弁護士自治批判への恐れと怯え
弁護士自治に対して、「機能していない」という批判的論調が、いまやインターネット上では、当たり前のように目にすることができます。あえて説明するまでもないかもしれませんが、これは弁護士の倫理面に関する批判に基づくものです。
有り体にいえば、不祥事はもちろん、社会が問題視するような弁護士の言動に対して、弁護士会の自浄作用が働いていない。だから、完全自治を与えられ、監督官庁を持たない状態であり続ける資格が、弁護士会にはない、という主張です。逆に言えば、第三者や監督官庁が代わりににらみを利かせれば、こういうことにはならず、社会の利益につながるはず、という見方になります。
一方、これも説明するまでもないことかもしれませんが、弁護士会が堅持し、繰り返し主張してきた自治の意義は、国民の人権擁護を貫徹するために、それを阻害する国家権力の干渉を排除するために必要なもの、という、戦前の教訓に基づくものです。あえてその観点でいえば、自治の機能は、いまだ失われていない、ということになるかもしれません。
しかし、そんな風に強弁する人は、少なくとも弁護士会の多数派、あるいは主導層にはほとんどいないと思います。なぜかといえば、むしろ彼らは、前者のような社会の目線が、自治を脅かすことをずっと恐れ、怯えてきた、といえるからです。
そして、その恐れ・怯えの中身についてもっと言ってしまえば、弁護士自治を掲げ、懲戒権を独占することによって、社会から求められる前記したような自浄作用に対して、果たして社会を納得させる結果を生み出せるのかについて、主導層も多くの会員も、胸を張れるような自信を持ち合わせてない現実もあるということです。
つまり、発生する弁護士の問題事例を、懲戒処分の厳格化による抑止と、倫理に関する会員全体に対する研修などによる意識向上の効果が、前記社会の目線を和らげ、自治を認めてくれるまでに変えられる、あるいはそう在り続けさせられるとまで、確信できない。
さらに、批判されることを覚悟で言ってしまえば、むしろ発想は逆で、自治がある以上、起きてしまった不祥事に対しても、会員に対しても、何かをやらなければならない、努力していなければならない、という、ある種の姿勢として認められようとするものであった現実も否定できないようにとれるのです。
前記弁護士会が掲げてきた自治の存在意義の論調には、「国民から負託されたもの」という言葉が必ずといっていいほど付されています。要は、自治そのものが、弁護士自らのための「特権」ではない、ということの強調、注釈といえるものです。
しかし、ここにこそ、弁護士自治の最大の難点であり、主導層が掲げる自治観の最大の弱点が隠されているというべきです。負託した「国民」とは何を指すか。当然のように、これが社会の多数派の「国民」(おそらく注釈が付されなければ、当然に社会はそう理解するでしょうが)であれば、社会の少数派、時に前記存在意義でいえば、最も国家権力と先鋭的に対立し、彼らに最後の砦として期待される弁護士として自治の本来の役割が全うできない。
弁護士会の倫理を問題視する多数派国民は、当然に弱者の立場よりも、倫理面での問題を、弁護士の「特権」の問題とみて批判して、むしろ権力の介入の余地を歓迎するかもしれないし、また、権力側に介入しようとする意図があれば、当然にその多数世論の目線を利用するかもしれません。
こう見てくると、弁護士自治をめぐる弁護士会の恐れ、怯え方は、ある意味、とても中途半端で、いびつなものに見えます。つまり、自浄作用の結果そのものについて、強い自信の裏付けがないまま(あるいはないがゆえに)、前記したような社会の多数派の反応を恐れ、負託してもらっている対象が、場合によっては、自治最大の目的と抵触するかもしれない、多数派の解される可能性が高い「国民」である、とする立場をとった、ということです(「『国民的基盤』に立つ弁護士会の行方」 「『多数派市民』と自治をめぐる弁護士会のスタンス」 「『国民的基盤』論の危い匂い」)。
「増えたらば、悪くなるとは口が裂けてもいえない」
司法改革の弁護士激増政策が、ほぼ規定路線になりつつあったころ、弁護士不祥事の増加など倫理面での恐れについて尋ねた、ある推進派の弁護士はこう語りました。同じころ、この質問に対して、異口同音にこうした、ある意味、自治を有する弁護士会的な建て前論を、他の弁護士たちからも耳にしたことを覚えています。おそらくご本人は、弁護士自治を持つ側の、むしろあるべき自覚としてこちらに語っていたようにもとれましたが、一面、彼らを現実的に怯えさせているものが存在し、また、その存在そのものに彼らがとても自覚的であったことも伝わりました。
弁護士主導層の中にあった、多数派国民・世論への恐れと怯えは、結局、「改革」の結果とともに、弁護士自治を追い詰めることになっていないのか、という気持ちになってくるのです。
