「改革」の失敗から見る弁護士「就職難」解消説
弁護士の就職に関して、潮目が変わったというようなことを、よく耳にするようになりました。一時深刻に言われていた就職難は、既にほぼ解消し、地方では採用難もあるということまで言われています。どこまでが就職難で、何をもって、その解消と言うのか、さらに地方の事情を一律に語ることもできないなど、現実的な評価が難しい面があります。
しかし、この弁護士の就職問題では、必ず一つのデータとして取り上げられてきた、修習終了後の、いわゆる一斉登録後の弁護士未登録者の推移を、今、見る限り、就職難の深刻化が言われた時期よりも、明らかに登録の前倒しが進んでいます。2000人以上が修習を終了した2013年66期が一斉登録一ヵ月後の時点で15.3%、1年後にも2.8%が登録できていなかったのに対し、2019年72期では1ヵ月後に7.5%、半年後には既に1.7%にまで未登録者が減っています。
もともと個人の事情や意図的な登録先延ばしも考えられるので、直ちにすべてを就職に結び付けられないといわれてきたデータではありますが、それにしてもこの変化は歴然としています。意図的先延ばしの中には、弁護士会費の節約もあるということが一時いわれましたが、それもまさに、かつての一斉登録(ほぼ全員登録)時代に比べた、新人弁護士の苦しい台所事情の表れなどといわれました。そうだとすれば、それも変化してきたことになります。
弁護士の就職難解消は2015年68期あたりから、既に始まったとする見方があります。解消したと主張する人が、その理由として挙げるのは、大方2点で、まず一つは司法試験合格者数の減少、もう一つは大手法律事務所の採用増です。修習終了者の数は、前記66期と72期では500人以上も違います。一方、大手事務所採用でいえば、2017年70期以降、いわゆる五大事務所だけで、終了者の1割以上を採用する状況になっています。
つまり、就職希望者の母数が減り、需要と供給の関係に変化、つまりは単純に就職希望者の減少が生じたところに、大手事務所の採用拡大が拍車をかけたということになります。そのほか勤務弁護士の給与水準の低下による採用拡大、大量増員時代の弁護士の独立に伴う後任の採用増の影響なども言われています。
就職難が少しでも解消したというのであれば、そのこと自体は、当然にこの業界にとって、明るいニュース、期待できる兆候という扱いになるでしょう。弁護士の就職難が終わったとして、弁護士会主導層が繰り返し唱えてきたペースダウン論、つまり増員政策そのものが間違っていたわけではなく、ペースが早過ぎただけ、という論法の正しさに結び付ける形にもなりそうです。
地方会からは、依然として、弁護士の供給過多、法曹の職業としての魅力低下、合格者確保優先による質低下の懸念などを理由とした司法試験合格者減員を求める声が出されています(「司法試験合格者数のさらなる減員を求める12弁護士会会長声明」)。しかし、就職難解消という捉え方は、会内に根強く存在している増員慎重論、減員必要論を抑え込む方向に利用されかねない面もあります。
しかし、「明るいニュース」として手放しに喜ぶ前に、少なくとも二つの点は押さえておかなければならないと思います。一つは、これが「改革」のシナリオから大きく外れたところに出現したものであること。前記したように、この就職難解消に繋がったとされる司法試験合格者減は、決して政策的に意図的に導かれたものでなく、むしろ増員政策の失敗の結果です。
有り体にいえば、増やすに増やせなかった結果、前記したように就職希望者が減り、就職の可能性が生まれただけです。さらに大手事務所の採用拡大が窮地を救ったような形になっていますが、増員弁護士の受け皿が大手だけに集中するようなシナリオだったでしょうか。企業・案件での弁護士ニーズはいわれていましたが、「改革」路線の描き方は、それにとどまらず、「国民生活の様々な場面において法曹に対する需要がますます多様化・高度化する」(司法審最終意見書)という見立てだったはずです。
まさにこの見立てにしたがって、弁護士の大量増員は、この国にとって必要不可欠の、むしろ「なんとかしなければならせない」テーマに担ぎあげられ、津々浦々に弁護士が乗り出していく、未来が描かれたのです。なぜ、事件数は伸びず、大手事務所や組織内弁護士が受け皿として注目される一方、もっとも津々浦々で国民の身近で必要とされるはずの、いわゆる「街弁」の没落が今、いわれているのでしょうか。
地方の採用難が事実だとしても、都市の飽和状態から溢れるように、弁護士が地方に向かわざるを得なくなるというような「追い詰め式」の発想の失敗にもとれます。都市部の就職状況が改善されれば、見向きもされない地方の現実という見方もできますし、それでは地方ニーズが、現在の増員基調に照らして、どれだけの受け皿として描けるのかという点もまた、不透明です(「弁護士『追い詰め」式増員論の発想』」)。
そして、押さえなければならない、もう一点は、これが弁護士を職業として敬遠し始めた志望者(予備軍)にどうアピールできるのか、ということです。一時期就職難という現実とともに、増員時代の弁護士は「食えるか食えないか」というテーマの立て方がさかんにされました。
しかし、志望者の選択基準、少なくとも彼らを業界が取り戻すために提示すべき尺度は、「食えるか食えないか」でも「就職できるかできないか」でもなく、より「処遇され得るか」です。有り体にいえば、大学卒業後、新卒で就職するよりも、時間とおカネを先行投資することに見合うような、処遇を期待できる世界なのか、という尺度です。
弁護士の経済的地位の下落とともに、法科大学院という新たな「関門」への先行投資の強制化は、志望者のこの尺度に決定的に影響しました。まさに、この結果こそが、志望者減であったといわなければなりません。
「就職難が解消された」ということをもってして、これをなんとか志望者回復につなげたい、あるいはつながるという捉え方が生まれるとすれば、むしろ今、求められているのは、「改革」の失敗に対する冷静な分析であるように思えます。
