弁護士会の「総意」を支えてきた「許容」
「総意」ということをめぐる、会員間の認識の溝が、これほど深くなることを、過去日弁連・弁護士会は体験してこなかったし、想定もしてこなかったように思えます。これまでも書いてきたように、死刑廃止問題のように、案件の性格によって、これをあえて弁護士会の「総意」にまとめあげようとすることの妥当性が、強制加入という現実のなかで問われるということがあります。
会員の思想・信条の自由との絡みで語られるとすれば、それ自体は以前からある切り口ではあります。しかし、あえていうと、「総意」によって会員の行動が拘束されたり、まとめる側がそこに積極的に踏み込むという話があるわけではありません。司法判断においても、そこが切り離されていること、切り離されてなお、弁護士会がそのいわば「形式的総意」に踏み込む意義あるとされていることは多くの会員が知っているはずのことです。
それを言ってしまえば、そもそも弁護士会の決議が、「正当」な機関決定や議事を経ても、「形式的」な「総意」であることを会員は知っているはずですし、いうまでもなく、厳密な意味での「総意」にこだわれば、日弁連・弁護士会が身動きがとれなくなることも知っていたはずです。
総会での議決に直接参加・関与した会員数の少なさで、議決案件の「総意」を、比較多数で推認する妥当性への疑問は、つとに言われながらも、議決は成立してきました。また、無投票当選も含め、会員多数の支持を受けたという外形が整っているか疑わしい単位会会長(あるいは日弁連会長も)と、それで構成する日弁連理事会の決議の、いわば会内合意手続、いわば会内民主主義としての「正統性」へ疑問を呈する声だってないわけではありません(花水木法律事務所)。
つまり、何が言いたいかといえば、良いか悪いかは別に、その「正統性」にこだわることなく、「それでもよし」としてきた歴史が、日弁連や弁護士会という組織にはあったということです。その「形式的総意」を支えたのは、もちろん無関心層も含めたサイレント・マジョリティたる会員の「不問」「許容」であり、当然「総意」としたい側は、それを事実上賛成票に換算してきた、ということも否定できないはずなのです(「『塊』としての日弁連・弁護士会という発想の限界」)。
今、こだわるべきは、日弁連・弁護士会は、執行部と会員の関係で、何が、どうして通用しなくなったのか、ということではないでしょうか。「形式的」であることの妥当性への直接的な疑問が、会員の中で、徐々に広がって来ているということもないとはいえません。しかし、そもそもが前記してきた「不問」「許容」で支えられてきた歴史が、この団体にあることを考えれば、別の会員の疑問の方に注目したくなるのです。
それは有り体にいえば、死刑廃止への運動方針決定に被せてみると、こういう会員の本音の分け方になるのではないでしょうか。つまり、「死刑廃止は自分の信条とは違うので、強制加入団体が表明することを許容しがたい」のか、それとも「死刑廃止は自分の信条とは違うが、それよりも強制加入団体の業者団体として、会員の業務に資することをやらないで、こうした表明をすることが許容しがたい」なのか――。
要するに、前記「形式的総意」が通用してきた現実からすれば、むしろ当然に後者の会員意識に、今、会主導層は向き合って然るべきではないのかということなのです。現にその後者の発想をうかがわせるような会員の声は聞かれます(「『新弁護士会設立構想』ツイッターが意味するもの」「欠落した業界団体的姿勢という問題」)
ただ、そうするための現実的な課題は、大きく二つあるようにみえます。一つは、やはりここでは、その原因たる「改革」失敗が生んだ、弁護士の経済価値の下落を、解決すべき根源の問題として直視しなければならないこと、そしてもう一つはそれを直視しない発想を支える、それでも(自分たちが通用したように)、「通用する」とらえる弁護士会主導層の時代認識です。
これらは、この課題は相当ハードルが高いもの、と、今や会員の中で受けとめられている向きもあります。「分裂」や「崩壊」という文字が、弁護士会と自治の未来に被せられる言がネット上で見られていることも、そのことを裏付けているといえます。彼らは、このままずるずると行くのではないか、と。
「かつてのようなのどかな時代は終わったのだ」。ある弁護士は、そう語りました。弁護士会員の発想としても、環境としても、前記「許容」が成り立った時代は、確かにいまから見れば、「のどか」であり、それは「改革」の失敗とともに「終わった」と言うことはできるのかもしれない。ただ、残念なことに、そうした諦念の先に、何か弁護士にとっても、社会にとっても、有り難い弁護士会の未来が展望できるかといえば、そうではないように見えるのが、現実といわなければならないのです。
弁護士自治と弁護士会の強制加入制度の必要性について、ご意見をお聞かせ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4794
