲げて、政府法案を問題視する制度擁護派も、予備試験制限優先という、政府案よりももっと手っ取り早い、法科大学院にとって有り難い競争条件の改善策をとれ、といっているように聞こえてきます。
政府法案の前記「真の動機」が語られない、という現実があるとすれば、なぜなのだろうか、という気もします。「競争条件」としての「効果」の弱さが正面から問われることになるのを避けたいからなのでしょうか。しかし、時短化にしても、予備試験制限にしても、予備試験を敵視しながら、明らかに勝負どころを間違っています。
何度も書いているように、勝負を決めるのは、志望者に選択される「価値」と考えるべきです。負担軽減といわれますが、負担するだけの「価値」が認められていない、もっといえば、「価値」があれば、それはもはや負担ではない、というところに至れない制度の発想があるのです。
しかも、法曹養成ということを考えたときに、この発想は法科大学院制度にとってではなく、社会にとってどういう「有り難い」意味を持つのでしょうか。時短化への期待によって、あるいは今後行われるかもしれない何らかの予備試験ルート制限によって、新たなに法科大学院ルートを選択するという人材が増えること。それは、予備試験ルートを選択して法曹になることの比較において、志望者本人と社会にとって、本当に「価値」があることなのでしょうか。優秀な人材がより志望したくなる「価値」を、この話のどこに見つけたらばいいのでしょうか。
政府案賛成の参考人である山本和彦・ 一橋大学法学研究科教授からは、冒頭、ずらずらとこれまでの法科大学院制度の成果が並べられましたが、本当はそこが勝負どころであり、そこの説得力にかかっているというべきです。一部の修了者のなかにはこんな人もいる、あんな人もいる、という話。それを予備試験ルートでは叶わない、本道の「価値」として、志望者と社会が認めるのかどうかです。
参考人の伊藤弁護士は、こう語っています。
「法科大学院制度は、大学との関係でいえば、大学の生き残り策として生まれたもの。大学が司法試験予備校から学生を取り戻すのが目的だったが、それは失敗した。今回の政府案は、法科大学院の生き残り策であり、予備試験から法曹コースに学生を取り戻すことが目的。しかし、先の失敗から何も学ばずにいるため、これも再度失敗するだろう」
「制度、すなわち権力の力で学生を動かそうとしても無理。どんな制度になっても一人一人の受験生は、自分の人生を賭けて最善の道を選ぶ」
まず、問われるべきなのは、延々と引きずることになっている、誰にとっても有り難くない、この「改革」の発想といわなければなりません。
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