「新分野開拓弁護士」の取り上げられ方
当ブログのコメント欄で、情報提供頂いた月刊誌「ウェッジ」7月号のレポート「弁護士増員は誤りか アジア、外交・・・新分野開拓する若手」を読みました。
このレポートには、4人の法曹資格者が登場します。330人以上の弁護士を抱えるシンガポール最大規模の法律事務所に勤務する6人の日本人弁護士の一人である栗田哲郎弁護士、東京の法律事務所に、いわゆる「軒弁」として所属している尾関博之弁護士、司法試験に合格しながら現在外務省経済局経済連携課に勤務する島根玲子氏、そして、経済界では企業弁護士として第一人者との呼び声も高い、ご存知、久保利英明弁護士です。
前記タイトルと、この登場人物を見ただけで、大体、各人がどういう役回りを演じて、この企画が何を言いたいのかは、想像ができるという方もいらっしゃると思います。
久保利弁護士以外の三人はいずれも若手。栗田弁護士は東南アジア各国、尾関弁護士はミャンマーの、進出日本企業へのリーガルサポートを手掛け、島根氏は、入省2年目で、日々条約や法律を取り扱いながら、EU、ASEANとの経済交渉を担当、「ロースクールで学んだことが活かされる場面も多い」。そして、司法改革、とりわけ弁護士増員によって、彼らが誕生し、活躍している、と。本文リード記事は、こう括ります。
「高度な法律知識を有する多様な人材が、国内外問わず活躍の場を広げている。法曹界の人口を拡大していけば、こうしたフィールドはさらに拡大するだろう」
つまり、この記事の狙いは、いうまでもなく、彼らの活動をもってして、総務省や日弁連が法曹人口増に抑制的な動きを示しているのは、どうなんだ、要は彼ら若手が示している可能性の芽を摘むようなマネをしていいのか、ということを訴えるものです。
先日も、このブログで、弁護士急増と「生き残り策」といったテーマを取り上げるテレビ・ドキュメンタリー番組のパターンについて触れましたが(「『生き残り策』がテーマになるおかしさ」) 、ここにもメディアの取り上げ方の典型が見られます。いうなれば、それは例示と結論のチグハグ感を伴った取り上げ方といえます。
新しいフィールドで活躍する若手がいる、そこに可能性もある。「だから」の先が問題です。だから、激増政策が正しい、とか、やめるべきではないとか、「改革」の理念が正しいとか、そういうことになるのかということです。その規模的な問題の度外視や「生存バイアス」(「ある法学生の『選択』」)を伴っているともとるそうした取り上げ方は、もともとの増員構想がこの社会のどういう需要に対して必要とされたのかすら、目を向けないものになっていきます。結論につながらない、飛躍と無理が登場することになります。
「ウェッジ」の今回の企画でも、「企業弁護士が増えたとは数百人オーダーで、法曹界全体の約3.5万人に比べれば桁違いに小さい」ということを認めつつ、「栗田弁護士や島根氏らの例を見れば、フィールドは企業内以外にも、海外や外交など無限に広がっていることがわかる」などとしています。どこをどう読めば、「無限」といえるような、広大なフィールドが用意されている話になるのでしょうか。
さらに、企画は法科大学院元関係者の「司法制度を改革して弁護士を増やし、社会に根付かせ、透明化・公正化を図るという理念を02年の計画は掲げたはず。目先の問題にとらわれて、今はその大きな理念を見失っている」というコメントで締めくくります。栗田弁護士や島根氏が示したフィールドが、02年の計画の「理念」の正しさをどう証明するというのか、そのもともとの描き方の誤りをいうことが、どうして「目先の問題」なのか、という疑問を呼び起こす、全くつながらないコメントです。要は、なんとか結論につなげようとしているだけに見えるのです。
さて、この企画のなかで、残る久保利弁護士の役回りですが、おそらく彼を知る多くの方が想像される通りかと思います。なぜ、今、日弁連が弁護士抑制政策を訴える側に舵を切ったのかの理由を、元日弁連副会長として、丁寧に説明するというわけは、もちろんありません。彼は言います。
「現在の日本は訴訟弁護士が中心。訴訟手前の場面で活用できる人材がまだ少ない。現在法曹界がニーズと認識するのは表面的なごく一部に過ぎず、ウォンツ(需要)は様々な分野に潜在している」
この企画を含めて、久保利弁護士の発言を弁護士ブロク「Schulze BLOG」が、的確に分析し、「久保利先生の思想の背景としては、法廷弁護士像の変化、弁護士の役割変化に対する過度の固執がある」と鋭く指摘しています。日本の弁護士の訴訟偏重があったとしても、その解消が、どこまで現在の需要問題の解決につながるのかは、もちろん全く分かりませんし、「さまざまな分野に潜在」というのも、この場合、前記「無限」と変わらないレトリックです。
この久保利弁護士の弁護士観と彼が日々接している世界での需要観のうえに立った、いわば「正論」も、こうした企画のなかで見ることになると、やはり「結論」への飛躍を伴ったチグハグなものに見えてしまうのです。
ただいま、「今、必要とされる弁護士」「弁護士の競争による淘汰」についてもご意見募集中!
