法テラス「民業圧迫」問題の現実
日本司法支援センター(法テラス)の問題性についてスポットを当てた、あるネットニュースの記事が、ネット界隈の業界関係者の間で話題になっています。タイトルは「法テラスの “過剰広告” に弁護士から疑問の声「税金で運営しているのに価格破壊起こすな」(smart FLASH。8月9日16:00配信)。
タイトルからも一見して分かるように、この記事が業界関係者の中で話題になっているのは、既に業界内で言われながら、「改革」推進派である大手新聞などが十分に取り上げない同センターの現実を、忠実に取り上げているからです。記事中、登場する匿名の「司法担当記者」や「中堅弁護士」は、大略次のような現実を語ります。
・ 公益機関である法テラスは、税金を投入した潤沢な広告費(2020年約1億8000万円)で、民間企業ばりに広告戦略による認知度上昇に力を入れ、広告の謳い文句は「利用件数440万件以上」「無料でご案内」などキャッチーなものばかり。一方、弁護士は法テラスと違い、日弁連の広告規程で方法や文言を制限されているうえ、多くの弁護士は個人事業主で広告費用にも限度がある。これでは次々と法テラスを経由して弁護士を選んでしまう。制限の差、広告費用のバックボーンがある時点でフェアネスを前提とする自由競争の土俵に立っていない。
・ 法テラス経由での依頼で行われる弁護士費用の立て替えで、弁護士に支払われる費用総額は「代理援助立替基準」に従って決められるが、弁護士に非常に不利な基準で、法テラス経由の場合、弁護士費用総額は通常相場の半分から3分の1。過剰な広告宣伝に誘導され、依頼人がこぞって法テラス経由で弁護士を利用すると弁護士は低廉な報酬での稼働を余儀なくされる。
業界内にずっとある、いわゆる「民業圧迫」批判がいうところの現実といえます。そして、ここには、この司法改革の奇妙と言ってもいい、歪んだ発想が透けてみえます。弁護士を安く使えることを謳う「ポータル」的な立場に立つ法テラスは、参入弁護士側のメリットを、いわば当然のこどく度外視し、まるで「うちを通せば、これでやります、やらせます」と、利用者市民に約束してしまっている構図です。
一般の「ポータル」の発想で考えれば、そこに参入業者側のコストが発生した場合、当然集客などによる経済的メリットが上回っていなければ、そもそも業者は参入しないし、「ポータル」そのものも成り立つ前提には立てません。ところが、公的使命感に訴えられる弁護士にあっては、なにやらこの「やります、やらせます」の無理が罷り通るとする発想が生まれてしまう。言ってみれば、この発想者の頭には、「民業圧迫」という前提はなく、「それでもやらなければならないのが弁護士」という前提があるようにとれてしまうのです。
最近、弁護士の間から、法テラスの問題性に絡んで、「価格設定権」というワードがよく聞かれるようになっています。いまさらかもしれませんが、弁護士にとって、これが法テラスに奪われていることの影響の大きさに、気付きはじめたということです。前記「改革」の発想の前に、この価格設定権を弁護士自治の一角として死守しようとする発想に欠けていた弁護士会の現実というべきかもしれません。その目を曇らしたものも、公的使命感に基づく、無理を通そうとする発想だったようにもとれます。
しかし、今回の記事がある意味、優れているのは、ここで話を終えていないところです。このまま法テラスが低い報酬のまま弁護士を働かせる先で、向かえる可能性がある「重大な結末」を、記事は前出「中堅弁護士」に次のように語らせています。
「まずひとつは、一定のスキルをもった弁護士ほど、法テラス経由案件の受任を忌避します。もちろん篤志で法テラスと契約している大御所の先生もおられます。しかし、一般的には、一定のスキルがつくと法テラス経由の案件を受任しなくなりますし、受任している大御所の先生でも、その多くは自分の事務所の若手に任せています。いずれにせよ、法テラス経由の案件の取り扱いをやめたがっている先生は多いのです」
「もうひとつは、法テラスの費用には、弁護士のスキルアップ・研鑽に投資する経費が見積もられていないことです。つまり、法テラス案件ばかりで忙殺されると、スキルアップのための投資がおざなりになり、業務の質が向上しなくなる懸念がある。どのような業界でも、品質向上には投資が必要ですが、それができなくなるということです。法テラスは一見、弁護士に払う費用を低下させるという面で、短期的には依頼者に福音にみえるかもしれませんが、低廉な報酬基準が弁護士業界を席捲することで、中長期的に見れば、弁護士のスキル向上が阻害されるうえ、弁護士が使い捨てにされてしまいます」
「これでは、将来的に弁護士に依頼しようとする方々にとっても、利益になるとは思えません」
弁護士による「民業圧迫」批判は事実であっても、社会への通りは悪い現実があります。弁護士は儲けているというイメージ(「改革」では自ら事業者性を犠牲にしても公益性を追求すべきで、あたかもそれでもやれるととれるアピールまでした)と、前記公的使命の前提があるからです(「『事業者性』の犠牲と『公益性』への視線」)。
それを考えても、今、弁護士も利用者市民も注目しなければならないのは、結局、前記引用の最後の一行であるというべきです。「民業圧迫」の不当性もさることながら、そのツケが利用者に回って来る。そこから逆算してあるべき形をたぐり寄せる前提に立てるのかにかかっているはずなのです。
弁護士、司法書士からみた、法テラスの現状の問題点について、ご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/6046
