「改革」批判を躊躇する若手の心情
法科大学院を出身の弁護士たちが、今の新法曹養成や増員問題をどう考えているのかということには、大変興味があります。ただ、当たり前のことですが、年間2000人からなる新人弁護士たちは、考え方も抱えている事情、状況もさまざまです。
ついひとくくりにして、「新人類」的な視線をおくってしまうことは厳に慎まなければいけない、と思います。それでは、弁護士界を外から見ている人間の一部が、たまたま自分が出会った弁護士との関係でのおもわしくない結果をもとに、「弁護士なんてこんな奴らだ」と言っているのと、ある意味、変わらなくなってしまう恐れがあります。
最近、そうしたことを感じることがありました。ネットで発言している法科大学院出身の若手弁護士たちの、司法に関する発言を目にしていると、ついそうした声を若手弁護士たちから聞けるような気持ちになっていたりするのです。
ネット上では、若手からも弁護士激増政策への批判、給費制の存続、法科大学院のあり方への疑問、さらには司法修習の不要論に近いものまで目にすることがあります。さらには、弁護士会の会費を含めたあり方への不満、さらには強制加入や自治に関する率直な意見に触れることもあります。
しかし、これまた当たり前のことかもしれませんが、こうした意見をネットで堂々と表明している若手は、おそらく多数派ではありません。多くの若手は、本音はともかく、こうしたことについて表だって意見を述べたりはしていません。
それは、もちろん一般的な新人としてのわきまえ的な意識をあてはめることもできるとは思います。「まだこの世界に入って間もない自分が」とか、「半人前でえらそうなことはいえない」とか。およそ基本的に独立した自由業であるといっても、弁護士にだってそういう気持ちはあります。
ただ、それ以上に、複雑な感情をみることがあります。例えば、増員政策についてどう思うか、と尋ねた場合、こういう趣旨が回答に込められるときがしばしばあります。
「私たちはその増員政策のおかげで弁護士になれたかもしれないので・・・」
つまり、増員によって枠が広がった中に入った一人、いわば、その恩恵を被った立場かもしれない、という意識です。それがあるがゆえに、この増員政策に疑問を感じ、あるいは疑問どころか、弁護士になった後、もろにそのしわ寄せを受け、批判したい立場にありながら、その批判に躊躇を感じる若手もいるということです。
それは、法科大学院制度についても、同じことがいえます。そのあり方の問題点を引き出そうとしても、いわばそこを経て、弁護士になっている立場からすれば、前記同様の躊躇もあり得ます。
もちろん、この点については学校によって、受けてきた教育内容のバラつきもありますし、合格上位校・下位校でも、かなり事情が違います。上位校で合格し、弁護士になっている若手ほど、あるいは、そうしたものが働くかもしれません。
それでも、おカネと時間がかかる制度であることと、合格しないというリスクがあることは彼らが一番分かっていることです。それがこの制度の欠点という認識も一致しているようです。ただ、それがなかった時代の話をいくらされても、とにかく法曹にならなければ始まらない、と考えた彼らは、苦労の度合いはさまざまであっても、だだ、目の前のハードルがあったから越えたまで、ということでもあります。
不満の声を聞き出そうとしても、やや淡々とした答えが返ってきてしまうような感じをもってしまうのは、そもそもこちら側の認識の問題なのかもしれません。
冒頭に書いたように、もちろん一概には言えません。躊躇を覚えた彼らも、もちろん今度は一弁護士の立場で、司法の問題を見ていくことになるわけで、彼らの発言もまた変わっていくとは思います。
しかし、法科大学院出身弁護士の置かれた立場を考えると、よりマイクが向けられていいのは、さまざまな時点・段階で、この制度のために法曹志望断念に追い込まれた人々と、やはりそういう制度を構築し維持している側、彼らの前に新しいハードルを作った側の方たちであることを改めて強く感じます。
投稿サイト「司法ウオッチ」では皆様の意見を募集しています。是非、ご参加下さい。
http://www.shihouwatch.com/
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ついひとくくりにして、「新人類」的な視線をおくってしまうことは厳に慎まなければいけない、と思います。それでは、弁護士界を外から見ている人間の一部が、たまたま自分が出会った弁護士との関係でのおもわしくない結果をもとに、「弁護士なんてこんな奴らだ」と言っているのと、ある意味、変わらなくなってしまう恐れがあります。
最近、そうしたことを感じることがありました。ネットで発言している法科大学院出身の若手弁護士たちの、司法に関する発言を目にしていると、ついそうした声を若手弁護士たちから聞けるような気持ちになっていたりするのです。
ネット上では、若手からも弁護士激増政策への批判、給費制の存続、法科大学院のあり方への疑問、さらには司法修習の不要論に近いものまで目にすることがあります。さらには、弁護士会の会費を含めたあり方への不満、さらには強制加入や自治に関する率直な意見に触れることもあります。
しかし、これまた当たり前のことかもしれませんが、こうした意見をネットで堂々と表明している若手は、おそらく多数派ではありません。多くの若手は、本音はともかく、こうしたことについて表だって意見を述べたりはしていません。
それは、もちろん一般的な新人としてのわきまえ的な意識をあてはめることもできるとは思います。「まだこの世界に入って間もない自分が」とか、「半人前でえらそうなことはいえない」とか。およそ基本的に独立した自由業であるといっても、弁護士にだってそういう気持ちはあります。
ただ、それ以上に、複雑な感情をみることがあります。例えば、増員政策についてどう思うか、と尋ねた場合、こういう趣旨が回答に込められるときがしばしばあります。
「私たちはその増員政策のおかげで弁護士になれたかもしれないので・・・」
つまり、増員によって枠が広がった中に入った一人、いわば、その恩恵を被った立場かもしれない、という意識です。それがあるがゆえに、この増員政策に疑問を感じ、あるいは疑問どころか、弁護士になった後、もろにそのしわ寄せを受け、批判したい立場にありながら、その批判に躊躇を感じる若手もいるということです。
それは、法科大学院制度についても、同じことがいえます。そのあり方の問題点を引き出そうとしても、いわばそこを経て、弁護士になっている立場からすれば、前記同様の躊躇もあり得ます。
もちろん、この点については学校によって、受けてきた教育内容のバラつきもありますし、合格上位校・下位校でも、かなり事情が違います。上位校で合格し、弁護士になっている若手ほど、あるいは、そうしたものが働くかもしれません。
それでも、おカネと時間がかかる制度であることと、合格しないというリスクがあることは彼らが一番分かっていることです。それがこの制度の欠点という認識も一致しているようです。ただ、それがなかった時代の話をいくらされても、とにかく法曹にならなければ始まらない、と考えた彼らは、苦労の度合いはさまざまであっても、だだ、目の前のハードルがあったから越えたまで、ということでもあります。
不満の声を聞き出そうとしても、やや淡々とした答えが返ってきてしまうような感じをもってしまうのは、そもそもこちら側の認識の問題なのかもしれません。
冒頭に書いたように、もちろん一概には言えません。躊躇を覚えた彼らも、もちろん今度は一弁護士の立場で、司法の問題を見ていくことになるわけで、彼らの発言もまた変わっていくとは思います。
しかし、法科大学院出身弁護士の置かれた立場を考えると、よりマイクが向けられていいのは、さまざまな時点・段階で、この制度のために法曹志望断念に追い込まれた人々と、やはりそういう制度を構築し維持している側、彼らの前に新しいハードルを作った側の方たちであることを改めて強く感じます。
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