「正業に就け」と言われる時代への危機感
「弁護士よ、正業に就け」
太平洋戦争末期、正当な弁護活動を行おうとする弁護士に、憲兵や警官が、この言葉を浴びせかけました。
弁護士の正業とは何か。この言葉の前には、ある意味、その定義を云々すること自体無意味といっていいでしょう。なぜなら、ここで言われているのは、あからさまな「弁護無用論」「排斥論」であり、そのことだけに意味があったからです。本来の弁護士の仕事を頭から「正業」と認めない、この言葉の理不尽さこそが、その時代の恐ろしさを今に伝えているのです。
根底には非常時下に罪を犯すのは、「国賊」であり、「国賊の弁護はする必要はない」という考え方がありました。したがって、その弁護に熱心な弁護士は「時局非協力」という烙印を押されることになったのです。
当時の制度は、この発想をきちっと反映していました。国防保安法・治安維持法は検事の捜査権限を強化、二審制を採用するとともに、弁護人は司法大臣が指定する弁護士の中からに限り選任されるという特別手続きを定めていました。悪名高い「指定弁護士制度」です。
裁判は迅速化され、証拠調べは簡略化されて、弁論に時間をかけることを非難する風潮も生まれました。
昭和19年、加藤隆久弁護士は、戦時物価統制令違反事件で検挙された人のもらい下げに、東京・九段の憲兵司令部を訪れた際、憲兵軍曹から冒頭の言葉を浴びせられました。
「この非常時に、先生らはどうしてあんな国賊の弁護をなさるのか。そろそろ正業に就いたらどうですか」
だけども、加藤弁護士は全くひるみませんでした。
「国賊かどうか裁判してみなければ分からないではないか」
「弁護士が正業でなければ、弁護士法を廃止したらよかろう」
さらに、おさまらない加藤弁護士は、この時、上官である少佐のもとに行き、「貴下らがそんなことを言わせているのか」と、猛然と抗議したそうです。あの時代の中でも、気概のある弁護士がいたことを伝えるエピソードです(加藤隆久「正業につけ」法友会会報昭和33年度号)。
今、「軍国主義」は消え、平和憲法の下、「民主主義」の世の中になり、「国賊」という言葉すら知らないだろう人々が町を歩いています。似て非なるものと笑うのは簡単ですが、その国で再び「軍」が登場させようとする動きや、裁判の迅速化・弁護権の制約化の流れもあります。ネットなどでは、凶悪事件の被告人を「国賊」扱いする風潮はあります。国民参加の効果が強調される裁判員制度だって、この国の国民に対する、新しい強制の形です。弁護士界の中には、この次にくるものへの危機感を叫ぶ人たちもいますが、その声は十分に大衆には届いていません。
本来の弁護士の仕事を貫こうとする時、弁護士は、実は時代からも、時に多数派の市民からも孤立することを余儀なくされる存在なのです。弁護士や・弁護士会の中には、あの時代、戦争への傾斜、翼賛体制に対し、必ずしも本来の果たすべき役割を果たしきれなかったことへの反省もありました。だが、あの時代が遠くなるとともに、今の弁護士からそういう覚悟を聞くことも少なくなりました。
戦争だけでなく、そもそも社会や多数派の世論に対して、弁護士・会が、本来の役割を果たすために、どう向き合うかは、もっと考えるべきことのようにも思います。民主主義の社会になっても、今度は国民・市民の口から「弁護無用論」が声高にいわれる未来が来る可能性はあります。
もし、今、形を変えた、あの言葉が、国民・市民の口から出たならば、現在の弁護士は、加藤弁護士のように、胸を張って、その理不尽へ抗議するでしょうか。

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太平洋戦争末期、正当な弁護活動を行おうとする弁護士に、憲兵や警官が、この言葉を浴びせかけました。
弁護士の正業とは何か。この言葉の前には、ある意味、その定義を云々すること自体無意味といっていいでしょう。なぜなら、ここで言われているのは、あからさまな「弁護無用論」「排斥論」であり、そのことだけに意味があったからです。本来の弁護士の仕事を頭から「正業」と認めない、この言葉の理不尽さこそが、その時代の恐ろしさを今に伝えているのです。
根底には非常時下に罪を犯すのは、「国賊」であり、「国賊の弁護はする必要はない」という考え方がありました。したがって、その弁護に熱心な弁護士は「時局非協力」という烙印を押されることになったのです。
当時の制度は、この発想をきちっと反映していました。国防保安法・治安維持法は検事の捜査権限を強化、二審制を採用するとともに、弁護人は司法大臣が指定する弁護士の中からに限り選任されるという特別手続きを定めていました。悪名高い「指定弁護士制度」です。
裁判は迅速化され、証拠調べは簡略化されて、弁論に時間をかけることを非難する風潮も生まれました。
昭和19年、加藤隆久弁護士は、戦時物価統制令違反事件で検挙された人のもらい下げに、東京・九段の憲兵司令部を訪れた際、憲兵軍曹から冒頭の言葉を浴びせられました。
「この非常時に、先生らはどうしてあんな国賊の弁護をなさるのか。そろそろ正業に就いたらどうですか」
だけども、加藤弁護士は全くひるみませんでした。
「国賊かどうか裁判してみなければ分からないではないか」
「弁護士が正業でなければ、弁護士法を廃止したらよかろう」
さらに、おさまらない加藤弁護士は、この時、上官である少佐のもとに行き、「貴下らがそんなことを言わせているのか」と、猛然と抗議したそうです。あの時代の中でも、気概のある弁護士がいたことを伝えるエピソードです(加藤隆久「正業につけ」法友会会報昭和33年度号)。
今、「軍国主義」は消え、平和憲法の下、「民主主義」の世の中になり、「国賊」という言葉すら知らないだろう人々が町を歩いています。似て非なるものと笑うのは簡単ですが、その国で再び「軍」が登場させようとする動きや、裁判の迅速化・弁護権の制約化の流れもあります。ネットなどでは、凶悪事件の被告人を「国賊」扱いする風潮はあります。国民参加の効果が強調される裁判員制度だって、この国の国民に対する、新しい強制の形です。弁護士界の中には、この次にくるものへの危機感を叫ぶ人たちもいますが、その声は十分に大衆には届いていません。
本来の弁護士の仕事を貫こうとする時、弁護士は、実は時代からも、時に多数派の市民からも孤立することを余儀なくされる存在なのです。弁護士や・弁護士会の中には、あの時代、戦争への傾斜、翼賛体制に対し、必ずしも本来の果たすべき役割を果たしきれなかったことへの反省もありました。だが、あの時代が遠くなるとともに、今の弁護士からそういう覚悟を聞くことも少なくなりました。
戦争だけでなく、そもそも社会や多数派の世論に対して、弁護士・会が、本来の役割を果たすために、どう向き合うかは、もっと考えるべきことのようにも思います。民主主義の社会になっても、今度は国民・市民の口から「弁護無用論」が声高にいわれる未来が来る可能性はあります。
もし、今、形を変えた、あの言葉が、国民・市民の口から出たならば、現在の弁護士は、加藤弁護士のように、胸を張って、その理不尽へ抗議するでしょうか。

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