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会員の思想・信条の自由との絡みで語られるとすれば、それ自体は以前からある切り口ではあります。しかし、あえていうと、「総意」によって会員の行動が拘束されたり、まとめる側がそこに積極的に踏み込むという話があるわけではありません。司法判断においても、そこが切り離されていること、切り離されてなお、弁護士会がそのいわば「形式的総意」に踏み込む意義あるとされていることは多くの会員が知っているはずのことです。
それを言ってしまえば、そもそも弁護士会の決議が、「正当」な機関決定や議事を経ても、「形式的」な「総意」であることを会員は知っているはずですし、いうまでもなく、厳密な意味での「総意」にこだわれば、日弁連・弁護士会が身動きがとれなくなることも知っていたはずです。
総会での議決に直接参加・関与した会員数の少なさで、議決案件の「総意」を、比較多数で推認する妥当性への疑問は、つとに言われながらも、議決は成立してきました。また、無投票当選も含め、会員多数の支持を受けたという外形が整っているか疑わしい単位会会長(あるいは日弁連会長も)と、それで構成する日弁連理事会の決議の、いわば会内合意手続、いわば会内民主主義としての「正統性」へ疑問を呈する声だってないわけではありません(花水木法律事務所)。
つまり、何が言いたいかといえば、良いか悪いかは別に、その「正統性」にこだわることなく、「それでもよし」としてきた歴史が、日弁連や弁護士会という組織にはあったということです。その「形式的総意」を支えたのは、もちろん無関心層も含めたサイレント・マジョリティたる会員の「不問」「許容」であり、当然「総意」としたい側は、それを事実上賛成票に換算してきた、ということも否定できないはずなのです(「『塊』としての日弁連・弁護士会という発想の限界」)。
今、こだわるべきは、日弁連・弁護士会は、執行部と会員の関係で、何が、どうして通用しなくなったのか、ということではないでしょうか。「形式的」であることの妥当性への直接的な疑問が、会員の中で、徐々に広がって来ているということもないとはいえません。しかし、そもそもが前記してきた「不問」「許容」で支えられてきた歴史が、この団体にあることを考えれば、別の会員の疑問の方に注目したくなるのです。
それは有り体にいえば、死刑廃止への運動方針決定に被せてみると、こういう会員の本音の分け方になるのではないでしょうか。つまり、「死刑廃止は自分の信条とは違うので、強制加入団体が表明することを許容しがたい」のか、それとも「死刑廃止は自分の信条とは違うが、それよりも強制加入団体の業者団体として、会員の業務に資することをやらないで、こうした表明をすることが許容しがたい」なのか――。
要するに、前記「形式的総意」が通用してきた現実からすれば、むしろ当然に後者の会員意識に、今、会主導層は向き合って然るべきではないのかということなのです。現にその後者の発想をうかがわせるような会員の声は聞かれます(「『新弁護士会設立構想』ツイッターが意味するもの」「欠落した業界団体的姿勢という問題」)
ただ、そうするための現実的な課題は、大きく二つあるようにみえます。一つは、やはりここでは、その原因たる「改革」失敗が生んだ、弁護士の経済価値の下落を、解決すべき根源の問題として直視しなければならないこと、そしてもう一つはそれを直視しない発想を支える、それでも(自分たちが通用したように)、「通用する」とらえる弁護士会主導層の時代認識です。
これらは、この課題は相当ハードルが高いもの、と、今や会員の中で受けとめられている向きもあります。「分裂」や「崩壊」という文字が、弁護士会と自治の未来に被せられる言がネット上で見られていることも、そのことを裏付けているといえます。彼らは、このままずるずると行くのではないか、と。
「かつてのようなのどかな時代は終わったのだ」。ある弁護士は、そう語りました。弁護士会員の発想としても、環境としても、前記「許容」が成り立った時代は、確かにいまから見れば、「のどか」であり、それは「改革」の失敗とともに「終わった」と言うことはできるのかもしれない。ただ、残念なことに、そうした諦念の先に、何か弁護士にとっても、社会にとっても、有り難い弁護士会の未来が展望できるかといえば、そうではないように見えるのが、現実といわなければならないのです。
弁護士自治と弁護士会の強制加入制度の必要性について、ご意見をお聞かせ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4794
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