狭き「予備試験」の本当の目的
新司法試験の初めての「予備試験」が5月15日、実施されました。法務省人事課に確認したところによると、受験者は6477人(速報値)だそうです。
例の「点からプロセス」の法曹養成ということで、一発試験の司法試験ではなく、法科大学院という教育制度を入れた過程で、「経済的な事情」などによって大学院に進めない人のため、ということでつくられた、いわゆる「バイパス」です。
ただ、実は一般の方は、まだよく知らないようですが、この「バイパス」はマイナーな扱いをされているのです。多分、こういっても、その意味が分からないと思います。「経済的な事情」でいけない人のために設けた「バイパス」がなぜ、マイナーなのか、司法試験というのは、平等ではないの、と思われても、当然です。
関係者の方はご存知のことですが、つまり、結論からいえば、これはどうしても法科大学院を経由させ、おカネのかかる同大学院ルートを本道とする法曹界挙げての方針のためなのです。「狭き門」といわれた司法試験は改めるという話でも、「予備試験」は政策的な、いわば法科大学院のための「残された狭き門」なのです(「『法科大学院』中心主義の不思議」)。
予備試験合格者も、法科大学院修了者同様、新司法試験を受けます。法科大学院に行かなくて、この「バイパス」ルートで、合格できるとなったならば、だれも法科大学院には行かなくなる、という危機感が、初めから法曹界と法科大学院関係者の中にあります。
ここまで話しても、まだ、一般の方には理解できないかもしれません。結果的に、法科大学院以外のルートが選択されることが、それがそんなに悪いことなのか。少なくとも、公平な受験機会を与え、おカネ持ちに限らず、いろいろな人が法曹になるのをチャレンジできることを犠牲にしてまでも、法科大学院を本道とする意味があるのか、と。
「法科対学院、骨抜きの恐れ」
5月16日付け「朝日新聞」朝刊が、今回の「予備試験」に関する報道に、こんな見出しを付けた解説を掲載しています。早速、「改革」推進派の「朝日」らしい懸念論です。
法科大学院ルート本道の制度は、「暗記中心のマニュアル志向の法律家を生んでいると批判された」旧司法試験の反省からであり、「実務に精通した法律家らによる密度の濃い授業を通して、知識偏重ではなく、幅広い教養や柔軟な思考力を持った法律家を育てる」のが狙い、バイパスを「例外」にしないと、「大学院に進まなくても法曹になれるならば、結局は試験のための勉強で足りてしまう」。
ここで書かれている「狙い」の下りを見て、「できてから言え」という方も少なからずいると思います。「バイパス」を「狭き門」として冷遇するであれば、現実的に「公平な受験機会」や「多様な人材確保」を犠牲にしてもいいような、確固たる法科大学院制度の成果と育てられた修了者の「違い」を示さなければなりません。果たして現実は、どうなのでしょうか。
ニュース記事の方に検察官になることが夢の、慶応大学法学部の男子学生のこんなコメントが出ています。
「(予備試験は)法科大学院に行くお金も時間も節約できる。抜け道との批判は知っており、大学院には進もうと思うが、それでも予備試験は受け続ける」
「予備試験」は本当に批判されるべき「抜け道」なのでしょうか。もちろん、意味は分かります。法科大学院を本道とする以上、こういう烙印が押されます。しかし、「経済的な事情」などを抱えた人が受験できる「公平な受験機会」、あるいは「多様な人材確保」の機会が、なぜ「抜け道」として批判されなければならないのでしょうか。
決定的なことは、これを批判されるべき「抜け道」とまでいうのであるならば、これまで旧司法試験という同様の一発試験で合格して、現在、活動している法曹たちは、なんなんだということになります。旧司法試験・旧法曹養成組が、結果として、そこまで悪い出来だということにしなければなりません。前記した法科大学院の成果として、修了者の「違い」を示さなければならない相手は、「バイパス」組にとどまらず、同様の一発試験で合格して、現在活動している現役法曹たちともいえなくありません。
前記「朝日」が触れているような「マニュアル志向の法律家」の実害が、現役・旧司法試験合格法曹の、いわば「質の悪さ」として、どうしても「予備試験」をあくまで「抜け道」として扱い、法科大学院を本道としなければならないほど存在している、とでも解釈しないことには、なかなか一般の理解は得られないのではないでしょうか。
「公平さ」を犠牲にして、本当は何を守ろうとしているのか。残された「狭き門」から、もう一度、考え直してみるべきだと思います。
ただいま「予備試験」問題でもご意見を募集中。
投稿サイト「司法ウオッチ」では皆様の意見を募集しています。是非、ご参加下さい。
