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    無理を背負う形となった弁護士会的発想

     弁護士の公的役割あるいは公益性に関する、過去の論述を振り返ると、弁護士会主導層、あるいは会内の一部「人権派」と位置付けられている方々の捉え方は、ほぼ確立され、同様の趣旨が共通して、繰り返し述べられている印象を持ちます。

     国民の立場に立ち、民主主義にのっとった正義を社会に実現していく使命を持っているという基本的な弁護士観。強制力や権力をもたない弁護士は、法律に基づき、依頼者の要求を実現し、権利を守ることによって正義を実現していくしかないという宿命的自覚。弁護士自治・強制加入団体よる弁護士会の公的活動は、その使命の実現につながり、戦前・戦中の軍国主義ファシズム化での弁護士業弾圧への反省が、前記制度の存在意義の根底にあるという認識。弁護士が前記のような活動を維持し、権力から弾圧されないためには、もっぱら国民の信頼に依拠するしかない、国民を味方につけるしかないという発想――。

     しかし、不思議なくらいこの弁護士の公的役割、公益性の根底に据えられる発想のどこにも、それを成り立たせる前提となる公的な経済的な保障の必要性、あるいは私的経済活動によって、それらを支え切ることの限界性について触れるものがありません。つまり、有り体に言ってしまえば、前記自覚の上に成り立たせる公的役割・公益性は、当たり前のごとく、弁護士が私的経済活動でなんとかする、それに依拠するべきものとして、描かれているということなのです。

     今、こうした発想に触れる度に、正直、これは弁護士が一定の経済的安定を当たり前に確保できた時代、別の言い方をすれば、その前提を疑わなかった時代だからこそ、彼らは通用すると、考えたのではなかったということをどうしても考えてしまいます。なぜならば、まさにその前提なきうえに立つ弁護士会的発想の無理に、多くの弁護士は気が付き始めているようにとれるからです。

     この前提を踏まえない弁護士側の発想あるいは姿勢は、「平成の司法改革」では、むしろ極端に弁護士自身の首を絞め、結果、その無理を白日のもとにさらした観があります。有償・無償を問わず、「ニーズがあるから」(必要とされるから)弁護士を増やさなければ「ならない」という発想、必要とされる以上、事業者性を犠牲にしても公益性を追求しなければ「ならない」という発想。そうしなければ、国民から見放される、という発想――。

     これらは、無理な弁護士増員政策の旗を弁護士自身が振ることの根本的な動機につながっていた、というか、つなげられたのです(「『事業者性』の犠牲と『公益性』への視線」)。

     さらに、これらはおよそ弁護士が想定したのとは違う形で社会につたわり、別の効果を生んだように見えます。「給費制」存廃問題で露骨な形で現れた、弁護士の公的役割に対する国費投入への差別的な捉え方。法曹界内で全く聞かれていなかったわけではありませんが、在朝・在野法曹が、同じ司法修習の枠組みで国費で養成される形を批判的にとらえ、弁護士の公的役割の評価と、個人の経済的価値を生み出す資格という評価が堂々と比べられ、後者が重視される結果となりました(「『給費制』廃止違憲訴訟への目線」)。

     弁護士は公的役割とその拡大を、これからも自らの経済活動で生み出させる、自弁でなんとかする、という表明を、無理な増員政策に「大丈夫」と太鼓判を押し、胸を張る中で、ひたすら冒頭の発想だけにしがみついた。ひたすら、その「べき論」で「なんとかする」「なんとかできる」という姿勢で。しかも「あぐらをかいていた」という自省的な受け止め方にも

     もともと国民感情からすれば、日々の経済活動で生存できている、民間の組織や個人が、公費負担など何の公的な経済的後ろ盾なく、公的役割を担うのに、無理があることは、当たり前であり、およそ遠い発想ではありません。しかし、弁護士については、結果的にまるで当たり前のごとく、その例外的な場所に置かれることになりました。

     もともと「儲けている」というイメージは、もちろんず経済的な余裕という前提のある時代が、普遍のもののように社会にとられる可能性があるといえますが、弁護士自らが「改革」によっても、「なんとかする」「なんとかできる」という姿勢に立ってしまえば、なおさらのこと弁護士には特別の目線を送ることになってもおかしくありません。

     しかも「改革」にあって、弁護士自らが当時、盛んに言った、「あぐらをかいていた」という自省的な受け止め方にも、自省的な言葉も、あるいは弁護士会が期待したような社会的な積極的評価よりも、経済的前提なき、公的活動や、増員による低廉化良質化への社会的期待のハードルを上げ、むしろ無理を無理として理解してもらう状況から、どんどん遠ざかる結果になったようにすらみえるのです(「非現実的だった『改革』の弁護士公益論」)。

      弁護士会内の声に耳を貸すと、弁護士会主導層の発想は、いまでも変わっていない、という人が沢山います。その多くの弁護士が、既にその無理を見切って、自らの生存にかかわる経済活動を当然に優先させ、その発想そのものから距離をおき始めている印象を持ちます。

     それが本当に国民にとって有り難いことで、国民を味方につけることにつながるのか――。そういう危機感もまた、今の弁護士会にはあるように見えません。


    弁護士の経済的な窮状の現実を教えてください。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4818

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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


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