「ギルド批判」からの弁護士会
今でこそ、聞かれなくなりましたが、「平成の司法改革」が注目された時代、弁護士あるいは弁護士会は、メディアを含む一部から、厳しい「ギルド批判」にさらされました。とりわけ弁護士の増員政策に絡み、長年、弁護士会が弁護士需要に対して、保身的な参入抑制政策をやってきたとして、それを利用者利益に反する独占体質として描くのが、この中世職業別組合を引き合いに出した批判論の眼目でした。
この論調に対しては、参入の抑制というより適正化は、質の確保(元々のギルドの効果と被る点でもありますが)や、ビジネス化促進を危惧し、むしろ適切な弁護活動のため、とする従来からの発想の弁護士の中からは強い反発もありました。
しかし、その一方で、この論調は、「改革」を迫られていた、当時の多くの弁護士の精神にボディブローのように響いたようにとれました。そして、それが会内「改革」主導層の志向にも大きく影響したというべきです。この論調の向こうにある増員政策と関連し、「ギルド」の悪いイメージに引きずられて前記論調へ反論する中で、当然主張されてもよかった質確保や、業界の健全性維持という主張のタブー視。それらを通用しないものと彼らの中に、強く植え付けさせる役割を担ったのが、この「ギルド批判」であったようにとれるのです(「弁護士『ギルド批判』の役割」)。
もう一つ、本来「ギルド」とは違うものながら、日本の弁護士会の利用者利益に反する体質として、共通する意味合いをもった「カルテル批判」というものもありました。
日本の法役務産業での規制の代表的なものは参入障壁、広告規制、報酬規定であり、これらはサービスの質を高めず価格を引き上げる。参入規制は資格者が提供するサービスの質は高める可能性はあるが、供給量を絞ることになり、価格は上がる。この結果、利用者は質の悪い代用品を求めるか、利用を断念する。広告規制は低い価格のサービス提供者を求めづらくし、平均価格を引き上げる――(「弁護士カルテル」三宅伸吾著)。
一部弁護士増員政策を弁護士会が主体的に引き受ける流れにつなげられた、司法の機能不全論(「二割司法」)の弊害につながるととれるものが登場します。しかし、それ以前に、自由競争促進の方向が、単純に価格引き下げ効果を生むという期待につなげており、現実は他の産業のようにそれが単純に価格に反映しにくく、返ってしわ寄せが利用者にいきかねないという、弁護士の特殊性が加味されていないことが分かります(「『低廉化』期待への裏切りを生んでいるもの」「弁護士『薄利多売』化の無理と危険」「弁護士の『自由競争』と制約が意味するもの」)
結果、弁護士会はこれらの批判を恐れるあまり(あるいは反論を断念することで)、増員政策の旗を、「改革」路線の中でともに振る側にまわり、その失敗の結果、戦後の新弁護士制度発足以来、最大といっていい資格の経済的価値下落という憂き目にあうことになりました。
そして、もう一つ、この批判の先につなげてみたくなる、今の弁護士会の体質的なものがあります。それは、「改革」を知らない世代の中に広がっている欲求が、逆に浮き彫りにすることになっている弁護士会の非業者団体的スタンスの限界ともいえるものです。つまり、あくまで人権団体であり、その弁護士法に由来する目的の前には、いわゆる業者団体的な構成会員の利益・生存擁護の主張は当然に後回しにする。さらにいえば、その犠牲的な部分も、当然に前記目的の中に溶かし込まれると解すべき、とするような発想が、もはや構成会員の当然の共通認識になっていない、という現実です(「『普通の業者団体』という選択と欲求」)。
この発想は、弁護士会には昔からあったという人もいると思います。しかし、だとすれば、この発想が通用していた時代が、前記「ギルド批判」を実は自省的に受けとめ、推進した「改革」が破壊する前の弁護士界であることを、今の弁護士会主導層が本当に直視しているか、ということも、問わなければならないはずです。
弁護士自治と弁護士会の強制加入制度の必要性について、ご意見をお聞かせ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4794
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この論調に対しては、参入の抑制というより適正化は、質の確保(元々のギルドの効果と被る点でもありますが)や、ビジネス化促進を危惧し、むしろ適切な弁護活動のため、とする従来からの発想の弁護士の中からは強い反発もありました。
しかし、その一方で、この論調は、「改革」を迫られていた、当時の多くの弁護士の精神にボディブローのように響いたようにとれました。そして、それが会内「改革」主導層の志向にも大きく影響したというべきです。この論調の向こうにある増員政策と関連し、「ギルド」の悪いイメージに引きずられて前記論調へ反論する中で、当然主張されてもよかった質確保や、業界の健全性維持という主張のタブー視。それらを通用しないものと彼らの中に、強く植え付けさせる役割を担ったのが、この「ギルド批判」であったようにとれるのです(「弁護士『ギルド批判』の役割」)。
もう一つ、本来「ギルド」とは違うものながら、日本の弁護士会の利用者利益に反する体質として、共通する意味合いをもった「カルテル批判」というものもありました。
日本の法役務産業での規制の代表的なものは参入障壁、広告規制、報酬規定であり、これらはサービスの質を高めず価格を引き上げる。参入規制は資格者が提供するサービスの質は高める可能性はあるが、供給量を絞ることになり、価格は上がる。この結果、利用者は質の悪い代用品を求めるか、利用を断念する。広告規制は低い価格のサービス提供者を求めづらくし、平均価格を引き上げる――(「弁護士カルテル」三宅伸吾著)。
一部弁護士増員政策を弁護士会が主体的に引き受ける流れにつなげられた、司法の機能不全論(「二割司法」)の弊害につながるととれるものが登場します。しかし、それ以前に、自由競争促進の方向が、単純に価格引き下げ効果を生むという期待につなげており、現実は他の産業のようにそれが単純に価格に反映しにくく、返ってしわ寄せが利用者にいきかねないという、弁護士の特殊性が加味されていないことが分かります(「『低廉化』期待への裏切りを生んでいるもの」「弁護士『薄利多売』化の無理と危険」「弁護士の『自由競争』と制約が意味するもの」)
結果、弁護士会はこれらの批判を恐れるあまり(あるいは反論を断念することで)、増員政策の旗を、「改革」路線の中でともに振る側にまわり、その失敗の結果、戦後の新弁護士制度発足以来、最大といっていい資格の経済的価値下落という憂き目にあうことになりました。
そして、もう一つ、この批判の先につなげてみたくなる、今の弁護士会の体質的なものがあります。それは、「改革」を知らない世代の中に広がっている欲求が、逆に浮き彫りにすることになっている弁護士会の非業者団体的スタンスの限界ともいえるものです。つまり、あくまで人権団体であり、その弁護士法に由来する目的の前には、いわゆる業者団体的な構成会員の利益・生存擁護の主張は当然に後回しにする。さらにいえば、その犠牲的な部分も、当然に前記目的の中に溶かし込まれると解すべき、とするような発想が、もはや構成会員の当然の共通認識になっていない、という現実です(「『普通の業者団体』という選択と欲求」)。
この発想は、弁護士会には昔からあったという人もいると思います。しかし、だとすれば、この発想が通用していた時代が、前記「ギルド批判」を実は自省的に受けとめ、推進した「改革」が破壊する前の弁護士界であることを、今の弁護士会主導層が本当に直視しているか、ということも、問わなければならないはずです。
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