弁護士自治と弁護士会の強制加入制度の必要性について、ご意見をお聞かせ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4794
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一方、これも説明するまでもないことかもしれませんが、弁護士会が堅持し、繰り返し主張してきた自治の意義は、国民の人権擁護を貫徹するために、それを阻害する国家権力の干渉を排除するために必要なもの、という、戦前の教訓に基づくものです。あえてその観点でいえば、自治の機能は、いまだ失われていない、ということになるかもしれません。
しかし、そんな風に強弁する人は、少なくとも弁護士会の多数派、あるいは主導層にはほとんどいないと思います。なぜかといえば、むしろ彼らは、前者のような社会の目線が、自治を脅かすことをずっと恐れ、怯えてきた、といえるからです。
そして、その恐れ・怯えの中身についてもっと言ってしまえば、弁護士自治を掲げ、懲戒権を独占することによって、社会から求められる前記したような自浄作用に対して、果たして社会を納得させる結果を生み出せるのかについて、主導層も多くの会員も、胸を張れるような自信を持ち合わせてない現実もあるということです。
つまり、発生する弁護士の問題事例を、懲戒処分の厳格化による抑止と、倫理に関する会員全体に対する研修などによる意識向上の効果が、前記社会の目線を和らげ、自治を認めてくれるまでに変えられる、あるいはそう在り続けさせられるとまで、確信できない。
さらに、批判されることを覚悟で言ってしまえば、むしろ発想は逆で、自治がある以上、起きてしまった不祥事に対しても、会員に対しても、何かをやらなければならない、努力していなければならない、という、ある種の姿勢として認められようとするものであった現実も否定できないようにとれるのです。
前記弁護士会が掲げてきた自治の存在意義の論調には、「国民から負託されたもの」という言葉が必ずといっていいほど付されています。要は、自治そのものが、弁護士自らのための「特権」ではない、ということの強調、注釈といえるものです。
しかし、ここにこそ、弁護士自治の最大の難点であり、主導層が掲げる自治観の最大の弱点が隠されているというべきです。負託した「国民」とは何を指すか。当然のように、これが社会の多数派の「国民」(おそらく注釈が付されなければ、当然に社会はそう理解するでしょうが)であれば、社会の少数派、時に前記存在意義でいえば、最も国家権力と先鋭的に対立し、彼らに最後の砦として期待される弁護士として自治の本来の役割が全うできない。
弁護士会の倫理を問題視する多数派国民は、当然に弱者の立場よりも、倫理面での問題を、弁護士の「特権」の問題とみて批判して、むしろ権力の介入の余地を歓迎するかもしれないし、また、権力側に介入しようとする意図があれば、当然にその多数世論の目線を利用するかもしれません。
こう見てくると、弁護士自治をめぐる弁護士会の恐れ、怯え方は、ある意味、とても中途半端で、いびつなものに見えます。つまり、自浄作用の結果そのものについて、強い自信の裏付けがないまま(あるいはないがゆえに)、前記したような社会の多数派の反応を恐れ、負託してもらっている対象が、場合によっては、自治最大の目的と抵触するかもしれない、多数派の解される可能性が高い「国民」である、とする立場をとった、ということです(「『国民的基盤』に立つ弁護士会の行方」 「『多数派市民』と自治をめぐる弁護士会のスタンス」 「『国民的基盤』論の危い匂い」)。
「増えたらば、悪くなるとは口が裂けてもいえない」
司法改革の弁護士激増政策が、ほぼ規定路線になりつつあったころ、弁護士不祥事の増加など倫理面での恐れについて尋ねた、ある推進派の弁護士はこう語りました。同じころ、この質問に対して、異口同音にこうした、ある意味、自治を有する弁護士会的な建て前論を、他の弁護士たちからも耳にしたことを覚えています。おそらくご本人は、弁護士自治を持つ側の、むしろあるべき自覚としてこちらに語っていたようにもとれましたが、一面、彼らを現実的に怯えさせているものが存在し、また、その存在そのものに彼らがとても自覚的であったことも伝わりました。
弁護士主導層の中にあった、多数派国民・世論への恐れと怯えは、結局、「改革」の結果とともに、弁護士自治を追い詰めることになっていないのか、という気持ちになってくるのです。
弁護士自治と弁護士会の強制加入制度の必要性について、ご意見をお聞かせ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4794
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