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    弁護士報酬をめぐる認識の溝

     報酬というものを挟んだ弁護士と利用者市民の関係は、司法「改革」によっても実は大きく変わっていないという印象があります。その変わっていない関係とは、端的にいえば、「無理解」ということを挟んだ関係であるといえます。弁護士報酬といえば、利用者側にとっての分かりにくさ、さらに高額への不満という側面で語られがちですが、その一方で、弁護士側にも実は延々と「不当性」を掲げられることへの不満もあるのです。

     「改革」が、この溝を埋めるものになってきたかといえば、それは甚だ疑問です。いや、むしろこの「改革」によって、両者の溝は逆に結果的に広がっているのではないか、と思います。個々の弁護士がネットで情報を発信できる時代、費用そのものはかつてよりも市民に伝わり安くなっているはずです。しかし、その一方で、弁護士がよりカネ儲け主義に走っているという言説は、かつてより見かけるようになりました。そして、弁護士からすれば、より経済的にペイしにくい案件まで、カネ目当て的に評されることに不満を募らせている話もよく耳にするようになっています。

     背景には、弁護士増員政策による、市民側の弁護士に対する、いわば過剰期待もあるようにみえます。弁護士が増え、競争・淘汰が起こる先に、弁護士側の努力による質の向上や低額化が当然起こる、ということを「改革」は社会にイメージさせました。弁護士がかつてより増えたということは社会に周知され、それによって当然により安く案件を引き受けてくれる弁護士はいるはず、という認識は広がった。高ければ選ばなければいい、選ぶのはこちらなのだから、努力してなんとかする、代わりの弁護士はかつてと違って、いくらもいるだろう、と。

     それが「改革」が目指したものではないか、という理解がされること自体は、ある意味、仕方がないといえます。いうまでもなく、現に「改革」そのものがそういう発想で、弁護士報酬の不当性の認識のうえに立脚していた、といえるからです。

     「改革」論議当初の1990年代、推進論者による弁護士・会批判のなかでは、そのことが露骨に示されていました。弁護士・会は「競争=非倫理的」という利用者を無視した発想に立ち、質を維持しながら、価格を低下させるような努力を怠っている。当時の報酬基準は、水準低下を防止しようとするもので、報酬規定は価格競争を制限し、報酬を「不当に」引き上げるものである、と(三宅伸吾・著、「弁護士カルテル」)。

     問題は、当時の弁護士会の「改革」主導層が、この論調に対して、言うべきことを言ったのか、という点にあります。つまり、個々の会員の業務に直結する、弁護士の報酬水準の根拠や正当性について、どこまで弁明し、理解を求めたのか、ということです。当時の弁護士会側の認識は、あくまで報酬規定による関係を改め、顧客との信頼関係による自主的な報酬額設定にすることともに、額としての、「透明化」「明確化」を強調するものでした。

     これは、一方で、事実上、弁護士・会側が前記「不当性」批判を自省的に受けとめたとされ(現に、当時の会外の「改革」推進論者たちには、増員政策の受け入れとともに、弁護士・会は、この点で姿勢転換を余儀なくされたととった)、しかしながら、その一方で、弁護士・会側の基本認識は、あくまで報酬を情報公開の問題ととらえていて、透明化さえすれば、利用者の理解はついてくる、という楽観論に立っていたものでした(「変わらない弁護士報酬『不評』から見えるもの」)。

     結局、この結果として、弁護士報酬への利用者の本質的理解というテーマは完全に抜け落ちてしまった。なぜ、弁護士の費用が高額になるのか、さらに弁護士も採算性を追及しなければ、個人事業者としてもたないこと。増員政策によって、より厳しい経済環境になるにもかかわらず、そこが強調されず、依頼者のリテラシーは高まらないまま、一方的に「改革」の成果だけが期待されたところに、今の溝の深まりがあるのではないでしょうか。

     弁護士報酬が高額化になる理由として、この仕事が個々の案件に応じた、いわば「オーダーメイド」であることを指摘した弁護士がいました。また、過払い請求のような形式処理できる案件以外、薄利多売化が困難で、かつ、採算性に関係なく、同様の手間がかかるという面も、理解されていない、という不満を弁護士から度々耳にすることがせあります(「弁護士『薄利多売』化の無理と危険」)。

     これらの主張が、本当に利用者に理解されにくい話なのかといえば、それも疑問といわなければなりません。いくら質が同じならば、安ければ安いにこしたことはない、といっても、さらに利用者が選択できるといっても、この質で安くやれという要求が常に通るわけもないことは、さすがに誰でも分かることだからです。まして限りなく無料に近ければお願いしたい、という欲求を、別の前提的条件抜きに、業として成り立ちニーズと扱う業界もない。弁護士という仕事に強く張り付いたイメージの問題もありますが、そういうニーズにこたえるのが使命だというのであれば、それこそそこについては、逆に普通のサービス業と同じ枠組みで考えてはいけない、考えられない仕事ということなのです。

     実際は、この報酬を挟んだ認識の広がりに、むしろ諦めに近い声を弁護士の中から聞くことになっています。個々の弁護士の力でどうかできることにはもちろん限界がありますし、経済的に余裕のない状況であればなおさらのこと、理解されない利用者は、「極力相手にしない」という選択肢しか現実的にはない、ということも理解できるところではあります。

     やはり「改革」によって、結果的に積み残されてしまっている問題のように思えてなりません。


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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


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