日弁連が「3000人」を受け入れた場面
「3000人」という言葉から連想するものを、弁護士界の人間に聞けば、いまやおそらく大半の人は、同じことを挙げるのではないかと思います。いうまでもなく、司法制度改革審議会が最終意見書のなかで2010年ころまでの達成目標として掲げた年間の司法試験合格者数です。
ただ、時々この世界の議論を知らない人からは、不思議がられます。弁護士の増員問題と絡み、この年間「3000人」が多いか否かが焦点になっているように見えることに、なぜ3000人というラインが引かれ、そして、何をもって弁護士会がいったんそれを受け入れたのかということについてです。
市民の感覚からすれば、以前は500人だったと聞けば、激増政策であるのは分かっても、弁護士のニーズということであれば、3000人が妥当なのか、多いのかなんて、もちろん分かるわけがありません。そこを、専門家の方々は、話し合った末、分かって目標としたのではないのか、と。今になって、どうやらその専門家の方々から異論が出ていることになおさら、その疑問を持っても確かにおかしくはありません。
日弁連が初めて「3000人」方針を受け入れる姿勢を示したのは、2000年8月29日の前記司法制度改革審議会第28回会議での、久保井一匡・日弁連会長(当時)の発言でのことと言われています。
この会議の席上、委員である山本勝・東電副社長(当時)が、当時の合格者1000人を3倍にするという、この急増政策に危惧の念を示します。
規制緩和が進むなか、中規模の都市でも、郊外に大きなスーパーができると、商店街が全滅するといった現象があるなか、弁護士の仕事は過疎化が進む地域で大丈夫なのか、経済社会は動くのか。行政指導というが、無理なことはやはり無理じゃないか。弁護士の受任率は、都市部でも上がっておらず、司法の透明化や広告でこれが飛躍的に上がっていくのか――。
久保井会長の発言は、この懸念に対する回答として出されます。
「これ(3000人)は弁護士会としても、国民の声をくみ上げた結果お出しになった数字として、これを真摯に受け止めなければならないと。そして、これを積極的に受け入れていかなければいかぬというふうに私としては思っています。 それが大丈夫かという御質問ですけれども、私は十分に大丈夫だろうと思います」
久保井会長は、この時、法律扶助費の拡大、刑事被疑者弁護士制度への国費投入、破産事件の急増などを挙げ、「公的なニーズが非常にたくさんある」とし、3000人は「十分に日本社会で吸収し得る」というはっきりとした見通しを示しています。
時系列的に見ると、実はこの発言のわずか3週間前の司法審集中審議第2日目終了後の記者会見で佐藤幸治・司法審会長は「年3000人で概ね一致」を公表。そして、久保井発言の2カ月後の11月1日、日弁連は約9時間に及ぶ臨時総会での議事の末、賛成多数で事実上、この方針を受け入れる決議を採択します。
しかし、3000人案の火付け役は御身内にいたという話もあります。久保井発言の半年前の同年2月22日の第13回会議で、中坊公平委員が提出した私案の中で示された「5、6万人程度の弁護士人口を目指す」、同年4月11日第16回での同委員の発言「フランス並みにするとしたとしても5、6万人」。10年でそれを達成することの逆算が年3000人合格であったということです。
1000人堅持を既定方針としていた日弁連が3000人に踏み出す過程で、中坊委員-日弁連執行部の、いわば「連携プレー」があったようにも見えます。この時点で、「3000人」に日弁連がカジを大きく切ろうとする確固たる意志が、日弁連執行部にあったとみることもできなくありません。そうだとすれば、ここの判断ミスが、今に至る「3000人」方針で、日弁連が「共犯」関係になるきっかけであり、そうとらえれば、中坊委員らをいわば「戦犯」とみる批判論が弁護士会内にあることも理解できる話です。
少し別の解釈もあります。司法審13人の委員の中で、事実上だった一人の日弁連側だった中坊委員が仮に「1000人」に固執しても、敗北は見えていたという見方です。さらなる法曹人口増を決定する可能性もあったなかで、それを封じるために、彼らはあえて「3000人」に打って出たのだと。従って、司法審での日弁連の敗北は、既にその発足時に決定しており、中坊委員は「戦犯」でなく、いわば「敗戦処理投手」だったというのです(花水木法律事務所「日弁連はなぜ負けたのか?(4)」)。
ここは弁護士のなかでも、評価が分かれるところかもしれません。会員多数の決定による日弁連の方針選択であったとしても、そして日弁連主導層がいわば、次善の策としてこの方針を受け入れたという見方が仮にできるとしても、それで、果たしてどのくらい彼らを免責することができるのか、という疑問は残るように思います。
冒頭の疑問に立ち返れば、その答えは何になるのでしょうか。いみじくも、あの日、久保井会長に投げかけられ、そして同会長がそれに対して直接答えることがなかった山本委員の懸念は、的中しているとみることもできます。そのかわりに、この一連の流れのなかで見えてくるのは、「敗戦処理投手」説も含め、本質論でなく、情勢論で傾斜していった日弁連の姿です。
今、日弁連が「3000人」問題の議論に、「共犯」の立場で臨まなければならないのは、ある意味、弁護士らしからぬ議論と選択のツケとみることができるようにも思えます。
