盲目的な増員イデオロギーの亡霊
弁護士増員政策が失敗した原因の本質を、一言でしまえば、それは「必要論」に引きずられた結果と言っていいと思います。以前も書きましたが、当時の増員必要論とは、現在(当時)における弁護士の不足をいうもの、将来必要になるというもの、そして弁護士の「あるべき論」に紐付けたものに支えられていました。
しかし、それらは増員弁護士を経済的に支える、弁護士の有償需要の存在に関する詳密な検討を背景としていなかった。別の言い方をすれば、成立要件といえる経済的基盤を考慮せず、ひたすら前記「必要論」から増員を導いて、突き進み、案の定、失敗したということになります(「弁護士増員論のバイアス」)。
なぜ、そんなことになったのか、そういう政策をなぜ、ストップ出来なかったのか、を、今、問い直そうとすると、まずは非常に単純な答えが浮かんできてしまうことに、正直戸惑いすらを覚えます。つまりは、「改革」に盲目的であった、と。よく「勢い」と表現する人がいますが、「必要論」から導き出されたものが、愚直なまでに増員に突き進むことであり、そう受けとめることであったということに尽きてしまう。
前記、現在の不足論を言い表したことで有名な「二割司法」という表現にしても、今では根拠はない、提唱者である、中坊公平弁護士の「感覚」「直感」によるものといわれています。まさに裏付けよりも、とにかく「増員ありき」の盲目的ムードが支配していたことを象徴するような話です。有償無償の区別なく、「需要」はある、と一括りにして駒を進めたということも、冷静に考えてみれば、盲目的としか説明できない気持ちになってきます、
当時の「改革」主導者が何を考えていたのか、という話のなかで、「なんとかなる」論という表現をしばしば用いてきました。「なんとかしなければならない」という、前記「あるべき論」とつながる精神訓話的ともいえる論調もありましたが、その一方で文字通り、弁護士自身のなかに、とてつもない楽観論が支配していたことも事実です。経済的基盤に対する過信といってもいいかもしれません。
年3000人の司法試験合格者を掲げた、「改革」の「バイブル」である2001年の司法制度改革審議会意見書lの中に、その「盲目的」ムードと過信につながっているような増員政策に関する印象的な下りがあります。
「なお、実際に社会の様々な分野で活躍する法曹の数は社会の要請に基づいて市場原理によって決定されるものであり、新司法試験の合格者数を年間3,000人とすることは、あくまで『計画的にできるだけ早期に』達成すべき目標であって、上限を意味するものではないことに留意する必要がある」
法曹人口増加に関する記述の末尾に、断り書きのように付け加えられた一文。これを読めば、まさに経済的に支える「社会の要請」の決定的な不足に基づき、いわば「市場原理」で、年間3000人は、「できるだけ早期」達成どころが、現実的に不可能になる――。そんな未来はゆめゆめ想定していない「バイブル」の盲目的な姿勢がうかがわれるのです。
「必要論」は、盲目的期待感だけを背負い、増員の「イデオロギー」として、駒を進めさせることになりました(「弁護士増員イデオロギーの欠落した視点」)。そして、さらに不思議なことは、この「イデオロギー」は、「改革」の結果が既に出ている現在にあっても、深くこのテーマに根を張り続けているようにみえることです。
8月26日に発表された日本組織内弁護士協会(JILA)の、「司法試験合格者の増加と合格率の上昇を求める理事長声明」が波紋を呼んでいます。
