カセとしての弁護士法1条
弁護士という仕事は、「正義の実現」を使命として掲げている点で、極めて特異な仕事といってもいいように思います。いうまでもなく、「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」という弁護士法1条1項が掲げているものです。
「基本的人権の擁護」はともかく、「社会正義を実現」というのは何でしょうか。よく聞かれるのは、「正義の実現は弁護士の専売特許なのか」ということです。およそ社会の正義を実現しなければならないのは、弁護士という職業に限らず、本来、すべての国民、すべての職業の人が自覚すべきことなのではないか、と。
例えば、弁護士が「社会正義を実現」することを使命とした存在であることを、弁護士のなかで積極的にとらえている人は、まさに弁護士とは正義の実現者であるのだから、それが社会に満たされ、増えることは、それ自体、社会正義の実現につながる、と見ているようにとれることがしばしばあります。かつて書いたように、人権派といわれる人のなかにも、「弁護士の数はその国の人権レベルを示す」と豪語していた方がいらっしゃいましたが、そうした自負に近いものをそこに見ることもできます。
ただ、この規定については、別の解釈もできるように思えます。なぜ、前記したように、およそすべての国民が自覚すべき「社会正義を実現すること」を、弁護士が使命として、あえて掲げているかといえば、むしろ、そうしなければ、弁護士という存在が危険な仕事だからではないか、ということです。
つまり、公務員ではない身分のものが、民間にあって、法律という武器を携行し、駆使できるというところに、いわば「正義の実現」というカセを課しているようにもとれるのです。
いうまでもなく、弁護士は具体的な紛争のなかで、当事者の権利が十全に行使・実現されるように主張・立証を尽くすことで、正義を実現していく仕事といえますが、目指すべきそれを違うところに設定されれば、本来、主張されるべきでないことが主張され、実現されることもあれば、逆に実現されるべきことが実現しない社会になる危険があります。
別の見方をすれば、武器を手にした法律家は、やはりその別の意図への誘惑に陥りやすい、というべきなのかもしれません。それがゆえに、むしろ社会の側から、この「正義の実現」という使命を彼らに課しているとみることができるように思います。万人が実現に努めるべきことを、あえて彼らに使命として課したところに、彼らの仕事の危険でかつ、特異な性格が現れているということだろうと思います。
そのことは、個々の弁護士の自覚として求められることですが、それと同時に、この仕事の責任として求められていることでもあります。つまり、彼らを資格業として、特別な地位を与えている以上、危険な状態の彼らを社会に放出することに対しては、それは出す側の、あるいは出している側の責任として問われるべきということになります。
だから、やはり自らの利益追求のために、正義の実現を怠ったり、あるいは装ったりする弁護士がいたとしても、それによる不利益の責任を利用者側に転嫁するのは、この規定を弁護士に課したカセと見る限りは、あり得ないようにも思います。
道を踏み外しやすく、また、その場合の影響が大きい仕事であるがゆえに、あえて「正義」を特別な使命として課していると、この規定を見ることが、弁護士増員時代の今、必要になってきているような気がします。
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「基本的人権の擁護」はともかく、「社会正義を実現」というのは何でしょうか。よく聞かれるのは、「正義の実現は弁護士の専売特許なのか」ということです。およそ社会の正義を実現しなければならないのは、弁護士という職業に限らず、本来、すべての国民、すべての職業の人が自覚すべきことなのではないか、と。
例えば、弁護士が「社会正義を実現」することを使命とした存在であることを、弁護士のなかで積極的にとらえている人は、まさに弁護士とは正義の実現者であるのだから、それが社会に満たされ、増えることは、それ自体、社会正義の実現につながる、と見ているようにとれることがしばしばあります。かつて書いたように、人権派といわれる人のなかにも、「弁護士の数はその国の人権レベルを示す」と豪語していた方がいらっしゃいましたが、そうした自負に近いものをそこに見ることもできます。
ただ、この規定については、別の解釈もできるように思えます。なぜ、前記したように、およそすべての国民が自覚すべき「社会正義を実現すること」を、弁護士が使命として、あえて掲げているかといえば、むしろ、そうしなければ、弁護士という存在が危険な仕事だからではないか、ということです。
つまり、公務員ではない身分のものが、民間にあって、法律という武器を携行し、駆使できるというところに、いわば「正義の実現」というカセを課しているようにもとれるのです。
いうまでもなく、弁護士は具体的な紛争のなかで、当事者の権利が十全に行使・実現されるように主張・立証を尽くすことで、正義を実現していく仕事といえますが、目指すべきそれを違うところに設定されれば、本来、主張されるべきでないことが主張され、実現されることもあれば、逆に実現されるべきことが実現しない社会になる危険があります。
別の見方をすれば、武器を手にした法律家は、やはりその別の意図への誘惑に陥りやすい、というべきなのかもしれません。それがゆえに、むしろ社会の側から、この「正義の実現」という使命を彼らに課しているとみることができるように思います。万人が実現に努めるべきことを、あえて彼らに使命として課したところに、彼らの仕事の危険でかつ、特異な性格が現れているということだろうと思います。
そのことは、個々の弁護士の自覚として求められることですが、それと同時に、この仕事の責任として求められていることでもあります。つまり、彼らを資格業として、特別な地位を与えている以上、危険な状態の彼らを社会に放出することに対しては、それは出す側の、あるいは出している側の責任として問われるべきということになります。
だから、やはり自らの利益追求のために、正義の実現を怠ったり、あるいは装ったりする弁護士がいたとしても、それによる不利益の責任を利用者側に転嫁するのは、この規定を弁護士に課したカセと見る限りは、あり得ないようにも思います。
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