刷り込まれる「弁護士大増員」という前提
「法科大学院は必要か」というタイトルを付けて、5月31日付けの朝日新聞朝刊が、奥島孝康・元早稲田大学総長と安念潤司・中央大学法科大学院教授の対論形式の記事を掲載しています。
直感ですが、このほぼ全面を使う企画記事を最初に見て、これは要注意だなと思いました。相手はしたたかな「朝日」です。どこかにカラクリがあるのではないか、と。この手の記事は、決して安心して見てはいけません。鵜の目鷹の目で見ないと。
読後の感想をいえば、やっぱり「朝日」だなということです。
「○」が付いている側の奥島さんの意見は、「事後救済型の司法国家」へ法曹人口を増やし、受験技術偏重でない多様なハックグラウンドを持つ法律家が求められるという理念で始めた法科大学院制度だったのに失敗した、その理由は、司法試験にあるとお考えのようです。「旧試験と同様の細かい法律知識を持たねば対応できない内容になっている」と。
弁護士が食えないというなら地方に行け、予備試験合格が増えたら、旧司法試験復活と同じというおなじみの論調のあとには、「司法試験合格者を段階的に年5000人程度に増やせ」など、最後はなんだか弁護士大増員論で締めくくっています。要するに、司法試験を通せ、足を引っ張っている増員反対の弁護士が悪いということのようです。
一方「×」の側の安念さんは、「受験指導をするな」という建て前に疑問を呈するとともに、法科大学院設立は法学部に学生を集めるという大学側の思惑で林立したのでそれは予想できたはずだと。受験回数制限は外すべきだが、王道は合格者の大幅に増やすべき。法曹の平均的質は当然低下するが、「それで誰が困るのですか」と。入口で絞るんじゃなくて、チャンスは与えてあとは自由競争に任せればいい、というおなじみの論調。
結論としては、予備試験を肯定し、法科大学院を受験資格として強制せずに、行きたい人だけいけばいい、法科大学院を出たことが高い評価になれば、学生はくる、と。要するに無理せず、法科大学院を残す話のようです。
この「対論」どうですかね。結局、「法科大学院は必要か」の○×というよりも、予備試験、あるいは法科大学院中心主義の評価の違いということで、とにかく司法試験合格者を増やせ、ということと、弁護士は大増員せよ、反対するのは弁護士の心得違いということでは完全に一致しています。
二人が紙上ではなく、対談していたら、「一部違いはあるけれど、結論は同じのようですな」と、最後は握手して別れているかもしれません。法科大学院関係者お二人のご意見ですから、着地点が同じ辺りになるのも、見る人が見たら想定内のことですが。
さて、「朝日」のカラクリの話です。この対論記事が読者に刷り込もうとしているものは、法科大学院中心主義の修正、司法試験合格者の大幅増員の必要性です。とりわけ、弁護士の大幅増員については、ほとんど反論の余地がない、既定路線との印象を強く与え、反対する弁護士の意見を排除することを前提とすべきとするような印象を植え付ける内容といっていいものです。
つまり「法科大学院は必要か」というタイトルながら、実はその必要性○×ではないことになる想定内の、もしくは前提の「対論」を、読者に提示しているというわけです。簡単にいってしまえば、対立している二つの意見を掲げて、あたかも「さて、あなたはどちらが正しいと思いますか」と投げかけて、選ばせる手法の中に、どちらを選んでも選ぶことなる手品のタネが仕込まれているというわけです。
「朝日」はちゃんと、これまでの社説に掲げてきた論調を、この二人の中に刷り込ませているのです。
もう一つ見落とせないことがあります。カラクリと書いてきましたが、これはカラクリと呼ぶに値するほど、巧妙ではないようにも感じることです。少なくとも弁護士が見たならば、一目了然。記事の作りとしても、後半は双方、弁護士増員反対の心得違いに相当なスペースを割いていることからしても、見方によってはかなりあからさまです。
これについて考えられるのは二つ。これまでの「朝日」の刷り込み効果で、少なくとも「朝日」読者には、合格者増・弁護士増の基調が、するっと飲み込まれるという確信があるのか、それとも、相当に読者を侮っているか、そのどちらかではないかという気がしています。
顧みることがなくなる世論とは、こうして作られていくのだと思います。
ただいま、「予備試験」「受験回数制限」についてもご意見募集中!