「現在すでに進行している弁護士供給不足の解消と、法科大学院離れに歯止めをかけることで法曹界に優秀な人材を確保することを目的として、司法試験合格者数を2000人程度の水準に戻すと共に、法科大学院定員や予備試験合格者数の調整等により、司法試験合格率70%程度を実現することを提言する」
「法曹志望者が減少している主たる原因は、過剰供給や収入減に対する不安や不満ではないことが明らかである。ほかに、過剰供給や収入源が法曹志望者減少の原因だとする立場から、その因果関係を裏付けるデータは示されておらず、かかる指摘は根拠を欠き、当たらない」
なにやら「改革」の増員イデオロギーの亡霊を見るような思いになります。「企業のリーガルサービスに対する需要」の視点に立った供給不足論と、それに基づく全体の増。しかも今や死守が不可能になった司法試験合格者数年1500人ラインから2000人への増加。さらにこれによって法科大学院離れに歯止めをかけることで、「法曹界に優秀な人材を確保」できる、とする見通し。その一方で、法曹離れの原因としての「過剰供給や収入減に対する不安や不満」の否定――。
リーガルサービス需要だけで、現実に反する無理な増員や、合格者増で法科大学院離れも止められ、優秀な人材を確保できるとする見通しを立てられるのは、後段の事実から目を背けた、まさに盲目的な姿勢がなせる技といわなければなりません。
合格2000人によって、彼らの需要が満たされるというのは、もちろん組織内弁護士の範疇外の弁護士の生存を視野にいれているわけではありません。そして無理な増員が弁護士経済的価値を棄損している事実もまた、声明は認めない。その結果、増員すれば、法科大学院離れに歯止めがかかり、優秀な人材が確保できる(「優秀な人材」を含む、志望者予備軍は弁護士全体の経済状態を参考にしないという前提)、という、どこにも根拠のない見方に立っているのです。
「改革」の増員論にあっては、一部の分野に有用な人材を獲得するためには、母数を増やさなければならないという発想が、企業系弁護士の中にも、人権派弁護士のなかにもありました。「裾野を広げなくては、山は高くならない」と言った人もいましたが、裾野全体が成り立つことを考えなければ、山は裾野から崩れ、高くもならない。そのことは「改革」の失敗が証明したことであり、声明にみるこの発想も、もはや亡霊というべきものです(「弁護士増員に関する二つの『裾野論』」)。
「改革」によって、確かに組織内弁護士は、増加しました。しかし、そこには「需要」だけではなく、声明が認めようとしない弁護士増員政策が生み出した、過剰状態が、旧来基本型の独立自営型の街弁スタイルの業態を直撃し、より経済的安定とライフワークバランスという観点で、企業就職型の魅力度を押し上げた事実があることは否定できないはずのです(「組織内弁護士の存在感から見る『改革』の正体」)。
この声明の内容は、必ずしもJILA会員の意思を反映していない、という意見もありますが、盲目的な増員イデオロギーの亡霊は、確かに今も存在しているという気持ちにさせられます。
地方の弁護士ニーズについて、ご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4798
司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