投稿サイト「司法ウオッチ」では皆様の意見を募集しています。是非、ご参加下さい。http://www.shihouwatch.com/
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このレポートには、4人の法曹資格者が登場します。330人以上の弁護士を抱えるシンガポール最大規模の法律事務所に勤務する6人の日本人弁護士の一人である栗田哲郎弁護士、東京の法律事務所に、いわゆる「軒弁」として所属している尾関博之弁護士、司法試験に合格しながら現在外務省経済局経済連携課に勤務する島根玲子氏、そして、経済界では企業弁護士として第一人者との呼び声も高い、ご存知、久保利英明弁護士です。
前記タイトルと、この登場人物を見ただけで、大体、各人がどういう役回りを演じて、この企画が何を言いたいのかは、想像ができるという方もいらっしゃると思います。
久保利弁護士以外の三人はいずれも若手。栗田弁護士は東南アジア各国、尾関弁護士はミャンマーの、進出日本企業へのリーガルサポートを手掛け、島根氏は、入省2年目で、日々条約や法律を取り扱いながら、EU、ASEANとの経済交渉を担当、「ロースクールで学んだことが活かされる場面も多い」。そして、司法改革、とりわけ弁護士増員によって、彼らが誕生し、活躍している、と。本文リード記事は、こう括ります。
「高度な法律知識を有する多様な人材が、国内外問わず活躍の場を広げている。法曹界の人口を拡大していけば、こうしたフィールドはさらに拡大するだろう」
つまり、この記事の狙いは、いうまでもなく、彼らの活動をもってして、総務省や日弁連が法曹人口増に抑制的な動きを示しているのは、どうなんだ、要は彼ら若手が示している可能性の芽を摘むようなマネをしていいのか、ということを訴えるものです。
先日も、このブログで、弁護士急増と「生き残り策」といったテーマを取り上げるテレビ・ドキュメンタリー番組のパターンについて触れましたが(「『生き残り策』がテーマになるおかしさ」) 、ここにもメディアの取り上げ方の典型が見られます。いうなれば、それは例示と結論のチグハグ感を伴った取り上げ方といえます。
新しいフィールドで活躍する若手がいる、そこに可能性もある。「だから」の先が問題です。だから、激増政策が正しい、とか、やめるべきではないとか、「改革」の理念が正しいとか、そういうことになるのかということです。その規模的な問題の度外視や「生存バイアス」(「ある法学生の『選択』」)を伴っているともとるそうした取り上げ方は、もともとの増員構想がこの社会のどういう需要に対して必要とされたのかすら、目を向けないものになっていきます。結論につながらない、飛躍と無理が登場することになります。
「ウェッジ」の今回の企画でも、「企業弁護士が増えたとは数百人オーダーで、法曹界全体の約3.5万人に比べれば桁違いに小さい」ということを認めつつ、「栗田弁護士や島根氏らの例を見れば、フィールドは企業内以外にも、海外や外交など無限に広がっていることがわかる」などとしています。どこをどう読めば、「無限」といえるような、広大なフィールドが用意されている話になるのでしょうか。
さらに、企画は法科大学院元関係者の「司法制度を改革して弁護士を増やし、社会に根付かせ、透明化・公正化を図るという理念を02年の計画は掲げたはず。目先の問題にとらわれて、今はその大きな理念を見失っている」というコメントで締めくくります。栗田弁護士や島根氏が示したフィールドが、02年の計画の「理念」の正しさをどう証明するというのか、そのもともとの描き方の誤りをいうことが、どうして「目先の問題」なのか、という疑問を呼び起こす、全くつながらないコメントです。要は、なんとか結論につなげようとしているだけに見えるのです。
さて、この企画のなかで、残る久保利弁護士の役回りですが、おそらく彼を知る多くの方が想像される通りかと思います。なぜ、今、日弁連が弁護士抑制政策を訴える側に舵を切ったのかの理由を、元日弁連副会長として、丁寧に説明するというわけは、もちろんありません。彼は言います。
「現在の日本は訴訟弁護士が中心。訴訟手前の場面で活用できる人材がまだ少ない。現在法曹界がニーズと認識するのは表面的なごく一部に過ぎず、ウォンツ(需要)は様々な分野に潜在している」
この企画を含めて、久保利弁護士の発言を弁護士ブロク「Schulze BLOG」が、的確に分析し、「久保利先生の思想の背景としては、法廷弁護士像の変化、弁護士の役割変化に対する過度の固執がある」と鋭く指摘しています。日本の弁護士の訴訟偏重があったとしても、その解消が、どこまで現在の需要問題の解決につながるのかは、もちろん全く分かりませんし、「さまざまな分野に潜在」というのも、この場合、前記「無限」と変わらないレトリックです。
この久保利弁護士の弁護士観と彼が日々接している世界での需要観のうえに立った、いわば「正論」も、こうした企画のなかで見ることになると、やはり「結論」への飛躍を伴ったチグハグなものに見えてしまうのです。
ただいま、「今、必要とされる弁護士」「弁護士の競争による淘汰」についてもご意見募集中!
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