「かかりつけ弁護士」の可能性とネック
いわゆる平成の司法改革後、よく目にすることになった「かかりつけ弁護士」(ホームローヤー)という弁護士像は、「身近で、親しみやすく、頼りがいのある存在」「国民の社会生活上の医師」といった、同「改革」で掲げられた発想を、対市民という視点で、体現しているようにとれるものといえます。
日常的に発生する可能性がある法律問題について、身近で相談できる存在というイメージは、まさに前記「医師」に例えたレトリックのように、社会に普通に存在している「かかりつけ医」のように、弁護士がなることであり、また、この「改革」に当たって弁護士界側が解消すべき課題として、度々唱えてきた「敷居が高い」存在からの脱却をも、象徴するようなものにもとらえられてきました。
しかし、現実的には、弁護士像は、残念ながら、社会の期待よりも、およそその可能性に対する、一部業界側の期待あるいは希望が上回っているなかで語られてきたようにとれます。もちろん、これに対しては、認知の問題として片付ける方もいると思います。弁護士のあり方の可能性として、いまだ周知されていない、それゆえに利用されるための周知そのものが、課題であり、今はその過程にあるのだ、というように。
確かにそれも、あるかもしれません。しかし、その一面で、業界側が描くこの制度のメリットが強調され、発信されているのに対し、この制度が社会に受け容れられる根本的な課題について、どこまで取り上げられ、語られているのか、という疑問が、どうしても拭いきれません。そして、そのことは、前記したこの発想への期待をめぐる現在の状況と無縁ではないように思えるのです。
当ブログのコメント欄でも紹介されていましたが、最近も、この「かかりつけ弁護士」の可能性について、弁護士が語っているインタビュー記事が、ネットニュースに流れました(「超高齢社会を生き抜くための『かかりつけ弁護士』 安否確認から法律相談まで」ラジオ関西トピックス)。
タイトルにあるように、この記事では、超高齢化社会におけるこの制度の可能性が紹介され、遺言、認知症発症後の財産管理、死後の後始末など、老後や死後の悩みに、いつでも相談できる弁護士の存在が語られています。「かかりつけのお医者さんのように、毎回同じ弁護士に相談することで、自身のことをよく知ってもらうことができ、状況にあった法的アドバイスを受けることができる」。「一般的な内容は『依頼者の見守り』」で、「例えば、月に一回、お電話や相談にて、健康状態などのご様子を確認し、必要に応じて法律相談に応じ」、「月額5000円~1万円ほどが一般的」。
その他、「財産管理契約」、認知症などでの判断能力低下の場合、本人に変わって、財産管理や生活・介護・医療サービス等を受けられるようサポートする「任意後見契約」、遺言・相続相談など、ニーズにあった契約締結のバリエーションも紹介しています。
これまでも業界が発信してきた「かかりつけ弁護士」に関する紹介記事同様、メリットや効果そのものについては、社会にとっても魅力的な存在として伝わるかもしれません。しかし、この制度の基本的な成立条件は、むしろ魅力とは他のところにあり、こうした記事が突っ込まない傾向にある、その部分の評価如何である、という印象を持ってしまうのです。
端的に言ってしまえば、この制度の最も基本的な成立要件は、この制度を利用する市民と、これに参加する弁護士にとっての、それぞれの経済的妙味とその現実性に尽きるといわなければなりません。当たり前のことかもしれませんが、前者についていえば、制度が提供するサービスが、利用者にとって、例えば、「月額5000円~1万円」を「一般的」なものとする価値に見合うものとして、いわばそこまでのものとして受け容れられるか、ということです。
もちろん、高齢者個人の保有財産によって、それこそそれは一概にはいえず、むしろこの支出に負担感を感じない人に利用されればよい、という割り切り方もあるのかもしれませんし、それで十分この制度の意義は語られていい、という人もいるかもしれません。ただ、その辺の感覚が、果たしてサービス提供者と、受益想定者との間で、制度にとってどれほどの限界や壁になっているのかを、提供者側が突っ込んでとらえきれているのかが不透明です。つまり、いくらメリットを伝えても、そこが検証されなければ、状況はかわらないはずです。
同様に「改革」がもたらした弁護士の活用スタイルとして、いわれる学校での問題に対応する「スクールローヤー」について、教育現場の人たちに聞くと、結局、ネックは費用対効果の問題という声が返って来る現実があります。
