組織内弁護士の存在感から見る「改革」の正体
企業や自治体内で働く、いわゆる企業内弁護士(インハウスローヤー)の存在感は、確実に司法改革によって変わったといえます。その数の激増(「弁護士会別企業内弁護士数の推移」)は、その変貌ぶりを如実に表し、「人気」という言葉で括られるとともに、弁護士という資格業の将来性、可能性をそこにイメージさせる論調が被せられてきました。
それは、需要観においても、規模、ペースにおいても、失敗が指摘されてきた、この「改革」の弁護士増員政策との関係では、ある意味、それを肯定的にとられえる側にとって、最も「明るい」ネタを提供してきた観もあるといえます。
最近、その組織内弁護士に関するネット上の記事のこんな見出しが業界内で話題となりました。
「ヤフーには弁護士が39人も!『格下』企業内弁護士の法曹界地位が大幅アップした理由」(ダイヤモンド・オンライン)
前記増員政策の影響を伝える文脈の中で、この記事が何を言いたいのかはもちろん分かります。しかし、「格下」という表現は、当事者が自嘲的に使う分には許されるかもしれませんが、やや語弊があると感じます。この変化は、果たして弁護士の「格」とか、法曹界での「地位」にかかわることというべきなのでしょうか。
もっとも「改革」前の、もっと古い話をすれば、私もベテラン企業内弁護士が、「弁護士会内で肩身が狭い」という趣旨の言葉を何度となく聞いてきました。それは、「人権擁護」を掲げる弁護士会カラーしても、いずれ独立自営する形が基本型だったといってもいい弁護士の業態からしても、企業に就職する弁護士は異質で、マイナーな扱いを受けた現実があったことということです。その状況とは、確かに隔世の感があります。
ただ、確認しておかなければならないのは、あくまでここで問題なのは、「改革」との関係性、どういう形でこれがもたらされたものなのかという点です。いうまでもなく、それこそがこの「改革」の評価にかかわるからです。
組織内弁護士の激増は、果たして「改革」がどのように企図したものとみるべきなのでしょうか。増員政策に組織内弁護士の需要自体が織り込まれていなかったわけではありませんが、前記記事も言及する通り、そこには同政策が生み出した弁護士過剰状態が大きく影響しています。
弁護士増員政策が生み出した、過剰状態は、旧来基本型の独立自営型の街弁スタイルの業態を直撃し、より経済的安定とライフワークバランスという観点で、企業就職型の魅力度を押し上げた。新人にとっての企業内弁護士傾斜の本質はそこにあります。
「多様性」を謳いながら、経済的時間的な意味において、実質的に法科大学院制度という関門が、旧司法試験体制よりも、それを阻害した形の「改革」にあって、ある意味、皮肉な形で、ここでは弁護士の業態に、目に見える形の「多様性」を生み出したといえなくもないかもしれません。ただ、これを新人にとって「多様」な選択肢となった、あるいは「多様」な思考をもった新人を生み出したというには、あまりに「改革」の想定外に対する後付けの括りのように見えてしまいます。
ただ、問題はどこまでが想定外だったのか、ということです。前記新人弁護士の企業への傾斜は、独立自営型業態(の将来性)、あるいは就職先としての弁護士事務所の経済環境を直撃した、増員政策の負の影響の反動によるものですが、それだけに採用する企業側にとっては、極めて都合がいい状況を生み出したといえます。いうまでもなく、それは弁護士採用にあって特別な処遇を考慮しない、あるいはハードルを下げられる環境をもたらしたからです。
要するに企業側が、事務一般職待遇に限りなく同等に扱っても、「改革」がもたらした前記新人弁護士の置かれた状況からすれば、志望される、人材が来るという環境です。
そして、弁護士の「使い勝手」の向上という「改革」のメリットにかかわるテーマについて、それは一つの見方を提供します。情報の非対称性という、弁護士と一般市民との関係で、最も正しい選択を阻害する要因を「改革」が、情報公開の担保や第三者評価などによって有効に排除できていない現実。それとは対照的に、もともと顧問弁護士との間で恒常的な選択ができ、前記非対称性の阻害要因の影響が薄い企業が、さらに雇用という手段で、より有利に弁護士を利用できるようになった現実(「『条件化』しない『改革』の失敗」) 。
まさに「使い勝手」のいい、利用しやすい弁護士という存在は、街弁の没落も象徴しているように、結果的に「改革」が企業のために容易した形になっているということです。
これを「改革」がもし想定していたとすれば、あたかも多くの潜在ニーズがあり、それが増員弁護士を支える、弁護士は数として必要とされ、増員弁護士は社会に拍手をもって迎えられるかのごとく、弁護士会主導層が真っ先に想定していたときに、それが成立しない先の弁護士の過剰と意識変化がもたらす、この結果を読んでいた人間たちがいたことになります。
