弁護士の職人的興味と「不謹慎」
「面白い」という日本語は、意外と使いどころを気をつけなければいけない言葉です。取り方によって、不謹慎に響きになるからです。
これは、本人には悪気がない場合がほとんどかもしれません。この日本語が、たまたま「こっけいだ」「楽しい」という意味と、「興味がある」「こころひかれる」という意味を持ち合わせていることからくることでもあります。だから、本人からすれば、誤用とも言い難いのですが、伝わってなんぼの言葉ですから、そうした不謹慎な響き、ニュアンスにとられることは、発信者側が配慮することが無難です。
重々お分かりのことかとも思いますが、弁護士の仕事についても、これは気をつけた方がいい言葉と思うことは、よくあります。「面白い事件」「面白い裁判」「面白い案件」などなど。事情がよく分かっているもの同士、あるいはある前提の上に話し合える間柄では、もちろん、この言葉のなかに不謹慎なものを読み取ることはないのですが、事件当事者はもちろんのこと、第三者の市民がこれを聞いて、その部分を切り取ってみたとき、「面白いとはなんだ」という突っ込みを入れたくなるかもしれません。
ひとつには、職業的あるいは職人的な興味というものがあります。法律論としてこの案件がどういう展開をし、裁判所がどう判断するのかを、専門家として注目している場合があります。
ただ、そうだとしても、これも使いどころかもしれません。かつてある大物政治家の弁護に立った、著名な人権派弁護士が、検察権力のシナリオを崩す「蟻の一穴」への、職業的な興味から受任したというようなコメントをして、盟友ともいえる弁護士から批判されたことがありした。動機付けのプライオリティとして、ここは問われる局面なのかもしれません。
弁護士を医者にたとえる人は多いですが、振って湧いた事件は、市民にとって病気と同じ厄災だと考えれば、医者が「この病気は面白い」と言い方があり得ないのと同じ、とみられてもしようがありません。
仕事という面からいえば、同じような仕事ばかりではない方がいいという弁護士の本音を聞くことがあります。それこそ職業的な興味、あるいは経験という意味では、いろいろな事件に当り、実績を作りたいという気持ちはあるようです。また、もう一つは、マンネリ化、いってしまえば、飽きてしまうということも聞きます。これまた、心得違いをいう人がいるかもしれませんが、やはり、そこは人間ですので、分からなくはありません。マンネリ化した気分の状態で、事件に臨まれることが、市民にとってもいいわけはありません。
現に、期待されながらも、伸びない、企業内弁護士についていえば、第一にそれが受け入れ企業側の問題であるにしても、弁護士側の敬遠意識の中には、その企業の仕事しかできないことが、「面白み」に欠けるとするものもあるようです。企業内弁護士は、弁護士といっても、一社員としてその企業に貢献することが求められますから、そこに別のメンタリティが必要になるともいえます。一度企業内弁護士になったらば、一般の弁護士とは違う路線に行くことになるのでないか、との見方も、少なからずありました。
ただ、これらは、あくまで「これまでは」とう注釈をつけるべきかとも思います。「マンネリ」がどうのこうのではなく、いまや仕事になるならば、何でもやるという覚悟を弁護士の口から聞きます。要するに、仕事をえり好みしている余裕がないということです。
定型処理的な仕事を弁護士らしからぬ分野としてきた人たちも、かつてはいましたが、今、それこそ「おいしい仕事」ととらえる向きもあります。企業内弁護士にしても、「安定」というプラス要素に対して、少なくとも前記したような「面白み」ということが、新人のなかで、これからどの位の比重を占めていくのかは未知数です。
「不謹慎」と言われる心配をしなくても、弁護士の口から「面白い事件」なんて、いまよりもっと、言葉は聞かれなくなるのかもしれません。職人的な興味やマンネリへの嫌気も、ある意味、余裕のあった古き良き時代の話として、弁護士が語る未来も来るのでしょうか。
ただいま、「今、必要とされる弁護士」についてもご意見募集中!
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これは、本人には悪気がない場合がほとんどかもしれません。この日本語が、たまたま「こっけいだ」「楽しい」という意味と、「興味がある」「こころひかれる」という意味を持ち合わせていることからくることでもあります。だから、本人からすれば、誤用とも言い難いのですが、伝わってなんぼの言葉ですから、そうした不謹慎な響き、ニュアンスにとられることは、発信者側が配慮することが無難です。
重々お分かりのことかとも思いますが、弁護士の仕事についても、これは気をつけた方がいい言葉と思うことは、よくあります。「面白い事件」「面白い裁判」「面白い案件」などなど。事情がよく分かっているもの同士、あるいはある前提の上に話し合える間柄では、もちろん、この言葉のなかに不謹慎なものを読み取ることはないのですが、事件当事者はもちろんのこと、第三者の市民がこれを聞いて、その部分を切り取ってみたとき、「面白いとはなんだ」という突っ込みを入れたくなるかもしれません。
ひとつには、職業的あるいは職人的な興味というものがあります。法律論としてこの案件がどういう展開をし、裁判所がどう判断するのかを、専門家として注目している場合があります。
ただ、そうだとしても、これも使いどころかもしれません。かつてある大物政治家の弁護に立った、著名な人権派弁護士が、検察権力のシナリオを崩す「蟻の一穴」への、職業的な興味から受任したというようなコメントをして、盟友ともいえる弁護士から批判されたことがありした。動機付けのプライオリティとして、ここは問われる局面なのかもしれません。
弁護士を医者にたとえる人は多いですが、振って湧いた事件は、市民にとって病気と同じ厄災だと考えれば、医者が「この病気は面白い」と言い方があり得ないのと同じ、とみられてもしようがありません。
仕事という面からいえば、同じような仕事ばかりではない方がいいという弁護士の本音を聞くことがあります。それこそ職業的な興味、あるいは経験という意味では、いろいろな事件に当り、実績を作りたいという気持ちはあるようです。また、もう一つは、マンネリ化、いってしまえば、飽きてしまうということも聞きます。これまた、心得違いをいう人がいるかもしれませんが、やはり、そこは人間ですので、分からなくはありません。マンネリ化した気分の状態で、事件に臨まれることが、市民にとってもいいわけはありません。
現に、期待されながらも、伸びない、企業内弁護士についていえば、第一にそれが受け入れ企業側の問題であるにしても、弁護士側の敬遠意識の中には、その企業の仕事しかできないことが、「面白み」に欠けるとするものもあるようです。企業内弁護士は、弁護士といっても、一社員としてその企業に貢献することが求められますから、そこに別のメンタリティが必要になるともいえます。一度企業内弁護士になったらば、一般の弁護士とは違う路線に行くことになるのでないか、との見方も、少なからずありました。
ただ、これらは、あくまで「これまでは」とう注釈をつけるべきかとも思います。「マンネリ」がどうのこうのではなく、いまや仕事になるならば、何でもやるという覚悟を弁護士の口から聞きます。要するに、仕事をえり好みしている余裕がないということです。
定型処理的な仕事を弁護士らしからぬ分野としてきた人たちも、かつてはいましたが、今、それこそ「おいしい仕事」ととらえる向きもあります。企業内弁護士にしても、「安定」というプラス要素に対して、少なくとも前記したような「面白み」ということが、新人のなかで、これからどの位の比重を占めていくのかは未知数です。
「不謹慎」と言われる心配をしなくても、弁護士の口から「面白い事件」なんて、いまよりもっと、言葉は聞かれなくなるのかもしれません。職人的な興味やマンネリへの嫌気も、ある意味、余裕のあった古き良き時代の話として、弁護士が語る未来も来るのでしょうか。
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