法曹養成見直し2法案審議が映し出したもの
法曹志望者減という「改革」が生み出した法曹養成の現状を打開するために、政府と野党が提出した二つの法案。片やいわゆる法学部3年プラス法科大学院2年の法曹一貫コースと、法科大学院在学中の司法試験受験容認でなんとか志望者を回復しようとする政府案。片や司法試験受験資格を法科大学院修了者と予備試験合格者に限定している現行制度の廃止などを打ち出した国民民主党等提出の野党法案。この二つの「改革」の結果に対する立ち位置の違いは、まさにドグマに陥っている法科大学院本道主義、あるいは司法審路線そのものを象徴しているようにとれます(「法科大学院制度廃止法案の登場」 「法曹養成見直しにみる『無自覚』と司法試験への共通認識」)
なぜならば、いうまでもなく、この2法案がいま提示されている現実の根底には、なぜ、法曹養成の議論は法科大学院中心主義に縛られるのか、そして、今後も縛られ続けなければならないのか、という問題が横たわっているのが明らかだからです。有り体にいえば、その呪縛を当たり前のようにとらえるか、否かが、この2法案の立場を分けているのです。
両法案が審議された4月23日の衆院文部科学委員会に招致された4人の参考人の発言は、ある意味、そのことを改めて浮き彫りにしているといえます。招致されたのは、山本和彦・ 一橋大学法学研究科教授、弁護士法人三田パブリック法律事務所所長の三澤英嗣弁護士、伊藤塾塾長の伊藤真弁護士、須網隆夫・早稲田大学大学院法務研究科教授。法科大学院制度擁護の側から政府法案を支持する立場、同じく擁護の側から政府案の在学中受験容認などを批判する立場に対し、受験要件化を外すことで事実上法科大学院制度を廃止する野党案の登場で、いわば三つ巴の形になった法曹養成見直しの立場を反映した意見を、この日、この4人は陳述しました。
法科大学院は、司法審が想定した「理論と実務の架橋」としての教育を実施し、想定通りの法曹を輩出するという成果を挙げているが、高校卒から資格取得まで最短8年かかる現状は時間的経済的負担という意味で魅力ある進路とはいえず、その意味で法曹コース、在学中受験容認の政府法案の立場は志望者へ大きなメッセージになるとする高橋教授。政府法案の3年プラス2年の法曹コース構想は在学中受験容認を十分踏まえた議論をしておらず、両者によって受験を目指す学生の負担は逆に重たくなるし、大学4年で予備試験を合格できるレベルの学生を両者の組み合わせで法科大学院が獲得したいという狙いでも、予備試験に制限がないため同コース法科大学院1年で同試験を合格すれば引き続き在学する必要はなくなり、この狙いは失敗するなどとする三澤弁護士。
志願者激減の原因は法科大学院で、対策はそれを除去することであり、制度は多様性の確保、開放性・公平性の目的理念で失敗しており、それに向き合わない法曹養成制度改革は茶番として野党法案を支持した伊藤弁護士。そして、在学中受験の容認は、法科大学院カリキュラムの中に法曹にとって必要な部分とそうでないものがあると認めることで、理念の転換になり、予備試験の運用が現在の制度趣旨に合致していないのは明らかな同試験をそのままに法科大学院制度をいじるのは順番が違うという須網教授。
志願者減のさらなる根本的な原因が法曹人口増員政策の失敗による弁護士資格の経済的価値の下落にあるというところに言及がなかったところを除けば、伊藤弁護士の指摘が、最も「改革」の現実を直視し、かつ路線に縛られない意見であり、当ブログで取り上げてきた見方にも合致しているものにとれました。しかし、実は4人の発言のなかで、ある意味、最も印象に残ったのは、須網教授が陳述の中で最後に述べた次の言葉でした。
「1990年代末、いわゆる司法制度改革審議会の頃は、司法試験という一発のペーパー試験で測れる能力には限界があるんだ、だからプロセスという必要な専門教育を受けたことを重視していかなければいけないんだということに、法曹三者を含めたすべての方が一致されていたわけです。問題は、果たしてこの認識を今も維持するのか維持しないのかということが、やはり一つの大きな議論の分かれ道なのではなかろうかと思う」
彼がここで言いたかったのは、その共通認識であったプロセスの重要性を、在学中受験容認の政府法案があいまいにしている、つまり、その揺るがせないはずの共通認識をもってして批判するニュアンスとして述べたようにとれます。しかし、あるいは彼が意図していたかどうかは別にして、もはや彼のいう「一発試験」の限界を含めた、プロセス重視の共通認識が崩れたところに「改革」論議の現実が至っていることを、この発言は示した、といえないでしょうか。
伊藤弁護士は、旧司法試験に対する「一発試験」批判について、陳述の中で次のように反論していました。
「一発勝負の弊害について説得的な論拠は何も明らかにされていない」
「多様な人材が自分の意思で、年齢、学歴、受験回数など関係なく、法曹を目指せる。いつでも学習したい時に自由に学び、挑戦できる制度のどこが不合理なのか。実はこの自由に挑戦できる制度がこの国の法の支配を支えてきた」
法科大学院本道主義が掲げてきた、「プロセス」重視の教育。しかし、須網教授のいう、司法審当時の大多数の共通認識は、果たして十分に旧司法試験との比較において尽くされた議論のうえに形成されていたのかどうか。法科大学院制度は、プロセスの成果、あるいは志望者にとってその負担を上回るほどのメリットを示せなかった。しかしそのことのみならず、そもそも「プロセス」は、伊藤弁護士指摘の疑問を含めて、十分考慮された選択であったのか――。
