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    消えた法曹一元と給費制への姿勢

     今、考えると、ある意味、信じられないことではありますが、今回の司法改革は当初、法曹一元制度実現への期待をはらんだものとされました。もっとも正確にいえば、同実現を長年の悲願としていた、弁護士会がこの「改革」にその期待を被せたということです。さらに当時の印象で言えば、弁護士会の多くの会員が本当にそれが実現すると、その気になっていたのかは疑わしく、むしろこの期待感によって会内「改革」主導層は、1964年の臨時司法制度調査会意見書以来の、会内の法曹一元論者をはじめとする有力者を、今回の「改革」路線に導いた観がありました(「『法曹一元』論が果たした役割と結末」)

     そして、その期待感とは何であったかとといえば、法曹人口の激増政策に、前記意見書で制度実現のために条件化された給源の確保を、最高裁関係者の必要論に実現への空気の変化を、さらに法科大学院制度の登場に、法曹養成における弁護士会のイニシアティブを、すべて弁護士会が描き込んだうえに、実現を夢見たものだった、といえるのです。

     法曹一元がこの「改革」の先に現れないことを、ほどなく弁護士会関係者も気付くわけですが、そもそも「改革」の発想は、彼らが考えていた以上に、実はその期待感に冷淡なものであったといわなければなりません。そして、今思えば、そのことを絶望的に明らかにしたのが、実はこの「改革」の先に現れた「給費制」廃止だったのではないかと思うのです。

     弁護士は国家事務を行うものとして必ず統一的な司法修習を、他の法曹二者とともに受け、対等に国家に養成されるという、長年守られてきた給費制の意味。そのことよりも、事業者として民間にある弁護士の私益性を、裁判官、検察官と区別し、あくまで民間事業者の職業訓練として自弁とすることを強調し、そしてそれが何よりも、増員政策による司法試験合格者増と法科大学院制度優先という目的から、「改革」が導き出した給費制廃止という結論。この時点で、完全にこの「改革」には、法曹一元の根本的な意味を理解する発想がないことが浮き彫りになっている。

      別の言い方をすれば、弁護士会関係者の前記期待感は、その根拠だった増員政策と、法科大学院制度によっても、完全に裏切られたというべきなのです。法曹養成は国の責務であり、それは国費で賄うこと。そのなかで弁護士が三者対等に養成されること。その基本的発想に立てない「改革」の、どこをどう捻っても弁護士を裁判官の給源とする制度は生まれない。「国家事務」に携わる同一性の発想では、前記1964年の臨司意見書の時点よりも、さらに後退しているという見方もできるのです。

     そして、その結果が志望者減につながっているとなると、途端に「改革」路線のために、給付制という限定復活に踏み切っても、前記本質論は抜け落ちたままです。

     問題は、日弁連・弁護士会の主導層が、この「改革」の現実にも、そして法曹一元と給費制に絡む、この欠落した本質論にも、もはや何もなかったかのように冷淡、無関心に見えるところです。増員政策を根本的に支持しながら、あるいは法科大学院制度堅持を掲げながら、「給費制」存続や復活を唱えることの、ある種の矛盾と論理破綻をいう声は、会内につとに存在していましたが、それはあれほど悲願として掲げてきた法曹一元についてもいえることなのです。

     全国の弁護士が給費制廃止を憲法違反であるとして国を相手に損害賠償を求めた訴訟で、最高裁は7月10日、弁護士らの上告を退ける決定を下しました。弁護士有志でつくる「ともに日弁連を変えよう!市民のための司法をつくる会」(及川智志代表)が同月24日、決定に強い遺憾の意を表明するとともに、国が責務として法曹養成を国費で賄う制度に戻す必要を訴える声明を発表しました。

     一方、日弁連は本日現在、この件に関して、会長声明も談話も発表していません。3月の日弁連として支援策を決めた、いわゆる「谷間世代」問題への対応をめぐる議論を見ても、「給費制」問題がはらむ本質的な問題から日弁連は遠ざかりつつある印象を持ちます。法曹一元は「もはや悲願ではない」という業界関係者の声も聞こえてきます(「『谷間世代』支援を決めた日弁連臨総の欠落感」 「『給費制』から遠ざかる日弁連」)。

     そこには日弁連が支持してきた「改革」路線によって、実は法曹一元も姿を消している、葬り去られているという、厳然たる事実を直視しようとしない日弁連の姿勢が被って見えてしまうのです。


