増員と需要をめぐる「改革」の足踏み的思考
語弊があることを承知で言えば、傍目に見て、司法改革の法曹人口増員政策によって、弁護士という資格業は、経済的価値を下落させるという手酷い仕打ちを受けることになったといえます。もっとも、傍目とあえて断っていますが、内部に危機感を持っていた人たちも沢山いたとはいえ、弁護士会として一緒になって政策の旗を振った側としては、こういう捉え方にはならないという弁護士も、いまだにいます。
経済界の人間でさえ、懸念していた極端な増員を、「大丈夫」と受け容れ、需要は沢山あるのだから、「市民のため」になんとかしなければならないとして、進めた政策である以上、少なくとも主導層の人間が、どうしていまさら被害者づらはできるのか、という話になるのかもしれません(「日弁連が『3000人』を受け入れた場面」)。
しかし、この「改革」後にこの世界に入った人たち、もしくはこれからこの世界に入ってこようとする人たちにとって、このことがどんな意味があるのかということを考えてしまいます。言うまでもなく、彼らにとって一番「なんとかしなければならない」のは、資格者としての生存であり、かつて掲げられた「改革」ではないからです。
もちろん、この「なんとかする」と実行された「改革」が、ここまでもう取り返しがつかない(かつてのような資格業に戻れない)とまでいわれるほど、変質させるほどの、それに見合うほどの「価値」が果たしてあるのかということも、彼らは水平的に考えられるし、当然に考えておかしくないはずなのです。
ただ、現実を見てみると、弁護士会主導層も、あるいは「改革」推進派のメディアも、事ここに及んでも、かつてと全く同じ括り方で、この「改革」の先を「なんとかすべき」「なんとかなる」ものとして描こうとしているようにしかみえないのです。
「弁護士の平均年収は4割減 過去十年で年収が上がった職業、下がった職業」
こんなタイトルで、ニューズウイーク日本版が教育社会学者の舞田敏彦氏の記事をネット上に公開しています。この10年間の年収の減少率が最も大きい3つの職業は「士業」で占められており、公認会計士、社会保険労務士、弁護士で、特に弁護士は1271万円から729万円と4割以上減少。背景には、弁護士の増え過ぎがあり、この期間にかけて弁護士は2万8789人から4万1118人と1.5倍に増えている――。
経済誌などでも、もはや見慣れている感があるデータから読み解いた、弁護士の経済的没落に注目した記事ですが、明らかに弁護士増員政策の失敗が原因であるという認識には立っています。しかし、記事はこれまたお決まりのように、こう続けています。
「ただ、今の時代、弁護士の力を必要としている人は多いはずで、たとえば生活保護の申請同行などは今後爆発的に需要が増すだろう。高齢化の進行に伴い、終活関連業務(財産管理、遺言、相続等)へのニーズも多い。東京から、弁護士が1人もいない過疎地に移住し、この手の業務をこなして住民から愛されている若手弁護士のニュースがあった(関西テレビ、2020年12月16日)」
「法曹の3割近くは東京に住んでいて、赤字の上位5位の都府県で56%が占められている。人口当たりの数にすると、東京は10万人あたり62人であるのに対し、高知はわずか3人だ。住民の高齢化率を考えると、上記の終活関連の業務は地方でニーズが大きいだろう。こうした偏りは是正すべきではないか」
「住むところを変えるだけで、自身の存在意義の感じ方が大きく変わるかもしれない。過疎地に移住した、上記の若手弁護士が好例だ。コロナ禍の今、弁護士も東京脱出、地方移住の波に乗ってみるのもいいかもしれない」
なぜ、こういう展開になってしまうのかと思ってしまいます。増加し続ける政策に見合い、支え切れるかも、そもそもどれだけ経済的に期待できるかも考えずにいわれる、いわば無責任な「なんとかなる(はず)」論です。とりわけ「地方」推奨は典型的です。可能性の話をしているという人もいるかもしれませんが、生存バイアス的になる話を続けている以上、「多いはず」という「弁護士の力を必要としている」ニーズが本当にあるとして、それを現実的に支える弁護士の経済的前提の話には一向になりません。
これは弁護士会主導層も同じです。要は、事ここに及んでも、この記事同様、かつてと同じ姿勢で、「なんとかしなければならない」「なんとかなる」と言っているようにしかみえないのです。こんな分野で需要が増すはず、この分野では需要が多い(ようだ)、こんな風に必要とされている弁護士たちもいる、地方には需要がまだある(ようだ)―。こうしたことが、弁護士の「魅力」発信という枠で語られ続けているだけの、いわば足踏み状態が、止まらない増員基調のなかで続いているのです。
「改革」の失敗を結果的に糊塗し、思考停止をもたらすように使われてきた、「地方」の可能性について、最近、ある地方弁護士のブログが、こんな的確で問題の本質を突いた指摘をしています。
「『地方には弁護士の仕事はあるのかないのか?』と聞かれれば『ある』。しかし、そこで期待されている『仕事』は、地域の法秩序を維持するために不可欠でありながら、事業としては成り立たないものも少なくない。それがこの十数年の我々の経験から言えることである」
「もうちょっと踏み込んでいえば、もともとパイの限られた地域で弁護士間の競争が激化すると、収益性の低い業務は顧みられなくなってしまうのである。手間が掛かる、実入りも少ない、その上重要顧客の維持獲得につながらない(競争が激化するとこの要素は特に重要である)、という性質の業務は、他に仕事がないからやる、ということにはならないのである。結果的に、法秩序を維持することが難しくなる場面も現れる」
「法の支配を津々浦々にというスローガンは、ここに挫折を見るのである」( 「BLOG@yiwapon」)
「なんとかしなければならない」「なんとかする」ありきの「改革」思考から、いったん脱却しないと、もはや現実は見えてこないのではないか、という気持ちになります。