「改革」の結果と法曹養成をめぐる議論の現在地は、そのことをわれわれに問いかけているようにとれます。そして、おそらくそれを分かっていながら認めない、どうしても認められないことが、結局、法科大学院存続が自己目的した「改革」路線の現実のようにみえてならないのです。
「予備試験」のあり方をめぐる議論についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/5852
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なぜならば、いうまでもなく、この2法案がいま提示されている現実の根底には、なぜ、法曹養成の議論は法科大学院中心主義に縛られるのか、そして、今後も縛られ続けなければならないのか、という問題が横たわっているのが明らかだからです。有り体にいえば、その呪縛を当たり前のようにとらえるか、否かが、この2法案の立場を分けているのです。
両法案が審議された4月23日の衆院文部科学委員会に招致された4人の参考人の発言は、ある意味、そのことを改めて浮き彫りにしているといえます。招致されたのは、山本和彦・ 一橋大学法学研究科教授、弁護士法人三田パブリック法律事務所所長の三澤英嗣弁護士、伊藤塾塾長の伊藤真弁護士、須網隆夫・早稲田大学大学院法務研究科教授。法科大学院制度擁護の側から政府法案を支持する立場、同じく擁護の側から政府案の在学中受験容認などを批判する立場に対し、受験要件化を外すことで事実上法科大学院制度を廃止する野党案の登場で、いわば三つ巴の形になった法曹養成見直しの立場を反映した意見を、この日、この4人は陳述しました。
法科大学院は、司法審が想定した「理論と実務の架橋」としての教育を実施し、想定通りの法曹を輩出するという成果を挙げているが、高校卒から資格取得まで最短8年かかる現状は時間的経済的負担という意味で魅力ある進路とはいえず、その意味で法曹コース、在学中受験容認の政府法案の立場は志望者へ大きなメッセージになるとする高橋教授。政府法案の3年プラス2年の法曹コース構想は在学中受験容認を十分踏まえた議論をしておらず、両者によって受験を目指す学生の負担は逆に重たくなるし、大学4年で予備試験を合格できるレベルの学生を両者の組み合わせで法科大学院が獲得したいという狙いでも、予備試験に制限がないため同コース法科大学院1年で同試験を合格すれば引き続き在学する必要はなくなり、この狙いは失敗するなどとする三澤弁護士。
志願者激減の原因は法科大学院で、対策はそれを除去することであり、制度は多様性の確保、開放性・公平性の目的理念で失敗しており、それに向き合わない法曹養成制度改革は茶番として野党法案を支持した伊藤弁護士。そして、在学中受験の容認は、法科大学院カリキュラムの中に法曹にとって必要な部分とそうでないものがあると認めることで、理念の転換になり、予備試験の運用が現在の制度趣旨に合致していないのは明らかな同試験をそのままに法科大学院制度をいじるのは順番が違うという須網教授。
志願者減のさらなる根本的な原因が法曹人口増員政策の失敗による弁護士資格の経済的価値の下落にあるというところに言及がなかったところを除けば、伊藤弁護士の指摘が、最も「改革」の現実を直視し、かつ路線に縛られない意見であり、当ブログで取り上げてきた見方にも合致しているものにとれました。しかし、実は4人の発言のなかで、ある意味、最も印象に残ったのは、須網教授が陳述の中で最後に述べた次の言葉でした。
「1990年代末、いわゆる司法制度改革審議会の頃は、司法試験という一発のペーパー試験で測れる能力には限界があるんだ、だからプロセスという必要な専門教育を受けたことを重視していかなければいけないんだということに、法曹三者を含めたすべての方が一致されていたわけです。問題は、果たしてこの認識を今も維持するのか維持しないのかということが、やはり一つの大きな議論の分かれ道なのではなかろうかと思う」
彼がここで言いたかったのは、その共通認識であったプロセスの重要性を、在学中受験容認の政府法案があいまいにしている、つまり、その揺るがせないはずの共通認識をもってして批判するニュアンスとして述べたようにとれます。しかし、あるいは彼が意図していたかどうかは別にして、もはや彼のいう「一発試験」の限界を含めた、プロセス重視の共通認識が崩れたところに「改革」論議の現実が至っていることを、この発言は示した、といえないでしょうか。
伊藤弁護士は、旧司法試験に対する「一発試験」批判について、陳述の中で次のように反論していました。
「一発勝負の弊害について説得的な論拠は何も明らかにされていない」
「多様な人材が自分の意思で、年齢、学歴、受験回数など関係なく、法曹を目指せる。いつでも学習したい時に自由に学び、挑戦できる制度のどこが不合理なのか。実はこの自由に挑戦できる制度がこの国の法の支配を支えてきた」
法科大学院本道主義が掲げてきた、「プロセス」重視の教育。しかし、須網教授のいう、司法審当時の大多数の共通認識は、果たして十分に旧司法試験との比較において尽くされた議論のうえに形成されていたのかどうか。法科大学院制度は、プロセスの成果、あるいは志望者にとってその負担を上回るほどのメリットを示せなかった。しかしそのことのみならず、そもそも「プロセス」は、伊藤弁護士指摘の疑問を含めて、十分考慮された選択であったのか――。
「改革」の結果と法曹養成をめぐる議論の現在地は、そのことをわれわれに問いかけているようにとれます。そして、おそらくそれを分かっていながら認めない、どうしても認められないことが、結局、法科大学院存続が自己目的した「改革」路線の現実のようにみえてならないのです。
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