http://www.shihouwatch.com/

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例の「点からプロセス」の法曹養成ということで、一発試験の司法試験ではなく、法科大学院という教育制度を入れた過程で、「経済的な事情」などによって大学院に進めない人のため、ということでつくられた、いわゆる「バイパス」です。
ただ、実は一般の方は、まだよく知らないようですが、この「バイパス」はマイナーな扱いをされているのです。多分、こういっても、その意味が分からないと思います。「経済的な事情」でいけない人のために設けた「バイパス」がなぜ、マイナーなのか、司法試験というのは、平等ではないの、と思われても、当然です。
関係者の方はご存知のことですが、つまり、結論からいえば、これはどうしても法科大学院を経由させ、おカネのかかる同大学院ルートを本道とする法曹界挙げての方針のためなのです。「狭き門」といわれた司法試験は改めるという話でも、「予備試験」は政策的な、いわば法科大学院のための「残された狭き門」なのです(「『法科大学院』中心主義の不思議」)。
予備試験合格者も、法科大学院修了者同様、新司法試験を受けます。法科大学院に行かなくて、この「バイパス」ルートで、合格できるとなったならば、だれも法科大学院には行かなくなる、という危機感が、初めから法曹界と法科大学院関係者の中にあります。
ここまで話しても、まだ、一般の方には理解できないかもしれません。結果的に、法科大学院以外のルートが選択されることが、それがそんなに悪いことなのか。少なくとも、公平な受験機会を与え、おカネ持ちに限らず、いろいろな人が法曹になるのをチャレンジできることを犠牲にしてまでも、法科大学院を本道とする意味があるのか、と。
「法科対学院、骨抜きの恐れ」
5月16日付け「朝日新聞」朝刊が、今回の「予備試験」に関する報道に、こんな見出しを付けた解説を掲載しています。早速、「改革」推進派の「朝日」らしい懸念論です。
法科大学院ルート本道の制度は、「暗記中心のマニュアル志向の法律家を生んでいると批判された」旧司法試験の反省からであり、「実務に精通した法律家らによる密度の濃い授業を通して、知識偏重ではなく、幅広い教養や柔軟な思考力を持った法律家を育てる」のが狙い、バイパスを「例外」にしないと、「大学院に進まなくても法曹になれるならば、結局は試験のための勉強で足りてしまう」。
ここで書かれている「狙い」の下りを見て、「できてから言え」という方も少なからずいると思います。「バイパス」を「狭き門」として冷遇するであれば、現実的に「公平な受験機会」や「多様な人材確保」を犠牲にしてもいいような、確固たる法科大学院制度の成果と育てられた修了者の「違い」を示さなければなりません。果たして現実は、どうなのでしょうか。
ニュース記事の方に検察官になることが夢の、慶応大学法学部の男子学生のこんなコメントが出ています。
「(予備試験は)法科大学院に行くお金も時間も節約できる。抜け道との批判は知っており、大学院には進もうと思うが、それでも予備試験は受け続ける」
「予備試験」は本当に批判されるべき「抜け道」なのでしょうか。もちろん、意味は分かります。法科大学院を本道とする以上、こういう烙印が押されます。しかし、「経済的な事情」などを抱えた人が受験できる「公平な受験機会」、あるいは「多様な人材確保」の機会が、なぜ「抜け道」として批判されなければならないのでしょうか。
決定的なことは、これを批判されるべき「抜け道」とまでいうのであるならば、これまで旧司法試験という同様の一発試験で合格して、現在、活動している法曹たちは、なんなんだということになります。旧司法試験・旧法曹養成組が、結果として、そこまで悪い出来だということにしなければなりません。前記した法科大学院の成果として、修了者の「違い」を示さなければならない相手は、「バイパス」組にとどまらず、同様の一発試験で合格して、現在活動している現役法曹たちともいえなくありません。
前記「朝日」が触れているような「マニュアル志向の法律家」の実害が、現役・旧司法試験合格法曹の、いわば「質の悪さ」として、どうしても「予備試験」をあくまで「抜け道」として扱い、法科大学院を本道としなければならないほど存在している、とでも解釈しないことには、なかなか一般の理解は得られないのではないでしょうか。
「公平さ」を犠牲にして、本当は何を守ろうとしているのか。残された「狭き門」から、もう一度、考え直してみるべきだと思います。
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