成立条件の後者は、社会的意義とは別に、弁護士は果たしてこぞって「ホームローヤー」という弁護士像に、経済的妙味も含めてメリットを感じ、それを目指すのか、というところにあります。内容にもよりますが、一般の感覚とはおそらく逆で、前記「月額5000円~1万円」というのは、およそ弁護士の他の日常業務を犠牲にするまでの妙味を感じさせる価格ではない、という見方もありますし、これも一般が考えるように薄利多売的に数をこなして利益を上げるという発想も、現実的には難しい(「弁護士『薄利多売』化の無理と危険」)。
2014年に、静岡市自治会連合会と静岡県弁護士会が、全国初の「自治体ホームーローヤー」制度を立ち上げ、話題となりました。自治体組織の存在に目を付け、ホームローヤー制度を自治会単位で利用してもらうという発想においては、画期的なものでした。自治会加入の市民に対する、無料電話相談を原則とするものです。
ただ、無料相談に弁護士が期待する、その先の受任にどの程度つながるのか、基本的に「無料」ということとの絡みで、時間的なものも含めた本業への影響、さらには他の行政や弁護士会が行っている無料法律相談との関係、電話という手段の限界など、当初から一部弁護士の間では、ここでも前記基本条件と関わる課題が指摘されていました。
「かかりつけ弁護士」は、冒頭のように、「医師」になぞらえて、提供する側としても、利用する側へも、「かかりつけ医」を連想させる制度でありながら、繰り返し指摘されているように、そこには病気やケガという多くの人が必然的になんらかのかかわりを持つ対象と、法的問題という市民の関わり方の頻度と性格、保険制度の有無という、決定的な違いが横たわっています、結局、その違いこそがネックであり、また、向き合わざるを得ない現実のはずです。
業界側の一部から発信される制度への期待感と可能性とともに、どこまで現実的問題に向き合えるのかが、それが結局、この制度を次のレベルに引き上げるためには避けられないもののようにみえるのと同時に、この基本的成立要件をある意味、無視して突き進む失敗こそ、この「改革」に共通するものに思えてならないのてす。。
今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806
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日常的に発生する可能性がある法律問題について、身近で相談できる存在というイメージは、まさに前記「医師」に例えたレトリックのように、社会に普通に存在している「かかりつけ医」のように、弁護士がなることであり、また、この「改革」に当たって弁護士界側が解消すべき課題として、度々唱えてきた「敷居が高い」存在からの脱却をも、象徴するようなものにもとらえられてきました。
しかし、現実的には、弁護士像は、残念ながら、社会の期待よりも、およそその可能性に対する、一部業界側の期待あるいは希望が上回っているなかで語られてきたようにとれます。もちろん、これに対しては、認知の問題として片付ける方もいると思います。弁護士のあり方の可能性として、いまだ周知されていない、それゆえに利用されるための周知そのものが、課題であり、今はその過程にあるのだ、というように。
確かにそれも、あるかもしれません。しかし、その一面で、業界側が描くこの制度のメリットが強調され、発信されているのに対し、この制度が社会に受け容れられる根本的な課題について、どこまで取り上げられ、語られているのか、という疑問が、どうしても拭いきれません。そして、そのことは、前記したこの発想への期待をめぐる現在の状況と無縁ではないように思えるのです。
当ブログのコメント欄でも紹介されていましたが、最近も、この「かかりつけ弁護士」の可能性について、弁護士が語っているインタビュー記事が、ネットニュースに流れました(「超高齢社会を生き抜くための『かかりつけ弁護士』 安否確認から法律相談まで」ラジオ関西トピックス)。
タイトルにあるように、この記事では、超高齢化社会におけるこの制度の可能性が紹介され、遺言、認知症発症後の財産管理、死後の後始末など、老後や死後の悩みに、いつでも相談できる弁護士の存在が語られています。「かかりつけのお医者さんのように、毎回同じ弁護士に相談することで、自身のことをよく知ってもらうことができ、状況にあった法的アドバイスを受けることができる」。「一般的な内容は『依頼者の見守り』」で、「例えば、月に一回、お電話や相談にて、健康状態などのご様子を確認し、必要に応じて法律相談に応じ」、「月額5000円~1万円ほどが一般的」。
