「前向き」論の落とし穴
最近の弁護士に接して、共通して聞かれると感じる声は、大きくくくれば次の三つです。現状の大変さ・異変に驚く声。何でこういうことになったのか、と首をかしげる疑問の声。そして、そんなことを言っていても仕方がない、として、前を向こうと鼓舞するような声――。
言ってみれば、現状に対する目線、その原因にこだわる目線、そして取りあえずこれからに向けられた目線とくくることができるかもしれません。やや乱暴にくくってしまえば、今、弁護士のなかにある、現状に関する意識格差の根底は、このどこに比重が置かれているかの違いであるように思えます。
これは、ある意味、仕方がないともいえます。どの観点にこだわりの比重が置かれるのかは、個々の弁護士の個性、感性の違いでもあるからです。ただ、こうしたバラツキに対して、前向きであること、楽観的であることが強調され、肯定される言い方が、とりわれ「改革」を推進しようとしている側から聞かれることには、少々違和感を覚えます。端的に言えば、そうした精神論が、結局、現在の弁護士界や司法の状況を作ったのではないか、と思えるからです。
先日、取り上げたダイヤモンド・オンラインの連載特集企画「弁護士界の憂鬱 バブルと改革に揺れた10年」での山岸憲司・日弁連会長のインタビュー(「『失敗』を認めない日弁連会長」 「日弁連会長の『派閥』観」)で、印象的なやりとりがありました。
「あなたの連載では『憂鬱』なところだけ書いてあるけれども、うまくいっているところだってある。労働審判もうまくいっているでしょう? 弁護士過疎地域だって解消している。いつでも、どこでも司法サービスを受けられるように、ということで法テラスだってある。かなりな程度成功している。『いつでも、どこでも、だれでも』という国民の要請に、これまできちんと応えてきた」
「反司法制度改革派、というような人たちのなかでも、良識ある人は『光と陰』ということで分けて、ちゃんと光の部分も理解していただいている」
山岸会長が、この連載企画のタイトルにある「憂鬱」とかけてチクリと批判しつつ、「改革」の効用・成果を強調する下りです。問題は、彼がいう「光と陰」という表現です。良識のある人はちゃんと理解している「改革」の「光」の部分。そこにこだわるべきだ、と。あたかも、そこが正当に評価されていないことへの不満を言っているようであります。
実は、このインタビューには、この表現が、もう一度登場します。このインタビューを締めくくる記者の最後の質問。それは次のようなものでした。
「最後に、司法制度改革によって、日本の司法が正しく改革されたとき、一般市民はどういうメリットが得られるのか」
この質問をここでされるのには、あるいは山岸会長は不本意だったかもしれません。なぜなら、2回にわたり掲載されているこのインタビューで、そのメリットが記者に全く伝わっていないと、とることもできるからです。つまり、「光」の部分です。
それを示しているかのように、山岸会長は、ここでこれまでと同じことを繰り返して言います。弁護士の活躍の場が広がることの意味、「二割司法」論を想起させる「しがらみとか地域の有力者による問題解決」がなくなるという話。法科大学院の乱立と急速な法曹人口の増員でゆがみの軌道修正が、「私の役割」。そして、こう締めくくります。
「司法制度改革にも光の部分はある。そこにも注目してほしい」
かつて、この「改革」の弁護士界リーダーは、懸念論に対する「地に足が付いた」議論を捨てでも、「牽引車」になるべき、と説いて、「改革」を推進しました(「『合格3000人』に突き進ませたもの」)。これが、法律専門家としての役割を果たした、あるいはその名にふさわしい姿勢であったのかは、今、問われています。
果たして、今、こだわるべきは、本当に「光」の部分でしょうか。あるいは精神論もとなった「光」を強調する「前向き」論が、それこそ「陰」の部分を覆い隠すことになるのは、「いつか来た道」ではないのでしょうか。さらに、社会に対しても、これは「改革」の現実に対する、間違ったメッセージとして伝わらないでしょうか。
まず、弁護士が本当にこだわらなければならないことは、ここにあるような気がしてなりません。
ただいま、「日弁連の『法科大学院制度の改善に関する具体的提言』」についてもご意見募集中!