にほんブログ村

にほんブログ村

しかし、それらは増員弁護士を経済的に支える、弁護士の有償需要の存在に関する詳密な検討を背景としていなかった。別の言い方をすれば、成立要件といえる経済的基盤を考慮せず、ひたすら前記「必要論」から増員を導いて、突き進み、案の定、失敗したということになります(「弁護士増員論のバイアス」)。
なぜ、そんなことになったのか、そういう政策をなぜ、ストップ出来なかったのか、を、今、問い直そうとすると、まずは非常に単純な答えが浮かんできてしまうことに、正直戸惑いすらを覚えます。つまりは、「改革」に盲目的であった、と。よく「勢い」と表現する人がいますが、「必要論」から導き出されたものが、愚直なまでに増員に突き進むことであり、そう受けとめることであったということに尽きてしまう。
前記、現在の不足論を言い表したことで有名な「二割司法」という表現にしても、今では根拠はない、提唱者である、中坊公平弁護士の「感覚」「直感」によるものといわれています。まさに裏付けよりも、とにかく「増員ありき」の盲目的ムードが支配していたことを象徴するような話です。有償無償の区別なく、「需要」はある、と一括りにして駒を進めたということも、冷静に考えてみれば、盲目的としか説明できない気持ちになってきます、
当時の「改革」主導者が何を考えていたのか、という話のなかで、「なんとかなる」論という表現をしばしば用いてきました。「なんとかしなければならない」という、前記「あるべき論」とつながる精神訓話的ともいえる論調もありましたが、その一方で文字通り、弁護士自身のなかに、とてつもない楽観論が支配していたことも事実です。経済的基盤に対する過信といってもいいかもしれません。
年3000人の司法試験合格者を掲げた、「改革」の「バイブル」である2001年の司法制度改革審議会意見書lの中に、その「盲目的」ムードと過信につながっているような増員政策に関する印象的な下りがあります。
「なお、実際に社会の様々な分野で活躍する法曹の数は社会の要請に基づいて市場原理によって決定されるものであり、新司法試験の合格者数を年間3,000人とすることは、あくまで『計画的にできるだけ早期に』達成すべき目標であって、上限を意味するものではないことに留意する必要がある」
法曹人口増加に関する記述の末尾に、断り書きのように付け加えられた一文。これを読めば、まさに経済的に支える「社会の要請」の決定的な不足に基づき、いわば「市場原理」で、年間3000人は、「できるだけ早期」達成どころが、現実的に不可能になる――。そんな未来はゆめゆめ想定していない「バイブル」の盲目的な姿勢がうかがわれるのです。
「必要論」は、盲目的期待感だけを背負い、増員の「イデオロギー」として、駒を進めさせることになりました(「弁護士増員イデオロギーの欠落した視点」)。そして、さらに不思議なことは、この「イデオロギー」は、「改革」の結果が既に出ている現在にあっても、深くこのテーマに根を張り続けているようにみえることです。
8月26日に発表された日本組織内弁護士協会(JILA)の、「司法試験合格者の増加と合格率の上昇を求める理事長声明」が波紋を呼んでいます。
「現在すでに進行している弁護士供給不足の解消と、法科大学院離れに歯止めをかけることで法曹界に優秀な人材を確保することを目的として、司法試験合格者数を2000人程度の水準に戻すと共に、法科大学院定員や予備試験合格者数の調整等により、司法試験合格率70%程度を実現することを提言する」
「法曹志望者が減少している主たる原因は、過剰供給や収入減に対する不安や不満ではないことが明らかである。ほかに、過剰供給や収入源が法曹志望者減少の原因だとする立場から、その因果関係を裏付けるデータは示されておらず、かかる指摘は根拠を欠き、当たらない」
なにやら「改革」の増員イデオロギーの亡霊を見るような思いになります。「企業のリーガルサービスに対する需要」の視点に立った供給不足論と、それに基づく全体の増。しかも今や死守が不可能になった司法試験合格者数年1500人ラインから2000人への増加。さらにこれによって法科大学院離れに歯止めをかけることで、「法曹界に優秀な人材を確保」できる、とする見通し。その一方で、法曹離れの原因としての「過剰供給や収入減に対する不安や不満」の否定――。
リーガルサービス需要だけで、現実に反する無理な増員や、合格者増で法科大学院離れも止められ、優秀な人材を確保できるとする見通しを立てられるのは、後段の事実から目を背けた、まさに盲目的な姿勢がなせる技といわなければなりません。
合格2000人によって、彼らの需要が満たされるというのは、もちろん組織内弁護士の範疇外の弁護士の生存を視野にいれているわけではありません。そして無理な増員が弁護士経済的価値を棄損している事実もまた、声明は認めない。その結果、増員すれば、法科大学院離れに歯止めがかかり、優秀な人材が確保できる(「優秀な人材」を含む、志望者予備軍は弁護士全体の経済状態を参考にしないという前提)、という、どこにも根拠のない見方に立っているのです。
「改革」の増員論にあっては、一部の分野に有用な人材を獲得するためには、母数を増やさなければならないという発想が、企業系弁護士の中にも、人権派弁護士のなかにもありました。「裾野を広げなくては、山は高くならない」と言った人もいましたが、裾野全体が成り立つことを考えなければ、山は裾野から崩れ、高くもならない。そのことは「改革」の失敗が証明したことであり、声明にみるこの発想も、もはや亡霊というべきものです(「弁護士増員に関する二つの『裾野論』」)。
「改革」によって、確かに組織内弁護士は、増加しました。しかし、そこには「需要」だけではなく、声明が認めようとしない弁護士増員政策が生み出した、過剰状態が、旧来基本型の独立自営型の街弁スタイルの業態を直撃し、より経済的安定とライフワークバランスという観点で、企業就職型の魅力度を押し上げた事実があることは否定できないはずのです(「組織内弁護士の存在感から見る『改革』の正体」)。
この声明の内容は、必ずしもJILA会員の意思を反映していない、という意見もありますが、盲目的な増員イデオロギーの亡霊は、確かに今も存在しているという気持ちにさせられます。
地方の弁護士ニーズについて、ご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4798
司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

にほんブログ村

にほんブログ村


スポンサーサイト