弁護士会による報酬上乗せ制度が意味するもの
障害者の国選弁護のなり手不足に対応して、大阪弁護士会が独自に弁護士の報酬を上乗せする新制度をスタートさせたことが話題になっています(NHK 関西NEWS WEB )。30万円を上限に、障害の特徴に合わせた弁護活動を行ったか審査して、金額を決めて加算するものだそうです。
背景には、医療や福祉の専門家の意見を参考にしなければならないなど、時間や費用がかかる弁護活動が敬遠されることによる、人材不足があります。また、それと同時に、そうした分野であるだけに、個々の弁護士による対応に大きなバラツキがあることもいわれています。障害者の権利を守るという立場からすれば、弁護士会ができるだけのことをするという発想での、こうした対応は、ある意味、現実的であるともいえますし、会内には全国に広がることを期待する向きもあります。
ただ、一方で複雑な受けとめ方をする会内の声もあります。本来は国や法テラスが制度化してもいいところを、またぞろ弁護士会員の会費を投入し、なんかとかしようという、典型的な弁護士会による努力依存型のスタイルだからです。もちろん、このスタイルにあっては、必ずといって犠牲的な努力の積み重ねで、前記制度化への道へが開けるという期待感も被せられます。
しかし、あえていえば、これが仮に全国の弁護士会に広がり、うまく機能すればするほど、皮肉にも「これでよし」「身内のフォローなんだから弁護士会がむしろやるべき」的な社会の反応で片付けられかねない現実もあるのです。
「自分たちの活動が十分に報酬に反映しない、報われないということへの不満の声がある。担い手を増やすことによって障害のある被疑者・被告のニーズにも応えていく」
前記のニュース映像で、同会の担当弁護士はこう語っています。ネット記事では、担い手を増やすことで再犯防止につながるという期待までも紹介されています。しかし、まず、弁護士会の努力によって担い手を増やす、そしてその向こうにいろいろな成果を描き込むという方法に、やはり一番の不安があるといえます。
やはり根本的な弁護士の経済環境が、まず、正面から問題にされるべきではないでしょうか。かつてより弁護士が採算性にこだわらざるを得ず、そうした手間や時間がかかる案件を手掛けたくても手掛けられない環境が、障害者弁護に限らず、今、生まれていないのかということです。こういう切り口になると、必ず「すべて改革のせいにするな」と言う人がいます。改革以前から、例えは、こうした手間のかかる分野を敬遠する弁護士がいなかったのか、といえば、そうではないかもしれない。ただ、改革の増員政策は、ここでいわれているような、敬遠やバラツキを解消する方向に貢献するものとなったといえません。
増員による多様性の発想は、結局、こうした弁護士の敬遠や質のバラツキにつながる現実を度外視して、「増やせば、その条件でやる人間も現れる」という楽観論に支えられていたといえないでしょうか。弁護士会の「独自の」努力によって担い手をまず増やす、という方向が、一面で現実的でありながら不安を覚えるのは、やはりその先が見えないからといわなければなりません(「弁護士横領事案、『連帯責任』の受けとめ方」)。
ちなみに大阪弁の新制度に関して言えば、弁護士職務基本規程49条1項に、弁護士は国選弁護人に選任された事件について、「名目のいかんを問わず」被告人その他の関係者から報酬その他の対価を受領してはならない、とされています。釈迦に説法みたいな話で、当然、大阪弁もこれを踏まえているでしょうし、弁護士会はここでいう「関係者」でもない、ということになるのでしょうが、一面、弁護士会自身がおよそ想定していなかった事態に対する、想定していなかった方法なのではなかったか、という気もしてくるのです。
「なぜか、弁護士会はできないことをできないと言わずに、無理して引き受ける」。こう語った弁護士がいました。もちろん、「国が制度化するまで放置はできない」という「正義論」は、いつの時にも掲げられ、それが弁護士会のスタイルということになるのかもしれません。しかし、少なくとも、その努力がいつの日か社会に評価され、制度化という形でそれこそ報われるはず、という発想に、ついていけなくなっている会員が確実に増えてきていること、むしろ増やしてしまったことを、もうそろそろ弁護士会主導層は直視すべきだと思えてなりません。
