司法試験「選抜機能」の危機が省みられない事情
司法試験の選抜機能の危機が、ここまで弁護士会内から叫ばれる事態を「改革」路線も、また、それを受け入れた弁護士たちも、実は全く想定できなかったはずです。今月、長野県弁護士会と仙台弁護士会が相次いで、今年の司法試験での厳正な合格判定を求める会長声明を発表しましたが、そこにあるのは司法試験の選抜機能の喪失とそれによる合格者の質への影響です。司法試験受験者数が減るなかで、年間1500人程度の合格者を輩出するという、いわば最低ライン死守のために、合格レベルが下げられる事態への危機感であり、既にこれまでも一部弁護士会から指摘されてきたものです(「伝わっていない司法試験『選抜機能』の危機」)。
ただ、いまもって法科大学院関係者はもとより、弁護士会主導層までもが、この司法試験の選抜機能の危機という切り口に、想定外であったことを認めないばかりか、冷ややかな姿勢をとっているようにみえます。それは一重に法科大学院制度を維持するためには、この危機感のうえに立った合格者減の方向が不都合であり、極力それを回避したいという意向が働いているととれてしまいます。
そして、この反応に対して、もう一つ、改めて感じることは、今回の「改革」路線の根底にある、司法試験軽視といってもいい発想です。そもそも今回の新法曹養成をめぐる「改革」論議では、「点からプロセス」という謳い文句のもとに、法科大学院を中核とする「プロセス」の効用が強調されました。同時に「点」と位置付けせられた司法試験も、その法科大学院教育の「効果測定」という位置付けになりました。
今でも司法試験の「選抜機能」の必要性を直球で否定する声に出会います。法科大学院関係者から出された、とにかく合格させよ、という社会放出論ともいえる論調(質の確保は競争に委ねよ)も、司法試験を法科大学院の現実に沿わせよという論調も、前記発想につながっています。
しかし、資格制度と質の担保というテーマを考えた時、これほど奇妙な発想もありません。資格試験として司法試験が質を担保するために、最も適正に機能する条件とは、より多くの受験者から選抜されること(司法試験自体が多くの受験者がチャレンジする存在であること)と、厳格な関門であることです。冒頭の危機感とは、「改革」によってその両方が崩れようとしていることに対するものです。そもそもこれを追求しない資格試験というものが、資格試験として価値があるのでしょうか。資格が質を最低限担保するというのは、適正な利用者の選択担保が困難な資格であればあるほど、利用者にとっては最低限のニーズになり得るものです。
「合格させよ」論の中には、たとえ司法試験の「選抜」について、多少合格者枠を拡大しても実害はない(質担保に影響はない)というニュアンスの捉え方もあります。かつて1点の違いに多くの受験者がひしめいていた時代のイメージによるところが大きいものですが、それこそ受験者の母数が減るほどに、その説得力はなくなっているというべきです。
「改革」の法科大学院本道主義には、資格試験としての司法試験が必要ないくらいに、法科大学院を中核としたプロセスが質を担保する(司法試験はいわば形式的チェック)というような発想もあったように見えます。しかし、少なくとも法科大学院制度を受け入れた法曹界が、司法試験と司法修習(実質的には「点」ではなく旧プロセス)の役割・実績を軽視していたわけではなく、また、「改革」後に、法科大学院制度側がそこまでの実績を示せたわけでもありません。
法科大学院がそこまで質担保の役割を担う(担っている)いう自覚があるとすれば、前記社会放出論はやはり矛盾しているようにとれます。もっとも、前記「とにかく合格させよ」論や「法科大学院に沿わせよ」論には、あたかも現行司法試験が法科大学院教育を経た「法曹適格者」を、司法試験が不当に排除しているというニュアンスもあります。しかし、本音としては質担保の問題ではなく、合格率さえ上がれば、志望者が来るという制度存続のための期待感が透けています。
しかも、プロセスを経ていない予備試験ルート組が、司法試験合格での実績で上回り、今のところ法科大学院ルートと比べ、「法曹適格者」として劣っているという実績もないという、法科大学院側に不都合な現実があります。彼らは、今回の法改正で予備試験ルートを学生獲得の競争相手として、あくまで資格取得への時短という負担軽減策で勝負しようとしています。しかし、本来的には質担保で予備試験ルートと勝負して勝利しなければ、前記司法試験軽視論調の説得力もないといわなければなりません(「法科大学院制度の『勝利条件』」)
冒頭の二弁護士会の会長声明では、ともに当面,司法試験合格者数を年間1500人程度以上とすべき、とした2015年6月の法曹養成制度改革推進会議の決定での、「輩出される法曹の質の確保を考慮せずに達成されるべきものでないことに留意する必要がある」との留保に言及しています。留保を付されるまでもなく、これは資格試験のあり方として至極当たり前の話にとれます。しかし、それが当たり前であるだけに、なおさら、これを踏まえようとしていない「改革」の現実と、その擁護・推進者の姿勢に深刻な歪みを感じてしまいます。
