弁護士の「最大公約数」
以前から、よく聞く話として、日弁連・弁護士会の活動を見た依頼者から弁護士がこう尋ねられたというものがあります。
「弁護士って、そういう人たちだったのですか」
これは、そう言った依頼者も、また、おそらくそのエピソードを話す弁護士も、決していい意味で言っていることではありません。大概の場合、日弁連・弁護士会の活動が、「左翼的」だとか、「反体制的」だとか、要するにそのスタンスが偏っていることに驚かれた、というものです。
かつて、今よりも活発に日弁連が法改正反対運動などを展開していた時代、特に顧問先の企業関係者や、経済人から、弁護士がそんなことを言われたという話は沢山ありましたが、最近でも、ときたま出る会長声明の内容などを見た人から、そんなことを言われることもあるようです。
このエピソードを語る弁護士のニュアンスは、当然、日弁連・弁護士会の会員でありながら、依頼者の声を借りて、その活動のあり方を疑問視するものです。それだけ日弁連・弁護士会の活動は一般的でないのだ、さらには、そうした弁護士会の活動のイメージで、一般の弁護士は迷惑しているんだ、という響きを持っていたりします。
こうした発言を表立ってする人は、かつて弁護士会の中で、少数でしたが、実はそれは多くの弁護士の本音であり、ただ、会務を動かす一部の人間たちのやることに声を上げられないだけなんだといったような、主張も必ずといっていいほどくっついて聞かれました。
これは弁護士会の性格にかかわる問題です。以前から書いていますように、弁護士会は強制加入団体で、弁護士として活動する以上は、会員にならなければなりません。一方で、弁護士には、当然、いろいろな考え方や思想の人間がいます。そうした弁護士たちが所属する団体の活動や意見表明は、当然、強制という形がとられている以上、慎重でなければならず、弁護士会で会内民主主義が強調されるのも、そのことに由来します。
前記したような、エピソードを語る弁護士の中には、多様な意見が内在している弁護士会が意見集約することの限界、さらに強制加入団体としての無理を指摘するものがあります。そうした活動を前提にするのならば、「強制」という枠組みを外せ、という強制加入無用論・廃止論につながっているものもあります。
ある意味、この限界を日弁連・弁護士会が意識してこなかったわけではありません。日弁連・弁護士会は、とりわけ会内で政治的に対立する案件については慎重な発言をしてきた面があります。詳しくは回を改めますが、それこそ弁護士によっていろいろなとらえ方もありますが、かつての国家機密法問題でも、日弁連は慎重な姿勢を取りましたし、これも会内に慎重さへの逆の批判的な意見もありますが、憲法改正問題に対する姿勢などにも表れています。
ただ一つ、日弁連・弁護士会が、多様な意見をはらむ強制加入団体でありながら、意見集約をできるとみる、いわば「最大公約数」というべきものがあります。弁護士法1条が弁護士の使命として掲げている「基本的人権の擁護と社会正義の実現」です。
特に前者の「人権」という立場に立つ時、少なくとも弁護士として弁護士会活動の共通の基盤の上に立ち得るのだということです。言い換えると、「少なくとも弁護士として、これだけはいわなければならないのではないか」といったアプローチが、会活動として選択されてきた、という見方です。
後者の「社会正義の実現」も、重要な使命として掲げられるわけですが、考えてれば、「社会正義」というとらえ方の方は、それこそ立場によって多種多様な解釈や意見があり得るわけで、より「最大公約数」になりにくい面もあります。
ただ、最近の弁護士会内の世論状況をみると、この「人権」というキーワードが、果たしてこれからも弁護士会活動の「最大公約数」になり得るのか、疑問に思うこともあります。
もちろん、本来的に「人権」というものの、とらえ方も弁護士の中で多様に存在しています。ある人は、弁護士こそ少数者の「人権」を守るべき、として、そうした視点を重視する立場に立ちますし、できるだけ「人権」という概念を広く解釈する人もいます。中には企業の弁護活動も人権擁護活動という人もいます。
それでも、「人権を擁護する」という方向として、弁護士会が意見表明し得るとするのは、これまでは会員の意識に支えられてきたようにも思えます。以前にも書きましたが、弁護士会内には会務への無関心層や常に多数派に白紙委任しているととれる層がないわけではありませんでしたが、それでもこと「人権」ということであれば、了とする人たちが沢山いたのです。
ところが、最近の弁護士の中の、会長声明などに対する意見を聞くと、基本的な背景に、前提となる強制加入団体としての意見集約のあり方に対する不満・不信があるように思えます。日弁連・弁護士会の会長名で、会員の意見と隔絶した意見が出されているとされたり、執行部の方針のもと、一般会員の意見が反映していないととれる意見公表がされようとしているという声を多く出されるようになってきているのは、根本的には前記したように慎重であるべき日弁連・弁護士会執行部の姿勢に問題があるようにもとれます。
弁護士会活動の将来を考えるとき、今、この問題に向き合わなければ、会員の意識の離反は止まらず、「最大公約数」の無理、強制加入の無理という意識もさらに広がるように思えます。

