「改革」幻想と現実の距離
司法改革の「バイブル」のような扱いとなった、2001年の司法制度改革審議会意見書の「法曹の役割」の項の冒頭には、以下のような記載があります。
「21世紀の我が国社会における司法の役割の増大に応じ、その担い手たる法曹(弁護士、検察官、裁判官)の果たすべき役割も、より多様で広くかつ重いものにならざるをえない。司法部門が政治部門とともに『公共性の空間』を支え、法の支配の貫徹する潤いのある自己責任社会を築いていくには、司法の運営に直接携わるプロフェッションとしての法曹の役割が格段と大きくなることは必定である」
法曹の将来性とともに、この「改革」の必要性と目的につなげる役割を果たした文脈であり、現に当時の多くの法曹は、この「改革」の基本的なスタンスを、期待感をもって肯定的に受けとめてしまったようにもみえました。しかし、今にしてみれば、法曹関係者も社会も、この文脈の持つ危うさにもっと敏感であってもよかったと思えるのです(もちろん、法曹界には当時からそれを見抜いていた方たちもいましたが)。
「法の支配の貫徹する潤いのある自己責任社会」。司法が「公共の空間」を支えることで、それが築かれる、その過程で、あたかも必然的に拡大されるという法曹の役割――。ここで着地点として示されているのは、まさにこの「改革」の新自由主義的性格を露わにしているといえる「自己責任社会」ですが、その担保されるべき前提はここには全くみえません。
例えば、自己責任を背負う側に公平で公正な情報が提供され、現実的に適正な選択が行える能力が担保されていなければ、それは背負う側には全く有り難くない、酷な責任を負わせられる社会です。当時、「改革」と絡んで散々言われた、事前規制型から事後救済型へ、という発想の先にくっついて来る「自己責任」論。それがあたかも法曹の役割が、必然的に拡大する(実質的には拡大させる)なかで、この国で、公正に、あるいは「潤いのある」という曖昧なポジティブなイメージなものとして成立していくかのような描き方です。
改めて問うまでもないかもしれませんが、あれから20年以上が経過した今、この文脈のポジティブなイメージ通りに、法曹の役割と社会が現実化している、あるいはその方向に向かっていると実感している人は、法曹界と社会にどれくらいいるのでしょうか。むしろ、失敗が明確となる法曹(現実には弁護士)人口の激増につなげる、同意見書がここで断定的にいった法曹の役割拡大論は、「事前規制型から事後救済型」と「自己責任社会」という着地点を導き出すために、ひねり出されている感すらしてくるのです。
そもそもそんな危なっかしい「自己責任」が被せられる社会を、事後救済を含めた法曹の役割の拡大に社会が託して、受け容れる前提もよく分かりません。これもまた、結果的に法曹に対する膨大な社会的な潜在的ニーズ、あたかも国民が増大を求め、増大さえしてくれれば、それを支えるために支え切れるだけのオカネを投入する用意が市民社会側にあるというニーズの幻想に、まさにつながった一方的な描き方の根っこが、ここにもあるように思えてならないのです。
今年の司法試験合格者は1403人であったことが話題となっています。かろうじて1400台に踏みとどまったものの、3年連続で政府目標となっていた1500人を下回った格好です。受験者は3082人で7年連続減少し、5年間でほぼ半減。そのなかで合格率が新司法試験で史上2番目に高い45.5%に跳ね上がっています。
弁護士の中からは、すぐさまこれまでも指摘されてきた司法試験の選抜機能の劣化、合格者全体のレベルダウン、予備試験組と法科大学院組の合格率格差(97.5%対37.7%)を懸念する声が挙がっています(弁護士猪野亨のブログ 弁護士坂野真一のブログ Schluze BlOG)。
さらに根本的なことを付け加えなければなりません。この司法試験の結果を伝えたNHKのニュースでは、葉梨康弘法務大臣の、閣議後の記者会見での以下のような発言を紹介しています。
「受験者数が減少傾向にあることは重く受け止めている。法曹が活躍する場をできるだけ広げていくために、いろんな形で情報発信していくことが必要だ」(NHK NEWS WEB)
これは、冒頭の「バイブル」が法曹の将来性とともに、高らかに語った、この「改革」の目的の話とどうつなげてみればいいのでしょうか。このニュース自体も当たり前のように、「法曹を希望する人をどのように増やしていくかが課題」などといっています。
法曹の役割拡大の描き方を誤っただけでなく、旧制度下ではあり得なかった受験者・人材の獲得を「改革」の目的としなければならなくなっている現実です。「法曹の役割が格段と大きくなる」と描いた「改革」の未来は、「法曹が活躍する場をできるだけ広げて」いかなければならない未来だったということです。
何が間違っていたのか、そして今、誰の、何のために、それは進められているのか――。そのことが、今、それでも問われない「改革」というものがあり得るのでしょうか。
弁護士の質の低下についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4784