その他、「財産管理契約」、認知症などでの判断能力低下の場合、本人に変わって、財産管理や生活・介護・医療サービス等を受けられるようサポートする「任意後見契約」、遺言・相続相談など、ニーズにあった契約締結のバリエーションも紹介しています。
これまでも業界が発信してきた「かかりつけ弁護士」に関する紹介記事同様、メリットや効果そのものについては、社会にとっても魅力的な存在として伝わるかもしれません。しかし、この制度の基本的な成立条件は、むしろ魅力とは他のところにあり、こうした記事が突っ込まない傾向にある、その部分の評価如何である、という印象を持ってしまうのです。
端的に言ってしまえば、この制度の最も基本的な成立要件は、この制度を利用する市民と、これに参加する弁護士にとっての、それぞれの経済的妙味とその現実性に尽きるといわなければなりません。当たり前のことかもしれませんが、前者についていえば、制度が提供するサービスが、利用者にとって、例えば、「月額5000円~1万円」を「一般的」なものとする価値に見合うものとして、いわばそこまでのものとして受け容れられるか、ということです。
もちろん、高齢者個人の保有財産によって、それこそそれは一概にはいえず、むしろこの支出に負担感を感じない人に利用されればよい、という割り切り方もあるのかもしれませんし、それで十分この制度の意義は語られていい、という人もいるかもしれません。ただ、その辺の感覚が、果たしてサービス提供者と、受益想定者との間で、制度にとってどれほどの限界や壁になっているのかを、提供者側が突っ込んでとらえきれているのかが不透明です。つまり、いくらメリットを伝えても、そこが検証されなければ、状況はかわらないはずです。
同様に「改革」がもたらした弁護士の活用スタイルとして、いわれる学校での問題に対応する「スクールローヤー」について、教育現場の人たちに聞くと、結局、ネックは費用対効果の問題という声が返って来る現実があります。
成立条件の後者は、社会的意義とは別に、弁護士は果たしてこぞって「ホームローヤー」という弁護士像に、経済的妙味も含めてメリットを感じ、それを目指すのか、というところにあります。内容にもよりますが、一般の感覚とはおそらく逆で、前記「月額5000円~1万円」というのは、およそ弁護士の他の日常業務を犠牲にするまでの妙味を感じさせる価格ではない、という見方もありますし、これも一般が考えるように薄利多売的に数をこなして利益を上げるという発想も、現実的には難しい(「弁護士『薄利多売』化の無理と危険」)。
2014年に、静岡市自治会連合会と静岡県弁護士会が、全国初の「自治体ホームーローヤー」制度を立ち上げ、話題となりました。自治体組織の存在に目を付け、ホームローヤー制度を自治会単位で利用してもらうという発想においては、画期的なものでした。自治会加入の市民に対する、無料電話相談を原則とするものです。
ただ、無料相談に弁護士が期待する、その先の受任にどの程度つながるのか、基本的に「無料」ということとの絡みで、時間的なものも含めた本業への影響、さらには他の行政や弁護士会が行っている無料法律相談との関係、電話という手段の限界など、当初から一部弁護士の間では、ここでも前記基本条件と関わる課題が指摘されていました。
「かかりつけ弁護士」は、冒頭のように、「医師」になぞらえて、提供する側としても、利用する側へも、「かかりつけ医」を連想させる制度でありながら、繰り返し指摘されているように、そこには病気やケガという多くの人が必然的になんらかのかかわりを持つ対象と、法的問題という市民の関わり方の頻度と性格、保険制度の有無という、決定的な違いが横たわっています、結局、その違いこそがネックであり、また、向き合わざるを得ない現実のはずです。
業界側の一部から発信される制度への期待感と可能性とともに、どこまで現実的問題に向き合えるのかが、それが結局、この制度を次のレベルに引き上げるためには避けられないもののようにみえるのと同時に、この基本的成立要件をある意味、無視して突き進む失敗こそ、この「改革」に共通するものに思えてならないのてす。。
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