法科大学院の「高い理想」と「改革」の現実
法科大学院制度には、その発足当初から現在に至るまで、「高い理想」を掲げている、ということが異口同音に言われてきました。例えば、司法改革の「バイブル」とされた司法制度改革審議会意見書にも次のような言葉が並んでいます。
「理論的教育と実務的教育を架橋するものとして、公平性、開放性、多様性を旨としつつ、以下の基本的理念を統合的に実現」「法曹に共通して必要とされる専門的資質・能力の習得と、かけがえのない人生を生きる人々の喜びや悲しみに対して深く共感しうる豊かな人間性の涵養、向上を図る」「先端的な法領域について基本的な理解を得させ」「社会に生起する様々な問題に対して広い関心を持たせ、人間や社会の在り方に関する思索や実際的な見聞、体験を基礎として、法曹としての責任感や倫理観が涵養されるよう努める」「新しい社会のニーズに応える幅広くかつ高度の専門的教育を行うとともに、実務との融合をも図る教育内容」――。
一国の法曹養成「改革」の方向性を指し示す意見書として、それに相応しい、ある程度の崇高さや、やや総花的ともいえる表現があっても当然、という人も、いるかもしれません。しかし、それを差し引いたとしても、これらの表現を正確に読み込もうとすればするほど、やはり「気負い」とも言いたくなる、この制度が自ら掲げた目標達成への高い「ハードル」の方が気になってきます。
さらに、具体的な制度設計でいえば、法学既習者を対象としたコース(2年)とわずか1年差の未修者対象のコース(3年)を標準型としたり、当初注目されることになった修了者の「約7〜8割」程度の司法試験合格なども、今にしてみれば前記「高い理想」の先現れた「気負い」ととることもできます。
なぜ、法科大学院制度が「気負い」ともとれるような「高い理想」を掲げなければならなかったのか。その最大の理由としては、取りも直さず長い歴史と実績のある旧制度を変革する、「改革」の存在意義を、ことさらに強調する必要があったことが推測されます。そしてそれはもちろん、法曹人口激増政策と一体となったこの制度に対して、当初、業界からの強い抵抗も予想されたからにほかなりません。
当初「日本型ロースクール」構想といわれたこの制度に対しては、司法修習制度の実績を評価していた、当時の法曹界の中に、当初、司法試験、司法修習制度の維持を前提に、「屋上屋を架す」ものとするような懐疑論もあれば、最高裁関係者の間にも、司法修習無用論につながることへの警戒感もありました。予備校依存や受験技術偏重とつなげた、旧制度の「一発試験」を批判する論調同様、前記「高い理想」の現実化を掲げるほどに、それまで輩出されてきた現役法曹そのものの資質批判にとることもできてしまう(現に「自分は欠陥品か」と言った現役法曹たちもいましたが)という面もありました。
しかし、二つの現実が、この制度実現に向けた動きへの後押しになります。一つは、「改革」が当初掲げた法曹人口増の規模です。司法試験合格年間3000人目標が規定目標となったとき、これまでの司法修習制度では対応困難という見方が強まり、修習制度絶対維持を前提に、最高裁関係者の姿勢が軟化します。
もう一つは弁護士会内の法曹養成に対する「野望」ともいえるものです。司法官僚統制の道具と化している最高裁主導の法曹養成に対して、この法科大学院制度導入が弁護士主導の法曹養成に転換する契機となるという見方。そして、その向こうには、弁護士会の悲願ともいうべき「法曹一元」の現実化への期待感も被せられたのです。
しかし、現時点で考えれば、法曹人口激増政策は失敗に終わり、「3000人」目標はとっくに姿を消し、現在の合格者数は既に前記数として司法修習を対応困難とする前提もなくなっています。一方、最高裁主導の枠組みは大きく変わらず、官僚司法は「改革」後も温存され、弁護士会主導の法曹養成は実現せず、「法曹一元」実現ももはや完全に霞んでしまいました(「法科大学院制度導入必然性への疑問」 「法科大学院制度の『妄執』」 「『法科大学院』を目指した弁護士たち」「激増政策の中で消えた『法曹一元』」)。
むしろ、この過程で法曹養成を大学に依存するという形が取り入れられたことで、そのしわ寄せをくった給費制廃止とともに、国家がその責任で法曹を育てる、という理念も希薄化し、同時にそれは弁護士や志望者の意識、あるいは志向にまで影響しているようにとれます。そのことをどう考えるべきなのかというテーマも突き付けられています。
結局、この「改革」における法科大学院制度は、いくつもの「前提」を失い、そこに至る道程が見えないままの、「高い理想」の旗だけが今もはためいている状態のようにみえます。そのことは、今、その宙に浮いている「高い理想」の実現について、きちっとした「前提」を踏まえることができなかった、この「改革」の欠陥をむしろ象徴しているように思えます。