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「21世紀の我が国社会における司法の役割の増大に応じ、その担い手たる法曹(弁護士、検察官、裁判官)の果たすべき役割も、より多様で広くかつ重いものにならざるをえない。司法部門が政治部門とともに『公共性の空間』を支え、法の支配の貫徹する潤いのある自己責任社会を築いていくには、司法の運営に直接携わるプロフェッションとしての法曹の役割が格段と大きくなることは必定である」
法曹の将来性とともに、この「改革」の必要性と目的につなげる役割を果たした文脈であり、現に当時の多くの法曹は、この「改革」の基本的なスタンスを、期待感をもって肯定的に受けとめてしまったようにもみえました。しかし、今にしてみれば、法曹関係者も社会も、この文脈の持つ危うさにもっと敏感であってもよかったと思えるのです(もちろん、法曹界には当時からそれを見抜いていた方たちもいましたが)。
「法の支配の貫徹する潤いのある自己責任社会」。司法が「公共の空間」を支えることで、それが築かれる、その過程で、あたかも必然的に拡大されるという法曹の役割――。ここで着地点として示されているのは、まさにこの「改革」の新自由主義的性格を露わにしているといえる「自己責任社会」ですが、その担保されるべき前提はここには全くみえません。
例えば、自己責任を背負う側に公平で公正な情報が提供され、現実的に適正な選択が行える能力が担保されていなければ、それは背負う側には全く有り難くない、酷な責任を負わせられる社会です。当時、「改革」と絡んで散々言われた、事前規制型から事後救済型へ、という発想の先にくっついて来る「自己責任」論。それがあたかも法曹の役割が、必然的に拡大する(実質的には拡大させる)なかで、この国で、公正に、あるいは「潤いのある」という曖昧なポジティブなイメージなものとして成立していくかのような描き方です。
改めて問うまでもないかもしれませんが、あれから20年以上が経過した今、この文脈のポジティブなイメージ通りに、法曹の役割と社会が現実化している、あるいはその方向に向かっていると実感している人は、法曹界と社会にどれくらいいるのでしょうか。むしろ、失敗が明確となる法曹(現実には弁護士)人口の激増につなげる、同意見書がここで断定的にいった法曹の役割拡大論は、「事前規制型から事後救済型」と「自己責任社会」という着地点を導き出すために、ひねり出されている感すらしてくるのです。
そもそもそんな危なっかしい「自己責任」が被せられる社会を、事後救済を含めた法曹の役割の拡大に社会が託して、受け容れる前提もよく分かりません。これもまた、結果的に法曹に対する膨大な社会的な潜在的ニーズ、あたかも国民が増大を求め、増大さえしてくれれば、それを支えるために支え切れるだけのオカネを投入する用意が市民社会側にあるというニーズの幻想に、まさにつながった一方的な描き方の根っこが、ここにもあるように思えてならないのです。
今年の司法試験合格者は1403人であったことが話題となっています。かろうじて1400台に踏みとどまったものの、3年連続で政府目標となっていた1500人を下回った格好です。受験者は3082人で7年連続減少し、5年間でほぼ半減。そのなかで合格率が新司法試験で史上2番目に高い45.5%に跳ね上がっています。
弁護士の中からは、すぐさまこれまでも指摘されてきた司法試験の選抜機能の劣化、合格者全体のレベルダウン、予備試験組と法科大学院組の合格率格差(97.5%対37.7%)を懸念する声が挙がっています(弁護士猪野亨のブログ 弁護士坂野真一のブログ Schluze BlOG)。
さらに根本的なことを付け加えなければなりません。この司法試験の結果を伝えたNHKのニュースでは、葉梨康弘法務大臣の、閣議後の記者会見での以下のような発言を紹介しています。
「受験者数が減少傾向にあることは重く受け止めている。法曹が活躍する場をできるだけ広げていくために、いろんな形で情報発信していくことが必要だ」(NHK NEWS WEB)
これは、冒頭の「バイブル」が法曹の将来性とともに、高らかに語った、この「改革」の目的の話とどうつなげてみればいいのでしょうか。このニュース自体も当たり前のように、「法曹を希望する人をどのように増やしていくかが課題」などといっています。
法曹の役割拡大の描き方を誤っただけでなく、旧制度下ではあり得なかった受験者・人材の獲得を「改革」の目的としなければならなくなっている現実です。「法曹の役割が格段と大きくなる」と描いた「改革」の未来は、「法曹が活躍する場をできるだけ広げて」いかなければならない未来だったということです。
何が間違っていたのか、そして今、誰の、何のために、それは進められているのか――。そのことが、今、それでも問われない「改革」というものがあり得るのでしょうか。
弁護士の質の低下についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4784
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