投稿サイト「司法ウオッチ」では皆様の意見を募集しています。是非、ご参加下さい。
http://www.shihouwatch.com/

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直感ですが、このほぼ全面を使う企画記事を最初に見て、これは要注意だなと思いました。相手はしたたかな「朝日」です。どこかにカラクリがあるのではないか、と。この手の記事は、決して安心して見てはいけません。鵜の目鷹の目で見ないと。
読後の感想をいえば、やっぱり「朝日」だなということです。
「○」が付いている側の奥島さんの意見は、「事後救済型の司法国家」へ法曹人口を増やし、受験技術偏重でない多様なハックグラウンドを持つ法律家が求められるという理念で始めた法科大学院制度だったのに失敗した、その理由は、司法試験にあるとお考えのようです。「旧試験と同様の細かい法律知識を持たねば対応できない内容になっている」と。
弁護士が食えないというなら地方に行け、予備試験合格が増えたら、旧司法試験復活と同じというおなじみの論調のあとには、「司法試験合格者を段階的に年5000人程度に増やせ」など、最後はなんだか弁護士大増員論で締めくくっています。要するに、司法試験を通せ、足を引っ張っている増員反対の弁護士が悪いということのようです。
一方「×」の側の安念さんは、「受験指導をするな」という建て前に疑問を呈するとともに、法科大学院設立は法学部に学生を集めるという大学側の思惑で林立したのでそれは予想できたはずだと。受験回数制限は外すべきだが、王道は合格者の大幅に増やすべき。法曹の平均的質は当然低下するが、「それで誰が困るのですか」と。入口で絞るんじゃなくて、チャンスは与えてあとは自由競争に任せればいい、というおなじみの論調。
結論としては、予備試験を肯定し、法科大学院を受験資格として強制せずに、行きたい人だけいけばいい、法科大学院を出たことが高い評価になれば、学生はくる、と。要するに無理せず、法科大学院を残す話のようです。
この「対論」どうですかね。結局、「法科大学院は必要か」の○×というよりも、予備試験、あるいは法科大学院中心主義の評価の違いということで、とにかく司法試験合格者を増やせ、ということと、弁護士は大増員せよ、反対するのは弁護士の心得違いということでは完全に一致しています。
二人が紙上ではなく、対談していたら、「一部違いはあるけれど、結論は同じのようですな」と、最後は握手して別れているかもしれません。法科大学院関係者お二人のご意見ですから、着地点が同じ辺りになるのも、見る人が見たら想定内のことですが。
さて、「朝日」のカラクリの話です。この対論記事が読者に刷り込もうとしているものは、法科大学院中心主義の修正、司法試験合格者の大幅増員の必要性です。とりわけ、弁護士の大幅増員については、ほとんど反論の余地がない、既定路線との印象を強く与え、反対する弁護士の意見を排除することを前提とすべきとするような印象を植え付ける内容といっていいものです。
つまり「法科大学院は必要か」というタイトルながら、実はその必要性○×ではないことになる想定内の、もしくは前提の「対論」を、読者に提示しているというわけです。簡単にいってしまえば、対立している二つの意見を掲げて、あたかも「さて、あなたはどちらが正しいと思いますか」と投げかけて、選ばせる手法の中に、どちらを選んでも選ぶことなる手品のタネが仕込まれているというわけです。
「朝日」はちゃんと、これまでの社説に掲げてきた論調を、この二人の中に刷り込ませているのです。
もう一つ見落とせないことがあります。カラクリと書いてきましたが、これはカラクリと呼ぶに値するほど、巧妙ではないようにも感じることです。少なくとも弁護士が見たならば、一目了然。記事の作りとしても、後半は双方、弁護士増員反対の心得違いに相当なスペースを割いていることからしても、見方によってはかなりあからさまです。
これについて考えられるのは二つ。これまでの「朝日」の刷り込み効果で、少なくとも「朝日」読者には、合格者増・弁護士増の基調が、するっと飲み込まれるという確信があるのか、それとも、相当に読者を侮っているか、そのどちらかではないかという気がしています。
顧みることがなくなる世論とは、こうして作られていくのだと思います。
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