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タイトルからも一見して分かるように、この記事が業界関係者の中で話題になっているのは、既に業界内で言われながら、「改革」推進派である大手新聞などが十分に取り上げない同センターの現実を、忠実に取り上げているからです。記事中、登場する匿名の「司法担当記者」や「中堅弁護士」は、大略次のような現実を語ります。
・ 公益機関である法テラスは、税金を投入した潤沢な広告費(2020年約1億8000万円)で、民間企業ばりに広告戦略による認知度上昇に力を入れ、広告の謳い文句は「利用件数440万件以上」「無料でご案内」などキャッチーなものばかり。一方、弁護士は法テラスと違い、日弁連の広告規程で方法や文言を制限されているうえ、多くの弁護士は個人事業主で広告費用にも限度がある。これでは次々と法テラスを経由して弁護士を選んでしまう。制限の差、広告費用のバックボーンがある時点でフェアネスを前提とする自由競争の土俵に立っていない。
・ 法テラス経由での依頼で行われる弁護士費用の立て替えで、弁護士に支払われる費用総額は「代理援助立替基準」に従って決められるが、弁護士に非常に不利な基準で、法テラス経由の場合、弁護士費用総額は通常相場の半分から3分の1。過剰な広告宣伝に誘導され、依頼人がこぞって法テラス経由で弁護士を利用すると弁護士は低廉な報酬での稼働を余儀なくされる。
業界内にずっとある、いわゆる「民業圧迫」批判がいうところの現実といえます。そして、ここには、この司法改革の奇妙と言ってもいい、歪んだ発想が透けてみえます。弁護士を安く使えることを謳う「ポータル」的な立場に立つ法テラスは、参入弁護士側のメリットを、いわば当然のこどく度外視し、まるで「うちを通せば、これでやります、やらせます」と、利用者市民に約束してしまっている構図です。
一般の「ポータル」の発想で考えれば、そこに参入業者側のコストが発生した場合、当然集客などによる経済的メリットが上回っていなければ、そもそも業者は参入しないし、「ポータル」そのものも成り立つ前提には立てません。ところが、公的使命感に訴えられる弁護士にあっては、なにやらこの「やります、やらせます」の無理が罷り通るとする発想が生まれてしまう。言ってみれば、この発想者の頭には、「民業圧迫」という前提はなく、「それでもやらなければならないのが弁護士」という前提があるようにとれてしまうのです。
最近、弁護士の間から、法テラスの問題性に絡んで、「価格設定権」というワードがよく聞かれるようになっています。いまさらかもしれませんが、弁護士にとって、これが法テラスに奪われていることの影響の大きさに、気付きはじめたということです。前記「改革」の発想の前に、この価格設定権を弁護士自治の一角として死守しようとする発想に欠けていた弁護士会の現実というべきかもしれません。その目を曇らしたものも、公的使命感に基づく、無理を通そうとする発想だったようにもとれます。
しかし、今回の記事がある意味、優れているのは、ここで話を終えていないところです。このまま法テラスが低い報酬のまま弁護士を働かせる先で、向かえる可能性がある「重大な結末」を、記事は前出「中堅弁護士」に次のように語らせています。
「まずひとつは、一定のスキルをもった弁護士ほど、法テラス経由案件の受任を忌避します。もちろん篤志で法テラスと契約している大御所の先生もおられます。しかし、一般的には、一定のスキルがつくと法テラス経由の案件を受任しなくなりますし、受任している大御所の先生でも、その多くは自分の事務所の若手に任せています。いずれにせよ、法テラス経由の案件の取り扱いをやめたがっている先生は多いのです」
「もうひとつは、法テラスの費用には、弁護士のスキルアップ・研鑽に投資する経費が見積もられていないことです。つまり、法テラス案件ばかりで忙殺されると、スキルアップのための投資がおざなりになり、業務の質が向上しなくなる懸念がある。どのような業界でも、品質向上には投資が必要ですが、それができなくなるということです。法テラスは一見、弁護士に払う費用を低下させるという面で、短期的には依頼者に福音にみえるかもしれませんが、低廉な報酬基準が弁護士業界を席捲することで、中長期的に見れば、弁護士のスキル向上が阻害されるうえ、弁護士が使い捨てにされてしまいます」
「これでは、将来的に弁護士に依頼しようとする方々にとっても、利益になるとは思えません」
弁護士による「民業圧迫」批判は事実であっても、社会への通りは悪い現実があります。弁護士は儲けているというイメージ(「改革」では自ら事業者性を犠牲にしても公益性を追求すべきで、あたかもそれでもやれるととれるアピールまでした)と、前記公的使命の前提があるからです(「『事業者性』の犠牲と『公益性』への視線」)。
それを考えても、今、弁護士も利用者市民も注目しなければならないのは、結局、前記引用の最後の一行であるというべきです。「民業圧迫」の不当性もさることながら、そのツケが利用者に回って来る。そこから逆算してあるべき形をたぐり寄せる前提に立てるのかにかかっているはずなのです。
弁護士、司法書士からみた、法テラスの現状の問題点について、ご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/6046
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