そうだとすれば、この組織内弁護士をめぐる「改革」がもたらした状況に、「多様性」の実現という言葉を被せたとしても、それは後付けの評価とはいえなくなります。「改革」が本当は何を犠牲にし、何を目指していたのかというテーマが浮かんでくるように思えます。
今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806
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最近、その組織内弁護士に関するネット上の記事のこんな見出しが業界内で話題となりました。
「ヤフーには弁護士が39人も!『格下』企業内弁護士の法曹界地位が大幅アップした理由」(ダイヤモンド・オンライン)
前記増員政策の影響を伝える文脈の中で、この記事が何を言いたいのかはもちろん分かります。しかし、「格下」という表現は、当事者が自嘲的に使う分には許されるかもしれませんが、やや語弊があると感じます。この変化は、果たして弁護士の「格」とか、法曹界での「地位」にかかわることというべきなのでしょうか。
もっとも「改革」前の、もっと古い話をすれば、私もベテラン企業内弁護士が、「弁護士会内で肩身が狭い」という趣旨の言葉を何度となく聞いてきました。それは、「人権擁護」を掲げる弁護士会カラーしても、いずれ独立自営する形が基本型だったといってもいい弁護士の業態からしても、企業に就職する弁護士は異質で、マイナーな扱いを受けた現実があったことということです。その状況とは、確かに隔世の感があります。
ただ、確認しておかなければならないのは、あくまでここで問題なのは、「改革」との関係性、どういう形でこれがもたらされたものなのかという点です。いうまでもなく、それこそがこの「改革」の評価にかかわるからです。
組織内弁護士の激増は、果たして「改革」がどのように企図したものとみるべきなのでしょうか。増員政策に組織内弁護士の需要自体が織り込まれていなかったわけではありませんが、前記記事も言及する通り、そこには同政策が生み出した弁護士過剰状態が大きく影響しています。
弁護士増員政策が生み出した、過剰状態は、旧来基本型の独立自営型の街弁スタイルの業態を直撃し、より経済的安定とライフワークバランスという観点で、企業就職型の魅力度を押し上げた。新人にとっての企業内弁護士傾斜の本質はそこにあります。
「多様性」を謳いながら、経済的時間的な意味において、実質的に法科大学院制度という関門が、旧司法試験体制よりも、それを阻害した形の「改革」にあって、ある意味、皮肉な形で、ここでは弁護士の業態に、目に見える形の「多様性」を生み出したといえなくもないかもしれません。ただ、これを新人にとって「多様」な選択肢となった、あるいは「多様」な思考をもった新人を生み出したというには、あまりに「改革」の想定外に対する後付けの括りのように見えてしまいます。
ただ、問題はどこまでが想定外だったのか、ということです。前記新人弁護士の企業への傾斜は、独立自営型業態(の将来性)、あるいは就職先としての弁護士事務所の経済環境を直撃した、増員政策の負の影響の反動によるものですが、それだけに採用する企業側にとっては、極めて都合がいい状況を生み出したといえます。いうまでもなく、それは弁護士採用にあって特別な処遇を考慮しない、あるいはハードルを下げられる環境をもたらしたからです。
要するに企業側が、事務一般職待遇に限りなく同等に扱っても、「改革」がもたらした前記新人弁護士の置かれた状況からすれば、志望される、人材が来るという環境です。
そして、弁護士の「使い勝手」の向上という「改革」のメリットにかかわるテーマについて、それは一つの見方を提供します。情報の非対称性という、弁護士と一般市民との関係で、最も正しい選択を阻害する要因を「改革」が、情報公開の担保や第三者評価などによって有効に排除できていない現実。それとは対照的に、もともと顧問弁護士との間で恒常的な選択ができ、前記非対称性の阻害要因の影響が薄い企業が、さらに雇用という手段で、より有利に弁護士を利用できるようになった現実(「『条件化』しない『改革』の失敗」) 。
まさに「使い勝手」のいい、利用しやすい弁護士という存在は、街弁の没落も象徴しているように、結果的に「改革」が企業のために容易した形になっているということです。
これを「改革」がもし想定していたとすれば、あたかも多くの潜在ニーズがあり、それが増員弁護士を支える、弁護士は数として必要とされ、増員弁護士は社会に拍手をもって迎えられるかのごとく、弁護士会主導層が真っ先に想定していたときに、それが成立しない先の弁護士の過剰と意識変化がもたらす、この結果を読んでいた人間たちがいたことになります。
そうだとすれば、この組織内弁護士をめぐる「改革」がもたらした状況に、「多様性」の実現という言葉を被せたとしても、それは後付けの評価とはいえなくなります。「改革」が本当は何を犠牲にし、何を目指していたのかというテーマが浮かんでくるように思えます。
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