偏っていた弁護士自治への脅威論
司法改革による弁護士の激増が現実化する以前に、弁護士会のあり方をめぐり、よく耳にした論調がありました。それは、次のような、弁護士激増に伴う、弁護士自治への脅威に関する、ある「予想」を前提としたものでした。
これまで一定数に弁護士会員が絞られていた弁護士会にあっては、弁護士の関係を重視した一定の相互監視による倫理の維持(当時の聞かれた言い方からすれば「顔が見える」関係の効果)が機能していたが、今後は増員によってそれは困難になり、弁護士会の実効性ある教育・監督が重要性を帯びてくるだろう。その意味で弁護士自治をさらに強化しておかないと、実質的な弁護士会の弁護士個人に対する監督の実効性に問題が生じかねない――(日弁連弁護士業務改革委員会21世紀の弁護士像研究プロジェクトチーム編「いま弁護士は、そして明日は?」)。
弁護士増員が既定方針化していた段階の議論として、弁護士の倫理の維持がこれまでのようにいかなくなるという危機感が浮上したことそのものは、当然のように思えます。ただ、この論調を耳にしたとき、正直、弁護士会は大丈夫なのか、という気持ちにさせられました。別の言い方をすれば、弁護士会は大変なものを背負うことになるのではないか、と。
少数会員時代の相互監視機能というのは、かつて弁護士会内に一定限度存在していたことは事実だろうし、会員数の多い大都市会にあっても、その中の会派(派閥)の効用として結び付けられて語られてきたことでした。それは、ともかくとして問題は後段です。数が増え、その機能が必然的に低下・消滅していくにあたり、弁護士自治の強化によって実効性のある監督を実現するという見立ての方です。
なぜならば、率直に言って、この時点において、弁護士会関係者が具体的にこれを実現できる見通しや、自信を持っていたとは、とても思えなかったからです。その無理は、実績的に分かっていたのではないか、という気さえしたのです。たとえ懲戒を厳格に運用しても、それは事実上、発生してしまったことへ、弁護士会の責任として行わざるを得ないもので、それが倫理保持に積極的に機能し、大増員時代の不祥事の抑止・歯止めになる、という確固たる実績も認識もあったわけではない。そして、残念ながら、それを実証するかのように、いわば数が増えたら増えただけ、現実に不祥事は発生してしまったのです(「懲戒請求件数・処分数の隔たりと『含有率』という問題」 「『改革』を直視しない弁護士不祥事対策」)
弁護士激増によって、極めて現実的に発生する、しかも実績に予想できた結果を、この時、「弁護士自治の強化」でなんとかする(なんとかしなければならない)という結論に導いているのです。その現実的効果まで予想していない点で、これは、非常に苦しい見方のようにとれます。
ただ、もう一つ、抑えておきたいのは、弁護士激増による弁護士自治へのさらに深刻な影響を、この時も、そして今も、弁護士会主導層は見ていない(見ようとしていない)ことです。それは端的にいえば、弁護士自治を支えることそのものへの、弁護士会員のコンセンサスへの影響です。
一口に言ってしまえば、激増政策による、弁護士の経済的下落がここまでとは予想できず、そして、それがこれまでの弁護士自治への会員目線まで変えていく、ということを想像できかった、ということになるかもしれません。ただ、別の見方をすると、弁護士自治を付与されている「責任」とか、「上から」の「監督」のための「強化」が導かれる発想はあっても、それを支える「下から」の会員目線の発想は欠落していた、といえないでしょうか。
弁護士自治への国民的な「理解」とか、市民のコンセンサスはストレートに気にしながら、やはり会員のコンセンサスという視点は後方にあったようにとれてしまうのです。
既に弁護士激増政策が破綻して、かつてような必要論が現実的に通用しなくなっている今、これをみれば、弁護士自治の堅持にとっては、会員不満を生み出し、あるいは顕在化させる、いかにも「やぶへび」な政策を、わざわざ弁護士会が率先して推進したようにも見えてしまいます(「『弁護士自治』会員不満への向き合い方」)。
しかし、既に弁護士は増えてしまい、また、増え続けようとしています。会費、意思決定のあり方について、弁護士会主導層は、今、本当に弁護士自治の未来を考えるのであれば、まず、過去の発想から決別し、「これまでのようにはいかない」という前提に立った、会員コンセンサスのあり方を模索すべきところにきているように思えてなりません。
弁護士自治と弁護士会の強制加入制度の必要性について、ご意見をお聞かせ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4794
