大学の運営に委ねた法曹養成という観点
法科大学院制度を中核とする新法曹養成制度を考える時、「改革」論議の当初から現在に至るまで拭い去れない、ある基本的な観点の欠落感があります。それは、一言で言えば、法曹養成を学校運営というテーマを抱えることになる大学に委ねる是非ということです。別の言い方をすれば、あるべき法曹養成から純粋に逆算されることなく、大学運営を優先させなければならないことを事実上、許すことになる影響です。
なぜ、法科大学院制度に法曹養成を委ねなくてはならなくなったのかについては、これまでも書いてきました(「法科大学院の『高い理想』と『改革』の現実」)。司法試験・司法修習、さらには予備校の存在感も加わった、いわゆる旧試体制への批判、あたかもそれが達成できない領域を新制度は実現するかのような触れこみ。そして、この新制度と一体となった、年間3000人の司法試験合格目標という当時の規定路線による旧制度の対応能力の限界――。
しかし、逆に言えば、「改革」がそうした掲げられた主張に傾斜するなかで、結果的にすぽっと抜け落ちてしまったしまったのが、冒頭の観点であったようにみえるのです。「改革」論議は、それがどういうことを生み出し、法曹養成にとってどういうカセになるのかについて、徹底的にこだわることなく、制度導入ありきに進んでしまったのではなかったか――。
いま、制度創設から19年たった時点で、なぜ、そのことに触れるかと言えば、それは取りも直さす、案の定、この制度がはらみ、ずっと消えない疑問点に、この観点が、それこそカセのように、深くかかわっているようにとれるからにほかなりません。
例えば、実務を司法試験合格前に学ぶという新法曹養成制度の設計。「理論と実務の架橋」は法科大学院制度の基本的なスローガンとして掲げられたものですが、司法試験合格が最大の目的であり、その合格が未定の学生にとっても(教育内容がより身に入るのはいつか)、また、教育の効率化を考えても、司法試験合格後に施されるのが合理的という見方が言われてきました。合格目的の彼らに受験指導をしてはならないという建て前の制度のおかしさにもつながります。
このタイミングの教育を前提に、前記問題を解消しようとするならば、当然、現実的に法科大学院修了者のほとんどが司法試験に合格するという、前提が必要となりますが、そのためには法科大学院入学でのより厳しい選抜が必要になります。予備試験ルートの志望者の実績をみても分かるように、事前の厳しい関門の「洗礼」を受けることで圧倒的に最終的な司法試験合格率は高くなり、前記合格前教育がはらむ問題も解消します。
ところが、それをやっては、今度は多くの学生を獲得することを前提とする大学側の運営事情に反する。要するに妙味がなくなる。法曹養成として、あるいは学生にとって、どちらがいいかではない、制度にとっての優先事情を抱えているということになります。司法試験合格予定人数に合わせて、法科大学院入学者総定員数を調整することも、法科大学院敬遠を加速させる厳格な修了認定も、当然、不可能という話です。
その結果として、取りあえず入学させ、表向き受験指導をしない建て前で、2ないし3年で司法試験に合格させるという無理を抱える、というか、自ら制度効果のハードルを上げる結果になっているともいえるのです。
さらにもっと基本的なことというべきかもしれませんが、制度批判として言われ続けている、修了の司法試験受験資格要件化への疑問。制度の掲げる理念が正しく、それを実証する自信があるならば、要件化を外し、自由な受験を認めたうえで、「なるほど法科大学院制度は必要」という社会的了解のもとに、志望者が集まる形を目指すべき、と考えるのは合理的で、多くの志望者の受験機会や人材の多様性の確保の面でも、より有効です。
ところが、法科大学院関係者からはつとに、この受験資格要件にしがみつく声ばかりが聞かれてきました。この要件化こそ法科大学院制度の「生命線」であり、これを「手放せば、制度は実質的に終わる」と考えている関係者が沢山いるのが現実です。なぜそう考えているかといえば、取りも直さず、この制度「特権」を手放した瞬間に、この制度は選択されなくなると考えているからです。
法科大学院は廃校・募集停止が進み、既に当初の半数以下になっていることに、より有力校が残り、それらが制度を支えるのだから問題ない、とするような見方もあるようですが、一面、どんな素晴らしい理想的教育を掲げても、経営が成り立たなければ撤退を余儀なくされる、この制度の宿命を物語っているともいえます。
最近も、法科大学院というプロセスが法曹にとって不可欠であるとするような擁護派の弁護士のツイートに、他の弁護士から異論が噴出するということがありました(Schulze BLOG 弁護士猪野亨のブログ) 。大学運営の上に乗っかっている制度の存続を前提に逆算するのか、それとも純粋にあるべき法曹養成から逆算するのか――。この「改革」によって、わが国の法曹養成は、おかしなところにはまってしまったように思えてなりません。