投稿サイト「司法ウオッチ」では皆様の意見を募集しています。是非、ご参加下さい。
http://www.shihouwatch.com/
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ただ、時々この世界の議論を知らない人からは、不思議がられます。弁護士の増員問題と絡み、この年間「3000人」が多いか否かが焦点になっているように見えることに、なぜ3000人というラインが引かれ、そして、何をもって弁護士会がいったんそれを受け入れたのかということについてです。
市民の感覚からすれば、以前は500人だったと聞けば、激増政策であるのは分かっても、弁護士のニーズということであれば、3000人が妥当なのか、多いのかなんて、もちろん分かるわけがありません。そこを、専門家の方々は、話し合った末、分かって目標としたのではないのか、と。今になって、どうやらその専門家の方々から異論が出ていることになおさら、その疑問を持っても確かにおかしくはありません。
日弁連が初めて「3000人」方針を受け入れる姿勢を示したのは、2000年8月29日の前記司法制度改革審議会第28回会議での、久保井一匡・日弁連会長(当時)の発言でのことと言われています。
この会議の席上、委員である山本勝・東電副社長(当時)が、当時の合格者1000人を3倍にするという、この急増政策に危惧の念を示します。
規制緩和が進むなか、中規模の都市でも、郊外に大きなスーパーができると、商店街が全滅するといった現象があるなか、弁護士の仕事は過疎化が進む地域で大丈夫なのか、経済社会は動くのか。行政指導というが、無理なことはやはり無理じゃないか。弁護士の受任率は、都市部でも上がっておらず、司法の透明化や広告でこれが飛躍的に上がっていくのか――。
久保井会長の発言は、この懸念に対する回答として出されます。
「これ(3000人)は弁護士会としても、国民の声をくみ上げた結果お出しになった数字として、これを真摯に受け止めなければならないと。そして、これを積極的に受け入れていかなければいかぬというふうに私としては思っています。 それが大丈夫かという御質問ですけれども、私は十分に大丈夫だろうと思います」
久保井会長は、この時、法律扶助費の拡大、刑事被疑者弁護士制度への国費投入、破産事件の急増などを挙げ、「公的なニーズが非常にたくさんある」とし、3000人は「十分に日本社会で吸収し得る」というはっきりとした見通しを示しています。
時系列的に見ると、実はこの発言のわずか3週間前の司法審集中審議第2日目終了後の記者会見で佐藤幸治・司法審会長は「年3000人で概ね一致」を公表。そして、久保井発言の2カ月後の11月1日、日弁連は約9時間に及ぶ臨時総会での議事の末、賛成多数で事実上、この方針を受け入れる決議を採択します。
しかし、3000人案の火付け役は御身内にいたという話もあります。久保井発言の半年前の同年2月22日の第13回会議で、中坊公平委員が提出した私案の中で示された「5、6万人程度の弁護士人口を目指す」、同年4月11日第16回での同委員の発言「フランス並みにするとしたとしても5、6万人」。10年でそれを達成することの逆算が年3000人合格であったということです。
1000人堅持を既定方針としていた日弁連が3000人に踏み出す過程で、中坊委員-日弁連執行部の、いわば「連携プレー」があったようにも見えます。この時点で、「3000人」に日弁連がカジを大きく切ろうとする確固たる意志が、日弁連執行部にあったとみることもできなくありません。そうだとすれば、ここの判断ミスが、今に至る「3000人」方針で、日弁連が「共犯」関係になるきっかけであり、そうとらえれば、中坊委員らをいわば「戦犯」とみる批判論が弁護士会内にあることも理解できる話です。
少し別の解釈もあります。司法審13人の委員の中で、事実上だった一人の日弁連側だった中坊委員が仮に「1000人」に固執しても、敗北は見えていたという見方です。さらなる法曹人口増を決定する可能性もあったなかで、それを封じるために、彼らはあえて「3000人」に打って出たのだと。従って、司法審での日弁連の敗北は、既にその発足時に決定しており、中坊委員は「戦犯」でなく、いわば「敗戦処理投手」だったというのです(花水木法律事務所「日弁連はなぜ負けたのか?(4)」)。
ここは弁護士のなかでも、評価が分かれるところかもしれません。会員多数の決定による日弁連の方針選択であったとしても、そして日弁連主導層がいわば、次善の策としてこの方針を受け入れたという見方が仮にできるとしても、それで、果たしてどのくらい彼らを免責することができるのか、という疑問は残るように思います。
冒頭の疑問に立ち返れば、その答えは何になるのでしょうか。いみじくも、あの日、久保井会長に投げかけられ、そして同会長がそれに対して直接答えることがなかった山本委員の懸念は、的中しているとみることもできます。そのかわりに、この一連の流れのなかで見えてくるのは、「敗戦処理投手」説も含め、本質論でなく、情勢論で傾斜していった日弁連の姿です。
今、日弁連が「3000人」問題の議論に、「共犯」の立場で臨まなければならないのは、ある意味、弁護士らしからぬ議論と選択のツケとみることができるようにも思えます。
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