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    No title

    司法制度改革審議会(司法審)においては、法曹一元は何のためかという点が最初からねじ曲げられていました。

    2000年11月20日に公表された司法審の中間報告では、法曹一元という言葉は多義的であるから、この言葉にとらわれることなく、裁判官の給源、任用方法、人事制度の在り方につき、給源の多様化、多元化を図ることとし、判事補制度については、少なくとも同制度に必要な改革を施すなどして高い質の裁判官を安定的に供給できるための制度の整備を行うこと、国民の裁判官に対する信頼感を高める観点から、裁判官の任命に関する何らかの工夫を行うこと、裁判官の独立性に対する国民の信頼感を高める観点から、裁判官の人事制度に透明性や客観性を付与する何らかの工夫を行うとされました。

    要するに、法曹一元の目的は、裁判官の給源の多様化、多元化、裁判官の任命に関する何らかの工夫により、「裁判官の独立性」ではなく、「裁判官の独立性に対する国民の信頼感」を高めることで達成されるというのです。

    私は、憲法は法曹一元を要請しており、それにもかかわらず官僚裁判官制度を継続したことで、裁判官の独立が著しく弱められたと考えています。その違憲性を薄めるために、暫定的な代替制度として司法修習制度が創設されたのに、その司法修習制度も縮小され、法曹養成制度も含めた司法制度全体の違憲性がますます強まりました。

    山中理司弁護士のブログに新任判事補研修の資料の紹介と共に、35期の元裁判官、森脇淳一弁護士のHPに記載された回想記事が引用されています。それは新任判事補集中研修の回想です。

    以下引用

     その研修で講師となった最高裁事務局(だったと思う)員が述べたことのうち、2つの事柄については、今でも鮮明に覚えている(もちろん、記憶の変容があるかもしれないが)。
     一つは、合議の際の評決について、こんなことを言われた。
     我々新任判事補が任官1か月目に合議による裁判の左陪席として評議し、意見が分かれたとする。そのとき、仮に右陪席裁判官の実務経験が10年、裁判長の実務経験が20年とすると、それぞれの意見の重みは、我々左陪席は12分の1(0.083)、右陪席は10、裁判長は20である(だから、裁判長の意見に従え)。

    引用終わり

    森脇弁護士は、明らかに裁判所法77条に反すると言われていますが、私は憲法76条3項に反するとんでもない研修だと考えます。 52期までは司法修習の期間は2年でした。それでも、こんな研修が行われていたのです。

    1946年の国会で新憲法が審議されていた時、木村司法大臣は次のように言っています。

    以下引用

     学校を出てまだ間もない人がこの複雑なる世間の問題となって居る事件を取扱うのはどうかと云う御尋ねであります。それは御尤もであります。只今私が就任して以来司法研修所と云う大きな組織体を作って居ります。これは今現に出来つつあります。そこで十分に学校を出て試験に通った人を養成して居ります。そう云う機関を通じて十分な教育をして行けば、相当立派な裁判官が出来るじゃないかと思って居ります。

    引用終わり

    憲法76条3項は、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と規定しており、新任の裁判官でも独立して職権を行わなければならないということです。司法修習というのは、ベテランの裁判官に対しても独立して堂々と立ち向かえる、その意味で「相当立派な裁判官が出来る」ようにする使命を負った制度です。

    日本に司法権独立の意識が希薄なのは、最近でも岡口判事懲戒事件、韓国の徴用工判決に対する世論、マスコミの論調からも明らかですが。

    しかし、司法権の独立は立憲主義の核心の一つでもあり、明治時代でも児島惟謙はそのような見識を示しています。しかし、現在の日本では立憲主義はまだまだと思います。

    No title

    >一方、日弁連は本日現在、この件に関して、会長声明も談話も発表していません

    同性婚の意見書、国際戦略グランドデザイン等、他の意見書を出すのに忙しいのです。世の中の流れは早い。トレンドに乗らなければ未来はない。

    No title

    為政者の描いた絵。
    研修所を予算的に追い詰めれば、アメリカと同じ制度になるに違いない。
    教官や所付きの待遇を下げ(単位会の補助がなければ、旧制度での修習生レベルの支給。)、また修習生は無給にすれば、研修所がまともに機能しなくなり、研修所不要論が優勢となり、廃止になるに違いない。
    ただし、法曹一元なんて知らないし興味もない。

    確かに、ダイバーシティーのかけらもない司法研修所はずいぶん前から時代の要請にこたえておらず無用の長物化しているし、さらに言えば出世コースから外れた裁判官や検察官・検察事務官によるパワハラも常態化しており(修習を修了しなければ法曹になれないので、司法修習生は泣き寝入り)、廃止で結構、と当職も思っている。が、それにしては法科大学院が残念。それで、司法研修所ではなく法科大学院が淘汰されている。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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