投稿サイト「司法ウオッチ」では皆様の意見を募集しています。是非、ご参加下さい。http://www.shihouwatch.com/
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これは、ある意味、仕方がないともいえます。どの観点にこだわりの比重が置かれるのかは、個々の弁護士の個性、感性の違いでもあるからです。ただ、こうしたバラツキに対して、前向きであること、楽観的であることが強調され、肯定される言い方が、とりわれ「改革」を推進しようとしている側から聞かれることには、少々違和感を覚えます。端的に言えば、そうした精神論が、結局、現在の弁護士界や司法の状況を作ったのではないか、と思えるからです。
先日、取り上げたダイヤモンド・オンラインの連載特集企画「弁護士界の憂鬱 バブルと改革に揺れた10年」での山岸憲司・日弁連会長のインタビュー(「『失敗』を認めない日弁連会長」 「日弁連会長の『派閥』観」)で、印象的なやりとりがありました。
「あなたの連載では『憂鬱』なところだけ書いてあるけれども、うまくいっているところだってある。労働審判もうまくいっているでしょう? 弁護士過疎地域だって解消している。いつでも、どこでも司法サービスを受けられるように、ということで法テラスだってある。かなりな程度成功している。『いつでも、どこでも、だれでも』という国民の要請に、これまできちんと応えてきた」
「反司法制度改革派、というような人たちのなかでも、良識ある人は『光と陰』ということで分けて、ちゃんと光の部分も理解していただいている」
山岸会長が、この連載企画のタイトルにある「憂鬱」とかけてチクリと批判しつつ、「改革」の効用・成果を強調する下りです。問題は、彼がいう「光と陰」という表現です。良識のある人はちゃんと理解している「改革」の「光」の部分。そこにこだわるべきだ、と。あたかも、そこが正当に評価されていないことへの不満を言っているようであります。
実は、このインタビューには、この表現が、もう一度登場します。このインタビューを締めくくる記者の最後の質問。それは次のようなものでした。
「最後に、司法制度改革によって、日本の司法が正しく改革されたとき、一般市民はどういうメリットが得られるのか」
この質問をここでされるのには、あるいは山岸会長は不本意だったかもしれません。なぜなら、2回にわたり掲載されているこのインタビューで、そのメリットが記者に全く伝わっていないと、とることもできるからです。つまり、「光」の部分です。
それを示しているかのように、山岸会長は、ここでこれまでと同じことを繰り返して言います。弁護士の活躍の場が広がることの意味、「二割司法」論を想起させる「しがらみとか地域の有力者による問題解決」がなくなるという話。法科大学院の乱立と急速な法曹人口の増員でゆがみの軌道修正が、「私の役割」。そして、こう締めくくります。
「司法制度改革にも光の部分はある。そこにも注目してほしい」
かつて、この「改革」の弁護士界リーダーは、懸念論に対する「地に足が付いた」議論を捨てでも、「牽引車」になるべき、と説いて、「改革」を推進しました(「『合格3000人』に突き進ませたもの」)。これが、法律専門家としての役割を果たした、あるいはその名にふさわしい姿勢であったのかは、今、問われています。
果たして、今、こだわるべきは、本当に「光」の部分でしょうか。あるいは精神論もとなった「光」を強調する「前向き」論が、それこそ「陰」の部分を覆い隠すことになるのは、「いつか来た道」ではないのでしょうか。さらに、社会に対しても、これは「改革」の現実に対する、間違ったメッセージとして伝わらないでしょうか。
まず、弁護士が本当にこだわらなければならないことは、ここにあるような気がしてなりません。
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