「予備試験」のあり方をめぐる議論についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/5852
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ただ、いまもって法科大学院関係者はもとより、弁護士会主導層までもが、この司法試験の選抜機能の危機という切り口に、想定外であったことを認めないばかりか、冷ややかな姿勢をとっているようにみえます。それは一重に法科大学院制度を維持するためには、この危機感のうえに立った合格者減の方向が不都合であり、極力それを回避したいという意向が働いているととれてしまいます。
そして、この反応に対して、もう一つ、改めて感じることは、今回の「改革」路線の根底にある、司法試験軽視といってもいい発想です。そもそも今回の新法曹養成をめぐる「改革」論議では、「点からプロセス」という謳い文句のもとに、法科大学院を中核とする「プロセス」の効用が強調されました。同時に「点」と位置付けせられた司法試験も、その法科大学院教育の「効果測定」という位置付けになりました。
今でも司法試験の「選抜機能」の必要性を直球で否定する声に出会います。法科大学院関係者から出された、とにかく合格させよ、という社会放出論ともいえる論調(質の確保は競争に委ねよ)も、司法試験を法科大学院の現実に沿わせよという論調も、前記発想につながっています。
しかし、資格制度と質の担保というテーマを考えた時、これほど奇妙な発想もありません。資格試験として司法試験が質を担保するために、最も適正に機能する条件とは、より多くの受験者から選抜されること(司法試験自体が多くの受験者がチャレンジする存在であること)と、厳格な関門であることです。冒頭の危機感とは、「改革」によってその両方が崩れようとしていることに対するものです。そもそもこれを追求しない資格試験というものが、資格試験として価値があるのでしょうか。資格が質を最低限担保するというのは、適正な利用者の選択担保が困難な資格であればあるほど、利用者にとっては最低限のニーズになり得るものです。
「合格させよ」論の中には、たとえ司法試験の「選抜」について、多少合格者枠を拡大しても実害はない(質担保に影響はない)というニュアンスの捉え方もあります。かつて1点の違いに多くの受験者がひしめいていた時代のイメージによるところが大きいものですが、それこそ受験者の母数が減るほどに、その説得力はなくなっているというべきです。
「改革」の法科大学院本道主義には、資格試験としての司法試験が必要ないくらいに、法科大学院を中核としたプロセスが質を担保する(司法試験はいわば形式的チェック)というような発想もあったように見えます。しかし、少なくとも法科大学院制度を受け入れた法曹界が、司法試験と司法修習(実質的には「点」ではなく旧プロセス)の役割・実績を軽視していたわけではなく、また、「改革」後に、法科大学院制度側がそこまでの実績を示せたわけでもありません。
法科大学院がそこまで質担保の役割を担う(担っている)いう自覚があるとすれば、前記社会放出論はやはり矛盾しているようにとれます。もっとも、前記「とにかく合格させよ」論や「法科大学院に沿わせよ」論には、あたかも現行司法試験が法科大学院教育を経た「法曹適格者」を、司法試験が不当に排除しているというニュアンスもあります。しかし、本音としては質担保の問題ではなく、合格率さえ上がれば、志望者が来るという制度存続のための期待感が透けています。
しかも、プロセスを経ていない予備試験ルート組が、司法試験合格での実績で上回り、今のところ法科大学院ルートと比べ、「法曹適格者」として劣っているという実績もないという、法科大学院側に不都合な現実があります。彼らは、今回の法改正で予備試験ルートを学生獲得の競争相手として、あくまで資格取得への時短という負担軽減策で勝負しようとしています。しかし、本来的には質担保で予備試験ルートと勝負して勝利しなければ、前記司法試験軽視論調の説得力もないといわなければなりません(「法科大学院制度の『勝利条件』」)
冒頭の二弁護士会の会長声明では、ともに当面,司法試験合格者数を年間1500人程度以上とすべき、とした2015年6月の法曹養成制度改革推進会議の決定での、「輩出される法曹の質の確保を考慮せずに達成されるべきものでないことに留意する必要がある」との留保に言及しています。留保を付されるまでもなく、これは資格試験のあり方として至極当たり前の話にとれます。しかし、それが当たり前であるだけに、なおさら、これを踏まえようとしていない「改革」の現実と、その擁護・推進者の姿勢に深刻な歪みを感じてしまいます。
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