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「弁護士って、そういう人たちだったのですか」
これは、そう言った依頼者も、また、おそらくそのエピソードを話す弁護士も、決していい意味で言っていることではありません。大概の場合、日弁連・弁護士会の活動が、「左翼的」だとか、「反体制的」だとか、要するにそのスタンスが偏っていることに驚かれた、というものです。
かつて、今よりも活発に日弁連が法改正反対運動などを展開していた時代、特に顧問先の企業関係者や、経済人から、弁護士がそんなことを言われたという話は沢山ありましたが、最近でも、ときたま出る会長声明の内容などを見た人から、そんなことを言われることもあるようです。
このエピソードを語る弁護士のニュアンスは、当然、日弁連・弁護士会の会員でありながら、依頼者の声を借りて、その活動のあり方を疑問視するものです。それだけ日弁連・弁護士会の活動は一般的でないのだ、さらには、そうした弁護士会の活動のイメージで、一般の弁護士は迷惑しているんだ、という響きを持っていたりします。
こうした発言を表立ってする人は、かつて弁護士会の中で、少数でしたが、実はそれは多くの弁護士の本音であり、ただ、会務を動かす一部の人間たちのやることに声を上げられないだけなんだといったような、主張も必ずといっていいほどくっついて聞かれました。
これは弁護士会の性格にかかわる問題です。以前から書いていますように、弁護士会は強制加入団体で、弁護士として活動する以上は、会員にならなければなりません。一方で、弁護士には、当然、いろいろな考え方や思想の人間がいます。そうした弁護士たちが所属する団体の活動や意見表明は、当然、強制という形がとられている以上、慎重でなければならず、弁護士会で会内民主主義が強調されるのも、そのことに由来します。
前記したような、エピソードを語る弁護士の中には、多様な意見が内在している弁護士会が意見集約することの限界、さらに強制加入団体としての無理を指摘するものがあります。そうした活動を前提にするのならば、「強制」という枠組みを外せ、という強制加入無用論・廃止論につながっているものもあります。
ある意味、この限界を日弁連・弁護士会が意識してこなかったわけではありません。日弁連・弁護士会は、とりわけ会内で政治的に対立する案件については慎重な発言をしてきた面があります。詳しくは回を改めますが、それこそ弁護士によっていろいろなとらえ方もありますが、かつての国家機密法問題でも、日弁連は慎重な姿勢を取りましたし、これも会内に慎重さへの逆の批判的な意見もありますが、憲法改正問題に対する姿勢などにも表れています。
ただ一つ、日弁連・弁護士会が、多様な意見をはらむ強制加入団体でありながら、意見集約をできるとみる、いわば「最大公約数」というべきものがあります。弁護士法1条が弁護士の使命として掲げている「基本的人権の擁護と社会正義の実現」です。
特に前者の「人権」という立場に立つ時、少なくとも弁護士として弁護士会活動の共通の基盤の上に立ち得るのだということです。言い換えると、「少なくとも弁護士として、これだけはいわなければならないのではないか」といったアプローチが、会活動として選択されてきた、という見方です。
後者の「社会正義の実現」も、重要な使命として掲げられるわけですが、考えてれば、「社会正義」というとらえ方の方は、それこそ立場によって多種多様な解釈や意見があり得るわけで、より「最大公約数」になりにくい面もあります。
ただ、最近の弁護士会内の世論状況をみると、この「人権」というキーワードが、果たしてこれからも弁護士会活動の「最大公約数」になり得るのか、疑問に思うこともあります。
もちろん、本来的に「人権」というものの、とらえ方も弁護士の中で多様に存在しています。ある人は、弁護士こそ少数者の「人権」を守るべき、として、そうした視点を重視する立場に立ちますし、できるだけ「人権」という概念を広く解釈する人もいます。中には企業の弁護活動も人権擁護活動という人もいます。
それでも、「人権を擁護する」という方向として、弁護士会が意見表明し得るとするのは、これまでは会員の意識に支えられてきたようにも思えます。以前にも書きましたが、弁護士会内には会務への無関心層や常に多数派に白紙委任しているととれる層がないわけではありませんでしたが、それでもこと「人権」ということであれば、了とする人たちが沢山いたのです。
ところが、最近の弁護士の中の、会長声明などに対する意見を聞くと、基本的な背景に、前提となる強制加入団体としての意見集約のあり方に対する不満・不信があるように思えます。日弁連・弁護士会の会長名で、会員の意見と隔絶した意見が出されているとされたり、執行部の方針のもと、一般会員の意見が反映していないととれる意見公表がされようとしているという声を多く出されるようになってきているのは、根本的には前記したように慎重であるべき日弁連・弁護士会執行部の姿勢に問題があるようにもとれます。
弁護士会活動の将来を考えるとき、今、この問題に向き合わなければ、会員の意識の離反は止まらず、「最大公約数」の無理、強制加入の無理という意識もさらに広がるように思えます。
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