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これまで一定数に弁護士会員が絞られていた弁護士会にあっては、弁護士の関係を重視した一定の相互監視による倫理の維持(当時の聞かれた言い方からすれば「顔が見える」関係の効果)が機能していたが、今後は増員によってそれは困難になり、弁護士会の実効性ある教育・監督が重要性を帯びてくるだろう。その意味で弁護士自治をさらに強化しておかないと、実質的な弁護士会の弁護士個人に対する監督の実効性に問題が生じかねない――(日弁連弁護士業務改革委員会21世紀の弁護士像研究プロジェクトチーム編「いま弁護士は、そして明日は?」)。
弁護士増員が既定方針化していた段階の議論として、弁護士の倫理の維持がこれまでのようにいかなくなるという危機感が浮上したことそのものは、当然のように思えます。ただ、この論調を耳にしたとき、正直、弁護士会は大丈夫なのか、という気持ちにさせられました。別の言い方をすれば、弁護士会は大変なものを背負うことになるのではないか、と。
少数会員時代の相互監視機能というのは、かつて弁護士会内に一定限度存在していたことは事実だろうし、会員数の多い大都市会にあっても、その中の会派(派閥)の効用として結び付けられて語られてきたことでした。それは、ともかくとして問題は後段です。数が増え、その機能が必然的に低下・消滅していくにあたり、弁護士自治の強化によって実効性のある監督を実現するという見立ての方です。
なぜならば、率直に言って、この時点において、弁護士会関係者が具体的にこれを実現できる見通しや、自信を持っていたとは、とても思えなかったからです。その無理は、実績的に分かっていたのではないか、という気さえしたのです。たとえ懲戒を厳格に運用しても、それは事実上、発生してしまったことへ、弁護士会の責任として行わざるを得ないもので、それが倫理保持に積極的に機能し、大増員時代の不祥事の抑止・歯止めになる、という確固たる実績も認識もあったわけではない。そして、残念ながら、それを実証するかのように、いわば数が増えたら増えただけ、現実に不祥事は発生してしまったのです(「懲戒請求件数・処分数の隔たりと『含有率』という問題」 「『改革』を直視しない弁護士不祥事対策」)
弁護士激増によって、極めて現実的に発生する、しかも実績に予想できた結果を、この時、「弁護士自治の強化」でなんとかする(なんとかしなければならない)という結論に導いているのです。その現実的効果まで予想していない点で、これは、非常に苦しい見方のようにとれます。
ただ、もう一つ、抑えておきたいのは、弁護士激増による弁護士自治へのさらに深刻な影響を、この時も、そして今も、弁護士会主導層は見ていない(見ようとしていない)ことです。それは端的にいえば、弁護士自治を支えることそのものへの、弁護士会員のコンセンサスへの影響です。
一口に言ってしまえば、激増政策による、弁護士の経済的下落がここまでとは予想できず、そして、それがこれまでの弁護士自治への会員目線まで変えていく、ということを想像できかった、ということになるかもしれません。ただ、別の見方をすると、弁護士自治を付与されている「責任」とか、「上から」の「監督」のための「強化」が導かれる発想はあっても、それを支える「下から」の会員目線の発想は欠落していた、といえないでしょうか。
弁護士自治への国民的な「理解」とか、市民のコンセンサスはストレートに気にしながら、やはり会員のコンセンサスという視点は後方にあったようにとれてしまうのです。
既に弁護士激増政策が破綻して、かつてような必要論が現実的に通用しなくなっている今、これをみれば、弁護士自治の堅持にとっては、会員不満を生み出し、あるいは顕在化させる、いかにも「やぶへび」な政策を、わざわざ弁護士会が率先して推進したようにも見えてしまいます(「『弁護士自治』会員不満への向き合い方」)。
しかし、既に弁護士は増えてしまい、また、増え続けようとしています。会費、意思決定のあり方について、弁護士会主導層は、今、本当に弁護士自治の未来を考えるのであれば、まず、過去の発想から決別し、「これまでのようにはいかない」という前提に立った、会員コンセンサスのあり方を模索すべきところにきているように思えてなりません。
弁護士自治と弁護士会の強制加入制度の必要性について、ご意見をお聞かせ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4794
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