今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806
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背景には、医療や福祉の専門家の意見を参考にしなければならないなど、時間や費用がかかる弁護活動が敬遠されることによる、人材不足があります。また、それと同時に、そうした分野であるだけに、個々の弁護士による対応に大きなバラツキがあることもいわれています。障害者の権利を守るという立場からすれば、弁護士会ができるだけのことをするという発想での、こうした対応は、ある意味、現実的であるともいえますし、会内には全国に広がることを期待する向きもあります。
ただ、一方で複雑な受けとめ方をする会内の声もあります。本来は国や法テラスが制度化してもいいところを、またぞろ弁護士会員の会費を投入し、なんかとかしようという、典型的な弁護士会による努力依存型のスタイルだからです。もちろん、このスタイルにあっては、必ずといって犠牲的な努力の積み重ねで、前記制度化への道へが開けるという期待感も被せられます。
しかし、あえていえば、これが仮に全国の弁護士会に広がり、うまく機能すればするほど、皮肉にも「これでよし」「身内のフォローなんだから弁護士会がむしろやるべき」的な社会の反応で片付けられかねない現実もあるのです。
「自分たちの活動が十分に報酬に反映しない、報われないということへの不満の声がある。担い手を増やすことによって障害のある被疑者・被告のニーズにも応えていく」
前記のニュース映像で、同会の担当弁護士はこう語っています。ネット記事では、担い手を増やすことで再犯防止につながるという期待までも紹介されています。しかし、まず、弁護士会の努力によって担い手を増やす、そしてその向こうにいろいろな成果を描き込むという方法に、やはり一番の不安があるといえます。
やはり根本的な弁護士の経済環境が、まず、正面から問題にされるべきではないでしょうか。かつてより弁護士が採算性にこだわらざるを得ず、そうした手間や時間がかかる案件を手掛けたくても手掛けられない環境が、障害者弁護に限らず、今、生まれていないのかということです。こういう切り口になると、必ず「すべて改革のせいにするな」と言う人がいます。改革以前から、例えは、こうした手間のかかる分野を敬遠する弁護士がいなかったのか、といえば、そうではないかもしれない。ただ、改革の増員政策は、ここでいわれているような、敬遠やバラツキを解消する方向に貢献するものとなったといえません。
増員による多様性の発想は、結局、こうした弁護士の敬遠や質のバラツキにつながる現実を度外視して、「増やせば、その条件でやる人間も現れる」という楽観論に支えられていたといえないでしょうか。弁護士会の「独自の」努力によって担い手をまず増やす、という方向が、一面で現実的でありながら不安を覚えるのは、やはりその先が見えないからといわなければなりません(「弁護士横領事案、『連帯責任』の受けとめ方」)。
ちなみに大阪弁の新制度に関して言えば、弁護士職務基本規程49条1項に、弁護士は国選弁護人に選任された事件について、「名目のいかんを問わず」被告人その他の関係者から報酬その他の対価を受領してはならない、とされています。釈迦に説法みたいな話で、当然、大阪弁もこれを踏まえているでしょうし、弁護士会はここでいう「関係者」でもない、ということになるのでしょうが、一面、弁護士会自身がおよそ想定していなかった事態に対する、想定していなかった方法なのではなかったか、という気もしてくるのです。
「なぜか、弁護士会はできないことをできないと言わずに、無理して引き受ける」。こう語った弁護士がいました。もちろん、「国が制度化するまで放置はできない」という「正義論」は、いつの時にも掲げられ、それが弁護士会のスタイルということになるのかもしれません。しかし、少なくとも、その努力がいつの日か社会に評価され、制度化という形でそれこそ報われるはず、という発想に、ついていけなくなっている会員が確実に増えてきていること、むしろ増やしてしまったことを、もうそろそろ弁護士会主導層は直視すべきだと思えてなりません。
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