「予備試験」のあり方をめぐる議論についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/5852
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なぜ、法科大学院制度に法曹養成を委ねなくてはならなくなったのかについては、これまでも書いてきました(「法科大学院の『高い理想』と『改革』の現実」)。司法試験・司法修習、さらには予備校の存在感も加わった、いわゆる旧試体制への批判、あたかもそれが達成できない領域を新制度は実現するかのような触れこみ。そして、この新制度と一体となった、年間3000人の司法試験合格目標という当時の規定路線による旧制度の対応能力の限界――。
しかし、逆に言えば、「改革」がそうした掲げられた主張に傾斜するなかで、結果的にすぽっと抜け落ちてしまったしまったのが、冒頭の観点であったようにみえるのです。「改革」論議は、それがどういうことを生み出し、法曹養成にとってどういうカセになるのかについて、徹底的にこだわることなく、制度導入ありきに進んでしまったのではなかったか――。
いま、制度創設から19年たった時点で、なぜ、そのことに触れるかと言えば、それは取りも直さす、案の定、この制度がはらみ、ずっと消えない疑問点に、この観点が、それこそカセのように、深くかかわっているようにとれるからにほかなりません。
例えば、実務を司法試験合格前に学ぶという新法曹養成制度の設計。「理論と実務の架橋」は法科大学院制度の基本的なスローガンとして掲げられたものですが、司法試験合格が最大の目的であり、その合格が未定の学生にとっても(教育内容がより身に入るのはいつか)、また、教育の効率化を考えても、司法試験合格後に施されるのが合理的という見方が言われてきました。合格目的の彼らに受験指導をしてはならないという建て前の制度のおかしさにもつながります。
このタイミングの教育を前提に、前記問題を解消しようとするならば、当然、現実的に法科大学院修了者のほとんどが司法試験に合格するという、前提が必要となりますが、そのためには法科大学院入学でのより厳しい選抜が必要になります。予備試験ルートの志望者の実績をみても分かるように、事前の厳しい関門の「洗礼」を受けることで圧倒的に最終的な司法試験合格率は高くなり、前記合格前教育がはらむ問題も解消します。
ところが、それをやっては、今度は多くの学生を獲得することを前提とする大学側の運営事情に反する。要するに妙味がなくなる。法曹養成として、あるいは学生にとって、どちらがいいかではない、制度にとっての優先事情を抱えているということになります。司法試験合格予定人数に合わせて、法科大学院入学者総定員数を調整することも、法科大学院敬遠を加速させる厳格な修了認定も、当然、不可能という話です。
その結果として、取りあえず入学させ、表向き受験指導をしない建て前で、2ないし3年で司法試験に合格させるという無理を抱える、というか、自ら制度効果のハードルを上げる結果になっているともいえるのです。
さらにもっと基本的なことというべきかもしれませんが、制度批判として言われ続けている、修了の司法試験受験資格要件化への疑問。制度の掲げる理念が正しく、それを実証する自信があるならば、要件化を外し、自由な受験を認めたうえで、「なるほど法科大学院制度は必要」という社会的了解のもとに、志望者が集まる形を目指すべき、と考えるのは合理的で、多くの志望者の受験機会や人材の多様性の確保の面でも、より有効です。
ところが、法科大学院関係者からはつとに、この受験資格要件にしがみつく声ばかりが聞かれてきました。この要件化こそ法科大学院制度の「生命線」であり、これを「手放せば、制度は実質的に終わる」と考えている関係者が沢山いるのが現実です。なぜそう考えているかといえば、取りも直さず、この制度「特権」を手放した瞬間に、この制度は選択されなくなると考えているからです。
法科大学院は廃校・募集停止が進み、既に当初の半数以下になっていることに、より有力校が残り、それらが制度を支えるのだから問題ない、とするような見方もあるようですが、一面、どんな素晴らしい理想的教育を掲げても、経営が成り立たなければ撤退を余儀なくされる、この制度の宿命を物語っているともいえます。
最近も、法科大学院というプロセスが法曹にとって不可欠であるとするような擁護派の弁護士のツイートに、他の弁護士から異論が噴出するということがありました(Schulze BLOG 弁護士猪野亨のブログ) 。大学運営の上に乗っかっている制度の存続を前提に逆算するのか、それとも純粋にあるべき法曹養成から逆算するのか――。この「改革」によって、わが国の法曹養成は、おかしなところにはまってしまったように思えてなりません。
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