地方の弁護士ニーズについて、ご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4798
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経済界の人間でさえ、懸念していた極端な増員を、「大丈夫」と受け容れ、需要は沢山あるのだから、「市民のため」になんとかしなければならないとして、進めた政策である以上、少なくとも主導層の人間が、どうしていまさら被害者づらはできるのか、という話になるのかもしれません(「日弁連が『3000人』を受け入れた場面」)。
しかし、この「改革」後にこの世界に入った人たち、もしくはこれからこの世界に入ってこようとする人たちにとって、このことがどんな意味があるのかということを考えてしまいます。言うまでもなく、彼らにとって一番「なんとかしなければならない」のは、資格者としての生存であり、かつて掲げられた「改革」ではないからです。
もちろん、この「なんとかする」と実行された「改革」が、ここまでもう取り返しがつかない(かつてのような資格業に戻れない)とまでいわれるほど、変質させるほどの、それに見合うほどの「価値」が果たしてあるのかということも、彼らは水平的に考えられるし、当然に考えておかしくないはずなのです。
ただ、現実を見てみると、弁護士会主導層も、あるいは「改革」推進派のメディアも、事ここに及んでも、かつてと全く同じ括り方で、この「改革」の先を「なんとかすべき」「なんとかなる」ものとして描こうとしているようにしかみえないのです。
「弁護士の平均年収は4割減 過去十年で年収が上がった職業、下がった職業」
こんなタイトルで、ニューズウイーク日本版が教育社会学者の舞田敏彦氏の記事をネット上に公開しています。この10年間の年収の減少率が最も大きい3つの職業は「士業」で占められており、公認会計士、社会保険労務士、弁護士で、特に弁護士は1271万円から729万円と4割以上減少。背景には、弁護士の増え過ぎがあり、この期間にかけて弁護士は2万8789人から4万1118人と1.5倍に増えている――。
経済誌などでも、もはや見慣れている感があるデータから読み解いた、弁護士の経済的没落に注目した記事ですが、明らかに弁護士増員政策の失敗が原因であるという認識には立っています。しかし、記事はこれまたお決まりのように、こう続けています。
「ただ、今の時代、弁護士の力を必要としている人は多いはずで、たとえば生活保護の申請同行などは今後爆発的に需要が増すだろう。高齢化の進行に伴い、終活関連業務(財産管理、遺言、相続等)へのニーズも多い。東京から、弁護士が1人もいない過疎地に移住し、この手の業務をこなして住民から愛されている若手弁護士のニュースがあった(関西テレビ、2020年12月16日)」
「法曹の3割近くは東京に住んでいて、赤字の上位5位の都府県で56%が占められている。人口当たりの数にすると、東京は10万人あたり62人であるのに対し、高知はわずか3人だ。住民の高齢化率を考えると、上記の終活関連の業務は地方でニーズが大きいだろう。こうした偏りは是正すべきではないか」
「住むところを変えるだけで、自身の存在意義の感じ方が大きく変わるかもしれない。過疎地に移住した、上記の若手弁護士が好例だ。コロナ禍の今、弁護士も東京脱出、地方移住の波に乗ってみるのもいいかもしれない」
なぜ、こういう展開になってしまうのかと思ってしまいます。増加し続ける政策に見合い、支え切れるかも、そもそもどれだけ経済的に期待できるかも考えずにいわれる、いわば無責任な「なんとかなる(はず)」論です。とりわけ「地方」推奨は典型的です。可能性の話をしているという人もいるかもしれませんが、生存バイアス的になる話を続けている以上、「多いはず」という「弁護士の力を必要としている」ニーズが本当にあるとして、それを現実的に支える弁護士の経済的前提の話には一向になりません。
これは弁護士会主導層も同じです。要は、事ここに及んでも、この記事同様、かつてと同じ姿勢で、「なんとかしなければならない」「なんとかなる」と言っているようにしかみえないのです。こんな分野で需要が増すはず、この分野では需要が多い(ようだ)、こんな風に必要とされている弁護士たちもいる、地方には需要がまだある(ようだ)―。こうしたことが、弁護士の「魅力」発信という枠で語られ続けているだけの、いわば足踏み状態が、止まらない増員基調のなかで続いているのです。
「改革」の失敗を結果的に糊塗し、思考停止をもたらすように使われてきた、「地方」の可能性について、最近、ある地方弁護士のブログが、こんな的確で問題の本質を突いた指摘をしています。
「『地方には弁護士の仕事はあるのかないのか?』と聞かれれば『ある』。しかし、そこで期待されている『仕事』は、地域の法秩序を維持するために不可欠でありながら、事業としては成り立たないものも少なくない。それがこの十数年の我々の経験から言えることである」
「もうちょっと踏み込んでいえば、もともとパイの限られた地域で弁護士間の競争が激化すると、収益性の低い業務は顧みられなくなってしまうのである。手間が掛かる、実入りも少ない、その上重要顧客の維持獲得につながらない(競争が激化するとこの要素は特に重要である)、という性質の業務は、他に仕事がないからやる、ということにはならないのである。結果的に、法秩序を維持することが難しくなる場面も現れる」
「法の支配を津々浦々にというスローガンは、ここに挫折を見るのである」( 「BLOG@yiwapon」)
「なんとかしなければならない」「なんとかする」ありきの「改革」思考から、いったん脱却しないと、もはや現実は見えてこないのではないか、という気持ちになります。
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