弁護士の質の低下についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4784
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「理論的教育と実務的教育を架橋するものとして、公平性、開放性、多様性を旨としつつ、以下の基本的理念を統合的に実現」「法曹に共通して必要とされる専門的資質・能力の習得と、かけがえのない人生を生きる人々の喜びや悲しみに対して深く共感しうる豊かな人間性の涵養、向上を図る」「先端的な法領域について基本的な理解を得させ」「社会に生起する様々な問題に対して広い関心を持たせ、人間や社会の在り方に関する思索や実際的な見聞、体験を基礎として、法曹としての責任感や倫理観が涵養されるよう努める」「新しい社会のニーズに応える幅広くかつ高度の専門的教育を行うとともに、実務との融合をも図る教育内容」――。
一国の法曹養成「改革」の方向性を指し示す意見書として、それに相応しい、ある程度の崇高さや、やや総花的ともいえる表現があっても当然、という人も、いるかもしれません。しかし、それを差し引いたとしても、これらの表現を正確に読み込もうとすればするほど、やはり「気負い」とも言いたくなる、この制度が自ら掲げた目標達成への高い「ハードル」の方が気になってきます。
さらに、具体的な制度設計でいえば、法学既習者を対象としたコース(2年)とわずか1年差の未修者対象のコース(3年)を標準型としたり、当初注目されることになった修了者の「約7〜8割」程度の司法試験合格なども、今にしてみれば前記「高い理想」の先現れた「気負い」ととることもできます。
なぜ、法科大学院制度が「気負い」ともとれるような「高い理想」を掲げなければならなかったのか。その最大の理由としては、取りも直さず長い歴史と実績のある旧制度を変革する、「改革」の存在意義を、ことさらに強調する必要があったことが推測されます。そしてそれはもちろん、法曹人口激増政策と一体となったこの制度に対して、当初、業界からの強い抵抗も予想されたからにほかなりません。
当初「日本型ロースクール」構想といわれたこの制度に対しては、司法修習制度の実績を評価していた、当時の法曹界の中に、当初、司法試験、司法修習制度の維持を前提に、「屋上屋を架す」ものとするような懐疑論もあれば、最高裁関係者の間にも、司法修習無用論につながることへの警戒感もありました。予備校依存や受験技術偏重とつなげた、旧制度の「一発試験」を批判する論調同様、前記「高い理想」の現実化を掲げるほどに、それまで輩出されてきた現役法曹そのものの資質批判にとることもできてしまう(現に「自分は欠陥品か」と言った現役法曹たちもいましたが)という面もありました。
しかし、二つの現実が、この制度実現に向けた動きへの後押しになります。一つは、「改革」が当初掲げた法曹人口増の規模です。司法試験合格年間3000人目標が規定目標となったとき、これまでの司法修習制度では対応困難という見方が強まり、修習制度絶対維持を前提に、最高裁関係者の姿勢が軟化します。
もう一つは弁護士会内の法曹養成に対する「野望」ともいえるものです。司法官僚統制の道具と化している最高裁主導の法曹養成に対して、この法科大学院制度導入が弁護士主導の法曹養成に転換する契機となるという見方。そして、その向こうには、弁護士会の悲願ともいうべき「法曹一元」の現実化への期待感も被せられたのです。
しかし、現時点で考えれば、法曹人口激増政策は失敗に終わり、「3000人」目標はとっくに姿を消し、現在の合格者数は既に前記数として司法修習を対応困難とする前提もなくなっています。一方、最高裁主導の枠組みは大きく変わらず、官僚司法は「改革」後も温存され、弁護士会主導の法曹養成は実現せず、「法曹一元」実現ももはや完全に霞んでしまいました(「法科大学院制度導入必然性への疑問」 「法科大学院制度の『妄執』」 「『法科大学院』を目指した弁護士たち」「激増政策の中で消えた『法曹一元』」)。
むしろ、この過程で法曹養成を大学に依存するという形が取り入れられたことで、そのしわ寄せをくった給費制廃止とともに、国家がその責任で法曹を育てる、という理念も希薄化し、同時にそれは弁護士や志望者の意識、あるいは志向にまで影響しているようにとれます。そのことをどう考えるべきなのかというテーマも突き付けられています。
結局、この「改革」における法科大学院制度は、いくつもの「前提」を失い、そこに至る道程が見えないままの、「高い理想」の旗だけが今もはためいている状態のようにみえます。そのことは、今、その宙に浮いている「高い理想」の実現について、きちっとした「前提」を踏まえることができなかった、この「改革」の欠陥をむしろ象徴しているように思えます。
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