地方の弁護士ニーズについて、ご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4798
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しかし、この弁護士の就職問題では、必ず一つのデータとして取り上げられてきた、修習終了後の、いわゆる一斉登録後の弁護士未登録者の推移を、今、見る限り、就職難の深刻化が言われた時期よりも、明らかに登録の前倒しが進んでいます。2000人以上が修習を終了した2013年66期が一斉登録一ヵ月後の時点で15.3%、1年後にも2.8%が登録できていなかったのに対し、2019年72期では1ヵ月後に7.5%、半年後には既に1.7%にまで未登録者が減っています。
もともと個人の事情や意図的な登録先延ばしも考えられるので、直ちにすべてを就職に結び付けられないといわれてきたデータではありますが、それにしてもこの変化は歴然としています。意図的先延ばしの中には、弁護士会費の節約もあるということが一時いわれましたが、それもまさに、かつての一斉登録(ほぼ全員登録)時代に比べた、新人弁護士の苦しい台所事情の表れなどといわれました。そうだとすれば、それも変化してきたことになります。
弁護士の就職難解消は2015年68期あたりから、既に始まったとする見方があります。解消したと主張する人が、その理由として挙げるのは、大方2点で、まず一つは司法試験合格者数の減少、もう一つは大手法律事務所の採用増です。修習終了者の数は、前記66期と72期では500人以上も違います。一方、大手事務所採用でいえば、2017年70期以降、いわゆる五大事務所だけで、終了者の1割以上を採用する状況になっています。
つまり、就職希望者の母数が減り、需要と供給の関係に変化、つまりは単純に就職希望者の減少が生じたところに、大手事務所の採用拡大が拍車をかけたということになります。そのほか勤務弁護士の給与水準の低下による採用拡大、大量増員時代の弁護士の独立に伴う後任の採用増の影響なども言われています。
就職難が少しでも解消したというのであれば、そのこと自体は、当然にこの業界にとって、明るいニュース、期待できる兆候という扱いになるでしょう。弁護士の就職難が終わったとして、弁護士会主導層が繰り返し唱えてきたペースダウン論、つまり増員政策そのものが間違っていたわけではなく、ペースが早過ぎただけ、という論法の正しさに結び付ける形にもなりそうです。
地方会からは、依然として、弁護士の供給過多、法曹の職業としての魅力低下、合格者確保優先による質低下の懸念などを理由とした司法試験合格者減員を求める声が出されています(「司法試験合格者数のさらなる減員を求める12弁護士会会長声明」)。しかし、就職難解消という捉え方は、会内に根強く存在している増員慎重論、減員必要論を抑え込む方向に利用されかねない面もあります。
しかし、「明るいニュース」として手放しに喜ぶ前に、少なくとも二つの点は押さえておかなければならないと思います。一つは、これが「改革」のシナリオから大きく外れたところに出現したものであること。前記したように、この就職難解消に繋がったとされる司法試験合格者減は、決して政策的に意図的に導かれたものでなく、むしろ増員政策の失敗の結果です。
有り体にいえば、増やすに増やせなかった結果、前記したように就職希望者が減り、就職の可能性が生まれただけです。さらに大手事務所の採用拡大が窮地を救ったような形になっていますが、増員弁護士の受け皿が大手だけに集中するようなシナリオだったでしょうか。企業・案件での弁護士ニーズはいわれていましたが、「改革」路線の描き方は、それにとどまらず、「国民生活の様々な場面において法曹に対する需要がますます多様化・高度化する」(司法審最終意見書)という見立てだったはずです。
まさにこの見立てにしたがって、弁護士の大量増員は、この国にとって必要不可欠の、むしろ「なんとかしなければならせない」テーマに担ぎあげられ、津々浦々に弁護士が乗り出していく、未来が描かれたのです。なぜ、事件数は伸びず、大手事務所や組織内弁護士が受け皿として注目される一方、もっとも津々浦々で国民の身近で必要とされるはずの、いわゆる「街弁」の没落が今、いわれているのでしょうか。
地方の採用難が事実だとしても、都市の飽和状態から溢れるように、弁護士が地方に向かわざるを得なくなるというような「追い詰め式」の発想の失敗にもとれます。都市部の就職状況が改善されれば、見向きもされない地方の現実という見方もできますし、それでは地方ニーズが、現在の増員基調に照らして、どれだけの受け皿として描けるのかという点もまた、不透明です(「弁護士『追い詰め」式増員論の発想』」)。
そして、押さえなければならない、もう一点は、これが弁護士を職業として敬遠し始めた志望者(予備軍)にどうアピールできるのか、ということです。一時期就職難という現実とともに、増員時代の弁護士は「食えるか食えないか」というテーマの立て方がさかんにされました。
しかし、志望者の選択基準、少なくとも彼らを業界が取り戻すために提示すべき尺度は、「食えるか食えないか」でも「就職できるかできないか」でもなく、より「処遇され得るか」です。有り体にいえば、大学卒業後、新卒で就職するよりも、時間とおカネを先行投資することに見合うような、処遇を期待できる世界なのか、という尺度です。
弁護士の経済的地位の下落とともに、法科大学院という新たな「関門」への先行投資の強制化は、志望者のこの尺度に決定的に影響しました。まさに、この結果こそが、志望者減であったといわなければなりません。
「就職難が解消された」ということをもってして、これをなんとか志望者回復につなげたい、あるいはつながるという捉え方が生まれるとすれば、むしろ今、求められているのは、「改革」の失敗に対する冷静な分析であるように思えます。
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