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    弁護士の業務広告観

     弁護士の業務広告が全面的に解禁されて、既に20年以上が経過(1987年の「原則禁止・一部解禁」まで全面的禁止、2000年に「原則解禁」)していますが、実は現在に至るまで、個々の弁護士の中からは、ずっと「広告」そのものについて否定的な声を沢山聞いてきた感があります。

     「解禁」「自由化」というイメージから、弁護士界外の人たちの中には、さぞかし弁護士は商売がしやくなっただろうと捉えている人も少なくありませんが、そうした見方からすれば、意外な現実があるというべきかもしれません。

     かつての弁護士の広告禁止の理念には、「品位の保持」と弁護士の「公共的奉仕者」観が強く反映し、広告そのものを「客引きのための宣伝行為」と否定的にとらえ、そもそも弁護士の仕事の本質になじまない(結果、利用者の信用を失う)、という強い忌避感がありました。

     その現実が情報化時代の要請に反し、むしろ弁護士個人の情報不足が、利用者利便を阻害しているという見方が強まり、その反省から解禁の方向に動き出したという経緯があります。しかし、弁護士の意識からすると、当初、必ずしも多くの弁護士が広告の利用を待望し、制度に頭を抑えられていた、というわけではなかったようにとれました。解禁が打ち出されても、多くはその効果に懐疑的で、その動きは緩慢でした。前記「なじまない」論は、相当に根強かった印象もあります(「『弁護士広告』解禁論議が残したもの」)。

     「現在に至るまで」と書きましたが、こうした「品位」や「公共的奉仕者」観、いわば弁護士のあるべき論とつなげた捉え方は、現在の否定論の中では、もはや影をひそめ、全面解禁後に聞かれるようになったのは、主に次の二つです。

     一つは、広告効果への失望。一時期はそれまでの「紹介」「法律相談」が顧客獲得の主流だった形から、新たな集客の柱として、広告、さらにはインターネットの活用に期待が広がった感がありましたが、個々の、とりわけ中小の法律事務所では、費用対効果から疑問あるいは限界を言う声が出始めました。

     費用の明確化や弁護士個人の発信に触れることができるということによる、利用者の不安解消のメリットがあるとして、解禁後の成果を強調する見方は、もちろん業界内にもありますが、過払いなどの定型事案を大量に取り扱うようなものはともかく、必ずしも適正なマッチングや収益が生まれるという見通しにも立てない。むしろ、不特定多数に訴える広告宣伝という手段によって、「紹介」主流時代には聞かれなかった顧客の質とリスクについての声まで聞くことになりました(「『望ましくない顧客』を登場させたもの」)。

     もう一つは、広告が利用者への間違った誘導につながり、結果的に健全な選択も阻害している、という見方。広告である以上、費用が投下できる弁護士ほど露出するのは当然ですが、そもそも情報の非対称性が存在する関係にあって、広告に多く接する利用者が必ずしも健全で、最良の選択(少なく他の商行為同様の、その結果を利用者の自己責任にすべて被せられる程度)につながらない、危険性があるという指摘です。

     「広告を沢山打つ弁護士がいい弁護士とは限らない」という言葉が、弁護士界内ではよく聞かれてきましたし、そうした「広告」によって顧客が誘導される現実は、個々の弁護士の事務所運営では、「あるいは増員政策の弊害よりも深刻」という町弁の声も耳にしました。

     このいずれもが、ある意味、「広告」そのものへのリテラシーも含め、司法改革の発想、あるいはそれを支持した弁護士会主導層の見通しから、外れた結果であるようにもとれます(「弁護士の競争と広告が生み出している危険」)

     ところが、こうした中、ある弁護士の次のようなツイートがネット上で業界関係者に注目されました。

     「広告によって同種事件を集める結果、業務効率と専門性が高まる。業務効率が高まることにより、多数の事件を処理できるため、その分報酬を下げられる。専門性の高いリーガルサービスを安価に提供できる。弁護士給与を高くできるのは、業務効率の向上により通常の弁護士より多数の事件を処理してるから」(酒井将弁護士のツイート)

     これまで書いてきたことと、ある意味、対照的ともいえる肯定的な弁護士業務広告観です。とりわけ、弁護士自身の専門性の向上や、サービスの安価提供、さらには事務所所属弁護士の給与向上まで、導き出せるという、理想的な「果実」が描かれています。これが現実化しているということであれば、司法改革の成果という評価もされそうですし、推進派の中には、「これぞ」とばかり膝をたたく方もいるかもしれません。新興系事務所の旗手の一人とされる人物の発言とみれば、彼ら新興系こそが、この「改革」の理想を体現しているという見方まで出てきそうです。

     ただ、問題は、彼(彼ら)の発想と、多くの弁護士たちの状況との現実的距離感をどう考えるのか、です。誰でも彼のような発想で、「果実」を得ることができるのか。彼の話の中の、いわばスケールメリットに関わる部分、同種・多数案件の中身も前記した「定型」処理が可能なものと、そうでないもので一律、このような話はできるのか。いわば、条件抜きに、多くの法律事務所が彼に続けるのか、という極めて現実的な問題です。

     正直、こうした発信で、直ちに「やればできるじゃないか」「やれるはずだろう」といった、またぞろあたかも弁護士のヤル気一つで「改革」の「果実」は得られるととられることを不安視する弁護士もいると思います。さまざまな弁護士の状況を度外視して、発想を一括りにすることそのものも、結果的に利用者にとってプラスの結果を生まないはずです。

     広告を挟んだ利用者と弁護士の関係は、やはり今後も慎重に見ていく必要があるように思えます。


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    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

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    No title

    そもそも広告の規制緩和をした理由は何でしょう?広告業界の利益のためです。ところが弁護士会はノーガードなので、広告費が弁護士の利益を著しく圧迫しています。

    わりと笑ってしまうのは、いままで調子に乗っていた男性弁護士のお財布事情が悪化し、子供の身なりがみすぼらしくなっているところ。彼の娘さんが職探しをするときに受ける仕打ちも、父の行いの報いだから仕方ない、と思いました。

    No title

    1000円の床屋と、組合所属の4000円の床屋とどっちを選ぶかという話で、どちらが正解という話ではないように思いますが。酒井弁護士のように定型的な業務を多くこなして経験値を積んだと勘違いしている弁護士は、ひとひねりある事案ではピタリと仕事が止まってしまうでしょう。そういう事案の依頼者は、だから最初からウチに依頼しておけばよかったのにというまともな弁護士からのコメントを受けて安物買いの銭失いを実感するのでしょう。ただそれだけのことだと思います。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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